19日万年橋パークビル7Fでガチ×ゲキProject「疫病流行記」を観た

カテゴリー │演劇

ガチ×ゲキは静岡文化芸術大学の学生で構成されている。

万年橋パークビルは自走式立体駐車場であるが、上階を解放して、
演劇の練習や公演などに使用されている。
天井があるので、雨の心配はない。
でも、外ではある。

この日は寒かった。
そして、風が強かった。
囲うブルーシートや、黒のビニール袋がバサバサいっていた。
吹きすさぶ風が、寺山修司の世界を体現している、
と捕えれば捕えられるだろうが、
外を歩く以上の防寒をしなければ、上演時間の
2時間は耐えられそうにはない。

客席は三方の舞台に囲まれ、置かれた座布団に座るようになっている。
演技は三方で行われる。
そして、客席の背後でも行われる。
当然、後ろを向かなければ、背後の演技は見えない。

と、客にとって快適な環境ではない。
雨の野外コンサートや、サッカー観戦を思えばいいだろうか。
有度の野外劇場も雨の時は同様の環境になる。

ピッチや舞台に立っている者も観客も共に闘っている。
といえば、聞こえはいいが、
実際はその日のため、多方面から準備がされているので、
お金がかかっている
場所を取ってしまっている
人を投じている
など
の事情で、どんな環境でも
やらざるをえないのだ。
観客もそれを受け入れて楽しんだ方が
丸く収まる。

この日の寒さはともかく、
この環境で公演したのは、
企画者の意図がある。
寺山修司の戯曲を選んだことにも現われる。


寺山修司について、語ろうと思ったが、
少し時間がかかりそうだ。
今日はこれから、家を出て出社しなければばらない。

寺山の時代は
アングラ
カウンターカルチャー
ビートルズ
新しい若者文化が萌芽していく時だった。
そして、世は高度経済成長。
文化の背後に経済がどんどん変わって言った。
地方と都会は近くなっていった。
でもインターネットも携帯もなかった。

そして、2014年に上演される
浜松で学ぶ大学生たちによる寺山修司。
防寒を整えた観客たちより薄着の舞台衣装の役者たちは
観た目的にも当然頑張っていた。
さまざまな表現手段に積極的に取り組んでいた。





 

18日鴨江別館でカフェ・イールに行った

カテゴリー │こんなことあった

鴨江別館でカフェ・イール
一室を用い、開催期間中、カフェを営業。

気のきいたデコレイトがなされ、テーブルやイスがおかれ、子供が遊べるコーナーがあり、
絵本や写真集が所々におかれ、自由に読むことができる。
入店者(入場者)は基本、お茶をのみ、談笑したりして、過ごす。

イベントは参加者が行う、お題自由の「発表」だ。
自らを語ってもいい。
仕事を紹介してもいい。
音楽を演奏してもいい。
自作の詩を読んでもいい。

僕は、ハレロヤでお世話になったしんじさんと、その関連で知り合ったぎこうさんが
ジョイントで発表するのを聞きつけ、やってきた。
開始時間の18時に行くと、知り合いがまったくいず、
まわりの若者たちに話しかける気にもならず、
コーヒーを頼み、ひたすら持参した本を読んでいた。
そのうち、まわりにある絵本に興味を持ち、とっかえひっかえ、めくっていた。

店主らしき人(企画者であろう)に「発表」に参加しますか?
と聞かれましたが、「しません」と断り、「発表」が始まるのを待つ。

そのうち、しんじさんとぎこうさんも来られ、前もってエントリーされていた発表者たちにより、
順に「発表」が始まる。

しんじさんとぎこうさんは
ぎこうさんの自作の短歌を詠むのに合わせ、
しんじさんがビートルズやクラプトンやイーグルスやスティービーの曲を奏でた。

一通り「発表」が終わり、参加者の何人かとしゃべる。
イラストレーターと詩を書く人と新たに知り合った。





 

17日音楽工房ホールで「天使は何を食べている?」を観た

カテゴリー │いろいろ見た

仕事終りの直行で、アクト音楽工房に行きました。
客席も満席で、いろいろな種類のお客さんがいるように感じました。
これも「コラボ」の成果かと思います。
「コラボ」
共同作業。
詩+朗読+写真+生演奏は
戯曲+演技+舞台美術+音響
ともおきかえる事が出来、
そういう意味では
演劇じゃん、
ですが、
たぶん何でもコラボなのだと思います。

例えば、しゃべるという行為でも
その時の感情、事情に伴ったり、
相手がいたり、しかも複数だったり、
相手もいろいろ、えらい人だったり、知らない人だったり、
時にはひとりきりで、理由もなくつぶやかなくてはいけなかったり、
そして、しゃべる内容も、今までの知識、体験の中から、
知る限りの言葉で、
時事ネタだったり、趣味ネタだったり、
数式だったり、化学記号だったり、
個人史だったり、人ごとだったり、
擬音だったり、鼻濁音だったり、
駆使し、
無数のコラボを成し遂げ、
言葉を発するのです。
たとえ、「あ~あ、眠たい」
という言葉を発するにしても。

それを意識するといいな、と思いました。
自分が発する言葉も
無数のコラボから成り立っていること。

そう思うと、意外と悠々としていられます。
たった今、ここにいるだけの存在なのですが、
なにかを、とりこんでいるような気がします。
広々とした気分になります。

今回の公演は自ずと、それぞれがやることを
よく意識されているように感じました。

「書く」
「読む」

そして何より、バックに映し出す写真は
浜松写真連絡協議会の会員60名が撮りためた蓄積のたまもの。
それらが融合して、
パンフの演出、大岡さんの言葉にもありましたが、
それらに、加わり、「背骨を通す」渡会さんの音楽。






 

1月12日シネマe~raで「もらとりあむタマ子」を観た

カテゴリー │映画

1月12日シネマe~raで「もらとりあむタマ子」を観た。

前田敦子が主演の78分の長編映画としては短めの作品。
大学は出たけれど、仕事もせず、家事もせず、父がスポーツ店を自営している自宅でぐーたらしているのが
前田演じるタマ子。
春から始まり、


冬ときて、
次の春が来る時に
家を出ていくという話。

実際に出ていくまでは描かれていないので、
出ていくだろうというところで終わる。

次の道を見つけて出ていくのではない。
夢が見つかったのでもない。

父親から、家から出ていけと言われただけである。
それをたま子は悠然と
「合格~」
と受け入れた。

と書いていたら、観終わった時よりも、
ずっといい映画のように思えてきた。

この後、18時から劇作の会の集まりがあった。





 

昨年12月21日シネマe~raで「袴田浩之 望月治孝二人展 DUO」を観た

カテゴリー │映画

昨年12月21日
望月治孝は静岡で活動するサックス奏者。
映画館の暗闇のなか、カチッカチッとライターをこする音とわずかな火花からシンプルに始まった。
アドリブ演奏のバックに波の映像がかぶる。

映像作家袴田浩之の作品は「背徳の音 3部作」

音と声は違うと思う。
昨年7月に観た「壊滅」は
対話であった。
声の応対があった。
声は人から発する。
その声を廃した時、何が生まれるだろうか。

「背徳」は言葉としての対話がない。
「男」が登場する時は、
ただ一人でたたずみ、
おかれ、
そこにあるのみである。

心の中は知らない。
観ているこちらが考えるだけだ。

「女」はただ裸で、撮影者に撮られている。
撮影者は「男」に撮られている。
が、映画の登場人物として撮られているのではない。
「男」と関係のある「女」として撮られている。
つまり、自分たちを撮っているのである。

声はない。
聞えるのは音のみである。

音の先は
3作目の赤ん坊の声であろうか。
しかし、そこには「男」はいない。
幸せそうな母と子がいるのみ。
「男」はやはり、一人でたたずみ、
おかれ、そこにあるのみ。





 

あけましておめでとうございます。

カテゴリー │思うこと




2014年になりました。

昨年「ハレロヤ」が終わって、後半に行ったところいくつかあるので、
少し振り返るかと思います。