掌編小説『拾ってきた猫を返す』を書いた

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掌編小説 その9

路上演劇祭の翌日の日曜日に書いた。
テーマは《家庭》。

捨て猫を拾ってくる娘と、
猫アレルギーの妻と、
「私」の話。



『拾ってきた猫を返す』                         

                       寺田景一



妻が長い出張に出ると、決まって娘は捨て猫を拾ってくる。

妻は重度の猫アレルギーで、それまでも何度も拾ってきて、くしゃみやかゆみのみならず、蕁麻疹や呼吸困難まで引き起こしたりした。

来月四月になれば小学校に上がる娘も、さすがに妻の危機的状況を見て学んだようだ。
妻がいなくなる期間を見越して、猫を拾ってくるようになった。

私は、それは娘の私への復讐だと思っている。

私は、若いころから自分の芸術活動に溺れ、ほとんど稼ぐことをして来なかった。
食うに困れば小遣い稼ぎのようなバイトもしたが、多くは女の所に転がり込んで養ってもらった。

妻ともそのような関係から、娘が出来たことが理由で、籍を入れることになった。
妻は名の通った有名大学を出て、海外出張も多い商社に勤めている。

私と同じ二十八歳と言う年齢は、妻のような営業職の場合、キャリアアップには重要な時期らしい。
会社の中核として組み込まれていくのか、補助的な立場で受け持った仕事をこなしていくのか。

野心的ではないが、妻は普通にやれば、まわりが動き、成果を上げて行く能力があった。

それに引き換え、私の芸術活動の成果は、地域の新聞やマイナーなアート誌に取り上げられることはあっても、それが収入に大きく結びつくわけではない。
たまに展覧会をやることもあるが、多くの来場者を集めることはない。

私の部屋は多くのキャンバスや絵具や筆、ナイフ、パレットなど絵画の道具で溢れていた。
様々なサイズの完成した絵、描きかけの絵も所狭しと、置かれている。

妻が出張で娘とふたりで家にいた日、昼食の時間になっても筆が止まらず、娘には私が簡単に作ったサンドイッチをひとりで食べさせた。
私が遅れて昼食を取り、自室に戻ってくると、ソファーに娘と猫が眠っていた。

ソファーは絵の構想を思い描いたり、休憩したり、時には眠ったりする場所だ。
古いソファーで、所々に絵の具がつき、私の汗や脂がしみついている。

今の妻が、女の子が生まれたと、赤ん坊を抱いて現れた時、私の貧困度は最悪だった。
それにも関わらず、絵への情熱は高まるばかりだった。

彼女は私に結婚を迫り、言い返す術を持たない私はそれを受け入れた。

私はそれから泣き叫ぶ娘の声を耳にしながら、この子を捨てることばかり考えていた。

すぐに仕事を再開した妻が不在の夜、泣き出した娘を抱き、外に出た。
道路をうろついているわけにもいかず、人気のない公園へ行く。
昼間は親子連れなどで賑わっているが、うっそうと茂った木々で不気味に感じる。

どこにこの子を捨てようか、そんな妄想に駆られる。

実際に公園のベンチに置いてみた。
こんな目立つところでは酒場帰りの酔っ払いにすぐに見つかってしまう。

再び抱き戻し、次の捨て場所を探す。
娘はとうに泣き止み、眠っている。

木が一層生い茂る一帯に入っていく。
固い枝や葉が、私の身体に容赦なく突き刺さる。
娘を捨てに行くというのに、それらから守ろうと我が子を身体の中に抱き寄せる。

そして見つけた大きな木の根元に、赤ん坊を置くには丁度いいくぼみを見つけ、置いてみる。
ここならきっと、私の元にいるより、ずっと幸せになるだろう。

私はその場を離れる。
夜風もおだやかで静かだった。

公園を出て、住宅街の家から漏れる灯りが目立つ場所に来て、はたと気がつく。

私は何と言うことをしてしまったのだ。

一目散に公園に戻り、娘を置いた場所に走る。

そこには、すやすやと眠る娘の横に眠る一匹の猫がいた。

私は、娘のみを抱き上げる。
途端に娘は激しく泣き叫ぶ。
私は猫の元から逃げるように連れ去る。
泣き続ける娘を抱えて。

そのことを、実際に娘が覚えているとは思わない。
ただし、私に捨てられた無意識な記憶が、捨て猫を拾ってくるという復讐を実行しているのだ。
そう考えている。

娘が猫を拾ってくると決まって、妻が発狂し、家庭は混乱に陥った。
私が猫を奪いとり、交番に駆け込む。
猫は遺棄物として預けられる。

猫のその後は知らない。
捨て猫なので、所有者が見つからずしかるべき処理がされるのだろう。

私がソファーで並んで眠っている娘と猫を見ていると、猫が先に目を覚まし、そろりと動き出す。
大柄のクロブチの猫は、娘に触れることなく、ソファーから床にとんと降りる。

「サンドイッチ、マスタードきいてるね」

えらそうなグルメ評論家のような口ぶりで目を覚ました娘が言う。

「ママがいると使えないからな」
「とってもおいしいよ」
「小学校に行くまでのがまんだ。そうすれば、ママも認めてくれるだろう。サンドイッチにマスタード」
「やったあ」

妻は、猫アレルギーの他、いくつかのアレルギーを抱えている。

食物アレルギー、植物アレルギー、薬物アレルギー‥‥‥。
花粉症のシーズンには一早くかかるし、新築の家を訪れれば必ず具合が悪くなる。

そんな体質で、海外を飛び回るなんて大丈夫なのだろうか?

仕事の時は別。
それが妻の口癖だった。
くしゃみをしながら。

「ママが帰ってきたら、マスタード入りのサンドイッチ、作ってあげてよ」

娘が、床にいる猫を手繰り寄せながら言う。

「その前に、そのネコをここに入れるんだ」

私は、猫ゲージを手にして言う。
猫を飼うことが出来ない家で猫ゲージなんて変な話なのだが、ひんぱんに娘が拾ってくるので、購入したのだ。
猫を返しに行くときのために。

「さあ、早く入れて、警察に行こう」

私は、娘から奪い取るように猫を両手でつかむ。

「やめて! マティスがかわいそう」

娘は泣き出しそうな顔で、昔の有名な洋画家の名前を出して言う。
私の洋画集をめくっていることが多い娘がいつの間にか覚えたのだろう。
パウロ・ピカソと言う名をつけたこともある。

親のひいき目ではなく、娘は絵がうまい。
これは教えてどうのというものではない。
私が絵描きを続けているからわかることでもあるだろう。

「ママにマスタード入りのサンドイッチ。やくそく‥‥‥」
「ダメだ。ママや、警察の人も困らせる子の約束は守れない」
「だって、ママがいると、ネコ、ずっと飼えないの?」

私は一瞬言葉に詰まる。

「そうだな。おまえが、この家を出て行くことになったら、好きなだけ飼えばいい」
「いつ?」
「仕事についたり‥‥‥結婚したり‥‥‥要するに、自分でネコの面倒を全部見れるようになったら」
「そんなずっと後、いやだ。今飼いたいの! ネコ」

娘は私から猫を奪い取ろうとするが、マティスは猫ゲージに放り込まれる。

娘は激しく泣き出す。
まるで夜、公園の木の根元で猫から引き剥がした時のように。


※写真は中田島砂丘付近のネコ。






 

戯曲「ブラックボードマシーン」

カテゴリー │ブログで演劇

6月10日、路上演劇祭Japan in 浜松2023が行われた。

そこで、テラダンスムジカというユニットで、
「ブラックボードマシーン」という作品を上演した。

テラダンスムジカは演劇とダンスと音楽の3人によるユニットで、
僕が脚本を書いた。

特別ゲストは、さくちゃん。
結果的に、『演劇+ダンス+音楽+絵』になった。

練習もなしで、ありがとう。



ブラックボードマシーン

テラダンスムジカ






ここは、砂が降る町。
降る時と降らない時がある。
だから町は、だんだん黒くなってきている。
そのことに町の人たちは気づいていない。

僕は子供時代、いじめられていた。
だからひざをかかえて、ひとり座り込む。
教室で。
校庭で。
僕の部屋で。
町のどこかで。

ひざをかかえていると、顔は下を向き、背中が丸くなる。
そこに、いじめっこたちが落書きをする。
やつらは頭が悪い。
字はめちゃめちゃで、絵だってへたくそだ。

おかあさんがあつらえてくれた白いシャツが、
みるみる頭の悪い落書きでいっぱいになる。

「まあ」
家に帰るとおかあさんが目を丸くして言う。
落書きをひととおり見た後、
白かった服を脱がし、たらいに入れ、水を出し、せっけんをこすりつけ、せっせと洗う。

取れないと思っていた落書きはきれいに消え、
元通りの真っ白になる。




僕は次の日も、そのシャツを着て学校へ行く。
そして、落書きだらけで帰ってくる。
おかあさんは目を丸くして、「まあ」。
落書きを見て、シャツを脱がし、洗う。
シャツは白くなり、学校へ行き、丸くなった背中に馬鹿が落書き。
おかあさん目を丸く、「まあ」。
脱がし、洗う。
まるい背中、馬鹿、落書き、
おかあさん目を丸く、「まあ」。

ある日、おかあさんが用意してくれた白いシャツを脱ぎ、
黒いシャツを着て学校へ行った。
黒なら、やつらも書くことができないと考えたのだ。

強気な心と裏腹に、またひざをかかえ、背中は丸くなる。
いつものペンを持ち、やつらは僕に群がる。
「これじゃあ、書けねえよ」
黒いマジックを僕の黒いシャツにこすりつけ、クラス一番のガキ大将が言う。
ほかのやつらも、
「書けねえ。書けねえ。書けねえぞ」

「こいつ、黒板だ」
誰かが叫ぶ。
この時ばかりは頭の回転が速い。




黒板。
黒いシャツの黒板。
やつらは教室の前へ走る。
チョークを手にする。

白いの、赤いの、青いの、黄色いの。
長いの、短いの、ちょうどいいの。
とがったの、まるいの、ちょうどいいの。

やつらはふりかえり、僕に向かって突進する。
足が速いやつも、遅いやつも。
黒いシャツに落書きをする。
まるで黒板みたいに。

それから、僕の反撃は始まった。
家に帰り、「まあ」と言って、黒いシャツを脱がそうとするおかあさんを振り切って、逃げだした。
おかあさんはひっくりかえるが、僕は振り返らない。

次の日、同じ黒いシャツを来て学校へ行く。
やつらは落書きだらけの僕にあきれたが、またチョークで書きだした。
字も絵も、何を書いているのかわからない。
重なり合っても関係ない。
書く猛獣。
書かざるを得ない、狂ったケダモノ。
次の日も。
次の日も。
次の日も。




僕は、日ごとに体を硬くしていった。
硬い甲皮でおおわれたアルマジロのように。
黒板のように。

その時がやってくる。
僕は最大限に体を硬くする。

反撃能力のある鎧。
死の鎧。
背中に群がっていたやつらは、一斉にはじけ飛ぶ。
飛び散った指を、失った手を、もう片方でおさえ、体中を駆けめぐる激痛に耐え、耐え、耐え、耐えきれず、「ああ~」

わめき、泣き叫び、恐怖におののき、懇願する声。
「もうしません」「許してください」。
必死に謝るが、もう、遅い。

その中には、担任の先生もいた。

僕は無敵だった。
でも、ひとりだった。
僕は家を出た。
おとうさん、おかあさん、ごめんなさい。
こんな子どもで‥‥‥ごめんなさい。




そのころから、町に砂が降るようになった。
異常気象だと騒がれたが、理由はわからない。

砂が降る日は誰も外に出ない。
傘は何の役にも立たない。
強い砂のせいで、死亡者が出たニュースが流れる。

僕は町に出る。
砂が降る日は大好きだ。
痛くなんかない。

そのうち、砂が降っても大丈夫な、特殊な傘が開発される。
人々は高価な砂用の傘をさして、外に出る。

砂が降る日は、町に人が少ない。
僕は町でひざをかかえ、背中を丸くする。
背中には、黒板。
ブラックボード。

僕は、機械。
ブラックボードマシーン。




   ブラックボードの準備をする。

こうして、準備をする。
砂が上がった時のために。

人々が飛び出してくる。

   子供が出てきて、落書きを始める。      

子どもだけじゃない。
おとなも。
まるで、無邪気だった子どもの頃みたいに。

このブラックボードは、誰が書いてもいいのだ。
書いてはいけない人は、ひとりもいない。
もう腕を痛めることはない。
指が飛び散ることもない。
僕は、極めて安全な機械となって、生まれ変わった。

いじめたやつらも、もしも無事だったら、書きにくればいい。
担任の先生も、くればいい。

おかあさん、今でも元気にしていますか?