PLATでNoism Company Niigata「実験舞踊vol.2『春の祭典』/『FratresⅢ』を観た

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12月12日(土)16時~
穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホール。
Noism0+Noism1+Noism2による公演。

「春の祭典」は1913年に作曲されたストラヴィンスキーのバレエ音楽。
Wikipedeaによると
「20世紀の近代音楽の傑作に挙げられ、
複雑なリズムのクラスター、
ポリフォニー、不協和音に満ちていて、・・・」

まあ、この紹介文だけでも僕にはすぐに理解できない。
が、雰囲気は伝わる。

モーリス・ベジャールやピナ・バウシュという
バレエに不案内の僕もよく名を知る振付家も
作品化している。

新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあの舞踊部門芸術監督であり、
Noismの芸術監督である演出振付の金森穣氏は17歳で渡欧し、
モーリス・ベジャールに師事し、創作を学んだ。
現在もべジャールやバウシュ作が上演されている「春の祭典」の作品化を躊躇していたが、
東京都交響楽団との共演企画をきっかけに手掛ける着想を得たということだ。
17歳で「春の祭典」に出会って以来、初めて。

その着想は当日配布されたリーフレットで明かされている。

“もし《春の祭典》を演奏するオーケストラが踊り出したら?”

楽譜を分析し、ダンサーに楽器を割り振り、小節ごとに振付を進めていった、そうだ。

僕は振付というものをまともにしたことがないので、
工程は想像するしかないが、
作曲家が楽器ごとにひとつずつ譜面にしていくのと同様の工程を踏んで、
振りを付けていく。

しかしながら、その記事を目にしたのは
観た後の話。
僕は観ている最中、
オーケストラなど思いも及ばず、
『分断』の二文字を頭に浮かべていた。

アメリカの大統領選挙の最中も
よく耳にした。
コロナ禍の今も
よく耳にする気がする。

舞台には男女のダンサーが混在し、
それぞれの性別の違いをを元にした
振り付けがなされる。

女性11名、男性9名。
男性の中には肌の色の異なる外国人のダンサーが何人か含まれている。
その小さな集まりは紛れもなく
今現在を時とする僕たちが生きるひとつの世界だろう。

「春の祭典」の音符が手足を含めた体の動き、振付に翻訳され、
僕は『孤独』『恐れ』『依存』『共闘』『分裂』『役割』
『勝利』『敗北』『融合』『差別』『排除』『叫び』などの文字を
次々と頭に浮かべていく。

「春の祭典」の他、2作品。
「Adagio Assai」
「FratresⅢ」

今回は
2020年6月に本拠地新潟で初演を予定していたが、
延期になった作品のここまでの創作を一つの形として
発表する、プレビュー公演という形を取っている。






 

クリエート浜松で講演会「わたしの城下町浜松~暮らしと美を考える~」後、シネマe~raで「ようこそ映画音響の世界へ」

カテゴリー │こんなことあった

浜松街中へ自転車で出かけた。
12月に入っているが、もっと寒くなると
自転車で行くのは躊躇するようになるだろう。

クリエート浜松で講演会を聞いた後、
シネマe~raで映画を観る予定。
はしごするには自転車がちょうどいい。

12月5日(土)13時30分~15時
クリエート浜松2階ホールで、ふじのくに芸術祭2020の記念講演会。
タイトルは「わたしの城下町~暮らしと美を考える」。
講師は木下直之さん。
静岡県立美術館の館長をされている。

木下さんは浜松駅前の薬局(その前は土産物屋)が生家で、
高校卒業まで浜松で過ごされた。
今はもうそこには薬局はない。

浜松城を出発点とした身近な「美」の発見をテーマとした公演。
浜松城周辺を歩き、
彫刻やモニュメントを見つける。
そして街中に足を広げ、
建築物を見つけ、
ゆるキャラを見つける。

長く浜松に住んでいる僕は
紹介されたものの多くを知っていた。
ただし、浜松城公園に残された
「元灰皿」は、
木下さんの個人史に強く根ざした
美であった。
今度浜松城公園に行った際は
さがしてみよう。

そして、
民衆的芸術、民藝運動の話や
今は統合され名のない元城小1.2年の先生から
毎日作文の宿題があり、
蜆塚遺跡へ行ったとき、
「蜆塚遺跡縄文石器文化時代人生活想像図」という
看板を見て、衝撃を受け、
1ページにわたり、作文を書いたというエピソードが語られた。

有楽街に移動し、
15時55分よりシネマe~raで映画鑑賞。
「ようこそ映画音響の世界へ」は
映画における音の歴史を紹介したドキュメント。

映画は「映像」と「音」の二つで出来ている。
映画の半分は音で出来ている。
考えてみればあたりまえのことだが、
普段映画を観ている時は
そのようなことは頭に浮かべない。

どのように音が作られているか
考えながら映画を観る人は僕を含め
そんなにいないだろう。

今回の映画はそのような映画における
音に全面的に焦点を当てた作品。

トーキー映画ができてから、
どの映画にも映像に加えて
音の録音作業が加わった。
つまり、それに携わるスタッフが加わる。

俳優の声を伝える、
音響効果、
音楽、
それぞれコンピューター技術で加工され、
さまざまな状況にふさわしい音が作り出される。

アメリカの映画産業ハリウッドの
現在まで100年の音の歴史を振り返ろうというのだから、
ボリュームは相当なものになる。
それを上映時間94分に詰め込もうというのだから、
観る方が、圧倒されるのも無理はない。

紹介されるのはどれも名作と言われる映画で、
どの作品も音響技術の進化と共に
創られてきたのだと実感する。

しかしながら、観ている最中は
ひとつひとつゆっくり味わう時間もなく、
情報のシャワーを一挙に浴びた
そんな鑑賞後の気持ち。

今まで観た映画の
音の記憶が呼び起こされる。
観ていない映画も一度観たくなる。
観たことがある映画も
もう一度観たくなる。

そんな映画。




タグ :シネマe~ra


 

アクトシティ浜松・中ホールで「コンテンポラリーダンスって何?」を観た

カテゴリー │いろいろ見た

11月29日(日)15時15分~

「コンテンポラリーダンスって何?」というタイトルに
サブタイトルとして、
~その創生から現在、そして未来~
とある。

第1部に基調講演として、舞踊評論家の山野博大氏による「現代舞踊のこれまでとこれから」


第2部にモダンダンスヒストリー「モダンダンス創生期作品の復元~現代」として、

1 モダンダンスの祖 イサドラ・ダンカンの原振付を再構成して、メアリー佐野さんが踊る。

2 日本のモダンダンスの夜明け 石井獏「山を登る」、石井小浪「浜辺の歌」の原振付を再構成して、現代の舞踊家たちが躍る。

3 現代舞踊の名付け親 津田信敏「薔薇の位相」の原振付を再構成して、現代の舞踊家たちが躍る。

4 令和のモダンダンスは・・・ 原田みのる氏が新作「Butterfly」を踊る。


第3部にパネルディスカッションとして、「コンテンポラリーダンスを語る」
山野博大氏を司会に、パネラーとして、
静岡文化芸術大学教授で「演劇・劇場研究」の永井聡子氏、
この日も踊った舞踊家の原田みのる氏、
この日の企画の演出をされた児玉道久氏の3名。
当初パネラーのひとりとして予定されていた企画・監修の佐藤典子氏はお怪我のためご欠席。

ふじのくに芸術祭2020(第60回静岡県芸術祭)の
音楽・舞台芸術部門現代舞踊ワークショップとして、開催された。
行政のご担当者の、コロナ禍で開催できたことへの慶びの言葉を含む挨拶から始まった。

モダンダンスの歴史を
クラシックバレエに反発し、より自由な表現と創意で
今日のモダンダンスの先駆者となった(以上パンフより参照)
イサドラ・ダンカンさんの作品を皮切りにひも解いていったのは
接する機会の少ない僕にとっては大変有意義な内容だった。
まさにタイトル通り、
「コンテンポラリーダンスって何?」である。

山野氏が基調講演でおっしゃっていた
ダンス表現が人類の誕生とともに生まれ、
社会そのものがダンス表現にあらわれるというのは
まったくどの表現も同じだと思う。
それは当然社会の変化により変容していく。

表現手段は、
ダンスのように肉体だったり、言語だったり、文章だったり、音だったり、美術表現だったりするわけで、
人の営みのどの活動にも社会が直結しているということが出来る。

そして、それは観客(他者)がいることにより成り立ち、
もしもいないとしたら、そこで例えば、ダンスが踊られたとしても
立ちどころにその場から消え去ってしまう。

つまり、人の記憶の中でしか生き残っていかない。
自宅のリビングで、猫にダンスを披露したとしても
ファンタジーの世界でない限り、誰に伝わることもない。