10月27日(土)19時~
エスケリータ68は佐鳴湖西岸にある昼間はカフェ、夜はライブハウスのお店。
僕は自らのみの意思でライブハウスに行くという習慣がない。
演劇を観ることはまあ、習慣と言っていいかもしれない。
今月はおそらく最低5本は観るだろう。
劇場やホールや小さな場所や野外で。
映画もシネマイーラの会員でもあり、
月最低1本は映画館で観ているだろう。
音楽はどうだろう?
音楽のジャンルはさまざまあるけれど、
基本的にどのジャンルも聴く。
コンサートやライブに足を運ぶこともあると言えばある。
ただし、どれもそこから切り込んでいき、
深く探求していくということはあまりない。
演奏は耳や目から自分の体に入っていき、
終われば、抜けていく。
シンガーでもプレイヤーでもないので、
聴く者としての立場で言えば、
聴いた音楽の感想を言うのが苦手だ。
言葉が浮かばないのなら「よかった」と
一言簡単に言えばいいのだろうが、
それもうまく言えない。
もしも気に入らなかったとして「わるかった」と言うのは、
わざわざ言う必要はない。
それは、音楽的なことはよくわからないという自覚があるのだと思う。
やりたいことやりたかったことをすべてやっている人はいないと思うが、
僕にとって音楽はその中のひとつだ。
高校1年の時にYAMAHAで買ったYAMAHAのフォークギターは
ほとんど弾かず、ギターケースに入ったまま
何十年も経った今でも家の隅に転がっている(立てかけてある)。
この日のライブは長野の松本からThe End、京都からラヴラヴスパーク、
浜松の中西こでんというシンガーソングライター3人の予定だったが、
The Endさんが急遽事情で取りやめとなり、中西、ラヴラヴの順に2人がソロライブ。
中西こでんさんは、僕が浜松に東京の大学生活から帰省して就職したのちに入団した劇団で知り合った。
僕が先に入り、何年かしてやはり東京から帰省した彼が入団してきた。
その後、当時稽古をしていた演目を上演する前に僕は辞めたので、
一緒に劇団で過ごした時間が長くないが、公演時、僕も手伝ったりしたので、
その後もなんだかんだの付き合いがある。
彼は劇団を辞めた後、自ら音楽をつくり演奏し始める。
その時の心境や経緯は知らないが、
僕も演劇をやらない、そして観ない時期を過ごした後、
また始め、観るようになった頃、
彼のライブに足を運ぶようになる。
僕のやる演劇が見知-らぬ人が見つけてくれてわんさか来るようなものとは違うように
彼からライブの案内が来て、それを知り、行く。
僕は基本的にどの音楽のジャンルも聴くと言ったが、
好みはどうしても出る。
自宅のCDが並んだ棚でもボブ・ディラン、ニール・ヤング、トム・ウェイツは比較的枚数は多い。
74歳になるジャクソン・ブラウンの6年振りの来日公演のニュースを見たが、どうしても心が惹かれてしまう。
アメリカ人の男性のシンガーソングライターと言えば共通点か。
と言ってそれを追求して聴くかと言えばそうでもない。
彼らが影響を受けたルーツをたどったり、
影響を受けた次世代を追うこともそんなにない。
それは、彼らが歌う言葉(つまり英語)がわからないというのが大きいと自分では思っている。
コミュニケーション、相互理解はもちろん言葉だけではない。
音、身体、文字、もしかしたらテレパシー、
あらゆる手段を通し、コミュニケートする。
ただし、例えば若きボブ・ディランがギター掻き鳴らし、ブルースハープを吹きまくり、
歌い叫んでいても、歌詞の意味はわからないのだ。
これは僕自身の中ではどこか致命的な気がしている。
ただし、それを克服するために英語をマスターする気があるわけでもない。
「ボブ・ディラン全詩集1962-2001」という出版物があるが、
それを購入して読むのも違う気がする。
しかし、理解できない何かを埋めるために聴いているような気もする。
エスケリータ68では10月にシンガーソングライターの友部正人さんのライブがあったようだ。
テレビにはあまり出ないが名の知れた友部さんの歌を僕は実はあまり知らない。
Wikipediaから引用する。
高校時代ビートルズのコピーバンドでベースを担当したのち、
ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」を聴き、
衝撃を受けソングライティングにのめりこむようになった。
そして、ウッディ・ガスリー、レッドベリーらが汽車の中で人々の感情を歌うスタイルを日本でやりたいと思い、
高校卒業と同時に家を飛び出し、路上で歌い始める。
長渕剛、真島昌利、寺岡呼人、佐野元春、宮沢和史、森山直太朗、双葉双一らのミュージシャンは
友部から全人的影響を受けている。
以上。
「汽車の中で人々の感情を歌う」っていうのはとってもいいじゃないか。
しかも僕も理解する日本語で。
ああ、中西こでんという名に収まったのかなあ、
先ずは思った。
かつては本名や他の名で歌っていたこともあった。
MCを聴きながら、
弾き語りとはよく言ったものだなと思った。
他の共演者がいるバンドとは違い、
この日はギターを抱え、舞台にひとりきり。
1人のミュージシャンの欠場も観客も一身に負う。
演奏したりしなかったりした時期も経て
音楽を続けてきて、ミュージシャン仲間やお客さんと出会ってきたことを語った後、
このことについて歌った曲という紹介の後、
「射る夜」(字はこれでいいのだろうか?)を歌い出す。
みなさんは自分のことを語るのは得意だろうか?
自分の話ばかりしやがって、とよく嫌がられる人もいるかもしれないが、
人は他人の為ではなく、自分の為に生きているのだから、
苦手だと逃げまわっても、どこかで自分のことを語らなければならない時は必ずある。
手段はそれぞれ違う。
いわゆる「表現」というくくりである必要もない。
そんなことを考えた。
ラストは「藻が流れていく」。
祖父が太平洋戦争で南方の地から帰ってこなかったという話に続いて歌う。
ラヴラヴスパークさんを聴くのは初めて。
先ず思うのは、ふざけた名前だ、だが、
ボーダーシャツにおしゃれメガネのやはりふざけた予感が満々のミュージシャンだった。
スタートがベイ・シティ・ローラーズの「サタデー・ナイト」というのもサービス精神の表れ。
なぜか金沢明子の「イエローサブマリン音頭」を思い出した。
「ブルーバード」という曲はあるライブイベントで
お題から曲を作り、次回のライブで発表するということから生まれた曲ということだった。
幻の青い鳥をさがすメーテル・リンクの「青い鳥」に沿って、
夢を抱いて頑張るけどセコハンの車に乗る毎日で、
ラストは日産「ブルーバード」で落とす作風はもはや大喜利。
盛り上がる最中、かけていたメガネを落とす「演出」は
ほとんど横山やすしさんで、やすきよの漫才。
言っても叶わない事だが、
参加できなかったThe Endさんの演奏が聴けなかったのは残念だった。
だってドアーズの名曲と同じ名前だし。
機会があればぜひ同じセットで開催を。
その時は自らの意思で行くかもしれない。
写真は帰りがけに思いついて暗い中撮ったものでピンボケだけど許してほしい。