11月16日(木)12時~
原題はWriting With Fire。
意味は、まるで炎のように書く、だろうか。
インドには階級制度(カースト)が有り、4つの分類(ヴァルナ)にわかれている。
・ブラフミン(神聖な職に就けたり、儀式を行える「司祭」)
・クシャトリア(王や貴族など武力や政治力を持つ「王族」「戦士」)
・ヴァイシャ(製造業などに就ける「市民」)
・シュードラ(古代では人が忌避する職業しか就けれなかったが、農牧業や手工業の生産に従事できるようになった「労働者」)
上記のヴァルナにも属さないアチュート「不可触民」と呼ばれる人たちがいる。
彼ら自身で「ダリット」と呼び、その意味は「壊された民」。
インドの人口約14億の内、1億人。
(以上、Wikipediaより)
映画「燃えあがる女性記者たち」は、
そんなダリットの女性だけで立ち上げた新聞社「カバル・ラハリヤ」で働く女性たちを取り上げたドキュメンタリー。
紙媒体からSNSやYouTubeなどデジタルメディアに移行し、取材記者にはスマホの使い方から教える。
若くして結婚し子を産みながら、学校で学び、この職に就く主任記者ミーラを中心に描かれる。
取材者に対して迎合するのではなく、自らの視点を持つことが大事だと、ジャーナリズムの基本が説かれる。
社内の会議のようなものが、
日本のスーツに白い壁の無機質な部屋で、オフィス用の机に椅子、とはまったく逆で、
色とりどりのサリーの民族衣装に、装飾品が多く飾られた部屋で、まるで沖縄のゆんたくのようにざっくばらんな感じで行われる。
緊張感ある場所での取材も、いち生活者としてのぶれない立ち位置でいることが彼女たちの強みなのだと思う。
そこに「スマホ」というひとつのツールがとても雄弁に存在しているというのも、時代だなあとも思う。
(ミリタリールックで戦場に一眼レフではなく)
一生独身かもしれないと仕事に生きると語っていたスニータは、女性は結婚すべきと言う世間的な理由に押され、結婚し、職場を離れるが、その後復帰する。
ミーラは子を育て、家事をしながら、仕事をし、夫はニコニコと「女性は家にいた方がいいよ」と答えているが、そこに切迫感はなく、これも理解のひとつの形なのかと思う。
実際ラストは、ミーラは局長に昇進し、
「カバル・ラハリヤ」の記事の閲覧数もどんどん増え、大台に乗ったという成功物語で閉じられる。
ただし、ダリットの女性たちが、家にはトイレがないので、恥ずかしいが、外でするしかない、と諦めたように語る様子に、
問題の大きさは横たわる。