クリエート浜松でMUNA-POCKET COFFEEHOUSE「忍者たち。DX」を観た

カテゴリー │演劇

11月21日(日) 
キャストA:14時~ 
キャストB:17時~

「忍者たち。DX」は5月のGW中に静岡市で行われた
街中で演劇やダンスが繰り広げられる、
ストレンジ・シード静岡で演じられた作品「忍者たち。」を元にしている。
僕も5月4日に行き、計8本観た。

出演者はマスク着用組としない組に分かれていた。
他の演劇を観た時、
マスク着用の演技を観るのは無理があるなあと感じたこともあったが、
この日は、セリフがあるところは非着用、
セリフより動きで見せるところは着用、
という具合で、線引きはわかりやすかったように思う。

ところが「忍者たち。」はセリフが多用されているにもかかわらず、
マスク着用だった。
ただし、登場人物は皆忍者なので、口を覆うことは理にかなっている。
たとえコロナ禍でなかったとしてもマスク着用がふさわしい。
ああ、これはきっと作戦だ。
コロナ禍であることさえ逆手に取った。

静岡市民文化会館前駐輪場が会場であったが、
隣接する駿府城公園内でも他の上演会場となっていたので、
徳川家康に会うことを目標に攻め入る忍者を描くこの作品は
そういう意味でもふさわしい題材だったかもしれない。

場所や社会状況を見極め、作品は出来上がる。
これは劇団の創作における「意思」だろう。
そして、マスク着用はまったく気にならなかった。
比較的近くから観ることができるのも大きな理由だったかもしれないが、
セリフの内容や話し方もマスク着用仕様になっていたように思う。

そして、この日行われた、はままつ演劇フェスティバルにおける
クリエート浜松ホールでの公演。
「忍者たち。DX」と、バージョンアップの屋内上演。

MUNA-POCKET COFFEEHOUSE(以後、通称のムナポケ)の演劇公演の特徴のひとつにダブルキャストであることがあげられる。
ストレンジシードもダブルキャストだった。
どれくらいこれが珍しいかというと、
少なくても今までストレンジシードでダブルキャストは他に観たことがない。
(僕が観なかっただけであるかもしれないが)

中には両方の公演を観た人もいたようだ。
僕は異なる会場で同時進行で行われ、
何日か通わないと全部を観ることができないイベントなので、
時間にあったキャストバージョンを観て、
他に観るべきものはないかと、別の会場を探す。

実は今回、初めてA、B両方の公演を観た。
今までのホール公演もどちらかを選択していた。
主に日程的な判断基準で。
これは僕の「意思」でもあったが、
やはりもう一方はどうだったんだろう?
という思いは残る。

初めて両方観て気が付いたこと。
これはよくあるダブルキャストとは違うなあ。

ロングランミュージカルなどはダブルキャストを導入する。
先日、舞台化が発表された「千と千尋の神隠し」も
千尋役の上白石萌音と橋本環奈などダブルキャストであった。

あるサイトにダブルキャストの理由として
・ロングラン上演のため  ・キャストが降板しても対応できる
・宣伝効果になる  ・リピーターが増える
とあげられていた。

ただし、これらはすべて興行としての
営業的な理由である。

ムナポケの場合、それぞれのキャストの周辺のお客さんが
来てくれるということはあるだろうが、
両方観て、
ダブルキャストを採用する理由は
そういうことだけじゃないかもな、と思った。

人が好い忍者たちの里に織田軍が攻め入り、
敵将の徳川家康の首を取るのではなく揉むために
各自が持つ忍法を武器に猛攻撃をかわしていくが、
仲間は次々と死んでいく話。

ここでの見どころは、
忍法による戦い方と
そして、死に方だ。

忍法は名前が長くてセンスが悪いのでどうにかしてくれ、
という前振りがある。
直す前に戦いは始まってしまう。
そして、忍法を繰り出す際に忍法の名を叫ぶ。
まるで、子供の時のヒーローごっこの時のように。

漫画やテレビのヒーローは得意技の名を叫ぶ。
仮面ライダーが「ライダーキック」というのと
伊賀の影丸で、忍法名を言ったかなあ程度しか思いつかなかったので、
「攻撃の名前を言う」で検索してみた。
キャプテン翼、ワンピース、宇宙戦艦ヤマト(「波動砲!」)、デビルマン、マジンガーZ、
ドラゴンボール、ハリーポッター・・・。
また、「昇龍拳!」などゲームでは一般的かも。
あと、モー娘の「セクシービーム」
プロレスなんかは実況アナが技の名を叫んで補填する。
鬼滅は心の声で言ってるか。

長くてセンスの悪い忍法名の言いこなし方が
役者のひとつの見せ所になる。
敵とどう戦い、
味方とどう共闘し、
挙句敗れ、
死んでいく。

脚本にはその見せ場がセットで用意され、
俳優は自分の場面として舞台で演じる。
これは、例えるなら、
大喜利やコントなど、
お笑い芸人が挑む勝負の場と似ている。

お笑い芸人は総じて、
声が大きくテンションが高い。
それはその場での観客や
共演者との相関関係から生じる。

笑いをとるために
1歩出る。
またあえて1歩引くこともあるだろう。

そんな駆け引きが絶えず
繰り広げられる。
それは稽古場から発生している。

俳優たちは
住む町も違い、仕事や生活の環境も違うだろう。
稽古をA、Bを完全に分けて稽古をしているかどうかわからないが、
全員揃わない場合もあるだろうし、
想像するに、重なって稽古をする時もあると思う。

その現場で、エチュードが試され、新しいセリフや動きが生まれたりする。
別バージョンのキャスト同士、
互いの演技をみて、刺激を受けたりする。

例えば、別バージョンの俳優がaという演技をする。
そうすると同じaの方法は取れないのでbという方法を生み出す。
通常なら、1キャストに1人なので、
共演者に影響は受けることはあっても
同じ役の俳優に刺激を受けることはない。

それは考えてみれば、厳しい現場と言える。
だからこそ、厳しさもありながら、
楽しい雰囲気の現場に作り上げるよう意識しているだろう。

そこでいろいろな掛け算が出来上がる。
共演者同士、
同じ役同士、
それに演出やスタッフも掛け算に加わり
無限のループが出来る。

ただし、これはどこかで妥協点を見出す必要もある。
肉体がなすことなので、
無限ではない。
それぞれの経験やポテンシャルもあるので、
出来た形で観客に提出しなければならない。

そこで、意欲や野心がある者は、
稽古を通し出来上がったものに
マシマシを加えてくるだろう。
全員マシマシだと、きっと収拾がつかなくなる。
それは全体のバランスを互いに理解し、
ちょうどいいところに落とし込む。
だいたいちょうどいい時間で終わる。

またそこに、照明や音響も加わり、
バカバカしいのか感動するのか
わけのわからない気持ちを抱く場面となる。

そういう相互作用が
A、B両方観ることにより、感じることが出来た。

5月に野外で行われたものから
半年経って観たので、
記憶が定かでない点も多いが、
忍者たちの合言葉
「なかよくしよう~」は
皆普通にそろっていたと思うが、
今回はあえてそれぞれが放つ不協和音がそろう、というのに
変わっていたように思う。

大蛇のチタオはこういう既製品が売ってるのかなあと
毎回考えていたけど、
電子パンフレット(紙パンフなしも一つの意思)をみたら、
『ちたお制作:めぐ』
とあった。

まぶしい!光り輝く武器、の前振りから
ライトセーバーが登場すると思わなかったが、
ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をバックに
スターウォーズ感にやたら忠実な効果音と
タイミングのよい音出しで、
ハットリ寛増が“自分自身”とミドリとアカのライトセーバーで戦う場面は
妙に優雅だった。

DXとはデラックスのほかデジタルトランスインフォメーションの意味があるようだ。
象徴と言えるQRコードは大小含め、何枚プリントアウトしたのだろうか?






 

クリエート浜松で劇団からっかぜ「兄帰る」を観た

カテゴリー │演劇

11月14日(日)16時~

劇団からっかぜ第280回公演
「兄帰る」は二兎社の永井愛による2000年の岸田國士戯曲賞の受賞作。

「兄帰る」と言えば、大正6年1月に発表された菊池寛の戯曲「父帰る」。
菊池寛は作家でありながら文藝春秋を創刊し、芥川賞・直木賞を生み出した。
「父帰る」の名は聞くが内容は知らないので読んでみた。

僕の予想に反し、一幕物の短い戯曲。
20年間、家を出たきり戻って来ない父親が帰ってくる話。

一家の20歳になる娘が良い家に嫁に行くという。
上には28歳の兄と23歳の弟、そして母親がいる。
父は20年前に借金を残したまま情婦と家を出た。

10年前に岡山で父に会った知り合いは
父はライオンや虎らを引き連れて興行をしていて、
料理屋で豪勢なご馳走をしてくれ、
金時計を身に付け、絹物づくめだったと言う。

残された家族は父を見返す思いで、
苦労して働き、学び、
兄弟はともに立派な仕事についた。

母は父への思いがあるのだろう。
これは奪われた時間だけでは説明がつかない。
時代による男と女や夫と妻のとらえ方の違いもあるだろう。
父との記憶がない弟と妹と共に
年を取ったからという理由で帰ってきた
身勝手な父の帰宅を受け入れる。
しかしすでに分別のつく年齢だった兄は
父を許せない。

父は再び出て行く。
そして兄は弟に呼び返すように言う。
弟は外を探すが、すでに父の姿は見えない。

“家” という
封建的で、因習的で、保守的で、隷属的で、世襲的で、閉鎖的で、固定的で
人間という生物が生きながらえるための
本能が作り出しているともいえる制度の中で、
不自由さを感じ、そこから自由に飛び出していく者がいる。

不自由に耐えながら、それが正しい道と信じ生きる人たちは
無責任に自分だけの自由を選び取る人たちを容赦することは出来ない。
それは自分の生き方を否定することになるからだ。
そのような生き方は存在してもいいと人道的には理解しているが、
それがごく近しい者である場合は別だ。
実際的な被害が及ぶ。

被害者であり続けることは認めることは出来ないので、
自らを立ち上げ、能動的な立場でいられるように努める。
そこにはすでに被害を及ぼすことになった張本人はいない。
完全なる独立した個人であるのだが、
悲しいかな、情は残る。
情の前に頭による計算は用を成さない。

「兄帰る」は16年前、2000万の横領事件を起こし行方不明になった兄が帰ってくる話。
すでに実家は兄の不祥事の穴埋めのため売却され、
その心労もたたり父は死に、母もすでにいない。
弟が妻と共に建てた新居に帰ってくる。
上野でホームレスをしていたという。

再婚した姉もやってきて兄のその後の対策に講じる。
ただし、あくまでも身内としての縁ゆえ。
本音を言えば、関わりたくないのだ。
唯一、16年前に去った兄、幸作と面識がないのが、
弟、保の妻、真弓。
真弓にとっては、幸作は初めて会う
まっさらなひとりの男。

真弓は結婚以前はコピーライター事務所で働いていたが、
コピーライターではなく事務員であったことに満足していない。
現在フリーライターとして仕事をしているが、
まかされるのは虚偽まがいの広告記事のようなものばかりで
満足していない。

新居は真弓の選んだものばかりで埋め尽くされている。
家具も食器も飲む紅茶も。
真弓は夫の意思でもあると主張し、
夫はそれを受け入れているように見える。
ただし、そのことにも真弓は満足していない。
もちろん夫だってそれを完全に受け入れているわけではない。

自然にまかせ自由に生きるナチュラリストなんてものを
標榜しているように見えるが、
本当に自分が根源的に求めているものなのかなんて自信はない。

息子は小学五年生ながらも
オーストラリアの農場に短期留学させている。
少年野球の夏合宿が重なっているにもかかわらず。
子供の為の教育熱心さよりも
自分が思うように生きることができない不満を
子供に押し付けているように思う。

まあまあ取り繕う術がある真弓に対し、
その歪みが直接的に表れる役割として、
ママ友である金井塚が登場する。
決して間違った選択をしてこなかったはずなのに
現実的に今、とても苦しい。
それは真弓の姿に他ならない。

16年前、身勝手な理由で消え、
再び身勝手に戻ってきた兄の
世話を焼くことは本来はする必要はない。
身内であろうがそれぞれの人生なのだから。
ところが、それぞれ自分の立場を守るため、
人道的という虚飾をまといながら、
兄の再生の手助けをする。
ともに根本は自分自身の保身のために立ち回る
叔父や叔母も巻き込みながら。

行動すれば本意でなくとも事態は変わる。
ただし当の本人である兄だけは変わらない。

そもそも弟が建てた家に何日も衣食住の世話を受けること、
自らは動かず他人に就職の世話をしてもらうこと、
新たにアパートを借りるにも金を援助してもらうことになっていること、
そして終盤明かされる、この家へ来た目的。

思い浮かぶのは、日本映画の最大のスター
「男はつらいよ」のフーテンの寅さん。
ただし、こちらは時期が来ればふいと出ていく。
金の迷惑はかけないことが信条。

不自由ながらも今いる場所で何とかやりくりして生きていく人たちと
自由に飛び去っていく人。
ほとんどの「ここにいる人たち」は映画館の暗闇で寅さんの自由さに憧れる。
ただし、それを簡単に認めるわけにはいかない。
必死に耐えて頑張っている自分を否定することになるから。

真弓は新しい生活を語る幸作に、
大切に育てているミニバラをプレゼントすると言ってしまう。
ただ、その後、気持ちは変わり、それを取り消す。
しかし、幸作は出て行ったあと、黙ってミニバラを取りに来て、
真弓と目が合いながらも、にっこりと持ち去り、
真弓の心は宙吊りのまま幕が閉じる。

実はこれは、ひとつの愛の話でもある。

この劇は最初から最後まで、
俳優は今舞台上で表面に出ている感情のほかに
隠された別の感情を常に抱きながら演技する。
これはなかなか難しい。
サスペンスならまだいい。
犯人探しに限定されていくので、感情表現は絞られていく。

ただ、こちらは話が進むほど混沌とする。
それぞれの思惑が乱反射する。
不明点がますます大きくなると言ってもいい。
ただし、そこに観客が共に考える空間があらわれる。
時には他人事でない我が事として。

そのような劇を書く人にアントン・チェーホフがいる。
当時のロシアの人たち、ありふれた自分たちを描いた。
現在でも世界中で演じられている。

人間自身を描き切ること、
そのための試みであることは間違いない。






 

穂の国とよはし芸術劇場PLATで劇団スーパー・エキセントリック・シアター「太秦ラプソディ~看板女優と七人の名無し」を観た

カテゴリー │演劇

11月13日(土)13時~

劇団スーパー・エキセントリック・シアターは通称SETと言う。
第59回本公演。

1979年、劇団大江戸新喜劇を母体として、
三宅裕司さんを中心として設立された。

僕が大学生だった1980年はじめ以降の記憶では
三宅さん他、
今回も出演した小倉久寛さん、
岸谷五朗さん、寺脇康文さん(おふたりはSET隊メンバー。脱退後地球ゴージャス結成)
などテレビにも出演するタレントを生み出し、
当時の僕にとって、
メジャーな劇団のイメージ。

三宅さんは夕やけニャンニャンや
バンドのコンテスト番組、イカ天(いかすバンド天国)、
映像作品のコンテスト番組、エビ天(えびぞり巨匠天国)
の司会姿が僕の中ではおなじみ。

ただ、活動の主体であろうSETの公演はその後何十年、
一度も観る機会はなかった。

ミュージカル・アクション・コメディーと銘打っている。
観客を楽しませることに徹していることは誰もが理解する。
難しいことなんかひとつもありませんよ。
からだ一つ持ってきていただいて、
腹抱えて笑って帰って行ってくださいね。
そんなメッセージを観る前から誰もが受け取る。

場所は太秦撮影所。
実際の右京区太秦にある東映京都撮影所のことを指しているかどうかわからないが、
時代劇のセットがあり、時代劇の撮影が行われている。
大勢の大部屋俳優がいて、
いつまでも俳優として芽が出なく、
長くいるものもいる。
ここにひとりの主役である男性がいる。

3人の大部屋俳優が、女性記者の取材を受けているという場面から始まる。
俳優たちの人となりが表されるが、
女性記者自身は話の流れとはそんなに関係ない。

小倉さん演じるベテランの大部屋俳優が登場し、
客席から大きな拍手が起きる。

緞帳が下がり、幕前で大部屋に所属する女優たちと
もうひとりの主役である女性がいる。
こちらはこれから撮影されようとしている
時代劇の役に付いている。

緞帳が上がり、時代劇の撮影所。
今まさに撮影が始まろうとしているところで
そこには役付き俳優や役なし俳優、助監、カメラマなどの中に
映画監督役である三宅さんがいる。
何でもない様子で人が並ぶ中、
ディレクターチェアに座っている。

観客は一度に観る情報量が多く、
すぐには三宅さんの存在に気が付かない。
まもなく座長が登場していることに気が付くのだが
すでに拍手のタイミングは逸し、話は進んでいる。

これ、なんか自分の役割わかってるなあ。
座長だなあ。
粋だなあ。
おぐちゃんはあんな出し方させて自分はこれ。
だから一代でこんなに長く(42年)続いているんだ。

それで主役は若い男女。
話は進むが、
話を濃密にすることは
この劇団の目的ではない。
何はともあれ、観客に楽しんで帰ってもらうことが第一義なのだ。

ひとつの場面で何度笑いが起こすか。
感動しそうになったら、次に
必ず笑いに転換させること。
比較的シリアスな役も
等しく全員笑いの場面があること。
笑いの部分を担う役者は
笑いの量、質とも特にその重責を負う。

そのためには
話の腰を折ることや、
ご都合主義も厭わない。

思いつく限りであるが、
最も徹底しているのは吉本新喜劇。
各自お決まりの必殺ギャグを忍ばした侍たちが
もれなくギャグを炸裂させるのが第一義なので、
話はあえて単純にする。

つぶれそうなうどん屋に、昔出て行った息子が帰ってきて、
喜ぶのもつかの間、暴力的な借金取りなんかが次々訪れて、
ピンチに陥るが、なんやかんやで解決し大団円。
その間にギャグが絶え間なく入り、
いちいち全員でこける。
話なんて、なんのこっちゃ。

SETの原点は、
浅草喜劇なんでしょうか?
それともアメリカのボードヴィルなんでしょうか?
どれも踊りも歌も演奏も芝居も手品も曲芸も漫才も漫談もコントもあり、
娯楽というかエンターテイメントというかショービジネスというか、
遠いのは芸術やアートという言葉ではないだろうか?

ウィキペディアで三宅さんの生い立ち調べてみた。
東京都千代田区神田神保町出身。
家業は印刷屋。
父は8ミリ映画が趣味、
母、叔母が松竹歌劇団(SKD)出身、
母の影響で幼いころから
日本舞踊、三味線、長唄、小唄などを習う。
中学から落語、バンド。大学では落研。
う~ん。バリバリだ。

最後は歌って踊っての大団円。
僕は舞台上の人数を数える癖があり、
人数37人。

三宅さん、小倉さんは芸能で十分食っているが、
他の人たちはどうだろう?
もっと有名になったり、
長く続けて行く人もいれば、
辞めて別の道に進む人もいるだろう。
この日は豊橋に旅公演に来ているが
東京に戻れば、俳優業とは全く異なるアルバイトに出向く人もいるだろう。
想像するしか方法がないそれぞれの人生を思う。

この日は東京池袋サンシャイン劇場での公演を経て、
この演目の大千穐楽。
コロナによる演劇活動がままならない時期を経ての公演だったことが理由か
心なしか、終幕後のあいさつで舞台に立つ
特に若手の役者たちが感慨深げに見える。

あいさつは座長の三宅さんに続き、
「もう一人の「看板役者の・・・」という三宅さんに紹介により、
小倉さんがもじもじしながら話し出す。
ところが話し出したら、止まらず、
立ちっぱなしの劇団員たちは、
「長いな」「早く終わらんかな」「またか」などと思っていたかどうかはわからないが、
微妙な笑顔を絶やさないまま、微動だにせず話が終わるのを待つ。
観客も待つ。
僕は、そのあと、浜松に戻り予定があったので、
押し押しの展開に本気でやきもきする。
これは小倉さんも承知だろう。
あいさつを引き延ばしただけ、誠意が伝わり、
観客の心に留まる。
さすが手練れの人気者。
僕は終わった途端に、次の用があったので、
駐車場に直行した。
名残を惜しみつつ。






 

シネマe~raで「沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家」を観た

カテゴリー │映画

11月7日(日)13時55分~

この映画、原題は「RESISTANCE」。
レジスタンスとは辞書で調べると、
「侵略者などに対する抵抗運動。
特に,第二次大戦中ナチス-ドイツ占領下のフランスをはじめとし、
ヨーロッパ各地で組織された地下抵抗運動をいう」
とある。

このタイトルから、パントマイムの第一人者、マルセル・マルソーの話であることは
全く想像できない。

日本での上映時のタイトルは
「沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家」。

マルセル・マルソーを表す言葉(沈黙、芸術家とか)を加えたが、
むしろわかりにくなっていると思う。
映画でのマルソーはとても沈黙どころかとても雄弁だし、
孤児たちを救うこと自体に芸術は全く関係ない。

将来パント・マイムの神様と呼ばれるようになった男が、
ユダヤ人に対するナチの横暴に果敢に抵抗したという話なのだ。

マルソーはチャーリー・チャップリンの映画を観たことがきっかけで、
俳優を志すことになるのだが、
チャップリンも体の動きで表現することも、
当時、音声の録音技術が発達していない
無声映画の時代だったからだと思う。

1923年3月22日生まれのマルソーは、第二次世界大戦の終戦後、
1964年、サラ・ベルナール劇場の中のシャルル・デュランの演劇学校に入る。
この映画で描かれるのは、戦時中のフランス。
ドイツ軍がフランスに侵攻し、
ユダヤ人たちが、粛清されていく。
両親を殺された少女の姿が映し出されるのが映画の冒頭。

一方、マルソーは、
父が経営する精肉店に働きながら、
夜はキャバレーで、パントマイムを披露していた。
ユダヤ人である父親は、芸術なんかで食べていけるかと
俳優になりたいマルソーの夢を否定する。
生活ができないのになぜやるのだ?と問われ、
トイレに行くのと変わらないと答える。
それは、やりたいと体が欲するからだ。

そして、兄アランや従妹ジョルジュ、思いを寄せるエマと共に、
シャルル・ド・ゴールの「自由フランス」という
ドイツによるフランス占領に反対して作られた抵抗組織に入る。
1942年7月21日からは「戦うフランス」と改称された。

そこで、映画の冒頭の親を殺され孤児となった少女を含む
ユダヤ人孤児たちを保護する手伝いをする。
保護してくれる教会に車で連れて行ったとき、
一様に顔を強張らせ、心を閉じていた子供たちを
マルソーはパントマイムの技術を生かし、
一挙に全員を笑顔にさせ、心を開かせる。

また、芸術の道に反対していた父は
追われた疎開先にある舞台で歌を披露する。
訪れたマルソーは父も自分と同じだったことを理解する。
父の夢は歌手になることだったのだ。

孤児たちは、過ごす教会で
讃美歌を歌う。
冒頭の少女は歌がうまく、
映画の後半で、
ユダヤ人を撃退する側の象徴として、マルソーたちを追い詰める
「リヨンの虐殺人」と呼ばれる
クラウス・バルビーの心をほんの少し、和らげる効果を持つ。

マルソーたちが孤児たちを逃がすために乗った列車で、
追うバルビー達の前で絶体絶命ののピンチに陥るが、
逃れるため普段やっていた合唱をするのだが、
バルビーは生まれたばかりの我が娘を思い、
芸術的な素養を身に付けるにはどうしたらいいと必死な思い出
合唱の指揮をするマルソーに聞く。
マルソーは、制限せず、自由にやらせてください、というようなことを答える。
それで納得したかどうかわからないが、バルビーたちは去り、
マルソーたちはピンチを逃れる。

このように、
理不尽な政略者に追い詰められながら抵抗する人々を
「芸術の力」という側面を盛り込みながら描いている。
ただし、映画の全体の構造は、
スリリングで、ドキドキハラハラさせるのだが、
ちょっとうまく作りすぎてんじゃね?
と突っ込みも入れたくなる。

これは、
ポーランド系ユダヤ人、ベネズエラ出身のジョナタン・ヤクボヴィッツ監督の
映画作りのうまさの故の側面ではあるのだが、
ハリウッド映画的だなあと思った。
「逃げるヒーローマルソー、追う悪人バルビー。
さあ、結末はいかに?」
みたいな。
こういう展開の場合、
結末はハッピーエンドでないと観客は納得しない。

ハッピーエンドで安心し満足するのだが、
こういう展開を楽しみに観に来たんだっけ?
とふと思う。

マルソーのパントマイム人生のほとんどは
この映画で描く時間の後から始まる。
僕自身その活動をあまり知らないので
また触れてみたい。






 

松菱跡地へ「オン・ライン・クロスロード」へ行った

カテゴリー │いろいろ見た

松菱跡は、いったいどれくらいの面積なんだろうか?
ふと気になり調べてみたら、0.4ヘクタール。
つまり4000平方メートル。
中学校の運動場の最低基準の面積より一回り大きな広さ、
コンビニが40個分、
と比較例が出ていた。(わかるだろうか?)

売り場面積でいうと2万6,666㎡。
2万㎡が東京ドーム0.4個分だそうだ。(わかるだろうか?)
ハイライトやラークと比べた方がわかるだろうか?

松菱がデパートとして存在していたのは20年前のことだが、
その重さから抜け出すことは容易ではない。
そこでは多くの従業員が働き、業者が出入りし、
多くの客が訪れていた。

僕も大学1年の冬休み、松菱の1階にあった花屋でアルバイトをした。
トイレへ行くときや休憩時の隠語があったが、忘れてしまった。
花の包み方も覚えたが、今やれと言われても出来る自信がない。

その場所を埋めるのは並大抵ではない。
だから、破綻から20年も経ってしまった。

11月6日(土)のこと。
11月4日から7日まで行われた「オン・ライン・クロスロード」へ行ってきた。
到着したのは午後3時近くだろうか。
その中のひとつの企画である「押し☆たん!!(雑多な音楽ステージ)」を目当てに行った。
午後2時から始まっていて、審査発表が終わる午後5時までいた。



4日(木)午後7時から行われた「表現未満、」リサーチプロジェクト クロストークにも行ってきた。
5人の研究者がこのイベントの主催者である認定NPO法人クリエイティブサポートレッツがひとつのテーマとして掲げる
「表現未満、」について、事前に冊子となっているリサーチ報告書等を元にレッツ代表の久保田翠さんと共に語る。

「表現未満、」とは何だろう?

表現という言葉が、実は苦手だ。
何か、特別なもので、かしこまって、考えがちになるからだ。
人によってはよくわからないので、
関わらないように耳に入れたり、考えることを
封印してしまっている人もいるだろう。

教育を受けていない子供が歌を歌いだしたり、絵や字を書き始めるのも
もちろん表現行為の一つで、
うまくてまわりからもみとめられなおかつかねをかせいでいるひとらと
表現という名のもとに、何ら変わりはない。

もしも生物の有り様をすべて表現と解釈するなら、「表現未満、」という言葉は存在しない。
誰でも区別なく、十分に生き、最大の表現をしていると思いたい。

ただし、皆例外なく欲張りなので、
ああ生きたいこう生きたい。
でもできない、
十分な表現が出来ていないと
忸怩たる思いをする。

または、まわりが、もっとこうすればいいのに、
本当はもっとできるのにと
それぞれの判断基準が主な理由で、
やきもきしたりする。

そういう意味では誰もが当てはまる
等しく「表現未満、」なのだ。
ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手も
ピッチャーもバッターもやって凄いねえとまわりは言っても
本人はまだまだ「表現未満、」と思っているだろう。



先月から今月にかけ、
さまざまな種類のアートが街中に集結した
「浜松オープンアート」(オープニングだけだが)、




静岡文化芸術大学の学生らにより企画された
万年橋パークビルの「貸事務所展」(6階会場だけだが)、



そして「オン・ライン・クロスロード」と
どれも浜松街中で行われたイベントに顔を出したが、
共通しているかなあと浮かんだ言葉が、「文化の交差」。※まさにクロスロード!
決して「交流」ではない。
点として分散している各文化が、あ、もしかしたらすれ違ったかも、という感じ。

ただ、点も打てば打つほど、重なるし、
線も引けば引くほど、交差する。

イベント用に仮設で作られた木のベンチに座ってイベントを観ていると、
目の前を人が頻繁に通る。
そこは手作りの道(砂利が敷いてあり色が違う)になっていて、
ちょうど通り道なのだ。

イベントを見に来た人ばかりではないだろう。
その人にとっては、突如出現した便利な近道だったのかもしれない。

イベントが終われば、またいつもの松菱跡に戻る。




 

シネマe~raで「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」を観た

カテゴリー │映画

11月3日(祝)19時5分~

1969年8月15日から17日までの3日間約40万人の観客を集めたウッドストック・フェスティバルと同じ年、
6月29日から8月24日までの日曜午後3時からハーレム・カルチュラル・フェスティバルが開催された。
6回の無料コンサートに30万人近くが参加したようである。
ウッドストックが映画化もされ、違う国で生きる僕も知る(DVDまで持っている)のと比べ、
ハーレム・カルチュラル・フェスティバルの存在は知らなかった。

映画の副題にあるように、撮影された映像が、保管されたまま長く世に出なかったのである。
それが2019年に行われたフェスティバルの50周年記念式典をきっかけに映画化が進められることになる。

映画を見ていて興味深かったのが、
ちょうどフェスの開催日である7月20日にアポロ11号が人類史上はじめて月面着陸に成功のニュースが流れる。
取材記者はフェスの観客に、宇宙飛行で月に到着したことをどう思うか質問する。
素晴らしいことだと答える一方、その金を貧しくて困っている人たちに回してほしい、と答える。
君にとってどっちが大事?と意地悪な質問をする。
流れる音楽に身をかませながら、そりゃあ、こっちだね、想定通りの答えをする。

そして、映画の編集ではライブの演奏に月面着陸の映像が交互に差し込まれる。
音楽と月面着陸はまったく別物だ。
同じ時代にいろいろな別物が共存している。

ウッドストックもこちらのフェスも、音楽が政治と今より結びついていた時代ならではのイベントであるが、
その後は対外的には別の歩みをする。
一方は伝説となり、一方は、所謂無視された。

伝説になったからよかった云々の話ではない。
どちらに出演した者たちも、イベントがあってもなくても
名の知れたミュージシャンたちだ。

ただし、無視された方のイベントは、
参加者も観客も人種的に差別されているマイノリティ側であったからではないかというのが、
映画が伝えるひとつの文脈である。
前年にはアフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者キング牧師が暗殺されている。

ここで僕は人種を表す言葉を出さない。
人間を肌の色で類別すること、
音楽の種類を人種で言い表すこと自体が差別的であるという考え方があるようだ。

僕は詳しいとは言えないが、
ソウルミュージックやリズム&ブルース、ゴスペルなどが好きだ。
ごく単純に音楽として。

しかし、この映画でも紹介されているが、
音楽性は多岐にわたる。

アフリカルーツのアフロ・ビート、ラテン、
JAZZだったり、ロック的だったり、当時現代的だったサイケと融合していたり。
レコードレーベルが流行を意識して作り出したモータウン、
人種・性別を越えた構成のバンドだったり。

象徴的な出演者として、
冒頭と途中、そしてエンドロール後にも
19歳だったスティービー・ワンダーが出てくる。
当時もヒット曲に恵まれていたが、
それを再生することで満足することなく、
新しい地平に果敢にチャレンジしていく姿勢が触れられている。

何十年も(決して多くはないが)洋楽を聴いてきたと思うが、
近頃、音楽映画を映画館で観て、今さら発見したことがある。
歌詞がわかると、音楽もよりいいと実感する。
歌を通して何を伝えたいのか初めてわかったような気さえするのだ。
それは歌詞の意味もわからず聴いていた時と違う。
(日本語訳の歌詞カードと見比べながら聴くときもあるが、
文字で書かれた詩を読むのと音を聴くまったく違う作業を同時進行でやるようで、
いまいち融合しない。
映像に日本語訳が流れるのも似た作業だと思うが、
実際の映像があるためか、別の作業のシナプスがつながりやすい気がする。

あたりまえのことだが、
洋画を観るときは、親切にも日本語字幕が付いている。
音楽に言葉なんて関係ない、と言い張る人もいるかもしれないが、
洋画に字幕がなかったら相当ストレスがたまるだろう。
次第に観なくなるだろう。
積極的だったら、理解したいがために英語を懸命に習得しようとしたかもしれない。
音楽なら言葉の意味がわからなくても聴いてしまう。
もしかしたら生涯。
これはこれで音楽の不思議なところだろう。



こちらは出演した左上より、スライ&ザ・ファミリーストーン、ニーナ・シモン、マへリア・ジャクソンのCD。
いつまでもにわかの域を出ない聴取者のひとりである。
ちなみにスライ&ザ・ファミリーストーンはウッドストックにも登場した。
人種・性別を超えたメンバー構成と多彩な音楽性が特徴だが、
両者のフェスティバルの違いを象徴していたのかもしれない。