天神蔵で即興芝居「くらだし」を観た

カテゴリー │演劇

22日(土)17時~
シチュエーションだけ決めて、
あとは役者次第の完全即興芝居。
以下、ジャンルとタイトル。
その1 【時事】 「そうしても選んでくれなかったノダ」
その2 【ハイテンション】 「最高の酒」
その3 【男と女】 「忘れられないクリスマス」
その4 【全員集合】 「天神蔵伝説殺人事件」
その5 【お題頂戴】 「未定」→最前列の女子高生からお題が出て、「マリオの休日」
その6 【ふたり芝居】 「はじめての大晦日」

一番のヒットはその5で「マリオの休日」というお題を出した女子高生だったかもしれない。
客席にお題を頂戴して、すぐお題が出ることはなかなかない。
またその気持ちもわかる。
例えすぐ答える人がいたとしても大抵が直近に世間的にあったことやカレンダー的なこと。
この時期だったら、「総選挙」とか「クリスマス」とか。
「きゃりーぱみゅぱみゅ」と噛みがちに言う人もいるかもしれない。
「スギちゃん」はさすがに言わないだろう。
絶対に答えるのは御免だが、僕が万が一指名された時のために思いついたのは
「笑い茸」だった。
大きな意味はないが、なんとなく意味のない笑い声にあふれるといいと思った。
壇上の指名者は「お題を」の呼び掛けに誰も手や声をあげない中、常套手段を取った。
最前列の4人組の女子高生(制服を着ていた)を指名した。
リスクは少ない。
何を言っても笑って済ませられる。
まわりも許す。
すべったとしても、同行者のほかの3人が補てんしてくれる。
結果答えたのが、
「マリオの休日」。
マリオとはご存知ゲームのキャラクター。
日本のゲーム界が生んだ最大のスーパースターかもしれない。
とわけ知り顔で言うが、オレはマリオが出てくるゲームをほとんど知らない。
ゲームもほとんどやらない。
スーパーマリオブラザースはスーパーファミコンが登場して、会社の後輩に使わなくなったファミコンをいくつかのソフトとともに譲り受けた。
そのソフトの中にマリオはあった。
他はドラクエとかあったが、実際やっだのは、唯一自分で購入したソフト、ファミスタとスーパーマリオだけだった。
それについても、上達する前にやらなくなり、いつのまにか妹の専用になっていた。
マリオ以外はピーチ姫くらいしか知らない。
ルイージもクッパも知らない。
だから女子高生が「マリオの休日」とお題をだしたとき、実際にあるゲームだと思っていた。
ところが帰宅してからネットで調べたら、どうやら存在しないようである。
だとしたら、これは相当すごいお題である。
先ずはマリオという確固とした世界がある。
しかも多くのシリーズが出るほど、波及し、ある年代までは圧倒的な知名度があること。
知名度があるということは物語やキャラクター設定が知られているということ。
つまり、桃太郎のような存在だ。
ドラえもんのような存在だ。
そんなどっしりとした物語世界を味方につけ、出演者たちは遊ぶ。
「マリオの休日」という芝居を演じる。
あるものは鼻をつまんでマリオがジャンプする音を練習する。
あるものはピーチ姫になりたいけどなれない女。
あるものはルイージ。
あるものはルイージ役を奪われた男。
ルイージとはマリオの仲間のようだ。
あるものはクッパ。
クッパは火を吐き、マリオの敵のようだ。
そしてマリオ。
ところがマリオは休日。
ゲーム通りやらなくていい。
キノコを食べなくてもいい。
マリオにもいろいろ葛藤があるらしい。
それら設定が即興で立ち上がってくる。
仲間であるルイージ。
敵であるクッパ。
主役はもちろんマリオ。
物語構造ができあがる。
起承転結とともに物語は展開する。
だからマリオの設定を知らないオレも出演者たちは理解したうえで表現しているから、よくわかった。











 

演技ワークショップに参加した

カテゴリー │演劇

16日10時~19時
浜松開誠館高アリーナ
「遠藤部長は昨日クビになりました」作:澤根孝浩

演出:布施(劇団からっかぜ)
チームでやった。
劇作ワークショップで選ばれた4作を6人の演出家チームに参加者たちはわかれて芝居作りをし、1日で発表までする。
終了後、ファイナルイベントの部会。









 

路上演劇祭 浜松 街歩き

カテゴリー │路上演劇祭

15日(土)15時に2012年の路上演劇祭の会場である有楽街に集まり、来年の会場を決めるための「街歩き」。
毎年恒例となっている。
例年は年が明けてだったが、今回は年内12月に行う。
というのも、ひとつの転換点であるからだ。
今までの実行委員長が実行委員会から抜けてからのはじめての路上演劇祭。
ただし、例年ならおよそ決まっている開催日が決定していない。
候補は5月12日(日)か6月2日(日)。

有楽街

肴町

ゆりの木通り

第一通り高架下

モール街

ソラモ

遠鉄バスターミナル

アクト広場

とまわり、場所は第一通り高架下の方向で。


実行委員募集中!!


 

浜北文化センター小ホールでM-planet 「たいむまじん」を観た

カテゴリー │演劇

9日(日)18時~
公演チラシには地球を表していると思われる球面を時計の盤面に見立てて、2本の矢印、短針と長針が描かれている。矢印はともにまがりくねり、その出所にはまるでへその緒がつながっているかのように眠る赤ん坊がいる。
(説明がわからなかったら下記の写真をみてください)
多分言いたいことはこのチラシに現われているだろう。
主人公であるゲンが如何に生きていくか、である。
ゲンという名は原子力のゲンかもしれない。
ミナモト、源のゲンかもしれない。
元気のゲンかもしれない。
限界のゲンかもしれない。
現実のゲンかもしれない。
そこに込める思いはよくわかる。
ゲンが如何に生きていくか表現するために道具立てが用意される。
未来の自分だと言うおじいさんが現われる。
おじいさんはおまけに「たいむまじん」と名乗る。
タイムワープの開発を手伝う助手がいる。
過去をさぐる探偵と刑事がいる。
ただし道具立てはあくまで主人公の物語のための道具にすぎない。
タイムワープは自分探しの旅とも思えたが、どちらかというと出生の謎に行きつく。
つまり自分とは関係がない。
主人公が自ら行動すると言うより、他人に巻き込まれていく。
動くのはまわりなのだ。
時計を巻き戻すように主人公が行動をしはじめたら、どう変わっただろうか。









 

浜松市での家庭教師は「家庭教師ステーション」

カテゴリー │仕事

僕の仕事に関するご案内です。
ホームページを作成させていただいた家庭教師ステーションさん。
代表はかつて「ランチ海岸」という芝居をやった時、お世話になりました。
浜松市を中心に静岡県西部、愛知県東部にお住まいで、
子供さんの教育にお悩みの方はぜひ家庭教師ステーションにご相談ください。
長年の経験と真心あふれる対応が、きっと悩みを解決します。
これから受験の季節。
最後の追い込みに何をやるか!!

http://k-station.jp/faq/index.html
















 

スペースCOAで札幌ハムプロジェクト「パレパーレ星の新しい生き物」を観た

カテゴリー │演劇

9日(日)14時~
「札幌ハムプロジェクト★東京の人と旅公演」の内の浜松公演。
他は札幌、池袋、三島、松本、新潟、富山、福井、岐阜、名古屋。
北海道からワゴン車1台で行きます、とある。
今回の浜松公演はキャストが10人。
各地でメンバーが違うらしい。
脚本・演出はすがの公さん。
奥さんが浜松出身であることを盛んに言っていた。
開演前のPC画面に映し出されるビデオ映像による注意事項は
奥さんが生まれたばかりの子供をあやしながらアナウンス。
BGMのもろびとこぞりてとともに何度も流れた。
8歳のパレパーレには三つの顔がある。
プロパーレとヒゲパーレとワルパーレ。
88歳のぺルぺルパがにも3つの顔がある。
チビぺルパとロボぺルパとスーパーぺルパ。
2人が出会うのはとある病院のお祈りの部屋。
そこには覗き穴があって・・・。
2人は新しい生き物をさがす旅に出る。
部屋の中ではあるが・・・。
幕や舞台や衣装や道具とともに旅公演をする。
だから今回のカンパニーの移動はワゴン車1台ではないだろう。
浜松の翌日の名古屋公演を終えてフェリーで札幌へ帰ると言っていた。
フェリーの航路は知らない。
東京組もいるので、帰り方はバラバラかもしれない。
終演後、しばらく会場の外で話をした。
「浜松はいつもこんなに寒いのですか」
と言われた。
「浜松は昔プロ野球の中日がキャンプをはったくらいなので比較的暖かいはずなんだけど」
と答えたが、この日をはじめここ最近平年より寒い。
18時からは浜北へ向かいMプラネットの公演を観る。




 

浜松市福祉交流センターホールで劇団からっかぜ「ら抜きの殺意」を観た

カテゴリー │演劇

8日(土)18時30分~
からころの定例会を終え、いったん自宅に帰り、自転車で会場へ。
ホールの駐車場は満車だった。
自転車で走るすがらの駐車場も週末夜のためか満車ばかりだった。
ゆうゆうと満車のホール駐車場のわきの駐輪場へ止め、会場へ。
11月にアトリエ公演を観た同じ演目の作品。
つまり2度目の観劇。
キャパ80位のアトリエからキャパ600のホールへ。
セットも演技も会場にあわせてバージョン変更。
広い会場でより役者たちの演技が際立っていたと思う。
言葉使いのちがいというテーマもこの日の客層にもぴったりあっていて、
「あ~なるほど」のつぶやきがあちらこちらから聞えてきたように思う。
つまり、共感と言う見方をがっちりつかみ、観ている方も(特に内容は知っている僕は)安心してゆったりと観ていたと思う。
この作品の発表時(場面設定は1997年12月)はリアルにとらえられたら抜き言葉も15年ほど時間がたち、
20世紀終盤のちょっとした時代劇を観るような安心感はより登場人物の人間模様を浮き彫りにしたと思う。





 

書きたいこと

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

書きたいこと                                                                                                            
                                             寺田景一


戯曲を書く時、「何を書きたいのか」は常に問われる。
そういう状況に置かれた時、いつも思う。
僕には「書きたいことなどない」。
昔読んだ映画について書かれた本で、無人島にいたとして、そこで映画を撮るタイプの監督と撮らないタイプの監督がいる、という文脈で映画監督の名前が挙げられていた。
ここで監督の名前は挙げないが、僕は放っておいたら戯曲を書くのだろうか、と自ら問うたら、間違いなく、「書かない」と答えるだろう。
無人島にいたとしたら、の例は実際に当てはまることはないにしても、今、目の前の演劇公演の予定がないと、まったく戯曲を書かない男となる。
例えば、根っからの詩人はあふれる言葉を書きつけるだろう。
根っからの絵描きは幾多の素描を描くだろう。根っからの歌好きは浮かぶ旋律を唱えるだろう。
戯作者もおびただしく応酬するセリフや波乱万丈に状況が展開するト書きを書きまくればいいのだろうが、少なくとも、僕は書かない。
役者のイメージに合わせて台本を書く書き方を当て書きというが、劇作家で当て書きをしていると公言している人は多い。
当て書きでしか書かない、だから他の役者で演じられるのは考えられない、と上演許可を出さないことで知られる三谷幸喜。
唐十郎、松尾スズキ、宮藤官九郎、鴻上尚史、渡辺えり、中島かずきも当て書きで戯曲を書いていることを触れている。
シェイクスピアもそうだったらしい。
宮仕えの座付き作家だった彼の作品の多くは他の劇作家の作品や古い説話に依拠して書かれたと言われている。
つまり元ネタがあるのである。
またロミオとジュリエットのロミオもジュリエットも真夏の夜の夢の妖精パックンも演じる俳優に当てて書いたとされる。
これはシェイクスピアが自ら書いているというより、劇団の要請に従って書かされていたと言えるのではないだろうか。
つかこうへいが用いた口立てという演出方法は、彼の戯曲の書き方が当て書きであることを示している。
「作家が机の上で書くセリフは4割、後の6割は稽古場で役者が書かせてくれるもの」と言っている。
稽古初日前に役者に台本は渡すのだが、稽古を重ねるに従って台本は変わって行く。
つかは稽古場でセリフを語り、役者はそれを繰り返し、上演台本が決まって行く。
だから、出版されているつかの戯曲はあくまで(その時点での)とカッコ付けがつく。
その後メンバーが変われば、書きなおされ、全くちがう戯曲になっている。
劇作家とは何なのであろうか。
上演を前提とした劇のための台本を書く人、なのではないだろうか。
上演を前提とするとしたら、そこには姿形をもち、声を発し、動く具体的な役者が存在する。
もっといえば、どんなスタッフとどんな劇場でどんな客が来るかなど、上演に伴うあらゆる条件が関係する。
つまり、劇作家に自由などない。
必要条件があるのみなのだ。
さらにどんな時代で、が加われば、たちまち劇はできてしまう。
もちろん当て書きで書かないタイプもいる。
井上ひさしや永井愛や平田オリザなどはきっとそうなのでないか。
書きたいこと、いや、というより書くべきことを明確に捕え、構成を組み立て、よし、これで行けると確信したら書きだす。
平田オリザは言っている。
「書いている時に、行き詰まったことは一度もない。」
ああ。羨ましい。

                      (2012年12月2日号 西部演劇連絡会会報)

写真は意味なく遠州灘のテトラポッド。






 

中村勘三郎さんを思う

カテゴリー │思うこと

中村勘三郎さんは歌舞伎界だけの人ではない。
歌舞伎界の御曹司に生まれながら、高校時代、唐十郎の芝居を観て同時代の演劇に興味を持った。
20代の時、路上で野田秀樹と偶然出会い、それが縁で仲良くなり、野田の作・演出の歌舞伎作品3本を依頼するまでになる。
2年前にはNODA MAPで2人芝居をやった。
柄本明や藤山直美と芝居をやった。
松尾スズキと芝居をやった。
松尾スズキ作・演出 中村勘九郎(当時)出演のシアターコクーンでの「ニンゲン御破算」を観に行ったのは2003年の2月のこと。
もう10年近く前のこと。(ヤベ、最近のことに感じる)
数えるほどしか歌舞伎は観に行ったことはないが、そのうち2度は勘三郎さんが出ていた。
1度は源氏物語の「末摘花」。
顔はまずいが琴はうまいという末摘花を演じ、琴を演奏した。
光源氏を玉三郎がやっていた。
2度目は歌舞伎座でやった平成中村座の演目、串田和美演出「法界坊」。
勘三郎襲名披露公演を観に行こうと予約しようと試みたが、すぐ完売になりあきらめた。
それも2005年のことだ。
それからあまり歌舞伎を観る機会はない。
(2度ほど1幕見席で他の芝居を観る時間調整で観たくらい)
歌舞伎座の改築が決まってからは新しくなってからとのんびりかまえている。
決して歌舞伎ファンとはとてもいえない。
来年4月には新しい歌舞伎座のこけらおとしが予定されている。
それを前に勘三郎さんは亡くなった。
4月以降、東京へ行ったら、歌舞伎座は連日満員だろうから、せめて新しくなった建物の前をとおりすぎ、思いをはせようか。







 

浜北文化センター小ホールで「高校生選抜公演」を観た

カテゴリー │演劇

1日(土) 西遠女子学園 「道化師~Do you key see?~」
       浜北西     「仮名マスコットproject」
2日(日)  磐田東     「パレード旅団」
       浜松開誠館  「ペクトループ・・・ってあれ?」
 
縁あって劇団からっかぜの平井さんと絡繰機械’Sの唐津さんとともに、各公演について講評させてもらった。
同じ《演劇》というものをやりながら、学生と社会人は通常あまり接点はない。
例えば、高校野球と社会人野球の接点はあるだろうか。
どの世界もあまりないのではないか。
高校演劇なら高校演劇
高校野球なら高校野球
の中で
それぞれの大会があり
たいていはそこで完結してしまう。
大人と言えば
先生と
親くらい。
教育とはこういうものだ。
生徒・先生・保護者の3すくみがすべて。
今回の試みがその枠をぶち破ることになったのか。
まあ、そんなおおげさなものではないが。
そして、フェスのファイナルイベントでささやかな賞を進呈しようということになっている。