路上演劇祭Japan in 浜松2017ー2018(2018サザンクロス) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

【路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018】の2018年


手前味噌ですが、自分の話をさせてください。

砂山銀座サザンクロス商店街で2年連続行うということで、僕は「砂山劇場」と名付けて、前年は「砂山劇場2017」、この年は「砂山劇場2018」と、
町を歩き、話を聞き、話し合い、「砂山」を題材に演劇をつくる試みをしました。

2018年は、参加者募集チラシを作成し、前年11月11日の「街歩きツアー」からスタートし、月2回程度集まりながら演劇をつくり、6月3日の路上演劇祭で上演するという内容でした。

朝市を見物したり、街歩きをしたり、砂山町を知っている人に話を聞いたり、各自が気になることを出し合ったり、カケラを探して、「砂山」周辺をグルグル徘徊していました。
多くの方に参加いただきましたが、なかなか肝心の路上演劇祭に出演するメンバーが決まらず、6カ月以上費やした中、実際の演劇制作は本番前の1カ月間。
しかしながら、街歩きはさまざまな方向に広がりが及んだかと思います。

想定通りに作れたかというと、決してそうとは言えないかもしれませんが、最終的には12名で「サザンクロスで待ち合わせ」という作品を上演。

えいこさん、まことさん、SMILE39の2人、けいし君、文芸大生5人、静大生1人、てらだの12名。
静大生は、1週間前の朝市で「ハロー砂山」で参加していた女性に一か八か声をかけたら、「面白そう」という即答で、参加が決まりました。
「ハロー砂山」は朝市に参加して、砂山町を盛り上げる活動をしている大学生中心のサークルです。

2017年は「砂山劇場」に参加してくれたのですが、リーダーの山田将人君が卒業し、2018年は朝市で何人かに声掛けをするものの、なかなか引き入れることができませんでした。
「ハロー砂山」は地域の物産品を仕入れて、販売したりしていたのですが、「砂山楽校」という名で、子供たちなどを相手に、輪ゴム鉄砲など昔の遊びを教えたり一緒に遊んだりする活動に変わっていきました。

そんな中、商店街のアーケードの端から端まで糸を張って糸電話をしたという話を聞きました。
「おっ!これは」と思っておりまして、そこで、声をかけた時に、糸電話をやりたいんだけどと頼んだら、「わかりました。次回持ってきます」とまたもや即答。

あとは前日の場当たりと本番当日しかありませんでしたが、写真のように糸電話が生かされました。
実は、前日、「もっと長くならないかな?」とリクエストしたのですが、「できますけど、ピンと張らないと話せないので」と明日本番、さすがに躊躇の返答。

そりゃ当然と、僕はすぐにリクエストを引っ込めましたが、もう少し稽古の期間があれば、チャレンジしたかったところ。
固定されたお客さんを動かして、広く芝居を展開できるチャンスだったかも。
でもそのためには当然、お客さんに参加を促す俳優の稽古が必要。
まあ、写真のように、なごんだ場面になったので、これでよかったのだろう。

「稽古不足を幕は待たない。恋はいつでも初舞台~♪」 夢芝居より (歌詞:小椋佳)

砂山で、2年連続で行うことを提案したのは実行委員長の里見のぞみさんでした。
来年どこでやろうという話が出た時に、もう1年砂山でやらない?という案を漏らしたのも、のぞみさん。
まだまだ残してきたカケラがあるのかもしれません。

2年連続で参加したのは、「アルス・ノヴァ」「浜松キャラバン隊」「URARA」「加藤解放区」「ひらのあきひろ」「雨ニモ負ケズ」「里見のぞみ」「砂山劇場」。
2017年より2018年の方が参加者が多かったです。 勢いづくっていうのは確かにあります。


※写真撮影は、浜松写真連絡協議会






 

穂の国とよはし芸術劇場PLATで二兎社「ザ・空気ver3 そして彼は去った・・・」を観た

カテゴリー │演劇

2月21日(日)13時~

永井愛さん作・演出。
二兎社の作品。

「空気」という言葉を広辞苑で引いてみた。
①地球を包んでいる無色透明の気体。
地上から高度80キロメートルまでの組成はほぼ一定で、体積比で酸素20.93、窒素78.10、アルゴン0.93・・・
途中だが、我々が生きていくのに欠かせない、気体の説明はここではもういいだろう。

②その場の気分。雰囲気。
これだ。
永井愛さんが2017年の「ザ・空気」、2018年の「ザ・空気ver2 誰も書いてはならぬ」に続き、第3弾。

「空気」が物事に左右するのは、人がいるところどの世界にもある。
家庭でも学校でも職場でも。
日本人はとかく「空気」に左右されやすいというが果たしてそれはどうなのだろう?
海外の人のことをそんなに知っているわけではないが、
例えば、映画なんかを観ていても、そんなに違うことを考えているとも思えない。
欧米人が自己主張をするといいながらも、
まわりの「空気」を読まないで主張しているわけではない。
主張した後のまわりの「空気」の変化も 承知の上、あえてするのである。

それでも「空気」をうまく使える人間になりたいとは思う。
望むべくいい方向に「空気」を変えるというか、
できれば操ることができるまでになれるといい。

僕だけでなく、他の人もそう思うから、
そこに軋轢が生まれる。
考えてみれば、「空気」の操りあいだ。
亀仙人は、気体としての「空気」を武器として操ることができるが、
僕たちも、雰囲気としての「空気」を形としては見えないが、
亀仙人と同様、操ろうとしているのだろう。

「ザ・空気ver3 そして彼は去った・・・」の舞台はとあるテレビ局。
僕は観ていないが、第1弾もテレビ局が舞台だったようだ。
つながりがあるかどうかはよくは知らない。
9階の会議室が舞台として使われていることは
なんとなくネットの記事で目にした。
桜木という人物の名がどちらにも登場しているようだが、
同じ人物なのかはそれ以上調べていないので、知らない。

とにかくver3は9階の会議室から幕が開く。
マスクを装着した佐藤B作さんが現れる。
BS放送の政治を取り扱う番組にコメンテーターとして呼ばれたようだ。
しかしながら、体温検査で37.4度だったため、
本来招かれるはずの場所(スタジオだろうか)には入れず、
別室(9階の会議室)に一旦隔離させられる。
37.4度という作家の選択に冒頭から笑ってしまった。
日常なら笑う場面ではないだろうに。

空気シリーズでは一貫して、政権に対する報道のやり方を題材にしている。
今回の題材も、実際に起こったことを想起させる。
だからこそ、まさに今の状況であるコロナ禍を舞台にすることが必須だったのだろう。

佐藤さん演じる横松はかつては新聞記者をしていて、
時の政権の問題点を臆することなく(つまり「空気」に配慮することなく)
堂々と論じる記者であった。

当時の後輩である桜木は、そんな横松を尊敬していた。
ただし、新聞社を辞め、その後政権の中枢に関連することになり、
自らの信念に反していると判断する場合でも、心を曲げて(つまり「空気」に配慮して)、
政権の判断に添っておもねるようになる。

横松を尊敬していた桜木は、その後も自らの信念に添った仕事を続けるが、
様々な軋轢を理由として、自ら命を絶つ。
また、その命を絶った場所が、この9階の会議室というのである。
その話を聞いた横松の心は乱れる。

番組のチーフプロデューサーである神野三鈴さん演じる星野は、
時の政権の不正に切り込む姿勢が疎まれ、
この日の番組を最後に、閑職の部署に移動させられることが決まっていた。

金子大地さん演じるアシスタントディレクターは
不遇な待遇で、しかも仕事に追われて寝ていない。(寝るとしてもテレビ局の廊下)
和田正人さん演じるチーフディレクターは
10年下積みをしてやっと今の地位になった。
韓英恵さん演じるサブキャスターは、
横松からセクハラ受けがち。(これはあまり話の本筋と関係なかったようだが)

それぞれの登場人物が自らの職責、
自らの信念をまっとうし合う中で生じる「空気」に芝居の全体は動いていく。
横松の口から衝撃の事実が発せられる。
内容は現政権が発足した後に問題となった実際にあったことを題材にしている。
もちろんフィクションである。

この言葉が発せられてから、途端に芝居は動きを増す。
各自それまで心のうちに秘められていた感情が湧き出す。
その事実を横松が番組でしゃべれば、
世間は衝撃を受ける。
ただし、それをこの番組は受け止められるのだろうか?
見えない「空気」が、それぞれの行く先に立ちはだかる。

ただし、横松は、自ら、身を引く結論をとる。
それは信念を通すという生き方の問題だけでなく、
肉体を持つ同じ人間として、心痛い部分もある。
37.4度である理由が切ない。

その場から去れば、一旦「空気」は収まったかのように見える。
それも人が生きていく術なのだろう。
ただ、逃げるべきではない時もある。
そのことは横松もよく知っている。

追記(2月28日)
すでにこの演劇で題材となった任命拒否問題もすでに過去のものになった気がする。
ちょうど今は官僚の接待問題が話題となっている。
ほどなく過去のものになるだろう。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018(2017サザンクロス) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

【路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018】の2017年

この年より里見のぞみさんが再び実行委員長になりました。

2年連続、同じ場所で開催することで、その場所を生かした作品を作ることを目指してスタートしました。
場所は2001、2009でも開催した、砂山銀座サザンクロス商店街。

『朝市などに合わせて、ワークショップなどの活動を行い、開催場所と関りを持つことや、商店街の皆さんや地元小学校など取材し、協力をしていただくことで2018年の演劇祭にはサザンクロス自体が物語に入れられたらと期待しています』
と出演者・スタッフ募集のチラシに明記されています。

2017年が終わりでなく、はじまりともなる路上演劇祭です。
キャッチコピーは「砂山を舞台にした1年がかりの演劇祭。今年6月 1幕が開く」

演劇の上演の他に、『しんぽじうむ「砂山で物語をつくるということ」』が行われました。
堅苦しくないようにと、しんぽじうむ、と平仮名にしました。

企画書は梅原朱理さんがつくりました。
そこに書かれた、企画の趣旨及び目的は以下。

1.企画の趣旨及び目的
本企画は路上演劇祭japan in 浜松2017年で行われたパフォーマンス等のより詳しい解説やサザンクロスで路上演劇を開催する意義を明らかにし、2018年開催の路上演劇祭に繋がる梯子としての役割を担うことを目的とする。

浜松写真連絡協議会の方々とともに静岡文化芸術大学の写真サークルTAP!の方々にも撮影していただきました。






 

机上演劇祭2016 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

2016年は5月14日に、里見のぞみさんをツアーコンダクターとする、それまでの路上演劇祭の会場を巡る「路上と演劇」ツアー。



5月15日に、鴨江アートセンターで机上演劇祭2016。


【机上演劇祭2016】

この年は、ちょっと休んで見直そうということで、路上演劇祭はお休み。
何もやらないという選択もありましたが、何かしらやることでつなげようということで、そこで考えついたのが、「机上演劇祭」。
チラシのコピーは「机上で路上を考えてみる」。

チラシは静岡文化芸術大学の梅原朱理さんがデザインしてくれました。
「机上写真での路上演劇祭」を熊谷有加さん中心に製作・展示しました。




狐野トシノリさんによるボーカロイドとの2人?芝居「シンギュラリティ― パート1」上演がありました。
プロジェクターに映像を投影して、上演やワークショップなど、過去の路上演劇祭の様子を紹介しました。
それにともない出場者や来場者のおひとりおひとりから話を聞きました。
阿藤さん、三浦さん、雲の劇団雨蛙さんも遠方より来場されました。

今だから話しますが、この年から実行委員会に参加するようになった梅原さんと同じく文芸大生の佐藤凛さんが、後々、この時「路上演劇祭に出られると思ったら、ああ、机上かあ」とがっかりしたということを口にされました。
笑顔での会話でしたが、僕は「確かになあ。特に大学生は1年1年だよなあ」とちょっとだけ申し訳ない気がしました。
京都出身の梅原さんと岩手出身の佐藤さんは、翌2017年の砂山銀座サザンクロス商店街での路上演劇祭に参加しました。

ここで1枚の写真。
写真は、2009年、2010年、2011年、2012年と4回、多文化共生で参加したディマス・プラディさん、宮城かなえさんのご夫婦と息子さん。
2009年の「ぼくらのひいおじいさんは日本兵だった」の映像上映後、ご挨拶。





 

路上演劇祭Japan in 浜松2015(浜松駅北口) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

【路上演劇祭Japan in 浜松2015】

新川モール、ザザシティと来て、やはり多くの人に見てもらいたいという気持ちが働いたのだと思います。
そこで出た案が、おそらく浜松市内で、最も通行量の多い場所、JR浜松駅北口周辺。
JR浜松駅北口から出てすぐの、遠鉄百貨店の前あたりではできないだろうか?
ストリートミュージシャンやパフォーマーもいるし、ビラ撒きやキャッチセールスや献血や募金や選挙活動もやっているではないか。

ここからは実行委員長の菊地奈々子さんが腐心されたと思います。
警察や浜松市、街中賑わい協議会との折衝など。
2015年の報告書には、最初に浜松市に打診に行った際、厳しい顔をされ、「前例がない、人通りが多い、まずは警察の許可を」と言われた、とあります。
そこから実現にこぎつけたんですから、考えてみれば、凄いことです。

JR浜松駅のすぐ近くにある遠鉄百貨店本館と新館の間にあるイベントスペースはソラモと言い、イベントや物産展などが開かれる場所ですが、路上演劇祭をここでやったらどうか、
またはやりたい、という話を聞くことがあります。
ただしこの場所は、使用料がかかります。

つまり、企業PRや物販を伴うイベントを想定していて、路上演劇祭のようにスポンサーもなく、見物料を徴収しないイベントの場合、単なる持ち出しでイベントを行うということになります。
これはやはり違和感があります。
管理者と利害が一致して、なお、意義をご理解いただいて、場所を提供しましょう、という交渉ができれば、話はまた別ですが。

ソラモの空き状況も調べたりしましたが、最終的に、チラシには、「浜松駅北口百貨店前」と表記された場所で開催されました。
最初に出た、《前例のない》案が実現したのです!
遠鉄百貨店と具体的な名前を出さなかったのは、ほんの少しの自尊心です。

1枚の写真は、と行きたいところですが、この年は、浜松写真連絡協議会の方々が、年に数回ある撮影旅行の日と重なり、撮影に行くことができない、ということもあり、手元にあまり写真がありません。

そこで、考えたのがこの1枚。
「ビッグイシュー日本版」という雑誌があります。
原型は1991年にロンドンで始まったもので、市民が市民自身で「働く場」を作るという試みで、2003年9月、ホームレスの人の独占販売事業とすることで、仕事を提供し自立を応援するというコンセプトで発行されています。

編集部から、路上演劇祭浜松のWEB記事を見たということで連絡があり、「包容空間、路上のいま」という特集で、取材を受け、2015年2月15日号で紹介されました。
「路上」というキーワードで検索したのでしょうか?
ビッグイシューを読んだという、劇作家の阿藤智恵さんからコンタクトをもらい、また、ご友人三浦千枝さんともに、東京から観劇に訪れてくださいました。
その時のことについては阿藤さんのブログにて紹介されています。
1年後に振り返られた文章です。

浜松のこと: 阿藤智恵の「日々の句読点」
http://atohchie.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-547d.html

また、ビッグイシューのホームページでもご覧いただけます。

役者が路上を走り、観客がそれを追いかける—路上演劇祭 Japan in 浜松 ダイナミックな迫力、垣根のない舞台。
https://bigissue-online.jp/archives/1072584510.html

以下を1枚の写真とします。
興味のある方は、文字が不鮮明ですので、添付したPDF、もしくは上記のビッグイシューのHPでご覧ください。

ちなみに僕は、ビッグイシューという雑誌の存在をそれまで知りませんでした。
例えば浜松市の駅前では販売していません。(これは浜松市にホームレスの方がいないという意味ではありません)
雑誌としての夢はおそらく、ビッグイシューを販売する人(つまりホームレス)がいなくなればいい、ということかもしれません。
それは廃刊を意味することかもしれませんが、それを承知で日々良い雑誌を作ろうと尽力されているのでしょう。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2014(ザザシティ) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

2014年はいろいろなイベントが行われるザザシティ中央広場と その周辺。


写真は浜松写真連絡協議会より。いつもありがとうございます。

【路上演劇祭Japan in 浜松2014】

ザザシティの中央広場は、ザザシティの敷地内にある
イベント用につくられた場所です。
以前も候補にあがりましたが、“路上”とは言い難いということで、
見送られてきました。

何か所か場所を変えてやってきましたが、開催場所にもそれぞれ特徴があります。
例えば、観客ということで考えると、
通りがかりの人が観客になる場所とならない場所があります。
つまり、人通りがあまりない場所の場合は、観客は集客して来てくれた方々ということになります。
チラシや媒体掲載やそれぞれの声掛けなどで。

どの場所もプラス面とマイナス面があります。
それらを天秤にもかけながら、実行委員会で討議の上、開催場所が決められます。
この時も、開催場所の表記は「ザザシティ中央広場とその周辺」となっています。
ザザシティを飛び出してもいいわけです。

写真は、大道芸人きぼうさんです。
彼は有楽街で行われた2012年からの参加ですが、ある日、浜松駅前でパフォーマンスをやっていたら、
観客から、路上演劇祭に出てみたらと声をかけられたということで、参加希望の連絡がありました。
初めての参加者とは、路上演劇祭とはどういうものか知っていただくためにお会いしたりしています。
遠方の方の場合は電話やメールのやり取りで済ます場合もありますが、お互いに理解しあったうえで、
最終的にはいくつかの項目をご記入いただくエントリーシートの提出をもってエントリーが決まります。

大道芸人きぼうさんとも、当時代表の里見のぞみさんと企画担当の僕とでお会いしました。
有楽街にかつてあったドトールコーヒーで会ったかなあ?
彼は聴覚障害を持っていて、沼津の学校へ通う高校生でした。
小学生の時にチャップリンを見て、サイレントコメディーに興味を持ち、
その後、自らパフォーマンスを始めました。
師匠がいるわけではなくて、芸はすべてYouTubeなどを見て覚えたという話を聞き、
ああそうなんだあ、と思いましたが、本番を見てびっくりしました。

上演後、紹介する際、障害があることを伝える必要があるのだろうか、と躊躇するぐらい、
芸と障害はまったく関係ありませんでしたが、
インタビューをする際、そのことを触れないわけにもいかなかったので、お伝えしました。
残念ながら2014年までの参加となっていますが、SNS上で拝見する限り、ますます活動の幅を広げ、
活躍されているようです。

この写真、ちょっと面白いのは演者の視線と、観客の視線がまったくずれているということです。
観客の多くは階段の上方を眺めています。どんな芸の最中だったんだろう・・・。
2階の連絡通路から見ている人たちもいます。道路を歩きながらこちらに目を向ける人もいます。
これは通りがかりの人がいる場所で行う醍醐味です。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2013(新川モール) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

2013年は新川モール。
あまり聞き慣れない名前かもしれない。
遠鉄電車の高架下。
通る道ではあるが、裏道感あるよなあ。

写真は浜松写真連絡協議会より。

【路上演劇祭Japan in 浜松2013】

路上演劇祭Japan浜松実行委員会の代表が
ずっとつとめていた里見のぞみさんにかわり、
エンディングで詩を朗読している菊地奈々子さんに変わりました。

路上演劇祭はいつも開催場所を探すための“街歩き”から始まります。
同じような場所を歩くことになりますが、
年が違うと印象も違ったりもします。
そして、候補に上がって消えた場所が、後々開催場所になることもあります。

通路である路上でイベントを行うときは、警察に申請を出すのは結構手間であり、
本番も通行者の誘導などに気を配る必要があります。
ただし、2013は新たな出発という意味もあり、
申請も含め比較的やりやすい場所でやろうという意識がありました。

そんな中、決まったのが、遠州鉄道電車の高架下にある新川モールです。
ここも以前候補に上がった場所です。
街中を南北に流れる新川という川のちょうど上を電車が走り、川の上はコンクリートで塗り固められ、
暗渠(あんきょ)となっています。
新川と言いながら、川なんて見えやしません。

写真はNPO法人クリエイティブサポートレッツが運営する障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァの「レディオ体操」。
2010年の「めくるめく紙芝居」以来の参加ですが、上演がタイムスケジュール通り続く中、
ハプニング的に突然、号令とともに「レディオ体操」が始まるという趣向でした。
とは言え、MCを務める僕の中では、裏タイムスケジュールとして、しっかり計算には入れていたのですが。

面白いのは、一方向だった流れが、一旦ご破算になることです。
本来規律を強いる号令が、交代していく指揮者個々人により、色の違うパフォーマンスのように見えます。
参加者や観客にとってはよく知る体操なので、まあ、ノリやすい、体もほぐれるし、
そして写真のような光景。
でも体操しているのは全員ではないですね。
決まり事ではないので、それも自然なこと、それが面白いと思います。





 

路上演劇祭Japan in 浜松2012(有楽街) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

2012年5月19日、有楽街にて開催。

有楽街の中ほどに、現在はないが、果物屋さんがあった。
カタカナのキを〇印で囲い、マルキと読む。
路上演劇祭の1週間前に訪れ、オーナーに写真を撮らせてもらい、Tシャツにした。
この件は別途、ブログで触れたいと思う。



【路上演劇祭Japan in 浜松2012】

モール街ときたら次は有楽街だと、
その時は浜松街中を網羅する勢いだったかもしれません。(僕だけか?)

前年までとの大きな違いは、同じ団体は3回までという浜松市文化振興財団からの助成金がなくなったことでしょうか。
そのため、ファシリテーターを招いてのワークショップはなくなりました。

ただし、協力者は現れるもの。
有楽街の真ん中くらいにあった浜松では有名なパン屋、ヤタローが経営していたシャンボールという店が閉めることになり、更地になった場所を次が決まるまでの期間、街中の活性化を目的とするイベントに無料で貸してくれるという話が持ち上がりました。

午後の時間歩行者天国となる有楽街ですが、本部やPAが設置できる溜まりの場所は演劇祭を催すには大助かりで、溜まりで上演するものもいれば、通りで上演するものもいるという全体のメリハリが出来たと思います。

写真(浜松写真連絡協議会撮影 新野さんありがとうございます!)は、大阪を拠点として活動する劇団タルオルムの「チョゴリをきる日」。
チラシに記されたプロフィールでは、在日コリアン3世を中心としたバイリンガル劇団、とあります。
HPを確認しましたら、現在も演劇のみでなく映画製作など幅広く活動されているようです。

のぞみさんが声掛けをされたことによりエントリーが実現したと思いますが、本番以前に大阪から有楽街の現場に訪れ、その時空き地に設置されたいかにものPR看板を消したいと思い、当日、看板を隠すことを目的とした垂れ幕を持ってきました。

朝、集合しての準備はこの垂れ幕を張ることから始まりましたが、見事な絵が描かれていました。
これらの行動は、さすがだなあ、としかいいようがありません。

「チョゴリをきる日」は“着る”と“切る”のふたつの意味があると思います。
通りを道幅目一杯使った演技は、静岡市にある朝鮮学校の生徒さんたちも観に来ていて、終わった後、俳優に花束を渡していたことが印象に残っています。

ちなみに以前は浜松市にも朝鮮学校がありましたが、1994年、静岡市の朝鮮学校に統合されました。
浜松市から静岡市に通うのは近くはないけどなあ。
どうしたんだろう?

ちょうどこの時間は、土曜日の夕方、飲みに来る人たちも集まってきて、有楽街は熱さを増していくようでした。

元シャンボールの空き地は路上演劇祭を皮切りにさまざまな街中活性イベントが開催されましたが、期限を終え、建物が立ち、今はカラオケ店となっています。
コロナ禍、厳しい業種の一つであるカラオケというのはなんか皮肉な感じがしますが。

1階がパン屋、2階が喫茶店であったシャンボールの2階は僕にとって居心地のいい喫茶店で、何度も通ったのですが、
とある日の昼間に行ったら、俳優の石倉三郎さんが後輩っぽいお連れさんといて、熱く演技論(役者って言うものはなあ云々)を語っていたのは、ずいぶん昔のことです。
浜松のどこかで公演があったのだろうか。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2011(モール街) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

2011年は5月21日にモール街で開催。
その年の3月11日、東北大震災があった。
いち早く5月3~5日のはままつ祭りは中止を決めたが、小さな規模の実行委員会で運営している路上演劇祭は準備をしている内に、世の中は実際の被災地ではない場所ではむしろ盛り上げて頑張っていこうという機運になっていき、無事開催された。
震災のことは参加している誰もが頭のどこかにあったと思う。
写真撮影は浜松写真連絡協議会さま。


【路上演劇祭Japan in 浜松2011】

モール街を南からスタートし、北まで移動しながら上演していくという趣向で行われました。
ゴール地点となる旧松菱あたりから、スタート地点までパレードをすることから始めることになっていて、MCの僕が先導する役割だったのですが、
どのようにパレードするか決めていたわけでもなく、日の高い午後のモール街は雑然と落ち着かない感じがして、頼りは「路上演劇祭Japan」と書かれたフラッグのみ。
「とりあえず歩きましょう」ぐらいのあいまいな呼びかけで始めたと思います。

それでもフラッグは強し。
まさに旗印!
片方のバーをオトナ青春団の滝浪さん、もう片方をどなたか存ぜぬが(失礼)お母さんと子供たち(?)が握りしめ、スタート地点に向かって突き進む。
その後ろをとりあえずダラダラと歩く人たち。
浜松キッドの面々の忍者装束にとても助けられました。
パレードらしくなっている?!

東京新宿を拠点に活動している「けのび」の演劇は、演劇のいわゆる常識に反し、動かず、声を出さず、固定された場所で見ることに慣れている観客が、自ら動き、近寄り、無言ではなくセリフらしきものを呟いていることを知るという特徴的なものでした。
次の演目が始まるにも関わらず、演技は続き、移動する人、居残る人と観客が分断されていくのも興味深い光景でした。
僕はもちろん次の演者の紹介があるので移動しました。

演技場所が移動するということは演者と観客だけが移動するのではありません。
音響機器(PA)も移動します。
そのために移動可能な2台の機材を用意し、1台は演じているその先に移動し、準備をします。
ある意味PAに携わった人たちが一番の功労者ではなかったかと思います。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2010(旧松菱) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

2010年はすでに解体され、姿がない旧松菱周辺で行われた。
路上演劇祭浜松実行委員会のメーリスに投稿した写真を差し替えた。
こちらは松菱新館の全景が写っている。
写真撮影は木村真さん。


【路上演劇祭Japan in 浜松2010】

やはり何といっても松菱ですね。
砂上の楼閣? いや現代のバベルの塔?

2001年に経営破綻し閉じた後も、2010年当時もまだ、浜松の街中にデンと姿を残していた老舗デパート。
しかも西洋風な豪華な新館がオープンして何年もたたないうちの突然の破綻のニュースは市民の誰もが驚きました。
9年間置き去りにされ、不法侵入ができないようにバリケードで閉ざされていたエントランスを開けて路上演劇祭を開催するというユニークで突拍子もないコンセプトから始まりました。

演劇を上演する以外にも、いくつかのイベントが共存していました。
・バリケードを開ける費用を捻出するため、募金箱をもって街中に出向き、協力金を募る。
・劇作家 岸井大輔さんによる散歩ワークショップ「浜松喪失」。
・俳優・演出家・文化活動家 ギジェルモ・ディアスさんの創作ワークショップ「ソシオドラマと路上演劇の手法」。
 こちら、当初プログラムに入っていなかったが、急遽路上演劇祭で上演。
・メキシコの女優 アレハンドラ・レスカラさんによる「身体表現ワークショップ」。
 アレハンドラさんは路上演劇祭で男優と「ディエゴとフリーダ」を上演。
・多文化を専門とする静岡文化芸術大学の池上先生との連携により、演劇祭の翌日、学内講義室で「路上演劇祭シンポジウム」開催。
・前年に続いて、多文化共生演劇ワークショップを経ての上演。

これらは浜松市文化振興財団からの助成金や大学の協力があったから実現できたとも言えます。
大学院生だった高橋諭君が手配してくれて、学内で実行委員会を行いました。

僕は個人的には、路上演劇祭開催前の、鈴木建之さんのリードによるエントランスの掃除が印象に残っています。
僕も知らない路上演劇祭と関係のない人たちも集まり、出演者も含めて置き去りにされた松菱の9年間の垢を落とし、さて開催となったときには、その人たち(僕が知らない人たち)はさあっ~と帰っていくという。
それはそれで寂しい気もしましたが、貴重な休日、それぞれに用がある、と思い直しました。

その模様は田村エミリオさんが撮影した動画に収められています。
こちらも静岡文化芸術大学でのプレゼンで紹介する予定でした。

今は、建物は解体され、更地となっています。
そこで実行委員である鈴木結子さんが企画した野外演劇「夏の夜の夢」が昨年9月上演されたのは記憶に新しいところです。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2009(サザンクロス) 1枚の写真

カテゴリー │路上演劇祭

路上演劇祭浜松実行委員会では、関係者の間の連絡をメーリングリストで行っている。
5月31日に予定されている路上演劇祭Japan in 浜松2021のために話し合いをしている最中。
思い立って、「1枚の写真」というタイトルの投稿をした。

知っていることを伝えたいという気持ちと自分の中でも学びなおしたい気持ちと。
2009年から、2020年まで続く。


【路上演劇祭Japan in 浜松2009】

本来、元イトーヨーカドーがあった場所の前のアクアモールで行われるはずだったのですが、朝、雨が降っていたため、雨天時予定していた砂山銀座サザンクロス商店街で行われました。

写真は浜松ヒストリーワークショップパート2 with 浜松NPOネットワークセンターによる「ぼくらのひいおじいさんは日本兵だった」。
パート2というのは2001年に続いて、という意味かもしれません。

東京からいらした演劇デザインギルドの成沢富雄さんや蟹谷怜子さんの指導により何回かのワークショップを経て、作品作りが行われました。
ディマスというインドネシア出身の若者の実話が、ワークショップの過程で発見され、台本の種になりました。

外国人の中に何人かの日本人が加わったという多文化共生のグループで、単純に仲良くやろうぜの内容ではなく、両者の複雑な関係性を描いたテーマでとても見ごたえがありました。

僕はMCをやらせていただいたのですが、参加団体のことくらい知らなきゃと思い、演劇祭当日の1週間前、ワークショップの見学に訪れました。
前日、自分が参加している団体(いわた表現の会からころ)の公演が終わり、のんきに見学していたのですが、成沢さんに突然、第2次世界大戦の終戦を告げる天皇の玉音放送を読み上げる役をやってくれないかと頼まれました。

戸惑いしか感じませんでしたが、台本読みながらでいいということでしたので、渋々了承。
でもそのわりには、当時のラジオを模した段ボールの看板を首からぶらさげ、「ギーギーガーガー」と雑音など入れながら、演じることになりました。

ギーギーガーガーと予定にない擬音を言っていたら、演じていた成沢さんが僕が出番を忘れたと思ったらしく、促すような言葉をかけてくれました。
ギーギーガーガーの工夫はまったく効果的ではありませんでした。(ミスでもないが)

写真はどなたかにいただいたものです。
朝の雨は、11時のスタートからほどなくしてやみ、光がさしていました。
それでも結果的にアーケードがあるサザンクロスはとてもやりやすい場所だったと思います。






 

路上演劇祭リレーエッセイ②

カテゴリー │路上演劇祭

蠢くもの


出だしは、1992年4月メキシコシティだった。
第1回メキシコ路上演劇祭と名付けられた催しに、縁あって参加した私が見たもの。
路上に住む子供、刑務所で行われる演劇、ドラッグ、シンナー、家庭内暴力などのテーマ、実際に街角で稼ぐ火吹き芸人や子供のジャグラー。
いきなり生な場所に放り出された東洋の女(私)は、盆栽とか虫なんて作品をラテンの路上に置き、煙にまいてきた。

演劇のアグレッシブな側面にすっかりやられて、気が付けば浜松の路上に立っている。
人が居る場所に演劇を持ち込む路上演劇だが、浜松の路上は人がそもそも少ない。
寂しい商店街は人を呼びこめる催しを期待する。
ちょっとずれるなと思う。
私は寂しくなった路上そのものを、俎上に乗せたいの
だもの。
路上って生き物みたいだ。
人が歩く限りにおいて死にはしない。

だけど、未知のものとの出会いがないと、やはり生気を失う。
路上演劇は浜松で未知なまま10年、しぶとく生命力を孕み、コロナ下を進む。


里見のぞみ
路上演劇祭Japan浜松実行委員会



 
※記事は浜松百撰2月号より転載。
路上演劇祭リレーエッセイ①の僕に続いて、実行委員会の代表である里見のぞみさんのエッセイ。
写真はメキシコ路上演劇祭での里見のぞみさん。

1月23日にオンラインで路上演劇祭の実行委員会が開かれた。
そこでは5月29日に予定している路上演劇祭Japan in 浜松について話し合われた。
行う方法についてさまざまな意見が出たが、結論は出ず、
次回の2月28日17時からの実行委員会でどうするか決める予定。


★浜松百撰は電子BOOKでもご覧いただけます(登録不要・料金無料)
HP「ようこそ浜松百撰へ」からどうぞ
hamamatsu100sen.com