事務局交代

テトラ

2019年12月13日 08:06

■事務局交代                 フィールド 寺田景一

今年の8月の改選をもって、事務局が交代した。
創立からのメンバーではない私は、2002年に静岡県西部演劇連絡会が出来た頃のことはあまり知らないが、仲間たちとフィールドという、劇団と名乗らないが実質演劇をやる集団を立ち上げ、旗揚げ公演を行った頃、会長の見野さんから声をかけていただき、この団体の一員として参加するようになった。

最初に連絡会の例会に行ったのは、劇団テクノポリスの稽古場だった。
カレー処ヤサカの敷地内にかつてあったスペースCOAで、2003年7月の終わりに開かれたユニットライブに3劇団の内のひとつとして参加してすぐの8月の例会だったと思う。
それはちょうど翌年の2004年からそれまであった浜松市芸術祭の演劇部門を発展させ、人形劇部門と合同で、《はままつ演劇・人形劇フェスティバル》として関係各所が協力し、開催しようという時期だった。
僕にとっての連絡会の活動は最初から、フェスティバルの活動と《同義語》だった。

2カ月に1回の例会への出席率が比較的よかったからかどうかわからないが、その後、劇団からっかぜの布施さんのあとを継いで事務局の担当となった。
いつ事務局となり、どれくらい担当したのか思い出せないくらい長く担当させてもらった。
その間に辞めた人たちもいるし、一方新しく入ってきた人たちもいる。

連絡会というのはあくまでも横のつながりであり、それぞれにとっての主体とはなりえない。
当初は劇団単位の会員の集まりであった。
代表のみが参加する劇団もあれば、複数名が参加する劇団もあったが、いずれにしても劇団より連絡会の存在が上位に来ることはない。
その後、さまざまな事情で個人会員という立場の人たちも現れてきている。

現在の連絡会は、浜松市及び浜松市文化振興財団より委託を受け、はままつ演劇フェスティバルを主管することが、主な活動となっている。連絡会主体の活動をしよう、と独自のワークショップが行われたりもしたが、長く続かなかった。
近頃はそういう話も出なくなった。
そして、フェスティバルの自主公演に参加しなくなるとともに退会する劇団もあった。
しかしながら、公演を打たなくなった劇団が時とともに集まる機会が減っていくように、明確な目標がなくなると、集団は集まる理由を失っていく。
サロン的に日が合う人で会いましょうとか、年に1回忘年会も兼ねてなどとけしかけて会うくらいがオチになる。

フェスティバルも、市や財団が運営から外れ、人形劇との連携もなくなった。
しかしながら、フェスティバルは続いている。
私はそのことがすべてだと思う。
続いているということ。
自主公演中心と言う形態に変わりはない。
ワークショップの内容も固定化されてきた。
代わり映えがしないと感じる人もいるかもしれない。

但し、同じことを続けて行く中にも常に変革がある。
自主公演も新たな作品に挑むし、ワークショップも新たな人が参加する。
高校演劇は顕著だが、年度の繰上げでメンバーががらりと変わる。
変わり続けなければ現状維持も出来ないのである。
また、形を一変させることを俎上に載せて話し合う機会もあるといい。

ちなみに、同じ日、会長交代も実行された。


静岡県西部演劇連絡会会報2019年12月1日号より

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