PLAT主ホールで二兎社「私たちは何も知らない」を観た

カテゴリー │演劇

1月13日(月)13時~

タイトルの「私たちは何も知らない」の私たちとは誰を指すのだろうか。

婦人解放問題で名が知られる平塚らいてうさんを中心に明治期から大正期にかけて
発行された女性による月刊誌「青鞜」の編集部を舞台に二兎社の永井愛さんが書いた作品。
まだ女性に選挙権がなかった。
その後、女性にも選挙権が与えられ、
男女雇用機会均等法、
近頃もMe Too運動など、
男女平等の問題は今でもまったく古くない。

10代~20代の登場人物たちと
同じくらいの年齢の役者が演じている。
アフタートークで作・演出者は他の方から
もう少し年齢を重ねた役者の方がいいのでは、というアドバイスを受けたと言っていた。
同じような年齢の人が演じるのはある意味当然のようだが、
時代が違うと言葉が違う。
当時10代後半の人が語る言葉が、
年齢と経験を積んだ役者でないと語り切れないということもあるだろう。

観客に伝えるうえでリスクを抱えながらも
若い役者による躍動を選んだと思う。
新しい時代を夢見る編集部での対話は
今の時代の若い女優により演じられる必要があったのだ。
ここは多少観客のことを脇に置いたところはあると思う。
どちらかというと
この演劇を思いついた根源的なものだからだ。
だから熟練の技より、
生っぽさを選んだのだ。

若い現代の役者たちのことを
「何も知らない」と言うのは相当勇気がいる。
もちろん、そんなことは言っていない。
でも作者の願いはあったはずだ。
「何も知らない」のは当時の青鞜の編集部の面々のことを指しているのかもしれない。
新しい時代を目指しながら、
実際は戦争の時代に入っていく。
当然ながら彼女たちだけの責任ではないが。

「何も知らない」のは僕たち観客なのかもしれない。
もちろん観客に対し「何も知らない」と言い放つのは
相当に相当に勇気がいる。
というか、そんなこと言えない。

でも言っているかもしれない。
「お前は何も知らない」と言われれば、
腹が立つし、そんなこという演劇など観に行きたくないが、
しばし怒ったあと、
待てよ。確かにそうかもなあ、
と思い当たれば、殊勝に反省し納得もする。
むしろ気付かせてくれてありがとうと、
感謝さえする。

もちろん「何も知らない」のは作者自身でもあるだろう。
作者だけが知っていて、
その他は知らない、という前提の作品を誰も支持はしないだろう。

作者が、私も知らないけど、
知るときっといいから、
一緒に知っていきましょうと
促されれば、
そうしましょうと
ついていきたくもなる。

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