静岡文芸大講堂で劇部コーヒーメーカー「ハックルベリーにさよならを」を観た

カテゴリー │演劇

24日(金)18時30分~
劇部コーヒーメーカーの春季公演。
台本は演劇集団キャラメルボックスの成井豊さんの作品。

ハックルベリーとは、マーク・トゥエイン作の小説「ハックルべりー・フィンの冒険」から来ている、と思う。
が、その説明はあったかなあ。
川下りをするところを重ねているのだろう。

ハックルべりーとトムソーヤーは友だちだが、育つ環境がまったく違う。
トムソーヤが家育ちとすると
ハックルベリーは野育ちだ。
舞台は南北戦争時代、
アメリカの奴隷制度が色濃く出ていて、
決して幸せではない境遇でも
自由に生きるハックルべりーに、トムソーヤーよりも共感をしてしまう。
(すいぶん前に小説を読んだ時)

主役であるケンジの少年時代からの旅立ちをテーマにしている風に感じるが、
実際は大人の事情を描いている。
年齢的にはずいぶんと大人の僕から見ると、
大人の事情も甘い感じがするがどうだろう。

わかりやすい内容なのだと思うが、
観ていて、わかりにくい感じがした。
女性ばかりで、男性役も含め演じた。
そういう事情なのだろうが、異性をやるのはやはり難しい。
難しいということを意識してできるといいと思う。



 

18日は浜松街中街歩き

カテゴリー │路上演劇祭

18日(土)13時に浜松駅北口百貨店前に集合し、
浜松街中を歩いた。
参加者6名。

目的は5月23日の14時~19時に行われる
路上演劇祭JAPAN in 浜松2015に参加する
「はとまとまとつ」の制作のため。
テーマは「浜松」。

遠鉄百貨店前→旧松菱前→モール街→ザザシティ→有楽街→新川モール→サザンクロス

と、今までの路上演劇祭の会場をたどる形で歩いた。

その後、珈琲香蘆(かふぇこうろ)で、どのような台本にするか話し合い。
参加者が手分けして書くことにした。

僕は一応カメラを手に、何枚か写真を撮ったが、
作品にはあまり活かされない、と思う。

今後、数度集まって、作品を作って行く。
発表は5月23日浜松駅北口百貨店前にて。


写真は
上から、4人の古代人→彼らの社交場→道の奥?
路地に入ったら見つけた。









 

「はとまとまとつ」参加者募集!!

カテゴリー │路上演劇祭

加者募集!!  
路上演劇祭で作品を一緒に作りませんか?


タイトル 「はとまとまとつ」

テーマは「浜松」です。
タイトルは、「浜松」を分解してみました。
「はままつ」
「は」と「ま」と「ま」と「つ」
「はとまとまとつ」
分解した上で、浜松を組み直してみる。
浜松に何らかの形で関わる人により、
みんなで、作品にしていきましょう。

作り方
○探す
浜松の街歩きをします。 
4月18日土曜日(13時~17時  その後、食事をしながら話し合いを予定)
   集合場所:浜松駅北口百貨店前
テーマを見つける。気になるものを見つける。
“浜松”‘ハママツ’“はままつ”‘Hamamatsu”・・・を見つける。
ノートをとったり、写真を撮ったり、話を聴いたり、調べたり・・・。
目を凝らし、耳をすまし、手に触れ、味わい、感じとり、見つけましょう。
あなたのとっての“はままつ”。わたしにとっての“はままつ”。

○形にする 
演劇作品を作ります。
スケジュールは話し合いの上、決めます。
集まることができる日は限られているので、無理なく作りましょう。

○上演
5月23日(土)に浜松駅北口百貨店前で行われる
路上演劇祭JAPAN in 浜松2015にて上演します。

連絡先 フィールド  寺田景一   
090-3879-8513 tetora@kyj.biglobe.ne.jp



写真は路上演劇祭JAPAN in 浜松2011 より



 

浜松で演劇を始める

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

■浜松で演劇を始める                  フィールド 寺田景一


東京での学生生活を終え、地元である浜松に就職のため戻ってきた。
一年位は仕事やその周辺の付き合いなどで過ごしていたが、演劇をやりたいと言う気持ちはあったようで、何となく、それに類する情報を探していた。

近ごろなら、迷わず「演劇 浜松」とかで検索するところだが、当時はコンピューターもインターネットも一般向けではなく、情報の入手は自然アナログとなる。
サークルのメンバー募集記事が、タウン誌などに掲載されていて、先ずはそれらを手に取った。

演劇関係の募集でよく見る名前に、「劇団テクノポリス」があった。
また、劇団の主宰者が、タウン誌にコラムを書かれたりしていた。僕は、その募集記事を何度か目にしながらも、連絡をとることもなく、やりすごしていた。

「劇団テクノポリス」がどんな演劇をやっているのか、あまり知らずに、僕は劇団の門を叩くことになる。
普通に電話をかけて、問い合わせればいいものを、僕はよりアナログな手紙を書いてコンタクトを取る。
これは考えてみれば、少しずるい。

思いを一方的に伝えて、相手からの返事を待つ。
今なら、電子メールという方法がある。投げておいて、戻って来るのを待つ、というのは同じだが、手紙は時間と手間が余分にかかる。
切手代もかかる。

主宰者は丁寧に、稽古スケジュールが同封された手紙を返してくれた。
僕は、浜松に戻ってきて、演劇を始めることになる。
「劇団テクノポリス」は元々織物工場であった建物を自前で借りて、稽古場にしていた。

上演は劇団員全員でひとつの芝居に取り組むというのではなく、いくつかのグループに分かれて、行っていた。
例えば、「演劇班」があり「ミュージカル班」もあるとか。僕が指定されたグループは、上演を控えていなかった。
野田秀樹の「走れメルス」の冒頭をテキストに、読み合わせの稽古をやった。

何日か稽古に顔を出したが、そこに物足りなさを感じたのは、僕に理由がある。
まだ何も始まっていないのに、自分で勝手に判断してしまったのだ。
いつの間にか、稽古場に行かなくなり、再びあてもなく、情報誌のサークルメンバー募集欄をめくることになる。

ある日、図書館で、浜松市他のサークル一覧が掲載された冊子を見つけ、演劇関係のサークルを探した。
そこに「劇団踊ら木偶」という当時の浜北市に本拠を持つ劇団があった。
聞き慣れぬ言葉の劇団名を持つ劇団に、やはり少しずるい手紙を送るという方法で連絡をした僕は入団し、何年か在籍する。

すぐに辞めなかったのは、理由を考える余裕を与えられなかったからと言える。
稽古場に顔を出した時、本番を想定した稽古の真っ最中で、入ってまもなく行われた合宿で、役を与えられる。
逃げたくても逃げれない状況に置かれたとも言える。
時期はちょうど今頃。
合宿が行われたのはゴールデンウイークの休み中であった。

(4月5日号 静岡県西部演劇連絡会会報より)