シネマe~raで「ナニワ・サリバン・ショー感度サイコー」を観た

カテゴリー │映画

28日(金)20時20分~
1週間の上映で、金曜が最終日。
しかもその日の最終上映。
終了後、表でポスターの写真を撮ろうと思ったら、すでに外され、明日からの上映作品に変更されていた。
忌野清志郎が多彩なゲストと繰り広げた大阪城ホールでのライブ映画。
年度が違う3度に渡って開催された。
ナニワ・サリバン・ショーのことをほとんど知らなかったので、映画で流されるのは同じ日のライブの映像化と思っていた。
例えば、斉藤和義など、髪型がまったく違ったので、髪が長いのはカツラをかぶっているのだと。
まあ、そんなことはなく、2001、2004、2006に行われたライブ映像を元に、出演者が順番にラジオのDJやスナックのママや宣伝カーのウグイス嬢や大阪の街にたむろするおっちゃんや歌ううどん屋や走る間寛平として、アイダをつなぐ。
最後は仲井戸麗市(チャボ)が友人として締める。
それら映画のために撮影された今の姿に清志郎の姿はない。
ご承知のように2009年になくなっているのだから。
GW前の金曜夜の映画館は思った以上に観客がいたと思う。
年齢層は高めだが、若い人も多くいた。
ライブ会場ではうるさい観客も映画館では静かだ。
ときおり、大阪ならではの笑いを意識したつくりに、笑いも起きるが、ここ浜松では静かめだ。
ライブのクライマックス映像では出演者たちが並び「雨上がりの夜空に」を歌う中、間寛平がアメママンの姿で現われ、一同、吉本ばりにずっこける。
映画では、ライブ会場にひとり走ってかけつけるという映像と組み合わされる。
ラストに間に合い、アメママンとして登場するというつくり。
近頃ラジオで矢野顕子と清志郎の「ひとつだけ」を何度か聴いた。
リリースされたばかりなのか、以前のものをたまたまラジオでかけたのか知らない。
この映画で同じセッションで同じ曲を聴けた。




 

劇団B級遊撃隊「土管2011」を観た

カテゴリー │演劇

22日(日)9時集合。
俺待ち合わせ時間に遅れたのでのちほどみんなに食後のコーヒーおごる。
東名高速で名古屋へ。
会場である姫池052スタジオは1階に会社があるビルの2階にある小さなスペース。
2階の会場にもトイレがあるが、受付のある1階でトイレを借りると、1階にある会社の事務所を通り、会社のトイレを使う。
どこかの会社の。
日曜日なので休みの会社の。
事務用品や書類が生々しい会社の。
ひさしぶりに座っていて両肩が隣の客と重なる会場だった。
隣の人の肩が後ろ目にある時は、自分の方は前目に浮かす。
隣の人の肩が前目にある時は、自分の方は後ろ目に落とす。
これが右隣と左隣の両隣ある。
もしくは両肩を縮めて当たらないようにする。
重ね重ね、雨による湿気と換気の悪さと狭さから暑さ注意のアナウンスがされる。
水分補給はOKということなので、手には水のペットボトル。
上演時間1時間40分というので、心構えをし、臨戦態勢、いや、観劇態勢。
が、徐々に慣れてきて、作品には比較的集中できた。
部屋にある流しの上に土管が突き刺さっている。
そこから何かが落ちてくる。
ブロックであったり
ペプシのペットボトルであったり
猫であったり
血のついたティッシュであったり
人間であったり。
舞台上には2つの世界が混在する。
土管の出口である部屋と
土管の入口であるとある世界。
作者である佃典彦氏の初期の代表作であり、3度目の上演という。
内容は全て違うと言うので、未見であり戯曲も読んでいなく、1作目、2作目の内容はよく知らない。
もっと現実的な話かと思ったが、とてもファンタジー。
注意深く、怪しい響き音の他は音を使っていなかったが、ラストにRCサクセションの「イマジン」が流れる。
「カバーズ」というアルバムの中で忌野清志朗が歌うジョン・レノンの「イマジン」のカバー曲。
天国も国境もなく、ただ、空と地球があるだけ、と歌っている。
僕らは薄着で笑っちゃう~ 
あ~あ~ 笑っちゃう~
と歌っている。
1日雨だった。
妙に姫池052スタジオと合っていた。
この日の作品とも合っていた。
帰りは東名高速から途中第2東名へ。
新しい浜松サービスエリアで休憩、というより見物。
高速からおりると都田の山の中。
浜北の次郎柿の畑が立ち並ぶ細い山道を降りていくとフルーツパーク付近に出る。
ほとんど通ったことのない道だったので、高速とのギャップに驚いた。

受付の様子↓















姫池052スタジオ↓



 

新聞が頭の人??

カテゴリー │路上演劇祭

21日土曜日
ゆりの木通り近く
赤電下
第一通り駅すぐ
うわさの人
新聞が頭の人
通り過がりに振り向く子ども
毎月第3土曜日15時より(来月以降もあり)
雨天中止

見物後、有楽街を見に行く
ベニにてお茶
18時より青少年の家で路上実行委員会

この方も5月19日(土)13時~18時30分有楽街で行われます路上演劇祭に出ます。
姿は別でしょうが。大トリのラスト出演。




 

浜松百撰4月号で路上演劇祭浜松の対談が掲載された

カテゴリー │路上演劇祭

ただ今発行されている浜松で発行されている浜松百撰の紙面で「まちの盛り上げ隊」ということで、実行委員長の里見のぞみさんと僕の対談が掲載されている。
3月の平日夜、浜松百撰の編集室におじゃまし、編集者のリードにより、対談が行われた。
テーマは来月5月19日に行われる路上演劇祭JAPAN in 浜松。
話は過去のことから、路上演劇に対し考えていることまで及ぶ。
19時におじゃまし、あ、すみません。
何時まで話したか忘れてしまいました。
いろいろしゃべったうちのほんの一部。
編集者も大変である。
録音したテープから起こし、まとめる。
与えられた3ページの紙面にふさわしく。
僕は「オフレコですけど」
と何度か断ってしゃべったかと思う。
それが無駄であったかどうかはわからないが。
お世話になりました。
4月も半ばを過ぎましたが、どこかで見つけられたらご覧ください。
浜松百撰会員店の店舗等に置かれているかもしれません。




 

「音とつながるヨガ」に参加した

カテゴリー │こんなことあった

15日(日)16時30分~
浜松市中区曳馬の臨済宗芳広寺派 松寿院にて。
俺、ヨガ習うの初めて。
テレビでやるヨガ真似ごとでやることはある。
でも、芝居やる前、ストレッチだか、体操だか、ヨガ的に柔軟やら呼吸を意識的にしたりする。
16時の開演時間をすぎて、会場である広々としたお寺の本堂に入ると、すでに多くの人がいる。
思い思いの位置にヨガマットを敷き、指示があったのか、正面のご本尊を中心に放射線状にマットは並べられている。
そして、ご本尊の前にはシンセサイザーと立てかけられたアコーステックギターが置かれている。
ヨガの講師は清水麻美さん。
演奏するのはSTILL POINTという二人組のミュージシャン。
ぜいたくなことに、ヨガが始まるとBGMに生の演奏がつく。
これは相当良かった。
およそ1時間30分のヨガ体験が終わると、今度はお茶タイム。
自然食品で作られたと思われるスゥイーツが販売されている。
値段も手頃で、やたらうまそうに見え、「春野菜の・・・豆乳・・・なんとか?」(300円)を購入。
調子に乗って、最後には200円の(うずまき模様)クッキーも購入。
豆乳・・・なんとか?甘いと思ったら、しょっぱかった。
スゥイーツというより、おかず。
(俺、スゥイーツとたぶん発語したことないと思う。冗談ではあるかも。いつからか甘いものはスゥイーツと言うようになった。デザート、甘いもん、菓子、いろいろ総称する言葉はあるだろうが、言葉を聞くより、雑誌など活字で見る機会の方が多いかも)
お茶タイムが終わると、STILL POINTの演奏。
冒頭、楽に自由に聞いてくれるようお願いのコメント。
途端にみんな聞く態度を改める。
足を崩す。
横になる。
仰向けになる。
こんな時、畳敷きの本堂はありがたい。
演者のまわりに和紙で作られたランプシェイドが並べられている。
火種はロウソクだ。
日はどんどん暮れていく。
ロウソクのあかりのみになる。




 

過去のからころDVDを観た

カテゴリー │からころ

14日(土)14時~からころ定例会

実は7年間続いてきたいわた表現の会からころの公演が今年は今のところ予定はない。
毎年この時期、春、ゆやホールで行ってきたが、今年はいろいろと都合がつかず、一旦休みとした。
昨年は4月8日に公演をした今の時期も試行錯誤の稽古が続く。
今回はからころの過去の公演のDVDを観た。
観終わったのが、17時ぎりぎりだったので、感想を聞くことができなかった。
観たのは第2回公演の「野菜の気持ちもわからない」と第4回の「小豆をゆでる日」。
終わった後、磐田のガストでお茶。
その後、浜松に戻り、別の用でデニーズ。
ファミレスはしご。




 

シネマe~raで「ひまわり」を観た

カテゴリー │映画

8日14時10分~
からころのメンバーと「ひまわり」を観た。
からころで、映画をモチーフにした短い芝居が出来ないかと提案している。
モチーフとする映画は
いい映画音楽があること。
「ひまわり」はぴったりである。




 

tsumazuki no ishi「ストレンジャー彼女」を観た

カテゴリー │演劇

tsumazuki no ishi は劇団の名前。
日本語にすると「つまずきの石」。
29日14時~新宿三丁目駅ちかくのビル地下1階にあるSPACE雑遊にて。
雑居ビルが連なる一角の小さなスペース。
受付も建物の外にテーブルと椅子を置き、やっていた。
会場の壁には青いブルーシートが貼られている。
スモークがたかれ、軋む音が聞え、異界に連れて行かれる。
が、場所はエレベーターの中。
再開発が頓挫し、工事が中断されたままのほったらかしにされたビルのエレベーター。
そこに主人公のクマコは住みついている。
ひとりで。
ところがそこには同居者がいて来訪者も現われる。
それらはクマコが呼び寄せた霊たちである。
その霊たちはクマコが殺した自らの子どもたちであり、地底人ポール(映画宇宙人ポールからきている)であり、人を殺してみたい女の子だり、彼女にとってのヒーローサカキバラセイトであり、看護婦や死人や蕎麦屋でなくうどん屋などにカラダを借りた霊である。
彼ら彼女らは何をするのか。
話をするのである。
カフェで話をするママ会のように。
旧交をあたためあう同窓会のように。
地底人ポールの軽妙かつクールな進行で。
「ストレンジャー彼女」のタイトルがいいのかどうかわからないが、
ストレンジャーといえば、ビリー・ジョエル、そして、カミュの「異邦人」。
見知らぬ人、よそ者、異国人・・・主流でない世界を描いているのは確かである。
世界はいろいろで成り立っている。





 

東京国立近代美術館で「ジャクソン・ポロック展」を観た

カテゴリー │いろいろ見た

東京国立近代美術館にて。
初期は形のある具象画を書いていたが、段々と形あるものは消えていく。
そして、ポロックの全盛期と言われる時代を迎える。

床に敷かれたキャンパスに絵具を直接注ぎこむように、線をそして、色を重ねていく。
批評で、カオス(混沌)だと言われると、「これはカオスなんかじゃない」と反論する。
偶然の産物ではない。
考えつくされた意志のある線が重ねられ全体を形作る。

様々な色が使われ生命力にあふれていた作品が、黒を基調にした時代へと写る。
それはそれで、東洋の水墨画や、書を彷彿とさせ、黒の絵具を使用しているのだが、まるで墨を使用しているように錯覚する。
それは最初アメリカ先住民の絵やメキシコの壁画、そして西洋のピカソに影響を受けた作家が東洋思想に影響を受けたようにも思う。
しかし、のちに作品を生み出すのに苦労するようになり、アトリエに出向くものの筆を持たずに戻ってくる日々も続いたと聞く。
そして、飲酒運転による交通事故で世を去る。




 

あくまでもウォーキング

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

あくまでもウォーキング
                              フィールド  寺田景一

僕が東京へ行くのにはいくつかの理由がある。理由のひとつは歩きに行くことだ。
例えばつい先日1泊で東京に行ったが、こんな感じだ。

朝早く浜松を出た東名バスに乗り、東京駅日本橋口で降りる。歩いて銀座まで行く。途中、大黒屋でその日行われるマリナーズ×アスレチックス開幕の外野席が五千円で売られている。
工事中の歌舞伎座のあとを通る。
築地まで歩いて海鮮丼でも食べようと思ったが、「ナイルレストラン」が目に入る。
日本初のインド料理屋と言われる「ナイルレストラン」で昼を食べる。
入った途端、「ランチ?」と聞かれたので、考えることもなくそれにする。
浜松に戻り10年以上前のガイドブックを開いたら、地鶏のカレーとギー(バター)ライスと温野菜を一皿に盛ったギ―ランチが掲載されていた。

世界最大と言われるユニクロ銀座店の前を通る。
誰かが会話の中で「世界最大なんだって」と話しているのを二度聞く。
ビルの上から下まで高級クラブやスナックの名前で埋まる歓楽街を通る。
昼間はもちろん閑散としている。

東京駅付近に戻り、帝国劇場あたりを歩くと、堂本光一主演の「エンドレスショック」や「ミス・サイゴン」、松任谷由実や貫地谷しほりが出演するという「夏休み最後の日」という公演のポスターが貼られている。(ユーミンが演劇?)
公演中、これから公演とさまざま。

皇居周辺の地下鉄竹橋駅近くの東京国立近代美術館に向かう。
ジョガーたちが何人も通り過ぎる。
観光客たちが皇居に向かう。
美術館ではアメリカの前衛美術家ジャクソン・ポロックの展覧会が開かれている。
これは出発前から行こうと決めていた。
17時閉館の美術館を出る。
あとは電車で宿に向かう。

という具合に歩く。
日ごろ運動していますか?
これは健康診断を受けると突きつけられる問いだ。
運動?してないなあ、途端に他の代替をひねりだし、「俺、ウォーキングしてるかも」と安心する。
そんな自分への言い訳とぼんやりとネタ探しと称して、「ぶらタモる」。

2日目は池袋の宿から新宿から小田原まで通る小田急線の喜多見に向かう。
喜多見駅は大学時代、住んでいた最寄駅だ。
ちなみに高級住宅街成城学園前のとなり。
大学に通っていた時以来、降り立つ。
思いついて、住んでいた所をたどってみようと思った。

先ず降り立ってみて当時と違うこと。
高架化されていた。
だから駅前の様子は全く異なった。
ミスタードーナッツがあり、マクドナルドがあり、ちりめん亭があり、餃子の王将があり、ドトールコーヒーがあった。
以前はなかった。
恐るべしフランチャイズ。
食材などを買っていたスーパー「サミット」はあった。
立て直されてはいたが。

右へ向かうか左へ向かうか少し迷ったが、間違いなく住んでいたのは駅から南だ。
歩き出す。
不動産屋で借りた当時駅から徒歩15分となっていた。
だから僕の頭の中では今でも徒歩15分。
毎日ほぼ歩いて通ったにも関わらず、部屋までの道筋は頭に浮かんでこなかった。
断片はある。
でも断片はうまくつながらない。
そこは思い出すのに頑張らず、とりあえず歩き出す。

必ず渡った世田谷通りを渡る。
覚えがある痕跡はあるのだが、住んでいた場所はなかなか見つからない。
目安とされた15分はとうに過ぎている。
目安はある。
最寄駅は喜多見(世田谷区喜多見)だが、住んでいたのは東京都狛江市岩戸南。
歩けど住所表示は世田谷区喜多見だった。
角曲がれど、戻れど。
左右見れど。
と、挙動不審気味に歩いていると、「見つけた!」。
"岩戸南3-6"の電柱の住所表示。
『開く』という言葉はこんな時のためにある。
開拓、悔恨、開示、開放、窓を開く、心を開く、道が開ける、夢が開く、明日が開く、前途が開く、世界が開く、地球が開く、宇宙が開く・・・。

要は、「ああ、ここだ」と合点が行った。
曲がり道に雰囲気はあったが、建物はなかった。
今ある建物を見て、多分ここ、と確信はある。
遊びに行った近くのアパートの付近を認識し、通った銭湯を確認した。
銭湯はまだあった。
向かいのコインランドリーもそれらしかった。
世田谷パブリックシアターで行われるイギリスの女優キャサリン・ハンターの一人芝居「カフカの猿」のチラシが区の広報として貼られていた。
ふさわしくはなかった。

駅方面に戻った。
世田谷通りへ出ると、見おぼえがある道を見つけた。
二の橋通りと表示されていたが、名前は覚えていなかった。
でも確かにここを通り、駅へ向かい駅から向かっていた。
すべての街灯にJリーグのFC東京のフラッグが取り付けられていた。
東京だから別にいいのだが、なぜこの通りにFC東京一色?と思ったがそれ以上は知らない。

多くの店は覚えがなかった。
よく行った定食屋はまだあるようだった。
もうひとつ通っていた銭湯はすでになかった。
道を外れようと思った。
よく行った中華料理屋があるか確かめたかった。
あった。
店の名が「栄華」であることは当時知っていたような気もするし、知らなかったような気もした。
名を呼んでいたような気もするし、呼んでなかったような気もする。
昼の開店時間までにはまだ時間があった。
駅前のミスタードーナッツで本を読み時間をつぶし、「栄華」に向かう。
「栄える華」か。
特別意味は考えない。
注文は決まっていた。
肉豆腐ライスである。
まだメニューとして存在するとしたら。
ここがかつての店で間違えないとしたら。

栄華後、新宿のSPACE雑遊というところで行われたtsumazuki no ishi という劇団の「ストレンジャー彼女」という公演を観た。
呼び出された霊たちが討論し合うという暗くてでも楽しい芝居だった。
これに関してはチケットは前々日自宅のパソコンから予約した。
本多劇場で大人計画やコクーンで深津絵里のガラスの動物園とかも公演中だったが、前売りは完売だった。
以前劇評のワークショップでお世話になった評論家の安住恭子氏から名を聞いたことがあったなと思い、選んだ。
栄華の肉豆腐ライスは当時と同様、あり、ご主人もお元気そうで、肉豆腐ライスは記憶以上に量が多く食べるのに苦労した。

5月19日に路上演劇祭があり、多文化ワークショップを元に上演するという企画を手伝う。
会場である有楽街を歩くことから作品につなげようという試み。
ということもあり、こんなことをしたと思う。
僕の中ではあくまでも健康つくりのウォーキングの位置付けだが。

  (平成24年4月1日号 静岡県西部演劇連絡会会報原稿)

写真は「カフカの猿」




 

シネマe~raで「いちご白書」を観た

カテゴリー │映画

3月27日、「いちご白書」を観る。
「いちご白書」と言えば、松任谷由実が作詞作曲し、バンバンが歌った「いちご白書をもう一度」だ。
もちろん1970年作の学生運動を描いたアメリカ映画「いちご白書」に触発され、松任谷由実が当時曲にした。
日本でも安保闘争、1968年から69年の全共闘運動の時代に現われた青春映画。
1968年にコロンビア大学で実際いに起こった学園闘争を元に映画化されたとある。
ボート部の体育会系のノンポリ学生サイモンがストライキで学園を占拠した学生運動に参加することになる。
そこで学生運動に熱心な女子学生リンダと出会う。
学生たちは体育館に何重ものサークルを描いて座りこみ、床を叩きながらジョン・レノンの「平和を我らに」を歌う。
そこに武装した機動隊がひとりひとり床からひきはがし、逮捕していく。
かつて、深夜にテレビ放送で観たことがある。
昔のことであり、内容はあまり覚えていない。
ジョニ・ミッチェル作、バフィーセントメリー歌の「サークル・ゲーム」。
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングや二ール・ヤングの曲。
などが流れるが、それぞれの和訳が画面に流れる。
それらがまた時代を浮き彫りにする。
観に来ている人たちは僕の上の世代、つまり映画の登場人物と同世代のひとたちだった。
たぶん、この映画をかつて観た人たち。
ひさしぶりに映画を観てどう感じただろうか?
どんな事情か知らないが「いちご白書」は世界中でDVD化されていないそうである。
あまりよく知らない世代の僕はどう感じたか。
ボブ・ディランではないが「時代は変わる」だろうか。
チラシに日本中が熱かった時代とある。
映画を観ながら考える。
共感をするか?
そうでもない。
でも苦いね。
うまくいかないね。
でもうまくいくこともあるね。
今の時代の映画とはなんだろう?