ロックバールクレチアで寺田町×水銀座ジョイントライブ

カテゴリー │いろいろ見た

27日(金)19時30分~
水銀座の演劇と寺田町の音楽。
このジョイントライブは「幻想夜会」と銘打たれている。
裸電球がいくつか床に置かれた照明が雰囲気を出していた。



 

「あなたも書こう!劇作セミナー」に参加した

カテゴリー │演劇

21日(土)・22日(日)13時~18時
西部公民館にて。
講師は劇団あおきりみかんの鹿目由紀さん。
土曜夜懇親会に参加した。
日曜は終了後19時~浜北なゆた会議室で自主公演部会の会議。
今週は29日の劇作セミナー最終日に向け、課題の10分の戯曲を書く。



 

シネマe~raで「キャタピラー」を観た

カテゴリー │映画

15日17時45分~
上映後、監督の若松孝二・主演男優の大西信満両氏のあいさつ。
主演女優の寺島しのぶがベルリン国際映画祭の銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞。
第2次世界大戦に出征し、四肢を失った状態で戻ってきた夫(大西)と彼をむかえる妻(寺島)の物語。
戦争の真っただ中であるが、舞台となる場所に爆撃はなく、学生が疎開してくるような田園地帯である。
戦争中であることは確かである。10代の若者に赤紙がおとずれる。農業地帯でも食料不足の波は来る。女たちは竹やり部隊やバケツリレーの練習に励む。
しかしながらフィルムに現われるのは限りなく美しい日本の田園であり、農作業にみんなそろっていそしむ姿である。
若者が出兵する時は村人総出で見送り、戻ってきた時も総出で迎える。
四肢を失って戻ってきた男を軍神とたてまつり、妻を心から励まし、米や野菜、卵などを差し入れる。
僕は思う。
お国のため、と戦争に勝つため一丸とさせられているのであるが、それらはどこかあたたかい。
ただ、その風景の中には唯一明らかな戦争の悲惨な実害を受け、失った両手、両足、頭の右側は焼けただれ、聴くことももしゃべることも失わされた男がいる。
そして、彼の面倒を一生みなければならない妻がいる。
この対比の不条理さが戦争である。
映画はこのふたりの毎日をただただ描く。
やがて無条件降伏を受け入れ、終戦。
考えてしまった。
今の日本は確かに戦争はない。
でも果たしてあのあたたかな田園はあるのか。
他人が他人を送り出し、他人が他人を迎え入れる度量はあるのか。
「日本だけのため」と「自分だけのため」とどう違うのか。

会場は満席だった。










 

はまホール「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第七番」を観た

カテゴリー │映画

14日14時~ 昼の上映。16時30分~龍村仁監督の講演。
以前クリエート浜松で第四番を観た。
こつこつとすでに第七番である。
ロードショー館で上映されることがあるのか知らないが、全国の多くのサポーターの力により作り続けられ、上映され続けられているようである。
今回も「浜松ガイア7」という実行委員会が主催し、はまホールで2回の上映。
ガイアシンフォニーが作られるきっかけとなった「ガイア理論」とは1960年代にジェームズ・ラブロックにより提唱された「地球と生物が相互に関係し合い、環境をつくりあげていることをある種の巨大な生命体とみなす仮説」(ウィキペディアより)
「ガイア」の命名はギリシア神話の大地の女神「ガイア」から来ている。
監督はその考え方を知った時、自らもそれを知っていた、と感じる。
そして、そのことが理論化されていたことに感激し、「地球交響曲第一番」が製作される。
もちろんその時は第一番などという表示はない。
第七番までつくられるようになった今では便宜上第一番なのである。
しかし、つくったはいいが、どの配給会社からも相手にされなかったようである。
こんな映画に客が来るわけはない。
60席くらいあるひとつ映画館で上映してもいいという話になった。
ただし、3,000枚チケットを購入するのが条件であった。
つまり買い取りだ。
客が入らなくても映画館は困らない。
そこで監督は自らを問い直したそうだ。
今の自分だと200~300しかさばけない。
売るためにはそうしたらいいか。
同窓会にでようと思ったのだ。
それまでは同窓会に出るのが大嫌いだった。
過去の思い出など語り合うのはまっぴらごめんと思っていた。
でも売るために自らを変えよう。
それはプライドを捨てるとかそんなものではない。
自分の作品を伝えたいという一心だったと思う。
いとつのエピソードとして、京都大学ラグビー部時代の同窓会に出た話をした。
そこには商社などに勤め世界中を飛びまわる営業マンとして活躍するような同窓生がたくさんいた。
彼らはたとえばアマゾンで未開拓地を日本の資本主義の繁栄のために買い付け、自然を伐採しているような仕事をしている。
監督は彼らに「どんな映画だ?」と聞かれ、ガイアシンフォニーの主旨を述べる。
「地球はひとつの生命体で~」
彼らに「龍村、おまえの言ってることはさっぱりわからん」
彼らの実際にやっている仕事はガイアシンフォニーとは全く逆のことだ。
でも監督は言う。
「そう言いながら彼らはわかっている」
彼らは言う。
「せっかくお前がやってるんだから買ってやる」
と、知り合いにも配るからと20~30枚買ってくれる。
そして、3,000枚を売り切ったそうである。
そこからガイアシンフォニーは動き出す。
2週間の上映の中で徐々に当日券で観に来る見知らぬ客が増えだし、上映は延長される。
当初はなかった看板もかかげられ、「奇跡の映画」と持ち上げられる。
全国各地から住んでいる場所ではいつ上映されるのかという問い合わせが相次ぎ、今に至る。
監督の話はなかなか止まらず、終了は夜の上映が始まる18時近かった。
第七番では環境活動家高野孝子、ツール・ド・フランス覇者グレッグ・レモン、統合医療医学博士アンドルー・ワイルの各氏がとりあげられていた。

写真は地球交響曲チラシと倉本聰脚本「歸國(きこく)」





 

シネマe~raで「息もできない」を観た

カテゴリー │映画

13日15時50分~。
製作・監督・脚本・編集・主演 ヤン・イクチュン。 
チラシのキャッチコピーは「二人でいる時だけ、泣けた~愛を知らない男と、愛を夢見た女子高生。傷ついた二つの魂の邂逅。」
2007年32歳で「自らを吐き出さないとこの先生きられないと思った」と、この初めての長編映画を作り始めた。
俺はまったく容認しない。
どんな理由があれ彼らの暴力。
父の母への暴力。
子への暴力。
そして暴力を受けた子の父への報復の暴力。
取り立て屋の金を返せない人への暴力。
兄貴の舎弟への暴力。
そして舎弟の兄貴への報復の暴力。
弱いモノが弱いモノを痛めつける。
その痛さは相手を痛めつけるだけでない。
自らも痛めつける。
しかもそのことは本人も知っている。
こんな出口のないスパイラルの中にも暖かいものは生まれる。
出口がないからこそ生まれざるをえない。
観客たちはそれを知っているから、「息ができない」と思いながらも、スクリーンを見つめ続ける。
映画のHPに監督のインタビューがのっていた。
その中で、インタビュアーの「この映画はとても切ない愛の物語だ」という言葉に、監督は「取り立て屋のサンフンと女子高生ヨニの二人はあまりに近すぎて自分の気持ちが一体感なのか憐れみなのかそれとも愛なのかよくわからない」と答えていた。
愛なのかよくわからないまま、結末をむかえる。
それがまた切ない。




 

何かが始まる

カテゴリー │思うこと

路上演劇祭でお世話になり、その後も数度お会いする機会のあった岸井大輔さんの著書の「LOBBY~はじまりの場を創る」のタイトルにもある、「はじまる」ということを考える。
人と会った時、何が楽しいと感じるだろうか。
気が合う同士思い出話や近況や世間話に花が咲くのは楽しい。
格別である。
酒がすすむ。笑顔が広がる。
お開きはは名残惜しく、「じゃ、また」となる。

「じゃ、また」って「また」っていつなんだ?
こんな場合、多くは「また」は遠い。
「また」が永遠に続き、以後、一生会わないなんて場合も、よくあることだ。
そんな予感があるとき、お開き後の別れ際の「じゃ、また」は少々さびしい。
今度はいつ会うんだろう。
でも、まあいいや。
それぞれの人生がある。
もちろん俺にも俺の人生はある。

正直に言うと、思い出話や近況や世間話に終始する集いは別れ際だけでなく、宴会の最中もどこかさびしい。
別れた後を予感している。


俺は、思い出話や近況や世間話のほかに、何か「はじまる」要素があるといいと思っている。
次の計画。
次回会う理由。
約束。

昨年は同じ時期、9月末の落語会のために何度か会った。
落語をしゃべるのは個人作業だが、会自体の準備のため打ち合わせと称し、飲み、
勉強と称し、プロの落語家の落語会に誘い合わせて行った。

今年は落語会の予定はない。
そのことをあらためて実感した。
そんなひさしぶりの飲み会だった。

落語後、俺、何しよう。
すでに1年になろうとする。







 

浜松街中で

カテゴリー │いろいろ見た

7日土曜日、自転車で街中に行き、喫茶店でコーヒー飲みながら考え、メイワンの谷島屋で立ち読みし、文庫本を買い、ゆりの木通りのお祭りでの絡繰機械’sのパフォーマンスを見て、昨年の落語会の仲間と飲んだ。
写真はゆりの木通りのビオラ田町前の様子。






 

劇団砂喰社「髑髏銭」を可美公園総合センターホールで観た

カテゴリー │演劇

8月1日(日)13時~
原作 角田喜久雄
脚色・演出 狐野俊法
チラシによると原作は小栗虫太郎、夢野久作と並び称される日本大衆小説、伝奇小説の雄、角田喜久雄の代表作。
舞台となる時は元禄六年、生類憐みの令がだされた徳川綱吉の時代、とある。
つまり時代劇である。
なぜ時代劇をやろうと思うのだろう。
着なれぬ着物を着て、履きなれぬ履物を履き、しゃべりなれぬ言葉をしゃべり、人を斬ったことのない刀を扱う。
大変なことだとも思うが、それでも訴えたい何かがあるのだろう。
観劇後、お茶をして、19時から北部公民館で西部演劇連絡会の総会。