年末から昨日にかけて観た映画 

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年末から昨日にかけて映画館で観た映画を並べる。

12月24日(日) シネマe~ra  フランソワ・オゾン監督「私がやりました」

1月3日(水) シネマe~ra 石井裕也監督「愛にイナズマ」

1月7日(日) TOHOシネマズ浜松 ヴィム・ヴェンダース監督「PERFECT DAYS」

1月11日(木) シネマe~ra 荒井晴彦監督「花腐し」

1月24日(水) シネマe~ra 鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」

浪漫三部作と呼ばれる鈴木清順監督作品「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」が、
ただ今シネマe~raで上映されている。

「ツィゴイネルワイゼン」を観て、思ったこと。
監督の美学が映画のすみずみにまで行き渡っているなあ。
これは監督の演出だけでない。
プロデュース、脚本、俳優、音楽、美術、衣装などが一体となって、ひとつの作品を作り上げている。
あたりまえのことではあるが、あらためて実感した。

平日夜の鑑賞後、映画館を出たら、ある劇団の役者さんがいて、
同じ映画を観ていたようで、話しかけた。
「もう2本も観たいね」





 

木下惠介記念館に日中映画国際シンポジウム「風雨同舟」へ行った

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12月3日(日)13時15分~

浜松街中の鍛冶町通りは、軽トラ市をやっていて、昼間通行止めだった。
それを知らずに木下惠介記念館へ向かおうと、
車で鍛冶町通りを通ろうとした所、“通行止め”の看板が目に入る。
「もっと早く知らせろよ」
これは心の声。
街中が賑わうのは喜ばしい。
ただし渋滞の上迂回に時間を費やし、開会の13時15分に間に合わず、遅刻。

13時20分から始まる映画上映「異郷人」には途中から入場。
満席のため、スタッフにパイプ椅子を出してくださり、会場の端に座る。

今回のイベントのサブタイトルが、
「日中映画交流の過去、現在、そして未来に向かって」。

木下惠介記念館担当キュレーターである戴周杰(たいしゅうき)さんが、進行役。

「異郷人」は映像作家紫波(さいなみ)さんの2019年の作品。
30分を予定していて、戴さんが編集を担当したのだが、
25時間分の映像を、45分に編集したそうだ。

日本で生まれ、中国で育った女性が、日本へ留学し写真を学んでいる。
彼女は中国の故郷へ写真撮影に赴く。

テーマを絞り、編集されたそうだが、撮影した動画の時間分、
いろいろ伝えたいことがあるかもしれない。

アフタートークに、紫波監督と秋山珠子さん(中国インディペンデント・アートを伝える事業に関わっている)が登壇。

15時からの第2部は各20分程度のテーマ講演。
韓燕麗(かんえいれい)さん「異郷に生きて―移動と故郷喪失の近代」
上田学(うえだまなぶ)さん「満州映画協会と日中の映画人」
徐旲辰(じょこうしん)さん「国際映画祭の現場から見る日中映画交流の最新事情」

16時10分からの第3部はパネルディスカッション「日中映画交流の課題と未来―我々は新たな風を吹かせられるのか?」
パネリスト:秋山珠子、韓燕麗、上田学、徐旲辰
進行役:戴周杰  ※敬称略

日本と中国の2つの血が流れているという映像作家の女性など客席からの質問者も多彩で、
各地より興味を持たれた関係者も来られているようだった。

タイトルである「風雨同舟」という言葉は初めて聞いた。
漢字の意味から何となく予想できるが、質問したいと思った。
ただし、参加できなかった開会の時触れられているとちょっと恥ずかしいので止めた。

終わり際、戴さんからタイトルについて紹介があった。
今回のイベントのテーマにふさわしいと思う。

「同じ舟に乗って激しい嵐を乗り越える」






 

ギャラリー遥懸夢で映画「ガザ 素顔の日常」を観た

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11月26日(日)10時~

鴨江アートセンターへ向かい歩く途中で立て看板を見かけたのだと思う。
それがこの上映会を知ったきっかけ。
スマホの写真を確認したら、11月5日夕方だったので、
路上演劇祭のための街歩きの日だ。

映画が制作されたのが、2019年。
ここで描かれている攻撃で亡くなったのが50日で2200人。
今回10月7日、ハマスのイスラエルへのミサイル攻撃から始まり、
イスラエル約1400人(11月5日)、パレスチナ1万人以上が亡くなっている。

パレスチナの行政自治区ザザ地区に住む人たちの日常を追ったドキュメンタリー。
もちろん、日本に住む僕たちの日常とは違う。
海外渡航は自由にできないし、海外からの入国も同じ。
パレスチナ人が住むエリアのまわりに、分離壁が作られ、
イスラエルの兵士が監視する。

200万人くらいの人たちが名古屋市程度の場所に住んでいる。
人口密度は世界有数だと言うが、東京や大阪の都市部も同様だそうだ。

しかし、東京や大阪のようにインフラが整っていない。
舗装道路が少なく土埃が立ち、道端にごみが同居している。

細長い地区の片側は地中海だ。
テーマパークがあるのかどうか知らないが、
生活は海と密接している。
漁師の親を持つ子が、
漁船に乗り、操縦を学ぶ。
少年は親のように海に生きる人生を望む。

海は泳いだり浜辺で過ごしたり、
夏の湘南の海のようにごった返している。
水着を着ている様子はない。
沖縄の人は沖縄の海では水着を着ないと言うが、
同様だ。

サーフィンにいそしむ人がいる。
若者たちはつるんで、
青春映画のようにエネルギーを発散させている。
スマホを持ち、自撮りをする。

車やバイク(4人乗りの場面もある)も走っているが、
ロバは交通手段の重要なひとつ。

チェロを弾くひとりの女子学生は、
現実から逃れたいと弾き始めたが、
音を出すにつれ、表現する喜びの実感を語る。

集団で現代舞踊の表現をしている様子が映し出される。
舞台演出家だという男は、
発声や呼吸、顔面筋肉の運動などの準備の後、
野外で一人芝居の舞台に立つ。

3人の奥さんと多くの子を持つ男性は、
4人目を持ちたいが、生活が苦しいのでやめていると余裕ある様子で語る。

そのような“日常”の中、突然ミサイルが飛んでくる。
戦時下なのだ。
腕の一部をミサイル弾が吹き飛ばす。
人やロバが力なく横たわっている。

治療を施す緊急隊院はハンカチで涙をぬぐい語る。
「パレスチナ人以外のすべての人を憎む」
その言葉の意味は重い。

ひとりの女性が語る。
「以前は兵士になりたかった。
でも今は暴力でない方法で解決できる人間になりたい」

映像はどの場面もとても力を持っていた。
それは、撮影時の「ガザ」そのものであったからだと思う。
撮影者(映画制作者)たちの思いを聞いてみたい気がした。
ネットで探したが、その人たちの言葉や声は見つからなかった。

車いすのラッパーのシーンはとても印象的だった。
ひとつの音楽としても。

その日の夜TOHOシネマズで北野武監督作品「首」を観た。
命の重さに思いを馳せた後に、日本の戦国時代の話。
表現としては対照的とも言え、考えるところもあった。








 

木下惠介記念館で「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」を観た

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11月25日(土)10時~

全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんを題材としたドキュメンタリー映画や、
一緒にアートを鑑賞するイベントなどが木下惠介記念館や鴨江アートセンターで行われた。
僕は上映会のみ参加した。

バリアフリー音声ガイドによる上映の為、
盲者でも理解できるよう、画面の状況が言葉で説明される。

オープニングでは
「レトロな喫茶店、細身で薄い青色のシャツ、白鳥さん・・・」
こんな感じで。

白鳥さんは生まれた時、強度の弱視で、赤や青や緑などの原色くらいしか記憶がないそうだ。
そして光のみの認知となり、20歳過ぎに光も失う。

恋人とのデートがきっかけでアートに興味を持つようになったようだが、
その後、ひとりで美術館を訪れ、案内してもらうことを依頼する。
美術館側はすぐに応じることはできず、検討の上、実施に至る。

方法は、付き添い者にひじを持ってもらい、絵画の前で、
その絵について説明してもらうのだ。

映画ではふたりの付き添い者がついていた。
ふたりの説明とそれを聞いての白鳥さんの反応と実際のアートが相まって、
その様子を見る僕は、新たなアート鑑賞をしている気分になった。

付き添いの役を僕がやるとしたらどうだろうか。
ひとりで鑑賞するなら、自分のために好き勝手に見ればいいが、
それに加え、他の誰か、しかも目の見えない白鳥さんに伝えなければならない。
言葉により。

正確に伝えなければいけないと思うと、プレッシャーに感じるかもしれない。
でも、白鳥さんはそれを求めていないと思う。
本当に感じたまま話してくれればいいのだ。
それが、たとえ的を得ていないような部分があったとしても。

その人が発する言葉から、
白鳥さんの頭の中に独自固有のアートが生まれる。
同じ作品を別の付き添い者が説明すれば、
また違うアートが生まれる。

それを白鳥さんはコミュニケーションと呼ぶ。
アート鑑賞が個人の行いを越え、
ひとつの共同作業となる。

白鳥さんは外に出て、白杖をつきながら、体の真ん中にカメラを携え、
毎日のように写真を撮る。

日記のように撮っている写真であるが、
白鳥さんはその日記を見返すことはない、
と映画では伝えている。

福島県猪苗代町の「はじまりの美術館」で行われた『白鳥さん』の展覧会では、
「けんじのへや」と言うブースがあり、
普段の日常を模した生活部屋には白鳥さんが滞在。

パソコンからは高速再生のニュースが流れる。
視力以外の感覚が研ぎ澄まされた白鳥さんらしい普段の特徴でもある。
几帳面に整えられて吊るされた洗濯物。
大好きなソーメンの箱。
ビールも好きと言うことなので、ビールに関するものもあったかもしれない。
そして、撮りためた写真が次々と写し出される。

白鳥さんと一緒にアート鑑賞をするワークショップも開かれた。
子どもたちが伝える言葉を聞き、応対する白鳥さんはとても楽しそうだった。
おじさんも独自の鑑賞を伝えようと奮闘していた。







 

シネマe~raで「燃えあがる女性記者たち」を観た

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11月16日(木)12時~

原題はWriting With Fire。
意味は、まるで炎のように書く、だろうか。

インドには階級制度(カースト)が有り、4つの分類(ヴァルナ)にわかれている。
・ブラフミン(神聖な職に就けたり、儀式を行える「司祭」)
・クシャトリア(王や貴族など武力や政治力を持つ「王族」「戦士」)
・ヴァイシャ(製造業などに就ける「市民」)
・シュードラ(古代では人が忌避する職業しか就けれなかったが、農牧業や手工業の生産に従事できるようになった「労働者」)

上記のヴァルナにも属さないアチュート「不可触民」と呼ばれる人たちがいる。
彼ら自身で「ダリット」と呼び、その意味は「壊された民」。
インドの人口約14億の内、1億人。
(以上、Wikipediaより)

映画「燃えあがる女性記者たち」は、
そんなダリットの女性だけで立ち上げた新聞社「カバル・ラハリヤ」で働く女性たちを取り上げたドキュメンタリー。

紙媒体からSNSやYouTubeなどデジタルメディアに移行し、取材記者にはスマホの使い方から教える。
若くして結婚し子を産みながら、学校で学び、この職に就く主任記者ミーラを中心に描かれる。

取材者に対して迎合するのではなく、自らの視点を持つことが大事だと、ジャーナリズムの基本が説かれる。

社内の会議のようなものが、
日本のスーツに白い壁の無機質な部屋で、オフィス用の机に椅子、とはまったく逆で、
色とりどりのサリーの民族衣装に、装飾品が多く飾られた部屋で、まるで沖縄のゆんたくのようにざっくばらんな感じで行われる。
緊張感ある場所での取材も、いち生活者としてのぶれない立ち位置でいることが彼女たちの強みなのだと思う。
そこに「スマホ」というひとつのツールがとても雄弁に存在しているというのも、時代だなあとも思う。
(ミリタリールックで戦場に一眼レフではなく)

一生独身かもしれないと仕事に生きると語っていたスニータは、女性は結婚すべきと言う世間的な理由に押され、結婚し、職場を離れるが、その後復帰する。
ミーラは子を育て、家事をしながら、仕事をし、夫はニコニコと「女性は家にいた方がいいよ」と答えているが、そこに切迫感はなく、これも理解のひとつの形なのかと思う。

実際ラストは、ミーラは局長に昇進し、
「カバル・ラハリヤ」の記事の閲覧数もどんどん増え、大台に乗ったという成功物語で閉じられる。

ただし、ダリットの女性たちが、家にはトイレがないので、恥ずかしいが、外でするしかない、と諦めたように語る様子に、
問題の大きさは横たわる。







 

シネマe~raで「ダンサー イン Paris」を観た

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11月11日(土) 13時45分~

予告でこの作品のダンスシーンをみて、鑑賞を決めた。
クラシックバレエに出演しているバレリーナが、挫折をして、コンテンポラリーダンス的なものと出会い、立ち直っていく話だった。

実際そんな話だったが、話の展開や主人公をめぐる周りの人間の描き方は、どこかありふれていた。
本当のダンサーを起用したダンスシーンの強度と比べると、芸術性と言うより娯楽性の方を重視しているようだった。

そもそも、バレエ公演で重大な失敗をし、怪我を負うのだが、その理由が恋人と共演者との浮気場面を目撃するという下世話な内容。
果たしてそれは物語としてダンスというものとの親和感はあったのか?
日常的な恋愛話ならいいのだが。

しかし、ダンスシーンは良かった。
「死体と踊る」などテンポラリーダンスの演出も興味深かった。

主人公のエリーズ役のマリオン・バルボーは、パリ・オペラ座のダンサーということだが、ダンスシーンのない役もきっと出来る役者だと思う。
パリ・オペラ座は来年2月東京に来るようだ。





 

木下惠介記念館で「はままつ映画祭2023」を観た

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11月4日(土)10時30分~

全国から公募があった80数作品の中から選ばれた11作を上映。

特徴的だったのは、パキスタンの男性(生まれは日本)の作品、中国の女性の作品、
ロシアで生まれ、イスラエルで育ち、5、6年前に日本に来て大学で映画を学ぶ男性の作品と今までになくインターナショナルだったこと。
それぞれが今生活している日本で映画を作っている。

優秀作品2作が、「玄冬の君」 監督:史仙君、「隣のサンズイ」 監督:道川内蒼
新人賞が、「無礼がなんだ」 監督:菅原誉志規






 

シネマe~raで「あのこと」を観た

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2月1日(水)19時50分~

フランスでは1975年まで、中絶が非合法だったという。

この映画はアニー・エルノーの小説「事件」を原作にオードレイ・ディヴァンが映画化。
大学生のアンヌが妊娠する。
舞台である1963年は中絶が発覚すれば刑務所行き。
もしも流産と認められれば咎められない。

アンヌはフランス文学を学んでいる。
教師になるという夢がある。
親の仕事が子供の学歴にも関係する時代、
労働者階級にも関わらず娘を大学に行かせてくれた親を悲しませるわけにはいかない。
だから、「このこと」が原因で大学を辞めたくない。

アンヌが置かれた状況は、
決して珍しいことではないだろう。
好奇心旺盛な、勉学への関心、異性や性に対しての興味もあり、
若者、いや人間としての根源的な衝動は抑えられない。

妊娠するにあたって身に覚えがあるが、
産婦人科では、「経験はない」と答える。
ところが、お腹に子が授かっていることを告げられる。
そこから、アンヌがこの状況をどうするかが描かれる。

違法である中絶を選択するが
現実的なタイムリミットがある。
それは、命の育みに関わる。

日本では母体保護法で、
「人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出すること」と定義されている。
人工妊娠中絶手術は、危険度から妊娠11週までに行うことが望ましいとされる。
令和2年1月~12月の累計人工妊娠中絶は14万5,340件だそうだ。

母体の命を考慮されていることが特徴だ。
現在でも妊娠中絶が禁止されている国がある。
条件もそれぞれ異なる。
それは宗教的考え方も強く影響する。

タイムリミットに向けて、映画ではテロップで「〇週目」と表示が出る。
観客は数字が大きくなるにつれ、アンヌのお腹の中の状況を知る。
それは観る側にとってサスペンスとしての効果も持つ。

映画は一貫してアンヌの一人称で語られる。
カメラの追い方が徹底しているので、
観客はアンヌ自身に没入する。

違法行為である故まともな医者は解決してくれない。
もちろんそれが当時の正義。
中絶促進の注射を打ってくれたと思いきや成長を促進する薬だった。

友人や親や、または肝心の妊娠原因の相手の男に相談しても解決しない。
悲しいかな自分の身体のこと。

自ら堕胎行為を試みたりもする。
それらがリアリティをもって描かれる。
他人である観客の心に刻み付けるように。
それはひとつ間違えると自分の命も奪いかねないスリリングさを持つ。

しかし当たる焦点はアンヌの心と体。
困難を乗り越えて成長する青春物語のようにも見える。

実はそこには3カ月の間育つ胎児が存在する。
そのことに関しては映画ではあまり触れられない。

原作の小説を読んでみた。
そこでは、アンヌが寮のトイレで、堕胎が成功し、身体から胎児を切り離す場面は、
映画と表現方法が違う気がした。

こう書かれている。
「ふたりとも黙って涙を流している。
それは名付けようのない場面、
生と死が同時に起こった瞬間。
生贄の場面」

ここでアンヌは生まれることが出来なかった命を想う。
このことは僕は映画ではあまり感じ取ることが出来なかった。
(僕の感受性のせいで、本当は十分描かれていたかもしれない。)

小説にはこのような言葉もある。
「わたしにとっては人間経験の総体のように思えることを、こうして言葉にし終えたわけである。
生と死の関係、時間の、道徳とタブーの、法律の、経験、この体を通して始めから終わりまで生きた経験を。」

映画では、教師志望だったアンヌが作家志望に変化したところで、終わる。







 

シネマe~raで「ケイコ 目を澄ませて」を観た

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1月28日(土) 16時40分~

1月20日~2月9日の上映期間中、2月2日までが「日本語字幕付き上映」とある。
観れるタイミングで日程を決めたら、日本語字幕付きの回だった。
洋画では必須の日本語字幕を映画館で邦画で観るのは初めての経験だと思う。

主人公は岸井ゆきのさんが演じる聴覚障害の女性ケイコ。
ホテルでルーム清掃の仕事をしながら、ボクシングをやっている。

ボクシングをやるにもハンデがある。
ゴングが聞こえない。
セコンドの声が聞こえない。
観客の声援も聞こえない。

プロライセンスを持つが、2回勝ったという程度の経歴。
殴られるのは怖いと告白している。
東京都荒川区にあるボクシングジム。
僕が思い起こすのは「明日のジョー」。
東京に行った際宿泊した北千住の安ホテル付近を歩くと「泪橋」というジョーの名残がある。
東京と言う都市のグラデーションを感じる街。

日本で最も長い歴史を持つボクシングジムだが、
成果が伴わないからか、
所属ボクサーは減り、衰退気味。

三浦友和さん演じる会長が、メディアのインタビューに答えている。
聴覚障害の女性ボクサーの存在は実力うんぬんに関わらず興味深い取材対象となる。
「ダイエットとか健康のためとかだったと思うけど、だんだんとね・・・」

ケイコがなぜボクシングをやっているのかには、この映画では特別な意味はない。
僕たちが趣味などを深く考えずに始めるのと変わりはない。
離れた実家で暮らす母は娘のことが心配でボクシングを辞めてほしいと思っているし、
一緒に住む障害のない弟と手話で会話し、遊びに来る弟の恋人ともうまくやっている。

そうなのだ。
どこにでもあるひとりの人間の営み。
ただし、僕たちがひとりひとり違うように
「ケイコ」と僕も当然違う。

違いを思い知らされるのは、主に聴覚障害の方へのサービスである「日本語字幕付き上映」を観たことによる。
この映画は音や声という耳から入ってくる情報に注意を払って作られている。
ペンの音、風の音、鳥の声、街の音。
会話を橋梁を通る列車の音が邪魔する。

その度に、字幕が入る。
例えば「風の音がする」「鳥の声が聞こえる」「列車が通り過ぎる音がする」
聴覚障害のない僕は、映画を視覚だけでなく、聴覚でも楽しみたいと思う。
音を聞いて想像するより前に文字が目に入ってしまうことに説明過剰で邪魔だと思う。
自分の耳でどんな音か想像したいのだ。
そして、カフェでの聴覚障害者同士の手話による談笑場面では、日本語字幕が入らない。
だから会話の意味がまったくわからない。
楽しそうな彼らに対し、疎外感を感じる。

そして気付く。
僕が理解する以上に聴覚障害の方は、「僕たち」に対し、隔たりを感じているのではないか。
まったく違う世界に生きていると感じているのではないか。
たとえば視覚障害の方はどうなのだろうか?
映画館ではスクリーンは観えず、音だけが聴こえる。

ボクシングジムでは、音が対話手段だ。
パンチングボールを打ち付ける。
ミット打ちのトレーニング。
スパーリングで拳を交わす。
それらの音を監督は意識的に映画に取り込む。

僕はこの映画を観て、とても狭い世界を描いていると思った。
それは僕が住むとても狭い世界でもある。
生きている手許、足許の世界。
窮屈で不寛容な世界であるが、その形は不透明である。
平和な時代ゆえのぜいたくかもしれない。
それは他人のせいではない。
かといって自分のせいなのだろうか?
その行き場のない焦燥感を埋めるため主人公をボクシングに向かわせているとは言えないだろうか?

タイトルの「目を澄まして」は逆説でもある。
聴覚障害のケイコは「耳を澄ます」ことが出来ない。
「目を澄ます」ことしか出来ないのだ。
耳が聞こえないケイコにとって目はボクシングをやるにあたっても大きな武器として描かれている。

後半に行くに従い、まわりの状況が変わることにより、窮屈な世界は緩みを見せる。
他者とつながり始めるのだ。
ケイコのプロボクサーとしての3戦目が始まる。

試合に物語を絡ませるのはあまたのボクシング映画と同様。
しかし、ヒロイン的な劇的な結末にはならない。
あくまでも日常の一コマなのだ。
ホテルでの仕事や自宅での生活と同様に。

試合後、荒川の川べりで試合相手の女性と遭遇し、挨拶される。
相手は、建設関連会社の車で現場に向かう途中で作業着姿。
それが妙にリアルである。
ラストも音が印象的に使われる。
日本語字幕により音を聞き分けるより先に画面に映し出される。
そしてまた障害と言う隔たりをあらためて知る。

ネットニュースを見たら、「ケイコ 目を澄まして」が
2022年のキネマ旬報 日本映画作品賞第1位に選出されたという記事が載っていた。
今日からシネマe~raで9日まで「日本語字幕なし版」が上映されるよ。






 

シネマe~raで「ペルシャン・レッスン 戦場の教室」を観た

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1月15日(日)16時~

「戦場の教室」というサブタイトルはとても皮肉的なタイトルだ。

第二次世界大戦下のナチスドイツの強制収容所で行われる
管理する将校と捕虜の青年とのペルシャ語の個人授業。

戦争終了後を見越しペルシャ語をマスターする必要がある将校の思惑により、
時代の運命に巻き込まれ、自発的ではなく、成り行きの中で、
生き残るための偽のペルシャ語レッスンが始まる。
ユダヤ人の青年は殺されないために、ペルシャ人であると嘘をつく。

ナチスドイツの強制収容所の収容者たちの置かれた立場は、
意識して徹底的に描かれる。
管理者は収容者に対し冷酷で高圧的だ。
殴り、蹴るの制裁は観客に残酷さを刻み付けるかのように非情だ。

その行為は、1945年の連合国軍への敗北以来、現在では二度と再現されてはならない
時代の負の遺産として世界中の多くの人に刻み付けられている。
だから、こうして僕も映画館に足を運ぶのだ。

それではナチ党の管理するドイツ人たちが残虐で卑劣な性格なのかというと当然そうではない。
そういう立場になったというだけのことだ。
非情さを演じ、粛清行為を行う。

加害者側と被害者側、そんな対極の関係の中で、行われる命をつなぐ授業。
青年が、ペルシャ人ではなく、ユダヤ人であることがばれたらそこで終わり。
全く知らないペルシャ語を教えるために、架空のペルシャ語を創作する。
目に入る物をヒントに、また、命じられた食事番で捕虜たちに配膳する際、名前を聞き、
そこから連想ゲームのように言葉を生み出していく。

言うならば、でたらめ言葉。
でも、どんな言葉でもそういうものではないか?
もちろんたったひとりの男により生み出された言葉はないだろうが。
それらは、苦さを含んだ美しいラストシーンにつながっていくのがこの映画の醍醐味。

そのシーン観ながら頭に浮かび上がってくるのは、冷徹な顔の裏側に純真な夢を抱いたドイツ人将校。
偽のペルシャ語をマスターした男がユダヤ人として生き残った男と授業の結果、
心のつながりを持つことがまた皮肉。

それが戦争であるというメッセージだが、
映画をつくった監督であるヴァディム・パールマンさんはウクライナに生まれる。
ただし、幼少期に難民としてヨーロッパへ渡り、そして、カナダの大学で映画を学ぶ。
トロントで制作会社を立ち上げ、CMやミュージックビデオの演出の仕事に従事する。
マイクロソフトやナイキの仕事もし、CM界では革新的なディレクターだったというから、
映像を学んだベースはカナダで培われた。

商売で培われた緻密で妥協しない映像と生まれてからの複雑な経歴。
それが映画に現れていると思う。
一方を正義、一方を悪とは単純に断定はできない。
ただし良いことは良いこと、悪いことは悪いこととして、映画は帰着させている。
それは信じられることだと思う。






 

木下惠介記念館で「はままつ映画祭2022」を観た その2

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12月11日(日)

前日に続き、木下惠介記念館へ。

Fプログラム
地元の映像作家のブロックで
「Dark Blue Forest」を観る。

滞在型アートプロジェクトの制作形態で作られたということだ。
場所が作品をつくるということはあると思う。
また“今”という時代性が作品をつくるということも当然あるだろう。

今、ここで生きていて、例えば映画を作ろうとした場合、
実写映画というものが、まだ古典的に同じ場所でカメラを被写体に向けて撮影することで成り立っているのなら、
一緒に関わることが出来る人には制限がある。(主に距離的な意味で)

はままつ映画祭の上映作品を観ていて、それはエンドロールに反映されるのだが、
東京中心に制作されている映画は、俳優やスタッフなど映画制作のためのクルーが結構充実しているな、という印象がある。
プロデューサーがいたり、撮影にも何人か助手がついたり、機材提供があったり、また俳優も「やってるなあ~」という演技をしていたりする。
東京には社会人になってからも学ぶことが出来る映画や演劇の学校(養成所)がある。
芸人になるにも、吉本興業のNSCほか、養成所へ通うことが第1歩になってからずいぶんと経つ。

これは地方との現実的な大きな文化格差だと思う。
だから、それらを志す人は地方から東京へ行く。
もちろん東京とはわかりやすいひとつのアイコンのようなもので、目指すものによってはニューヨークだったり、大阪だったりというのもある。
志す人だけでなく、名を成した人や教える人も多くが都会に集結しているのだ。

「Dark Blue Forest」の監督である中平泰之さんは静岡県西部地域を中心に映画制作をしている。
脚本・監督・撮影・編集を自ら行い、映像作品をつくり続けている。
録音・音楽・美術・衣装・装飾なども関わっているだろう。
脚本に合った撮影場所をさがし、出演者を募り、思う映像世界に落とし込んでいく。
それを支えているのは紛れもなく個人だ。
ただし、それはどんな大規模なカンパニーでも基本は個人から始まるだろう。

その集約である強固なカットが特徴的で、
人智がコントロールできない天地・万物の中のちっぽけな人間というのが常にテーマとなっているように思う。
起こった状況の前に、人間の意思はどれも無力で、抗おうとしながらも、運命に逆らうことは出来ない。
それはドラマでもあるが現象でもある。
自然現象や気候のように。

撮影場所として使用された袋井市にある楽土舎というアートスペースは僕も催し物を見に行ったことがある。
上映後のアフタートークで、ロケ場所が印象的だったことに質問があった際、
楽土舎で制作された美術作品が、その場所に放ったらかしにされることで、風景となっていくという話が出たが、
そのコンセプトになるほどなと思った。
自然(自然のように作られた場所)の中で風土や年月により侵されていく。

その時間の狭間を通り過ぎる撮影クルー。
デジタルカメラが切り取り、あらましが動画データとして保管される。

このデジタルとアナログが共存する話は、
続いてGプラグラムで上映された磐田市出身の映画監督、鈴木卓爾さんの作品「ゾンからのメッセージ」でも出てきた。

この映画は監督が教えていた映画の学校「映画美学校」のアクターズコースの終了制作でもある。
俳優を志す人たちにとって、脚本や監督や編集や美術や制作のことなどは、直接は関係がないことかもしれない。
ただしそれは、高校時代の自主映画から始まった鈴木さんにとって、
俳優志望者に対しスタッフ側の視点を盛り込んだ映画作りをすることは指導者としてひとつのメッセージだったと思う。

リアルに見えることを追求するCGは求めたくない。
現実からの延長線上にSFがある。
予定調和な会話はなるべく避ける。
ただし、伝えたいメッセージはベタだと言われても伝える。
映画という作り物を撮っている過程の先に作品がある。

その作り方は監督が映画を撮り始めた時の初心を思わせる。
撮影や編集する道具は変わった。
フィルムがデジタルになり、
コンピューターで編集ソフトを使って編集作業をする。

ソフト内で作業することはオペレーターの手ひとつで出来る。
ただし、その絵作りにアナログな手法を採用(フィルムを削ったり洗剤を溶かしたり)し、手間をかける。
上映後の観客からの質問では、
作り手目線の技術的な問いから内容にも話が及ぶという特異な雰囲気で、
それはそれで興味深い話だった。

続いてHプログラムで鈴木さんも俳優として出演している「佐々木、イン、マイマイン」もあったが、
僕は観なかった。
そのことを選択したことに大きな理由はないが、自分の気分だったとしかいいようがない。
「ゾンからのメッセージ」のアフタートークでの言葉が頭に残っていた。
「映画はまわりにお客さんがいるところで観てほしい(そんなような意味のコト)」

心残りな思いがし、翌日TSUTAYAで「佐々木、イン、マイマイン」を借りて、観た。
確かにまわりにお客さんがいるところで観る方がずっといい。
俳優になるために東京へ行き、未だ芽が出ず、金にならない芝居をやっている男の話でもあった。
主役の男が佐々木かと思ったら、違った。







 

木下惠介記念館で「はままつ映画祭2022」を観た その1

カテゴリー │映画

その1は12月10日土曜日に観た映画について

朝は町内の班長の役割を果たし、午後から、はままつ映画祭へ行く。
この日はA~Eまでの5つのプログラムに分かれ、全国から集まった公募作品の中から、14本の入選作品が上映される。

Aプログラムが10時30分に始まり、最後のEプログラム及び表彰式・講評が終わるのが20時。
以前は初めから最後まで観ることもあったが、タイムテーブルを眺めながら時間の長さを計算してしまうのは、
きっと僕の個人的な理由による。
はままつ映画祭には何の責任もない。

12時からのBプログラムに駆け込むのは十分可能だったが、
13時50分からのCプログラムから観る。
それまでの時間、「路線バスを乗り継いで陣地取りをするテレビ番組」を自宅、車と乗り継ぎながらテレビを観ていたが、
会場最寄りの鴨江アートセンター駐車場に到着し、
陣地取りの決着を知る前に車を降りる。

はままつ映画祭も2年間は取りやめになり、3年ぶりの開催。
前週には昨年も行われた共催イベントであるアンダーグラウンド・シネマ・フェスティバルが行われたが、
いろいろな理由がつき、こちらは今年は観なかった。

今なら映画と言えば、静岡県西部地域に3館あるTOHOシネマズにスラムダンクかすずめの戸締りなどを観に行く人が多いのだろう。
はままつ映画祭も始まった頃は、全国でも公開される映画を上映するのがメインの映画祭だった。
おそらく予算やスタッフの関係で、公募を中心とする映画祭に切り替えたのだろう。
そこで上映されるものは自主映画が中心となる。

僕はむしろ自主映画を観ることが好きなので(いや、スラムダンクやすずめの戸締りも観たい!)
まとめて観ることができるはままつ映画祭には配給映画をメインに上映していた頃より足を運んでいるかもしれない。
これはいったい何なんだろう?
多くの人はスラムダンクやすずめの戸締りへ行く。
家族と友人と恋人と、そしてひとりで。

自主映画をあえて観に行く僕は変わり者なのだろうか?

商業ベースになるとターゲットを設定して、
さまざまな商品が量産される。
つまり「アテテくる」のだ。
こうなるともう職業映像作家。

しかしどんな名作も、
自主映画から始まる。

どの作品にも作られる理由がある。
それぞれテーマがあり、思いがある。

それを観逃す手はないのだ。
と言いながら、自分のさまざまな都合で観る作品を限定してしまうことはある。
他に用事があるという物理的な事情だけでなく、精神的、身体的な理由でも。

それも運命、そもそも世の中で作られるものをすべて観ることは元々不可能。
偶然出会ったものがすべてでもある。

Cプログラム
「待ち人来たらず」は待ち人の予測からの変化がたくらみがあり、その結論がアットホームでさわやかだった。
「Still On The Journey」は介護施設で働く若い女性のお仕事物語で、屋上での場面が印象的だった。
「ふたり~あなたという光~」は精神障害をもつ家族が結婚に影響を与えるかというテーマを愛情をもって描き、決着に安心。

Dプログラム
「J005311」は登場人物を演じるおふたりの共に映画を作ろうという思いがソリッドな心象風景に昇華して小気味いい。
「うまれる」はいじめとモンスターペアレントという重いモチーフをエンターテイメントとして成立させる腕力に驚愕。
「q&a」は3分間の時間にデジタル技術を駆使し、論理的・哲学的趣向を混ぜ込むが主役は人間だ。
「リスケ」は愛情と友情というクラシックなテーマをゆったりとリリカルに描き、感情が心に沁みいってくる。
「オバケだっていいさ」は芸人もやっている監督とローカルアイドルグループと言う組み合わせが、ぴったり合致している。

最後に表彰・講評。
最優秀賞は「リスケ」。
他各賞「単線、日々」「ふたり~あなたという光~」「J005311」。

公募作品(表彰対象)を2日間の日程の1日で上映するという形はこれからもスタンダードとなるのだろうか?
各プログラムの終了後に、各作品の監督、俳優、制作者等とはままつ映画祭スタッフとのトークがある。
最後に表彰があるというシステム上、2日間拘束するというのは厳しいという事情もあるかもしれない。

司会者が、スタッフが手作りで運営している映画祭であることについて語っていたのが印象に残った。
出品者たちとの交流というのがひとつの大きな目的であるのだろうと思った。

このように複数の作品が1日で観ることが出来る企画は
例えば演劇でもあるが、決定的に違うのは
演劇がその日、本番なので、準備も含め忙しさMAXなのに対し、
映画は撮影も編集も終わり、MAXは過ぎているということ。
データで作品は送ってあるので、当日、身体を空けて出向けばいい。
ある意味映画祭とは、参加する人たちにとっての映画を媒介とした交流、サロン的な場所なのだろう。
カンヌもヴェネツィアもベルリンも。







 

あいホールでドキュメンタリー映画「マイクロプラスチック・ストーリー」を観た

カテゴリー │映画

10月10日(祝)10時~

静岡新聞で上映会の記事を読んで申し込み、観に行った。

記事にはこう書かれていた。
『プラスチック汚染問題を知った小学生らが行動を起こし、
自治体を巻き込んで、問題解決に向けて取り組む内容』。

この記事を読み、僕が頭に浮かべたのは、
小学生たちが自分たちで問題を見つけ、地球の危機を感じ、
解決したいと行動に起こす物語・・・。

まあ、そんなことはない。
先導する大人たちがいる。

ニューヨークのNPO法人・カフェテリア・カルチャーが
ニューヨーク市ブルックリン区・レッドフック地区の4年生に対し、
プラスチック・フリー特別プログラムを
5年生までの2年間実施された様子を描くいている。
(アメリカは5年生までが小学校の期間だそう。
アメリカは義務教育が13年間で、6歳~11歳エレメンタリースクール
12歳~14歳ミドルスクール、15歳~18歳ハイスクールなんだって)

映画を観ながら感じたのは
登場する子供たちの肌の色が様々なこと。
イスラム教の習慣であるヒジャーブ(スカーフ)を身に付けた女性教師もいた。
ただし日本など東アジア圏をルーツとした子供はいないようだった。

舞台となるニューヨークの第15小学校は低所得者用の市営住宅のど真ん中にあり、
家庭的にも複雑な子供が多い学校であると公式HPにある。
なるほど・・・。

レッドフック地区はアッパーニューヨークの湾岸、
マンハッタンにも近く、
映画では生徒たちが海で収集活動中、
リバティ島の自由の女神も見える。

マイクロプラスチックとは
環境中に存在する微小なプラスチック粒子のこと。
一般には直径5ミリ未満のプラスチック粒子またはプラスチック断片。

生徒たちは海でプラスチックごみを採取し、
元の形を残している具合により選別する。
捨てられたばかりのごみはそのままの形を残しているし、
年月や風雨にさらされたごみは分解されぼろぼろだ。
そうして、どんどん小さくなりマイクロプラスチックとなる。

ここで問題となっているのは
プラスチックごみが消滅することがないということだ。
それらが海に入れば海洋生物が被害を被るし、
マイクロプラスチックを食べた魚が人間が食べれば
人間の体内にもマイクロプラスチックが蓄積することになる。

そして陸で作られたプラスチックが海に流出する毎年800万トンという現在のペースが続くと、
2050年には海のプラスチックの量が魚の量を上回ると言われている。

上映後の感想会で、藤枝市から見えられた女性が、
小学生の子供さんがつい最近マイクロプラスチックについての授業があったと話されていた。

僕は現在の小学校の授業状況を知らないが、
環境問題に関することが授業に組み込まれているのだろうか?
社会の時間とか。

映画で子供たちは、知ることにより自ら考えだし、互いに語り合い、
生み出した結論に対し行動を起こす。

小学校でみんなで昼食をとるカフェテリアは分別してごみを出すが、
プラスチックごみのごみ箱はいっぱいだ。
それらを減らそうとメニューや食器を見直す。
へえと思ったが、この学校ではメニューに小袋のスナック菓子もある。
それらをなくし、プラスチックのフォークをやめて家から持参する。

また議会に出向きプラスチックごみ削減の為の意見を述べたり、
市庁舎でデモンストレーションをする。
意見を述べると言っても
議員たちが反対するというものではなく、
暖かく見守りまた積極的な行動に対し称える。
デモンストレーションといっても、
それは過激な抗議活動とは程遠く、
ニューヨーク市長も応対し、
こころよく意見を受け止める。

これらは何かというと、
「教育」だ。

そして学んでいく子供たちの姿を通し、
大人たちも気付き、行動を起こしていく。

日本でも日本語吹き替え版が声優を募集してつくられ、
こうして僕も観ることになる。

本編が終わったあとは、
日本語吹き替え版製作の過程の紹介映像が流れた。

観客は小学生の子供(それも低・中学年)連れの家族が多かった。
以前シネマイーラで観た「夢みる小学校」と時も感じたが、
もう少し上の年齢の子供や大人が観るべきと思った。

むしろ多くの子供が静かに観ているのがちょっと感動した。
終わった後「面白くなかった~」と言っていた小さな子がいたが、
それはそうだろとは思う。

でもお出かけ後のパフェとか、ランチとか、おもちゃ屋さんでのお買い物とかで、
セットで楽しい1日となる。
その中に「地球と人類の未来を考える」機会があることは
家族にとってもきっと良い日だろう。






 

シネマe~raで「川っぺりムコリッタ」を観た

カテゴリー │映画

9月25日(日)13時20分~

9月27日、元首相安倍晋三氏の国葬があった。
形式に対し議論を呼んだが、多くの方が献花台に並んだ。

この映画も「弔い」を取り扱っている。
電車に乗ってやって来た山田は富山の塩辛工場で働き始める。
山田の事情を知っているらしい社長に紹介される住処が「ハイツムコリッタ」。
川っぺりの近くにある。
誰が飼っているのかつながれたヤギのメエという鳴き声が人の会話をじゃまする。
山田にとってはその方が都合がいいのかもしれない。
そもそも人と対話したくないのだから。

工場に通い、ハイツで過ごす山田に連絡がある。
疎遠だった父が死んだという。
アパートでの孤独死で、
身寄りが見つからなかったので
すでに焼却され、遺骨が保管されているという。

山田は連絡をしてきた父の居住地の自治体担当者から、
遺骨を受け取り持ち帰る。
とは言え、埋葬する墓も金もない。

その山田個人の事情と共に映画で描かれるのは
ハイツムコリッタの住人達とのやりとり。
個人の事情が他人との関わりの中で結びつき、ラストシーンにつながる。

ムコリッタとは、牟呼栗多と書く仏教用語で、
「しばらく」、「少しの間」、「瞬時」「刹那」の意味を持つ時間の単位だそう。

夫が亡くなり娘と二人暮らしの大家さん。
風呂を貸してくれと引っ越し初日に現れる隣の男。
小学生の息子を連れて墓石のセールスをする男。
紫色の花が咲いたと言う年配の女性はすでに亡くなっている。
ここには幽霊さえ入居しているのかもしれない。

古くて家賃も安そうなハイツに住む人たちはそれぞれ事情を抱えているが、
わざわざ他人にそのことを述べるわけではない。

時間を重ねるうちに徐々にそれぞれの事情が見えてくる。
ただし、そのことを解決しようと直接関わることはない。
そもそも他人なのだから。
それでもそれぞれの事情を推し量る。
それぞれの距離をおきながら。
そうして時間だけでなく、心も重ねていく。

大家さんの娘と墓石のセールスマンの息子は川っぺりにある
ゴミ集積所で一緒に過ごすが、年の差があり、どう見ても恋には発展しそうもない。
でもここに一緒に居る理由がある。
息子は捨てられた電話機のそばでどこかと交信するかのようにピアニカを演奏し、
娘は宇宙人と交信しようと長い紐を頭上で回す。
まるで祈りのように。

監督の荻上直子さんと言えば代名詞のように「かもめ食堂」が思い浮かぶが、
こちらは北欧フィンランドのヘルシンキが舞台だ。
ヘルシンキは童話「ムーミン」の作者トーベ・ヤンソンの出身地だが、
僕はなぜか「ムーミン」を思い起こした。
ムーミン谷の人々。
現実をこえたあるひとつのユートピア。
ただしそこには常に死の影があり、
現実以上に現実的でもある。

山田がはじめてハイツムコリッタにやって来る途中、川を見て思う。
「雨が降ったら、ここに住んでる人は大変だ」
先週末の大雨の被害が今も解決しない方々がいる。
もしかしたらいつもギリギリのキワに生きているのかもしれない。
僕たちは。
“川っぺり”に。

山田の行動は大きなものではない。
父の遺品の携帯電話に複数の同じ番号の着信歴に電話すると
そこは「命の電話」だった。
父が死んだ理由を知ろうと、
遺骨を受け取った父の居住地の自治体担当者に会いに行く。
そして父の終の棲家となったアパートへ行く。

生と死はまったく正反対のものであるが、常に同居しているものでもある。
生を象徴するものがこの映画では“食べること”。
その証のように畑で採れたキュウリやトマトを食べる咀嚼音が印象的。
山田は米を炊く才能があると隣の男に言われるが、
米のとぎ方と水の分量はあるかもしれないが
あとは炊飯器の能力なんじゃないか?と突っ込みたくなった。
でもきっと、気合を込めればうまいご飯が炊けるのだろう。

この映画は「弔い」の場面で幕を閉じる。
当然ながらその意味に参列者の数は関係がない。






 

シネマe~raで「戦争と女の顔」を観た

カテゴリー │映画

9月11日(日)11時55分~

原案は「戦争は女の顔をしていない」
というスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチというウクライナ生まれの女性作家による本。
ソ連時代、第二次世界大戦で100万人を越える女性が従軍し、
そのうち5百人以上の従軍女性に取材して聞いた話をまとめた。

日本では漫画化(作:小梅けいと 監修:速水螺旋人)もされている。

映画の監督はカンテミール・バラーゴフ。
30歳を越えたばかりのロシアの男性映画監督。
原案の本に衝撃を受け、映画を撮影したということだが、「原作」ではなく、「原案」という表記であるように
予測していたのとは違った。
先ずは、戦争の場面がひとつもない。
それは監督が意図したものだろう。

そのように監督自身がこう撮ろうという意図が
カットの一つ一つに込められている気がした。

これは元々のテーマの重さのせいかもしれない。
映し出されない戦場がびっしりバックグラウンドとして張り付いている。

この集中力は監督の体力的な年齢の若さもあるかもしれない。
この映画は2019年の作品で、1945年のソ連・レニングラードを舞台にしている。
半年前ロシアがウクライナに侵攻し、
監督はロシアからアメリカ・カリフォルニアへ脱出したそうだ。

音の使い方も意図が明確だった。
きしむような異様な音により映画が始まる。

それは主人公である看護師イーヤの全身硬直の発作から生じる音だった。
同じ医療従事者である同僚たちはいつもの発作なので、落ち着くまで静観している。

映画の中で使用される音楽はダンスの場面やラジオから流れるクラシックと
生活の中での音楽のみ。

病院には戦争は終わったが、戦傷者たちが入院している。
イーヤには小さな男の子がいて、
若い戦傷者たちの人気者になっている。

そこで悲劇的な事件が起きる。
そして、男の子の実際の母である
女性兵士であったイーヤとの戦友マーシャが戦場から帰って来る。

イーヤの発作は戦争体験による後遺症だった。
痛んだ身体から発する心の叫びのようなきしむようば音。
その音を監督は意図をもって効果音のように使用する。
その音はそのほかの場面でも幾度となくイーヤの身体から発せられる。

観客はきしむ音を聞くたび
イーヤの戦争がいつまでも終わらないことを知る。

色の使い方も明確だ。
チラシは誰かの手が、イーヤの顔を
しかも呼吸ができない鼻と口をふさいでいる写真。

緑の袖の服を着ているのはおそらくマーシャだろうが、
それは“誰”というのではなく、イメージかもしれない。
対するイーヤは赤のタートルネックのセーターを着ている。

赤と緑が映画中、印象的に使われている。
イーヤが戦争の後遺症を抱えているだけでなく、
マーシャも抱えている。
極度の疲労による鼻血。
血の赤。
マーシャはイーヤが住むアパートの壁を緑のペンキで塗りたくる。
戦傷者たちがいる病院の内装は緑。

赤と緑に託された意味はさまざまあると思う。
イーヤは象徴的に時には赤の時には緑のニットセーターを着る。

対照的な存在として描かれていると思ったのは
マーシャが病院に食糧調達で出入りする冴えない男にプロポーズされ、
彼の家に両親へのあいさつに行く場面。

雪道を呼吸荒く歩く白い犬。
高貴な女性に連れられていることがわかる。
散歩に出ていたらしく豪奢な家に戻ってくる。

実はそこが冴えない男の家。
犬を連れていたのは男の母で、
連れていたマーシャを見て、帰るように言う。

結婚を認めてもらうためにやって来た男は諦めず、家に上がり、
男の父も交え、食事をすることになる。
男の母はマーシャにこれまで何をしていたのか聞く。

マーシャは軍隊にいたと答える。
男の母は男性兵士の慰めの役割をしていたのだと判断し、気の毒がる。
マーシャは前線で戦う女性兵士で、度重なる負傷で、子が授からない身体となっている。
しかし、マーシャは男の母の言葉を否定せず認める。

男の母は、夫の高い身分から、戦場と関わる可能性などまったくない立場。
直接戦争の痛みを知らない立場は、時として無知ゆえの差別意識を生む。
「戦争が終わってよかったわね」
マーシャにとって皮肉な言葉。
マーシャにとっての戦争は終わっていない。

男の母は、マーシャの息子とは結婚できない理由をたたみかける。
身分が違うこと、
そして息子は身分が高いのみだけでなく、
異性にもモテモテであんたなんか相手にはしていられないと息子自慢。
実際は自分に自信がなくて、女性ともまともに口がきけないような男。
それがマーシャによって切り開かれたので好きになった。

それを丸ごと否定され男はきかん坊の子供の用に食卓をバンバン叩く。
マーシャは鼻血を出す。
マーシャは出ていく。
父は食事をやめず、戸を閉めるように言う。
部屋の外から犬の激しい鳴き声が聞こえる。
(覚書の為、描写の違い、書き切れていない場面あり)

映画の中で僕はわからなかったが、
他の方の記事で、この家が党の幹部の家だったそう。
特徴ある顔立ちの息子と父親を演じる俳優が妙に似ているのがリアリティがあった。

非常時ゆえ格差が際立ち、
当時のソビエト連邦の全体像をあらわしている場面だと思った。

犬が印象的だったので犬種を調べたら、
おそらく“ボルゾイ”。
見事なほど場面にあった犬種。
これも監督の明確の意図だろう。

映画の終わりに希望はあるのだろうか?
登場人物たちは映画の時間を通して変化したのだろうか?
思いは映画館を後にしてからも残る。

137分の上演時間、僕が途中で時計を見なかったのは実は珍しい。






 

シネマe~raで「教育と愛国」を観た

カテゴリー │映画

8月21日(日)13時40分~

映画のエンドロールでMBSという表記を見つけた。

舞台あいさつに登壇し、
監督・斉加尚代さんがMBS、大阪の放送局、
大阪毎日放送のディレクターであることを知る。
とても快活で雄弁な女性ディレクターだ。
ああ、こんな感じで取材対象者の懐に入っていかれるんだと納得した。

2017年にMBSでテレビ放送された「映像’17教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~」を元に
追加撮影と再構成をし、あらたに映画化。
番組内容と取材ノートをまとめた書籍も発行されている。

僕がこの映画を観た理由。
教科書の改訂問題を知らなかったから。
映画館での告知を観て足を運んだ。

教科書と言っても改訂は理科や算数に関することではない。
中学の歴史・公民。
「新しい教科書をつくる会」というものが発足したのが1997年。

歴史と言っても改定は古代の縄文や貴族の時代の平安、武士の時代の江戸に関するものではない。
近代史、太平洋戦争後に関することである。
大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放送されているが、
脚本の三谷幸喜さんは善児とトウという暗殺者という史実にないキャラクターを置いて、
第2代鎌倉殿、源頼家の暗殺にまで二人の架空の人物の個人的なドラマをもぐりこませる。

時代劇という創作物であるが、これに目くじらを立てる人はあまりいない。
事実は本当はひとつである。

表現の仕方により、ちがう意味になる。
ちがう意味だと感じ、
自分の真情と相違すれば、異議を申し立てる。

それは個人的な事情が理由の場合もあれば、
それが社会的な事情も加味されれば、ことは複雑にもなる。

政治家という職業は特に顕著かもしれない。
政治家を志した個人的な理由もあれば、
社会的な政治家としての役割もある。
鎖国時代ではないので、国内事情だけで治めることが出来ないことは誰もが理解している。

かつて日本書籍という中学の歴史教科書では圧倒的なシェアを占め、
東京都のすべてで採用されていたが、
多くの教科書会社が慰安婦問題を避けるようになってから、
2001年に戦争加害の記述を増やしたことが影響し、
東京23区の内21区で採用がなくなるなど、部数を減らしていく。
そして、2004年に会社は倒産する。

教科書検定制度について映画を観た後、調べて知ったが、
民間で著作・編集した本を文部科学大臣が教科書として適切か否かを審査し、
合格したものが教科書として使用することを認めると、文科省のHPにある。
使用する教科書を決定する採択の権限は、
公立学校なら設置する自治体の教育委員会が、
国立や私立は校長にあるのだそう。

固有な教育方針がある私立学校以外は、
普通に考えて、周りから何かを言われない“無難”なものを選ぶだろう。
そのような悪気のない忖度が、結果、ひとつの会社をつぶす結果ともなる。
もちろん選ばなかった学校に罪はない。
そのような法体制になっているからだけなのだから。

1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、
従来の歴史教科書を自虐史観に基づき、日本を貶めるものとし、
慰安婦の記述を削除すべきと主張する。
その後二つに分かれるが、新しく提案された教科書は
どちらも神話や神道を紐解き、日本の始まりをクローズアップしているのが特徴。

僕はどちらも共存すると思うがどうだろう?
つまり、罪は罪として認め、なおかつ国としての誇りを忘れない。
いや、本当はそんなこと誰もが知っているのだ。
だけど人により罪に対する考え方、誇りに対する考え方が異なるから齟齬が起きる。

元総理の安倍晋三さんが映画の中で
「(教育に)政治家がタッチしてはいけないものかって、そんなことはないですよ。あたりまえじゃないですか」
と熱弁をふるうシーンがある。

確かに当然どの分野にもタッチするものが政治であり、
例えばコロナ対策をひとつとっても、
医療、教育、経済などあらゆる分野に及ぶ。
ここを政治がリーダーシップをとらず、
それぞれに丸投げしていたのでは立ちいかない。
手をこまねいていると
国民は「政治は何をしている」と遠慮なく言う。

ただし、このシーンでは本当のことを子供に教えるべき教育で、
間違った事実が教えられようとしていることへの危機感を伝えようとしている。
政治の権力を使って恣意的に事実をねじまげてはならない。
これも当然のことであり、絶対的な大前提。

8月は
「スープとイデオロギー」
「私のはなし 部落のはなし」
「夢みる小学校」
「教育と愛国」
と4本のドキュメント映画を観た。
「夢みる小学校」以外の3本で
監督の舞台挨拶で短い時間であるが肉声もお聞きした。

どれもテーマや視点が異なるが、
僕は制作の過程が興味深かった。
なぜこの映画を撮るのか?
そしてその映画の完成に至らしめた環境は?
環境が整わなければ劇場公開の映画は完成しない。

放送局で制作ということはひとつにメディアとしての役割を持つことになる。
制作に制限がかかるようにも思うが
かえって自由に出来る側面もあるのかもしれない。
そうなるとたぶん立派な機材や編集室もあるし、社内稟議が降りれば資金の問題も計算が立つので、
制作するには有利に働く。

さまざまな切り込み方が大阪らしいなあと思ったのは、僕の敬意をこめた誉め言葉。






 

シネマe~raで「夢みる小学校」を観た

カテゴリー │映画

8月15日(月)9時30分~

「その学校にはテストや宿題がありません。先生もいません~」と
俳優の吉岡秀隆のナレーションで始まる映画の予告がシネマe~raで流れ、
観に行こうと思った。

予告で流れる音楽はザ・ブルーハーツの「夢」。
「あれも欲しい これも欲しい もっと欲しい もっともっと欲しい・・・」
その時観ていた映画「私のはなし 部落のはなし」でも
ザ・ブルーハーツの曲(青空を若者たちが歌う)が使われていた。

ちなみに、予告のナレーションで、
先生もいません、と聞いた時、
本気で子供たちで勝手に学校を運営しているのだと思った。
当然ながらそうではない。
先生と言う名称ではないが
大人という名称の人たちがいる。
ここには、子供と大人がいる。
そして、学校生活を共に過ごす。

この映画で主に舞台となるのは、
きのくに子どもの村学園の南アルプス子どもの村小中学校。(山梨県南アルプス市)

学園長は堀真一郎さん。
全国に子どものむら小中学校は他に
和歌山県橋本市、福井県勝山市、福岡県北九州市、長崎県東彼杵郡東彼杵町と全5か所にある。

他称38歳の堀さんは自ら三菱パジェロを駆って、
コンビニおにぎりをかじりながら
各学校を廻っているそうだ。

授業は通常の小中学校の
国語算数(数学)理科社会のような科目分けがなくて、
プロジェクトという科目を中心に構成される。
(一応、きそという保険とも思える授業がある)

プロジェクトは5つのコースがある。
「劇団きのくに」~表現
「工務店」~木工・園芸
「おもしろ料理店」~食の研究
「ファーム」~農業
「クラフト館」~やきもの、木工

入学した生徒は何年何組というクラス分けではなく、
プロジェクトごとに分かれる。
つまり同じクラスにさまざまな学年の生徒が混在する。

教室の椅子や屋外のテラス、鳥小屋なども自分たちで作ったという。
「工務店」を中心の仕事だろうか?
映画の中で取り上げられるプロジェクトは「おもしろ料理教室」。
今年は「麺」がテーマだと言う。

何をどう進めていくかについては、全員の話し合いにより決める。
議会制民主主義のようではあるが、
参加者は議場のように決して整然と並んでいない。
真剣に聞いている子もいれば、ぼんやりしている子もいる。

麺を食べるに至るには、
麵屋へ行けばお金を払いさえすれば食べれるし、
食卓へ座ればお母さんが作った麺類(手打ちというのはめったにない)が出されるだろう。

そうでないとしたら、
材料どうする?
小麦や蕎麦を種を撒き、育て、収穫するところから作る?
気温との関係もある?
水の配合は?
こね方は?
身体はどうやって使う?
力の入れようは?
子どもの体力で大丈夫?
なぜ麺を打つって言うの?
なかなかおいしい麺が作れないとしたら
おいしい麺を作って人気のお店に話を聞きに行く。
麺にするには包丁を使って切る。
どんな包丁?
他に包丁の種類は?
そもそも包丁はどうやって今の形になったの?
他の国も日本と同じ包丁?
麺文化の歴史は?
麺つゆは何でできてる?
鰹節?
鰹節ってどう作るの?
魚屋で買う?
海行って、鰹釣る?
どうやって燻製して鰹節になる?
薬味のねぎは?
ねぎの種類は?
産地は?
ねぎの栄養素は?
・・・

例えば、出来ることはこうやって無限に広がっていく。
小学校の
国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育、外国語など
各指導教科ともどこかで結びつく。
それらが互いに重なり合う。
いわゆる総合学習である。

※ただし、このプロジェクトだけでは足りない。
それは“基礎学習”等のカリキュラムが補うのだろう。

その他4つのプロジェクトも同様の成り立ちをしている。
「劇団きのくに」は映画では取り上げられなかったが、
演劇という形がそのように使われる理由はよくわかる。

劇場ということを考えれば建築や街作りとも関連するし、
照明、音響など電気や機械とも結びつく。
セットも作る時があるし、衣装もメイクも。
お客さん呼ぶには宣伝は?
身体も頭も使う。
高く飛び、早く動けるにはどうしたらいい?
時代物なら時代考証も。
神やお姫様の気持ちは?仕草は?
演劇の歴史は?
世界の演劇は?
そもそも演劇って何?
・・・

このプロジェクトの良いところは、
それ自体が成果を求めない事だろう。

評価される表現・製品・生産品をつくる事が目的ではない。
あくまでも最終地点までのプロセスをいかに過ごすかが目的。
最終地点とは、この学園を卒業するまで。

それからは、それぞれの新しいプロジェクトが始まる。
将来を見据えて、選択せねばならないだろう。
選択し、それを磨いていく。
日本人で野球選手になるなら高校で野球部に入らないのは前例にほぼない。
医者になるのなら大学の医学部に入り国家資格を取得しなければならない。
料理人になるのなら、早く料理店に修行に入るのが近道の場合もある。

この学園は先生がいない。
ということは「大人たち」の目配りが大事なんだと思う。
ひとりたりとも決して取りこぼさない。
自由にそれぞれの活動、動きをする子供たちの。
管理するのではない。
自主性を重んじながら。
それはとても難しいことのようにも思うが実際はどうなのだろう?
共同生活により子どもたち同士が良い意味で補完しあうので、
意外と「そんなに大変ではないですよ」と答えられるかもしれない。
「勝手に育つ」
それが理想で、また楽なことだろう。
環境をいかにつくるか、
それはやはり大人の役割なのだろう。

プロデューサー・監督・撮影はオオタヴィンさん。
映像制作のすべてをひとりで兼任しているらしい。
1年間「きのくに学園」に密着して制作。

8月13日・14日・15日とお盆休みは3日間ドキュメント映画を観た。
実は8月21日にも観たのだが、それぞれ作り方が違う。
また、観客層もそれぞれ異なるように感じる。
ただしそこに僕はいる。
一体何なんだろう?







 

シネマe~raで「私のはなし 部落のはなし」を観た

カテゴリー │映画

8月14日(日)13時10分~

満若勇咲監督は大阪芸術大学3年の時、
実習で「にくのひと(2007年)」という映画を撮った。
牛丼屋でアルバイトをしていて、
牛が肉になる過程に興味を持ち、
映画の題材に選んだという。

映像学科の教授はドキュメント映画監督の原一男さん。
代表作に「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」「水俣曼荼羅」等。

食肉に加工する屠畜場の人々を取材し描く。
大学の実習作品が評価され、各地で上映され、
劇場公開が決まったが、
部落問題を扱うことから、解放運動の団体から表現方法について抗議があり、
断念することになる。

そしてそのテーマを正面から描いた今作品。
3時間25分の上演時間。
途中で休憩がある。
時間を費やしている理由は様々な視点から描いているからだ。

現在は「部落」や「部落民」というものは存在しない。
1871年(明治4)の賤民廃止令で身分制度がなくなり、
国民全員が同じ平民となったはずだった。
ところが、社会制度上はないはずの部落や住人への差別は続き、
結婚や就職などにも影響を与える。

映画では3つの被差別部落といわれる地域で
インタビューがなされる。
それらの人はなぜ自分たちのことを語るのか。
カメラの前で、素顔で、本名で。
今ある自分を
さかのぼった過去を引き受け語る。

映画中にも出てきた言葉であり、上映後の監督挨拶でも述べられた
「寝た子を起こすな」という考え方があるということ。
今、存在しない(はずの)部落問題を取り上げることで
知らない人にも知らせることに意味があるのか?
そっとしておけば、
時と共に世代は変わり、忘れ去られていくのではないか?
確かにそういう考え方もあると思う。

また、取り上げるのは単に興味本位なのではないか?
他者のことをモチーフに何らかの表現をする時、
この問題はいつも付きまとうのではないか?

自分とは関係のない他人のことを盛んに触れて、
自分の表現欲求を満たす。

真実とは何だろう?
同じものでも人によりとらえ方は違う場合もあるだろう。

でもその人にとって曲げることのできない真実はある。
私はどこで生まれ、どうやって育ち、どうやって考え、どうやって生きてきて、
これからどうやって生きていこうとするのか?

そこに向き合わざるを得ないということはあると思う。
逃げることの方が自分やまわりやまた、社会の為にもいいと思うこともあるだろう。
でもやはり自らの思う真実から逃げることは出来ない時があるだろう。

この映画を撮影する監督はある一方を肩入れする形では接しようとしていない。
あくまでもニュートラルに語られる言葉の中に真実を見出そうとする。
それはあくまでも観客から見える真実だ。
語る人がすべて真実を述べるわけではない。
それは僕を始め、語る人誰もがそうだ。

映画とは作り手が伝えたいことがあって作るものであろうが、
受け手(観客ほか)がとらえたことがすべてであるとも言える。
観た人がどう感じたがすべて。
人によりまったく逆のとらえ方をする場合もあるだろう。
でもそれらが合わさって映画という物を補完していくのだと思う。
それは今でなく、将来であるかもしれない。

映画はインタビューの他、朗読表現の手法も使われる。
それは主題を私ごとに対象化させる効果を持つ。
映画のタイトルは「私のはなし 部落のはなし」なのだ。

部落問題とは距離がありそうな若者が語る中、
ひとりがウクレレを取り出し、
ザ・ブルーハーツの「青空」を他の二人と共に歌う場面が印象的。
歌詞の中に「生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう」。
映画の終盤にさしかかり、まるでテーマソングのように聞こえる。
ドキュメントがフィクションと混じり合った気がしたが、
私ごとに引き付けるひとつのメッセージだったのかもしれない。

終了後、ロビーで購入したパンフレットにサインをしてもらう列に並んだ。
僕の前に並ぶ人たちはそれぞれ監督に感想を述べていたが、
僕は内容について一言二言でしゃべることは出来ないと思い、
「音楽がよかったです」と述べたら、
「音楽のこと言う人あまりいないです」と言われた。

MONOという日本人のインストゥルメンタルロックバンド。
サウンドトラックが出ているが、海外サイトからしか購入できない。
監督が言うには「日本ではほとんど知られていない」みたい。
オープニング、エンディングのギター音がとても印象的。
劇中では様々な立場の発言者の言葉を決してじゃませず、静かに映画を支えていた。






 

シネマe~raで「スープとイデオロギー」を観た

カテゴリー │映画

8月13日(土)14時50分~

ヤン・ヨンヒ監督の母を描いたドキュメンタリー映画。
僕は前作である劇映画「かぞくのくに」をDVDで観た。
こちらは監督の3人の兄の内3番目の兄をモデルにしている。

デビュー作である父を描いた「ディア・ピョンヤン」や姪を描いた「愛しきソナ」は
どちらもドキュメンタリー映画。
今までの長編映画は一貫して監督自身の家族を題材にしている。

上映後、ヤン監督とエグゼクティブプロデューサーの荒井カオルさんが舞台挨拶に登壇したが、
荒井さんは夫で、映画にも出演している。

荒井さんとの出会いが映画を形作っていると言ってもいい。

映画は入院中の母(オモニ)がベッドの上で18歳の時に韓国の済州島で体験した
済州島4.3事件について語る場面から始まる。

済州島4.3事件とは1948年4月3日
在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にあった
南朝鮮の済州島で島民の蜂起をきっかけに
南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察などが
1954年9月21日までに起こした島民虐殺事件を言う。
3万人近い島民が犠牲となり、村々の70%が焼き尽くされたと言われる。

大阪で生まれたオモニは戦争による疎開先の済州島で
4.3事件に遭遇する。
妹や弟を連れて逃げ、当時の婚約者もこの時亡くなったという。
そして、他の避難民が日本に流れてきたように
オモニも戻り、この大阪の地で父と出会い結婚する。

父(アボジ)を自宅で撮影した映像が映し出される。
娘の結婚相手は韓国人に限ると言う。
南北は問わない。
そして日本人やアメリカ人は認めないと言う。

アボジは朝鮮総連大阪府本部の活動員だった。
朝鮮総連とは北朝鮮の在日本公民団体。
1960年代、「地上の楽園」とうたわれていた北朝鮮に
息子3人を帰国事業で送り出した。
2009年に日本で亡くなるが、骨は北朝鮮に眠る。
オモニも息子たちや両親、弟妹及びその家族のために30年間毎年訪朝し、
45年間仕送りを欠かさかった。
そして、自身の体験した4.3事件のことは今まで語ることはなかった。

結婚するにあたり、大阪市生野区に住むヤン監督のオモニに挨拶するために
荒井さんが緊張した面持ちでやってくる。
スーツにネクタイ姿に
カメラを回すヤン監督も
「そんな姿初めて見る」と大うけ。

家ではオモニが丸鶏を長時間炊いて作ったスープを用意して待っている。
娘の婚約者を招くときの風習だそうだ。
家に着いた荒井さんは
先ずは服を着替えてリラックスするように促される。
「いつものTシャツと短パンに」とヤン監督は言う。

そこで着ていたのがミッキーマウスのシルエット柄のTシャツ。
以後、荒井さんのTシャツ姿は何度か登場するが、
ミッキーマウスの体が分解された柄、
トイレの男女マーク柄、
ピアノの鍵盤柄など、どうしても観ながらそちらに目が行ってしまう。

いつのまにか、娘が日本人を夫に持つことを受け入れていることに気が付く。
スープの描写はもう一度出てきて、
その時はオモニが荒井さんに作り方を伝授している。
一度目は娘に、割いた鳥のお腹に青森産のにんにくを40個つめると言っていたのに
二度目はにんにくの大きさが違うので、いっぱいになればいいと、言うことが変わっている。

スープを作りながら荒井さんが、
母宛に送られた葬儀会社の案内書にクレームの電話をかける場面があるが、
荒井さんの本来の仕事である記者の側面を見るようだった。
僕は、広告の仕事をしていることもあり、
あっちも仕事なんだから、と少し相手が気の毒に思ったが。

済州島4.3事件の韓国での責任追及は公的にはなされていない。
2000年金大中政権で4.3真相究明特別法が制定され、4.3委員会が設置される。
廬武鉉大統領が2003年10月事件に関する島民との懇談会で初めて謝罪し、
済州四・三事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会を設置。
2017年文在寅大統領が2018年4月3日の追悼式に
2006年の廬武鉉以来大統領として12年ぶりに出席。

事件から70年を迎えた2018年春の追悼式典の会場に
ヤン監督とオモニ、荒井さんの姿がある。
ヤン監督は涙を流している。
犠牲者の名が彫られた慰霊碑でオモニが知る人の名を探す。
交代しながらオモニの車いすを押している。
済州島は韓国のハワイとも呼ばれるリゾート地。
海のそばに置いてあるベンチが印象的だった。
夏ではないからかもしれないが人は家族以外見えなかった。

4月に入ったばかりの済州島はまだ肌寒いのかもしれない。
ヤン監督とオモニはしっかり着込んでいた。
ただし、荒井さんはエンジ色のTシャツだった。
舞台挨拶終了後、
ロビーで購入したパンフレットにサインをいただいたとき、
ペンを走らせるヤン監督の隣の荒井さんにこのことを聞いたら
「暑がりだから」とヤン監督が笑いながら答えてくれた。

オモニは認知症を患う。
現実と過去が混濁し、
死んだアボジや北朝鮮に渡った息子たちが
今ここで一緒に生きているかのように錯覚する。
「アボジは?」
聞かれたヤン監督は医師の指示通り、
言うことを否定しない。
「今出て行ってるからじき帰って来るよ」
オモニは
「そう」と言って安心した顔をする。
つじつまがあっていようがなかろうが関係ないようだ。
そして、また同じことを聞くだろう。

オモニはその後、脳梗塞で入院。
今年2022年1月に亡くなった。
映画の完成には間に合わなかったそうだ。
6月11日全国公開。
浜松ではシネマイーラで8月12日~25日上映。

ポスターやチラシに使われるオモニの写真は
チマチョゴリを着て写真スタジオで結婚写真を撮る
ヤン監督と荒井さんを傍らから見守る映画でも登場するシーン。
これは映画を観なければわからない。






 

シネマe~raで「夜を走る」を観た

カテゴリー │映画

7月16日(土)15時30分~
監督の佐向大さんと主演の足立智充さんが舞台あいさつで上映後登壇。

失礼ながら初めて知ったが、足立さんは浜松市の隣の磐田市出身だそうだ。
また、地元の学生時代はこの場所に映画を観に通っていたそうだ。
「ムーンライトシアター」という地方では観にくかったミニシアター系の映画を
通常の映画上映が終わった後に上映する企画があった。
その頃は東映の映画館で、
シネマe~raとして改装された後、
「ムーンライトシアター」が存続していたかは僕の記憶では不明。
僕はたまに観に行くが、熱心に通う客では決してなかった。

足立さんは映画好きが高じ、
日大芸術学部映画学科に進み、
後に俳優となる。

高校の同級生の友人たちやご両親も見えられていた。
ご両親が最後尾の最も隅の席に座られていたのは奥ゆかしい。

クレジットに製作:大杉弘美とある。
これは故大杉漣さんの奥様で、
監督は大杉さんと同じ芸能事務所で、
前作「教誨師」では大杉さんが生前最後の主演作。
今回の「夜を走る」は
佐向さんの脚本を読んだ大杉さんが
「これもやろうよ」と初のプロデュース作品になるはずだった。

しかしながら大杉さんは2018年2月に死去。
その後、「夜を走る」は頓挫することなく、
弘美さん等に引き継がれ、
構想9年で、映画上映に至る。

主人公の勤務先は金属リサイクル会社。
僕の仕事での取引先に同業種があり、
そこをイメージすると
店や住宅などが密接する市街地から離れた
例えば海の近くの
例えば山の近くの
郊外のまわりの建物が少ない場所に工場が建てられている。

地価の問題もあるかもしれない。
大型車が出入りするなど騒音等の問題もあるかもしれない。

映画の金属リサイクル会社のある場所が絶妙だ。
工場の裏には小さな川が流れ、その向こうは田んぼや空き地が広がり、
遠くにはゴルフ練習場のゲージが見える。
建物には「武蔵野金属」という看板。
看板を取り付けたんだろうなと思っていたが、
鑑賞後、実際の会社名であることを知る。
会社のHPにも撮影現場として提供したことが記されていた。

金属リサイクル会社に勤める人たちのやりとりが楽しい。
観客の僕は楽しく聞くが、そこは登場人物たちの人生の苦さも同居する。
仕事と言えば、やりがいと言う人もいるかもしれないが、
多くの実際の仕事の現場はそういうものでもない。

なぜこの会社にいるのか、
なぜこの仕事をしているのか。
軽々に答えられるものではない。
即答できる人がいたらむしろそれは疑ってかかってもいいかもしれない。

登場する人々は総じて生き方が不器用に見える。
主人公の秋山は飛び込み営業の日々だが、
成果が上がらず上司に叱られる毎日。
営業車は無駄にガソリン代を消耗し、
カーラジオからはまるでエンドレスのように天気情報が流れる。

同僚の谷口は仕事も家庭生活もうまく立ち回っているように見える。
会社ではまわりから突っ込まれないくらい一定の地位を確保し、
家庭では妻子がありながら、ばれないで不倫も楽しむ。
ただし、実は妻も内緒で不倫している。

夫婦の子を演じる子役さんの演技がうまく、
両親とも不倫しているという現実を知る観客としては
健気な演技がいたたまれなくなるが、
大人に飲み込まれない本質を突くセリフが用意されていて、
脚本の企みを感じる。

会社へ新規営業に来たきれいで若い女性に対応した上司が
相談に乗るという体で飲みに誘うなどは、ありそうだが社会理念から言えば御法度。

ただし、ここから話は猛烈に走り始める。
偶然同じ時間に飲みに出ていた秋本と谷口が遭遇する。
仕事の後、飲みに行くのは夜。
「夜を走る」だ。

映画のチラシでは運転席に秋本、助手席に谷口が乗った車が傾いて写っている。
背後には金属リサイクル工場を象徴する激しく赤い火花。

激走は、決して前に進むとは限らない。
ことによると逆走するかもしれないし、
道を外れる場合もある。

秋本と谷口だけでなく、その後起きることに対する対処が
それぞれ独特で、より混迷を招く。
人は一大事が起きた時に、対処を誤るものなのだ。
一端の大人らしく冷静に法律にのっとった対応など出来るものではないのだ。

人として生きるべき本質は、どんどんずれていく。
ただ、じゃあ生きるべき本質なんてものが元々あったのか?

秋本はその先頭に立って、ずれていく本質を体現化していく。
決して世間的ではない。
ただし、その姿は、ある種、解放され、爽快ですらある。

金属リサイクル工場は
持ち込まれた不要になった製品をスクラップにして、
再利用できる個々の金属に戻すことで生業を立てている。
それを象徴する金属と金属がぶつかる激しい火花や鉄球で製品を壊す描写が
映画の冒頭で流れる。
それはもちろん工場の日常。

映画を観終わりその工場の日常を思い起こす。
壊すのはリサイクルが目的。
従業員たちの生活もそれで成り立ち、
リサイクルされた製品はまた誰かに使われる。

まあ、そうやって日々は続いていく、と思う。