4月10日(土)18:25~
エリア・スレイマン監督はイスラエル国籍のパレスチナ人。
1960年生まれの60歳。
これまでの長編映画が3作。
2009年の3作目から11年ぶりの新作。
自身が演じる映画監督が、映画の企画を売り込むため、
居住していると思われるイスラエルの都市ナザレから、
パリ、ニューヨークをめぐり、そしてまたナザレに戻ってくる行程を描いている。
状況の説明は最小限にとどまる。
主人公は言葉を発することがなく、終盤ようやく二言三言しゃべるだけだ。
目的があって移動するが、どこにいても観察者の立ち位置を外さず、行動するのはまわりばかり。
観客は主人公の反応を見て、心の内を類推する。
ただし、言葉を発しないばかりか、反応を具体的に示さないので、何を考えているかはわからない。
そこであきらめて、観客は自ら主人公をとりまく、まわりの状況について考え始める。
僕はこの映画は観客に負荷をかける映画だと思う。
イエス・キリストが幼少期から公生涯に入るまでを過ごした土地とWikipediaには書いてある。
彼自身が「ナザレ人」と呼ばれたと新約聖書に書いてあるそうだ。
監督自身は、ナザレで生まれ、1981年の21歳でニューヨークに移住し、短編映画を製作。
そして、1994年にエルサレムに移住し、1996年の36歳で長編第1作を製作とある。(これまたWikipedia)
パレスチナ問題について、僕は語ることが出来ない。
映画についてもよくわからないところがたくさんあるように思えた。
だから、「ぼくの村は壁で囲まれた~パレスチナに生きる子供たち」という高橋真樹さんが書いた本を読んでみた。
パレスチナという国はない。
1948年に建国されたイスラエルはかつてこの地に住んでいたパレスチナ人から住む地を奪い、
多くの難民が発生した。
1967年の第三次中東戦争後、イスラエルはヨルダン川西岸地区とガザ地区を占領。
居住地はイスラエル国民が住む入植地に変えられ、そして分離壁に囲われ、移動にも厳しい検問がある。
この地にあるエルサレム旧市街にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地がある。
イスラエルはエルサレムを自国の首都であると宣言しているが、国連など国際社会は認めていない。
それは、自国の土地ではなく、占領地であるからだ。
21歳でイスラエルを出て、34歳にエルサレムに移住。
僕はこの移住の行動に監督の視点があると思う。
居住する場所から見続けること。
映画の中の主人公である映画監督は、
売り込みにいった映画の企画は「パレスチナ色が弱い」と却下される。
パレスチナ色が強い作品とは何だろうか。
被害者であるパレスチナの悲劇を怒りを込めて声高に訴えることだろうか。
主人公がナザレで居住する家に生っているレモンをを隣人の男は盗み、見つかるが、
かわりにせっせと水をやり、レモンの木を育てる。
しかし、いったん外に出るとそこには現実がある。
集団に襲われるかもしれないという畏れ。
目隠しして連れ去られるかもしれないという畏れ。
常に警察に監視されているかもしれないという畏れ。
街には装甲車が通り、買い物をする一般人が銃を抱えている。
自分はパレスチナ人であるということへの畏れ。
決して声高ではないが、
パレスチナ色はとても強い気がした。
そうすると映画の中で、「パレスチナ色が弱い」と断じた
映画会社の人は見る目がなかったことになる。
いや、僕だって、映画を観てから、しばらく時間を経て、
ぼんやりとそう思ったくらいなのだから、それも無理のないことだろう。
他の記事を読んだら、日本の映画監督、小津安二郎さんを敬愛されているそうだ。