富良野GROUP公演「谷は眠っていた」を観た

テトラ

2010年02月25日 00:44

24日、磐田市民文化会館で19時から行われた富良野GROUPの「谷は眠っていた~富良野塾の記録」を観た。
作・演出は脚本家の倉本聰。
役者と脚本家を育てるべく、「北の国から」の富良野に受講料ほか一切無料の私塾、富良野塾を作って26年になるそうだ。
そして、今年春をもって、富良野塾は幕を閉じる。
この作品は22年前に公演され、バージョンを変え演じられ、今回が最後の公演となる。
手元に倉本の書いた「谷は眠っていた」の本があるので、そこから富良野塾構想の目的をひく。
『人智への過信を捨て、第一次産業的労働を通じて人間の原点に立ち戻り、知識より智恵を重視することで、地に足のついたシナリオライター、俳優を育てる。及び、
それに類する若者を育てる。
その拠点をこの地富良野に定める。』
とある。
富良野塾の開塾当時の話を中心としたドキュメント演劇はその時々の塾生が舞台に立ち、富良野塾そのものの姿を映し出してきた。
つまり、そこにいる若者たちの生の姿だ。
それは青春と呼んでいい。
今ではプロの脚本家となった卒塾生の塾生だったころの回想という形をとり話は進む。
それは目新しさよりもそのままをストレートに伝えたいというかたくななピッチャーのまっすぐ勝負のようで、観劇中、僕はその時代遅れの様子をただただ観ている。
誤解をしないでほしい。
時代遅れという言葉は僕のシンパシーがこめられている。
スタンドバイミー、中島みゆきの替え歌、さだまさしのアメージンググレイス、長淵剛の乾杯・・・。
ど真ん中のストレートを臆面もなく投げ込んでくる。
でも、それって意外とないよな。
変化球の方が当たり前になってるかも。
「感動を忘れないでほしい」
倉本の塾生たちへ贈る言葉に出てきた言葉。
僕は今も芝居をやっている。
そのことを観ながらずっと考えていた。
感動を伝えたくてやっているのか。
その前に、自分が感動したくてやってるんだろうな。
それでいい。
勝手に思った。







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