からっかぜアトリエでユニットふゆとか「家族ごっこ」を観た

カテゴリー │演劇

24日(日)14時~
M-planet プレゼンツ公演。
作・演出 ふゆ

M-planet の役者ほか、女性4名が出演。1名は男性役。
兄夫婦と妹、精神科医。
1組の夫婦が精神を病んだ妹の面倒を見ている。
3人の関係のゆがみの様を描く。
役名はない。
抽象的なセット。
チラシに「極彩色衣装で届ける」とあるような無国籍な衣装。
ここはどこなのか。
それぞれが誰なのか。
それはあまり重要ではなく、重要なのは関係性なのだ。
ある種古めかしい説明的な文体のセリフが劇全体を象徴している。
最初から最後まで貫かれ、「笑いなど必要ないのだ」という姿勢は最近、絶滅品種とも言える。
個人的には少し笑うが、それは届ける側の意図するところではない。
家族ごっこの構造はシンプルで、よく見ることかもしれない。
でもディテールを見ていくと、考えられ、チャレンジをしていると感じさせる。
小道具では妹が閉ざされた部屋で心の支えとしている5冊のスケッチブックにひかれた。
1枚1枚が塗りたくられ、書きなぐられ、厚みを帯びたスケッチブック5冊。
これらはこのユニットの演劇への意志でもある。










 

17日夕方、モール街を見る

カテゴリー │路上演劇祭

できれば土曜日に行きたかったが前日は予定があり、17日日曜、映画を観た後、モール街をうろうろする。
16時35分に映画が終わったので、路上演劇祭の終了予定の18時くらいまで、上演場所をロケハンしようと思った。
メイン会場とされるサゴー前がどんな様子なのか。
他の上演場所として想定される空き店舗前の様子は。
前日考えた上演順序と照らし合わせて自分なりの上演場所を考えてみようと思った。
そして、19日に行われた路上演劇祭実行委員会で提案させてもらった。

『モール街を南から北へキャラバンライブ』

5月21日(土)13時にモール街南より始まり、18時頃、モール街北、旧松菱付近で終わる。

モール街南より北を見る。(始まり)


















鍛冶町通りよりモール街南を見る。(終り)


 

シネマe~raで「白いリボン」を観た

カテゴリー │映画

17日14時5分~シネマe~raで「白いリボン」を観た。
無音のタイトルロールから始まるモノクロ映画の前半少し眠ってしまった。
徐々に追いついていった2時間24分の映画だった。
みんな正しいのに、
悪い人は誰もいないのに、
正しい方向に行かないことがある。
そこをきっちり描くために、徹底して装飾を拒絶している。
エンドロールも無音だった。
いつもはエンドロールが終わるまで、席を立たないオレもドイツ語の文字が流れる中、席を立った。
いつも音楽やサービス映像の流れるエンドロールを意味ありげにながめているが、村上春樹がインタビュー誌で、映画を観に行くとエンドロールが始まるとさっさと席を立つとを答えていた。
理由は時間がもったいないから。
海外生活も長い氏によると、アメリカ人もさっさと帰るそうである。
音楽聞くとか、俳優の名前とか、主題曲の作者とか、ロケ地とか、さっきまで観ていた映画の気になるところを確認する時もある。
でも、けっこう、みんな席立たねえなあ、って思っていたりする。
それと、たまに感動してほんとうに席立てない、流した涙が乾くまで待ってくれって、暗闇にうずまっている時もある。
映画館をあとにすると、モール街に向かう。
これも最初から予定にいれていた。
5月21日の路上演劇祭の会場を見にいく。




 

平塚にパントマイム劇団湘南亀組の練習を観に行った後編

カテゴリー │路上演劇祭

パントマイムの練習は一度づつ我々に見せてくれて終わった。
あとはまたお茶が出て、またまたみんなが持ち寄ったお菓子を食べながら話をする。
一ヶ月に一度の集まりだと、その間に例えば誰かが韓国に行けば、お土産を持ってくるというように、お菓子が集まるのだという。
そうこうしているうちに、ここはお開きにして、5時から湘南亀組の音楽部の練習があるので、別の場所に移動しようと言う。
片付けをして、何人かは帰宅し、他の何人かは車に分乗して、別の場所に向かう。
その場所は養護学校からすぐ、『湘南ピュアハム』という無添加ハムの工場があり、そのとなりにある。
広い調理場があり、スタンドアップピアノが置かれている。
壁にはところ狭しとチラシやら写真やらが貼り付けられている。
小さなホワイトボードに本日のメニューと書かれていて、本日のスープ、キャベツとパブリカのパスタ、長ネギとチキンのパスタ、ポテトサラダ、カットオレンジ、もう1品はたぶん年に一度かまどで燻製をつくるというサーモンを使ったマリネの名が並んでいる。
頭にバンダナを巻いたシェフらしい若者が調理にいそしんでいる。
そのまわりにも陽気な人たち。
とにかく歓迎される。
オレは明るくふるまいながらも恐縮気味。
音楽部の練習があり、それが終わったら夕食だと言う。
ピアノを弾く人が現われて、音楽部の練習が始まる。
彼は湘南亀組の公演の音楽も担当していて、路上演劇祭での演目でも作曲した曲が使われる。
元々はジャズピアノをやっていたそうである。
音楽部もパントマイムと同様、いろいろな機会で発表されるそうである。
尾崎豊の卒業、19のあの紙ヒコーキくもり空わって、傷ついた兵士のうた、オーシャンゼリゼほか。
大きなテーブルを囲んでイスに座り、ピアノ伴奏にのった彼ら彼女ら音楽部の者たちの歌を聞きながら喋る。
そして、音楽部の練習が終了すると待ちかねていたかのように、テーブルにホワイトボードに書かれていた料理が運ばれてくる。
またまたごちそうになる。
ただただ食べる。
話しながら食べる。
いつの間にか帰る時間になる。
平塚駅まで送ってもらい、帰りは小田原で新幹線に乗り換え、実行委員長と一緒に浜松まで帰る。
受け取るばかりの1日だったな、そんなことを思いながら自転車こぎ、家に向かった。
観た。聞いた。食べた。感じた。
オレに何ができるのだろうか、そんなことも遅れて考えた。
夜も遅い。
明日は仕事だ。
あかりが目立つ夜のまちに気持ちはまぎれて行った。







 

平塚にパントマイム劇団湘南亀組の練習を見学に行った前編

カテゴリー │路上演劇祭

からころ公演の翌日10日、朝7時26分発の東海道本線に乗ってJR平塚駅へ。
島田と熱海で乗り換え、到着予定の11時より(人身事故の影響)とのことで、待ち合わせ予定の20分頃着く。
少し早く着いて、初めて降りる駅前をうろうろしようと思った計画は消滅した。
ホームに降り、階段を上がっていると本日同行させてもらう路上演劇祭の実行委員長が降りてくる。
前日東京から入る旨を聞いていたが、結局浜松から新幹線で小田原に出て、乗り換えオレと同じ列車に乗っていたそうだ。
「どっちだっけ」
「あっちですよ」
平塚駅はホームの上り側にも下り側にも出入り口がある。
具体的に待ち合わせ場所を決めている場合、出入り口を間違えると残念な結果になる。
待ち合わせの南口が階段を上った先にあることを確認済みだったオレは実行委員長を促し、前へ進む。
実行委員長は降りてきた階段をまた登る。
パントマイム劇団湘南亀組の劇団員であり、劇団の母体でもある平塚養護学校の教師でもあるS氏が車で迎えに来ていた。
郊外の田んぼや畑の広がる気持ちのいい場所に平塚養護学校はある。
湘南亀組の練習日は月1度第2日曜日。
練習日であるその日、5月21日の路上演劇祭 JAPAN in 浜松に出演する彼らの練習を見学に来た。
養護学校に足を踏み入れるのは初めてだ。
先ずは自己紹介から始まった。
湘南亀組は1980年4月、「平塚養護学校寄宿舎パントマイム同好会」と言う名で、寄宿舎生の余暇活動として始まった。
2か月前、学校の観賞会で「パントマイムトループ気球座」の公演を観て以来、自分たちも身体を動かして表現したいと、気球座の主宰者故並木孝雄氏の月1回の指導を受け、発足。
1990年3月の寄宿舎閉舎後、1991年1月、「湘南亀組」と名前を改め再出発。
そして、地元のみでなく各地で公演を行い、現在に至る。
昨年から今年にかけて30周年記念公演「越境の身体(からだ)」が行われた。
彼らと路上演劇祭(浜松)の実行委員長の関係は委員長が元気球座に所属していたことにあるだろう。
そのあたりの事情はよく知らない。
ただ話を聞いてみると、数十年ぶりに30周年記念公演の案内をふと委員長あてにFAXで流したことに端を発する。
委員長は今年2月の公演に足を運び、路上演劇祭への参加を誘い、出演が決まり、なぜかオレもここにいる。
テーブルを並べた広間には養護学校に通う劇団員の他、その家族、介助者、パントマイム経験者の団員たち、入ったばかりという女子高生もいた。
自己紹介が一通りすむと、
「さあ、飯にしよう」
と様々な料理がテーブルに所狭しと並べられて行く。
豚の角煮、煮卵、サラダ、マリネ、カレーなどなど。
各自がこれら料理を持ち寄られているようだった。
好きなものを好きなだけ自分の皿に盛るバイキング形式。
オレはただでご馳走になった。
腹いっぱいになるくらい。
話をした。
圧倒されていたと思う。
オレの所在をどこに置けばいいのかあぐねながら、ただ彼ら彼女の話を受け止めていた。
そして、みな腹いっぱいになると、そろそろ始めようかと、練習開始の気配。
ひとりの彼は「エネルギー充電完了!」などと湧きたてている。
では始めましょうと我々に見せてくれたのは、路上演劇祭でも上演する「瞽女」という演目だった。
出演者はすべて女性。
瞽女(ごぜ)とは盲目の女性芸人のこと。
そして、次はもうひとつの上演演目である「水底のうた」。
こちらは場所をとるということですぐ隣の体育館で行う。
こちらの出演者はすべて男性。
内容は21日のモール街に来てください。
普段は劇場で照明等舞台演出の中上演されることがほとんどで、今回のように路上で行うのは初めてということ。
不安でもあり、だからこそ楽しみでもあるという。
相変わらずオレは圧倒されていたままだった。

後編に続く。





 

からっかぜアトリエで絡繰機械’S「DUAL」を観た2

カテゴリー │演劇

演劇とは何もない空間をいかに埋めるかということ。
そのために劇場があり
戯曲があり
役者がいて
衣装があり
美術があり
照明があり
音があり・・・。
それらすべてを埋めようとすると
予算や
時間や
能力や
気力・・・
を理由にしたり。
これは必要なくて
こちらに特化させるのだ
と、『ウチの売り物』を成立させることにまい進したりする。
観劇すると、
「これは埋まってないなあ」
と思ったりする。
アマチュアだから、プロだから、
というのではない。
今は劇団単位でなくプロデュース系の公演も多いから、
よく顔の知れた人気がある役者を集めたりする。
すると、これうまく組み合ってないなと思うことも多い。
また1か月以上のロングラン公演だったりする。
観客が観に行くのは多くはその1日で、
公演する側は毎日観客にとって特別な1日になるようにやっているのであるが、
プロ野球のレギュラーシーズンの1試合と日本シリーズの1試合が違うというようなことはある。
今回『DUAL』を観て感じたこと。
それは「埋まってるなあ」だった。
劇場も
戯曲も
役者も
衣装も
照明も
美術も
である。
『DUAL』

双数
二元論
二重性
生きるか死ぬか
与党と野党
右手と左手
二卵生双生児
対立するイメージの時もあるし
並列するイメージの時もある。
今までの絡繰の作品と異なる点がひとつある。
それはモチーフを他作品から借りているところだ。
こちらも2という数字がつきまとう。
一作目『ナイフ投げ師の犯罪』はスティーブン・ミルハウザーの『ナイフ投げ師』と志賀直哉の『范の犯罪』と言う作品を掛け合わせたということだ。
二作目『通行のルール』は伊坂幸太郎の『週末のフール』と松本俊一(絡繰機械’S)の『ガードマンのお仕事』という作品を掛け合わせたということだ。
すべて原作はよく知らないが、十分オリジナル脚本になっていたと思う。
しかし、モチーフをどっしりと得たことにより、脚本はどっしりとした構造を持ち、劇団全体がそのことにより感化され、影響を受け、すべてが良い作品を生み出す方向に向いていたと思う。
そこに劇団が今まで積み上げてきたものが集約されていたと思う。
それが、地道に積み上げて来たものなのに
『生まれ変わった』
と感じたのかもしれない。
役者もずいぶんと発見した気がしたし
衣装も気がきいているなあとか
音源もいったいどれくらい聞いて探したんだろうとか
場所もいかされているなあとか
銀のパイプに頼ったシンプルかつよく説明している美術もよく発見したなあとか。
こちらも考えることが多かった。
こういった成果はプロの芝居だからとか予算がかかっているからとかで得られるものではない。
得てしてそういうものはそれそれの事情が絡んだりもして、作品としてバランスが悪くなったりする。
功を奏するのは芝居を作る「純粋さ」だったりする。
その純粋さを信じよう。
自らに向けそう思った。
震災後の今思った。











 

3月26日からっかぜアトリエで絡繰機械’S「DUAL」を観た

カテゴリー │演劇

先月26日(土)磐田で10時~17時までからころ公演の練習を終え、車を走らせ、浜松を西へ西へ劇団からっかぜアトリエへ。
19時開演までにしばし時間があったので近くの西友で飲み物とか買う。
彼岸は過ぎたと言え、夜になるとけっこう寒い。
会場であるアトリエに入ると毛布支給の用意がされている。
当日予約のチケットを購入した後、毛布受け取るべきか受け取らざるべきか一瞬迷ったが、春真っ盛り、そこそこ厚着をしてきた準備への安心感に表向きは毛布の存在を無視し、会場へ。
開演ぎりぎりに入ることも多い俺が、その日は早めに会場付近に到着したためか、開演までまだ間がある。
会場もまだ空いた席が目立つ。
知った顔何人かにあいさつして、前から2列目に座る。
座ってパンフや挟み込みの他公演のちらしをながめていると、いらぬ心配が頭をもたげてくる。
ここに座っているだけしかできない観客のオレは今はまだいいが、開演の時間まで待ち、もしかしたら開演時間が押し、しかも今日は短編とはいえ2本立て・・・暖房はなし・・・開演すれば照明がパッとあたり、本来照明は舞台上の役者ら照らすものであるが、余韻で観客であるオレたちにも暖かさ、もっと言えば熱さを届けてくれるのではないか・・・。
とはいえこう言う時一番の心配は・・・オレのあれ、我慢できるのか??できないのか??
すぐ前の時間を思い起こす。
確かに最寄りの西友で寄ってすませた。
そのうえ、眠くならないように顔も洗い、風邪対策でうがいも入念にした。
ホットの缶コーヒー買ってくればよかったかな。
もし買ったとしたら、今頃ここで暖かいコーヒーを飲める。
まてよ、でもここでコーヒー飲んだりしたら、観劇中、もよおしてしまうのではないか??
オレのあれよ。
決して劇の内容よりも『こちら』ということがないように。
もっと言えば、劇のさなか、恐縮しながら、会場を出て、駆け込むことのないように。
持ちこたえてくれ!!
開演が少し遅れることのアナウンスとともに、客席の有効活用のためにまん中に詰めて欲しいと伝えられる。
知り合いがオレの横に座ることになった。
彼はニコニコと笑いながら、入口で受け取った毛布を手にしていた。
開演を待ちながら少ししゃべりながら、オレはついに口にした。
「毛布もらってくる」
戻り、「お好きなのどうぞ」という言葉に、迷うことなくピンクの可愛らしい毛布を手にすると、再び席についた。
よし、これで準備ができた。
軽くそんなことを思った。


以上「開演前篇」です。
「開演後篇」は次回に続く。






 

9日、からころ公演「だいじょうぶ」が終わった

カテゴリー │からころ

9時ゆやホール集合。
受付準備後、準備体操・発声。
10時ゲネプロ開始。
本番前照明を入れるのはこの時のみ。
少しチェック。
12時昼食。
各自練習。
13時30分開場。
14時開演。
終了後、楽屋にてお茶会。
さしいれありがとう。
18時からおとなたちで食事会。
もう1件寄って、磐田駅から東海道線で浜松に帰る。
翌朝7時26分の東海道線に乗って平塚まで行く。

写真はからころメンバーが本番当日朝までかかって作った東日本震災のための募金箱。
イラストはからころメンバーらしい。
当日じゃなくもっと早く作れよ!!
ご協力ありがとうございました。