シネマイーラで「拳と祈り―袴田巌の生涯」を観た

テトラ

2024年12月07日 08:39

6月~11月 シネマイーラで観た映画

 6月 1日 小路紘史監督 「辰巳」
 7月 1日 ジョナサン・グレイザー監督 「関心領域」
 7月15日 入江悠監督 「あんのこと」
 8月10日 ジェームズ・ホーズ監督 「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」
 8月24日 ヴィム・ヴェンダース監督 「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」
 9月 1日 ハンス・シュタインビッヒラー監督 「ある一生」
 9月15日 近浦啓監督 「大いなる不在」
10月 8日  ピエール・フォルデス監督 「めくらやなぎと眠る女」
10月14日 石井岳龍監督 「箱男」
11月12日 呉美保監督 「ぼくが生きてる、ふたつの世界」


11月30日(土)9時50分~
「拳と祈り―袴田巌の生涯」は、9月26日に事件発生から58年の時を経て、無罪判決を勝ち取った袴田巌さんを取り上げたドキュメント映画。
笠井千晶監督、姉の袴田秀子さんが舞台挨拶で登壇。

監督は、元静岡放送(SBS)の報道記者で、ニューヨーク留学後、中京テレビに勤務し、現在はフリーランス。
計4本の袴田さんに関するテレビ番組を制作している。

静岡放送時代、取材で秀子さんと知り合い、巌さんが獄中から母に送る手紙への関心をきっかけに22年前から取材を始めた。
それはプライベートの関係にも及ぶという。

10年前再審開始が決定し、47年7か月ぶりに釈放され、東京拘置所から秀子さんらと共に浜松まで車で帰る場面がある。
カメラを構えた監督も写っていて、ここから撮影していたんだと驚いたが、22年以上前からの付き合いということを知り、納得。
浜松市の自宅でも、秀子さんが出かけるとき、取材する監督にあとよろしくと巌さんを託し留守番する場面があり、本当に信頼されているんだと思った。

この映画は、秀子さんと笠井監督のつながりから出来ている。
巌さんは、長い収容の影響で、拘禁症を患っているという。
毎月、浜松から東京拘置所まで面会に出向いていた秀子さんと会うのも拒否するようになった。
でも、面会が出来なくても、家族が来たということが伝わればいいのだと秀子さんは平然という。

元死刑囚という立場の方の家族のひとりとして、
残りの人生、巌さんが生きた証を存分に残し切ろうという覚悟を決めたのではないか。
隠し事など、ひとつだってしなくないのだ。
信頼すべき人にありのままに伝えてもらう。
秀子さんが受け入れるということは、巌さんも受け入れるということ。
その責任に関しては、秀子さんはじゅうじゅう理解している。

冒頭はじめ、弁護団の要求によりようやく開示された、警察による取り調べのテープの音声が流れる。
今となっては空しい閉ざされた部屋で行われたやりとりの意味は重い。

映画は、前代未聞のえん罪事件をひき起こした理不尽に対し、決して声高に訴えない。
不当に命を失わずにすんだ巌さんが生き続ける姿を伝えるだけで十分なのだ。
巌さんが行く先、光景が変わっていく。
場所が変わり、季節が変わっていく。
年月も変わっていく。
子どもの頃の笑顔の写真、ボクシング選手だった頃の写真は、撮影時、すでにはるか昔のことだ。
再審開始が決定した2014年3月27日から再始動した巌さん、秀子さんの人生の映画であるとともに、
2024年9月26日にて無罪判決が下されるまで10年の時を共に刻んだ監督自身の映画でもある。

巌さんは、浜松に戻ってきてから、一歩も外に出なかった。
ただし、家の中をずっと歩いていた。
朝から夕方まで。
それが、ある時期から、外に出て歩き始める。
時には走る。
まるで、青春時代打ち込んだボクシングのロードワークのように。

秀子さんが病気による妄想だと語る巌さんの発する言葉を映画では、意識的に伝えようとしている。
注意深く耳をすませてみる。
その言葉は決して、支離滅裂ではない。
巌さんが生きてきた中で学び、考えて来たことが反映され、論理的で筋が通っている。

それは、ある種、詩のようなものなのではないかと思った。
巌さんの語る言葉の中で、それぞれの言葉が反応しあっている。
頭の中で、言葉が生まれている。
撮影者はそのことに気が付いたので、語り終えるまで、カメラを止めない。

同じ浜松市に住んでいて、巌さんのお姿は何回もお見かけした。
そんな体験を持つ人は多いだろう。

僕は、11月17日に鴨江アートセンターで行った「二人」という音楽・ダンス・映像もコラボする公演で、
「ハカマタさんは歩く」という作品を書き、朗読した。
野間明子さんの2本の詩と僕の3本とのコラボレーションで読む趣向。
その中の1本である。



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