4月28日(日)18時30分~
SPAC-静岡県舞台芸術センターと、特定非営利活動法人鳥の劇場の共同制作。
それぞれに所属する俳優が共演する。
演出は鳥の劇場の中島諒人さん。
鳥の劇場は、2006年に鳥取市にある廃校を劇場に変え設立された。
「友達」は安倍公房により1967年に発表された。
27歳の時に書かれた「闖入者」という短編小説を16年後に、戯曲に改作。
ごく普通の男の家に一組の家族が勝手に入り込み、いろいろ奪われ、しまいには命まで失ってしまう話である。
『戦争でいったんチャラになった日本は、戦後復興し、勤勉な労働により、経済的発展を遂げて行く。
戦争に赴かなくていい若者たちは、戦後のあり方に疑問を抱き、革命を夢見る。
一方建物や道路、交通は整備され、個人の持ち物や情報は増え、交流活動も活性化していく。
いずれ集団よりも個人の生き方に焦点があてられるようになり、
結果、人はひとりひとり切り離され、孤立化していく。』
以上、戦後の歩みをおおざっぱにまとめたが、何となく今回の芝居と合致しないだろうか?
地球とか、国家とか、戦争とか、社会とか、大きな枠組みから離れ、個人に焦点が当たった時、
そこには、さみしく、心細く、頼りなげなひとりぼっちな自分がいる。
自信が無くて誰かに頼りたく、味方を作って人より優位に立ちたく、でも、懸命に生きて行く。
そんな人たち、いや、僕が容赦なく、理不尽に足元を救われる。
それは、人間というものを、遠いところから見ている。
又は、違う角度から見ている。
自分はまるで同じ人間ではないとでも言うように。
創作者はそのような冷徹さを持たざるをえない時がある。
そして、たやすいと思っていたのにそうでなかったという現実を照射する。
それは同じ人間だから出来ることだが。
終演後、アナウンスが流れる。
「本日は、友達にお越しいただき、誠にありがとうございました♪」
友達と言う言葉にドキンとする。
友達とは何だろう?
テレビでタレントが得意げにしゃべる。
「彼女は私の大切な親友で、・・・」
親友と名指しされなかったタレントのまわりの人は何になるのだろう?
友達だよ、という悪魔の言葉に誘い出され、人の弱い心は浮遊する。
そこでは完全なる弱者となり、完全なる理解者を得るための旅人となる。
教室で、職場で、サークルで、バーやクラブなど社交場で。
今ならネット上のSNSで。
何事も求めれば求めるほどリバウンドもあり、
失って初めて、自分の現在に気付く。
そんな悲劇は、誰にでも有り得る。
何も求めずただ生きているだけと思っていても陥る。
それが今を生きていると言うこと。
民主主義は多数決だが、
少数の側の意見はどこに行くのだろう?
まわりに迎合になかったからと、ひとりぼっちになった魂はどこに行くのだろう?
「友達」の男は囲まれた檻の中で、非業の死を遂げる。
男に110番で呼ばれた警察官が、不法滞在を暴力を働いていないことを理由に罪と認めなかったように、
男に死をもたらしたものに、誰も罪を与えることは出来ないのだろうか?
誰にも罪がないのなら、それは自己責任故となる。
覚えもないのに自己責任の末に死んでいく男。
これこそ悲劇である。