なゆた浜北 なゆたホールでシニア劇団浪漫座「翔んで浜松」を観た

カテゴリー │演劇

12月15日(日)14時~

はままつ演劇フェスティバル2024の自主公演参加作品。

先ずはこのモチーフを選び上演に至らせる心意気が潔く気持ちいい。

これがなければ生まれることはなかった「翔んで埼玉」は魔夜峰央による漫画。
映画化された時、僕も思わず原作を購入してしまった。
「埼玉県人にはそこら辺の草でも食わしておけ」という話題となった台詞が表しているように、地域間のいじり合い、ヒエラルキー、自虐ネタが面白さの根幹となる。
これは大っぴらに語らないが、ちまたでよく語られていることの証明。
そんな関心領域を、ギャグマンガとして表現した。
漫画だからなあ、とゲラゲラ笑いながら、実は自分のことを射抜かれているということがあると思うが、
風刺漫画など、笑いはそういう力もある。

ただし、いじられている自分を笑ってしまえること。
いじられて真剣に怒ってしまうと、始まらない。
怒ってしまうのさえ笑えること。
それが成立する条件だ。

ちょっと考えてみた。
日本国内の地域同士のいじりあいだから可能なのかもしれない。
国同士だったらどうだろう?

国内総生産の高い低いでのいじり、
肌の色でのいじり、
宗教観のいじり、
歴史観に基づいたいじり、
しゃれにならなくて、本気の喧嘩に発展するかもしれない。
それでも成立するのなら、世界は高度に平和を維持できることだろう。

まあ、さておき、はなわの「佐賀県」のように、自虐の免疫は出来ている。
そして、最後は「やっぱり、この町が好き~」と落とし込めば何の問題もない。
互いに笑い合い、喜劇として成立する。

「翔んで浜松」は、とある浜松市の高校と静岡市の高校との争いから始まる。
争う手段は、地域自慢のプレゼンテーション。
ルールに乗っ取った正当な戦いという安心感。

俳優たちがみな面白がって演じているのが良かった。
登場人物の役割をよく表現した衣装。
衣装制作にふんだんに専門性が発揮されていると劇団の作品を観るたびに思う。

昨年の「源氏物語」で優秀俳優賞を受賞されたアラナミテレサさんは、現在の年齢が話題になりがちだが、
それ以上にどんな場でも当意即妙に対応できる自由な居方が良い。
また、作・演出の松尾朋虎さんも、そんな特性を熟知している。

その他の俳優たちも、回を経るごとに経験が積み重なっている。
特徴としては登場人物の個性が立ち、その役割を演じきること。

それが奏功していると思うのが、客席をながめると、固定のファンがついてきているのではないかと言うこと。
何より証明するのが集客力。
もしかするとファンの中心は、友だちや家族など周辺の方なのかもしれない。
でもそれが基本というもので、大切なことである。

誰のために舞台に立つのか?
子どもや孫や友だちのために見せてあげたい。
見てもらいたい。
心から素晴らしいと思う。

ただし、当然のことながら演劇の世界はもっともっと広い。
シニア劇団と言うこともあるかもしれないが、稽古にどっぷりつかるということはできにくいだろう。
また、入団の目的が舞台に立つこと、という俳優志望がほとんどだとしたら、
「あなた、今回は役がいっぱいだからスタッフでね」とは言い難いかもしれない。
そんなことをすれば、目的と違うと辞めてしまうかもしれない。
そこは集団により演劇的成果とは別に優先させなければならない理由がある。

弱い点があると思えば、あえてそこに踏み込まず、得意な面を生かすのは時に必要だ。
ただし、どうしても各人の出番の量が限られ、どこか平面的な構造のつくりになるかもしれない。
でも、それも劇団が選び取っている方法。

しかしながら、後半に従い、「隠し玉」がどんどん出てくる。
それは作劇の巧みさだ。
終盤、観客参加場面が設けられるが、3択を迫られ、選ぶのに苦労した。
だって選ぶ理由が見つからないんだもの。
でもこれも芝居のお遊び。
楽しんだ方が得策だ。

登場人物の出番が平等な群像劇で、途中、協力のダンスチームが彩りを加える。
ダンスチームの登場も毎回のことになっているので、話の流れの中の関わり方も進化している。
強力キャラを登場させる場面を盛り上げる賑やかで華のある踊りの場面、
応援と称し、学ラン、リーゼントに凶器である鎖の踊りと、それぞれ芝居にぴたりとはまっていた。

作り方がひとつの形を確立しているとも言える。
きっとそれが、上演を重ねることにより見つけ出した、最善の方法なのだろう。



チラシがまた潔い。
これしかないという迫力。
チラシを手渡しする時が、最初のサプライズ。






 

静岡芸術劇場でSPAC「象」を観た

カテゴリー │演劇

12月14日(土)14時~

この日は、12時30分~13時30分、SPAC文芸部・大岡淳さんによる【一般向け】はじめての別役実講座及び、終演後のバックステージツアーにも参加した。

今回の上演は昨年8月23日~9月8日、富山県の利賀芸術公園で開催されたSCOT SUMMER SEAZON2024に端を発する。
SCOT主宰の鈴木忠志さんが、次代を担う舞台芸術家が作品を創造し発表する企画「桃太郎の会」を立ち上げ、賛同した宮城聰さん、平田オリザさん、中島諒人さんが推薦する演出家が利賀の劇場で上演された。

鈴木忠志さんが選定した課題作品は、大岡昇平「野火」と別役実「象」。
会期中、上演されたのは以下4つ。
「野火」 演出:瀬戸山美咲 芸術監督:鈴木忠志 制作:SCOT(富山)
「野火」 演出:堀川炎 芸術監督:平田オリザ 制作:アゴラ企画(兵庫)
「象」 演出:福永武史 芸術監督:中島諒人 制作:鳥の劇場(鳥取)
「象」 演出:EMMA(旧・豊永順子) 芸術監督:宮城聰 制作:SPAC-静岡県舞台芸術センター(静岡)

同じ戯曲を2本ずつ別のクルーでつくり上演するというのが面白い。
今回静岡で「象」を観ると、瞬間的に福永さん演出の「象」はどんなだったろう、と思いをはせる。

バックステージツアーでは、
舞台監督、衣装、照明、音響と、話を聞く機会のないスタッフの声を聞くことが出来、新鮮だった。

その際、利賀村での作品より20分延長されているという話を聞いた。
利賀村の舞台と静岡ではサイズが異なり、そのあたりの苦労も語られた。
EMMAさん演出の利賀村での「象」はどんなだったろう、とこちらもまた思いをはせる。

EMMAさんは1988年生まれの演出家。
地域特有の文化や歴史を調べ、その場所に寄り添い制作することを大切にされていると言う。
今回は課題作ありきなので、そのようなつくり方とは違ったかもしれない。
紹介動画で、芸術監督の宮城聰さんが、これをやるのは一番難しいと思っていた「象」をEMMAさんがぜひやりたいとおっしゃったと語られていた。

「象」は1962年に早稲田小劇場にて別役実さんが書き、鈴木忠志さん演出により創立第1回公演として俳優座で上演された。
1969年、別役さんは作家として食っていくため退団し、日本を代表する不条理劇作家として、活躍される。

戯曲では、「男」による冒頭の長いモノローグは、今回の演出では、俳優が手分けして演じられていたのではないか?
実はこの作品は、「男」の話なのであるということが良くわかる。
それが、複数で共有して演じられたとしたら、「男」一人でなく、自分も含む我々の話なのだと言うメッセージかもしれない。

こうもり傘をさし、私は月であり、さびしい魚なのだと言う。
原爆による被害の悲惨さを訴える表現とは遠い。
きびしい口調ではなく、泣き叫ぶわけでもない。
あくまでも淡々と、心の内を語る。

僕は、この場面、もっとゆっくり語ってほしいと思った。
詩的表現は、日常会話と異なるので、さらっと言ってしまうと、何をしゃべられたのか記憶にとどまりにくい。
喋っている側はわかっていても聞く側は頭で咀嚼する間もなく、言葉はつらつら過ぎ去っていく。
時々、詩は文字に書かれたものを読んだ方がいいと思ったりもする理由だ。

つまり、風がさっと通り過ぎたあとのようで、まるで何も起こらなかったよう。
それは僕の感受性の乏しさや理解の足りなさかもしれない。
または、風が通り過ぎただけでいいのことなのかもしれない。
なかなかそれは体験できないが。

リアルは病室のシーンで表出される。
決まりきった病院のベッドに寝ていることで、場所は定着し、時間の経過は落ち着く。
俳優は身体表現のほとんどが封印されている。

阿部一徳さん演じる被爆者である「病人」は、病状の悪化により入院している。
かつて街頭で背中のケロイドを見せていた。
まるで大道芸人のように。
ヒロシマの様子を語り、冗談で笑わせたり、見せるポーズを考え楽しませたりしていた。
ところが原水爆禁止大会で演台に立ち背中のケロイドを見せた時、熱烈な拍手で迎えられると思っていたらみんなシュンとしている。
そして気付く。
観衆はケロイドの背中を見ていたのではない。
自分の眼をのぞきこんでいたのだということを。
それがなぜなのかわからないと言う。

「病人」は自らが受けた悲劇・被爆を肯定したかった。
そんな可哀そうな自分をみんなに認めてもらいたかった。
戦争の肯定などではない。
原子爆弾の肯定などではもちろんない。

犠牲者となってしまった自分だが、そこを否定してしまったら、
自分が生まれて来た存在意義はどうなるのだ?
生まれて来なければよかったのか?
そんなせめぎ合い、自己葛藤の中、選び取った行動なのだ。

街頭で背中のケロイドをみせること。
それが、世の他人、みなさんが、自分のために生きることとどう違うのだ?
そんな当然のことを訴える叫び。

他人はなぜケロイドに侵された自分をひけらかす「病人」の眼をのぞきこんだのか?
それは、醜いケロイドを珍しがる、いや、気の毒に思うよりも、
このような行動を選ぶ人間の思考に懐疑の意識を抱いたのではないだろうか。

なぜ?
自分だったらこんな行動はしない。
みっともない。
何より恥ずかしい。

「病人」が、かわいそう、頑張ってと熱烈な共感を抱いてもらいたいという期待に反し、思いは拒絶される。
より一層、両者の距離は離れ、孤立する。

もっとも近く、病室で寄り添う存在であったはずの「妻」は、なぜか食べ続け、身体は大きくなっていく。
ただでさえガタイの良い男性俳優・吉植壮一郎さんに「妻」を演じさせる演出のたくらみ。
「病人」が「妻」におむすびの食べ方をレクチャーする場面が妙に生々しい。
ここのみが生きている現実とも言える。

結果「妻」は「病人」のことが理解できないまま、この場をいったん離れ、生まれた町に戻っていく。
病院の「看護婦」も被爆者である。
彼女は彼女で、それにより失った幻想に囚われている。
「医者」も表面的な病状以外に理解は示すことができない。
みな自分のことのみに一生懸命なのだ。

果たして、残された「病人」は今後どう生きていけばよいのか?

冒頭のこうもり傘の「男」は、「病人」の甥である。
「男」も同じ被爆者。
ただし、「病人」の行動と逆に、静かにそっと生きていきたいと願っている。
そこにはある種の諦念がある。
良く言えば、無駄な抵抗をせず、今の自分を受け入れているとも言える。
「男」も病状は着々と進行している。

「病人」は「男」に、「妻」が断ったもう一度街に出るためのリヤカーとゴザとオリーブ油の用意を所望する。
自己の存在意義を証明するために。
ただし、本当の問題は隠されている。

一番の問題は、なぜこんな状態に至ったのかなのに。
戦争反対なのに。
壊滅的な争いが起きる理由を消し去るのが唯一の特効薬なのに。
人間が自分のためにだけしか生きられない哀れさ。
しかし、それが真実。

我々は自分で自分をコントロールして生きているようであるが、
実際は周辺に翻弄されながら生きている。
戦争や天災は多くの人に価値が共有される象徴的なものだ。
起きるたびに自らのことのように顧みたりしてみる。

上演前の、SPAC俳優によるプレトークで、
「大いに笑ってください」と言うようなことが語られていた。
それは、しんとしてしまいがちな空気をほぐすためのレクチャーに思えたが、
なかなかそこまで到達するものではない。

「病人」の背中のケロイドを見て、観衆が笑うことが出来ず、思わず眼をのぞきこんでしまうように。

他人の眼を見ることは自分の眼を見ることと同じ。
他者が演じる演劇を観ながら、自分をのぞき見るという体験になるのだ。

自分を笑ってしまうことは以外なほど難しい。



象と富士山
日本平動物園かよ!




タグ :SPAC


 

浜松勤労会館UホールでFOX WORKS「Magician's Worth」を観た

カテゴリー │演劇

年を越したが、12月中にいくつか演劇を観た。
遅ればせながらそれについて触れようと思う新年。

12月8日(日)15時~
はままつ演劇フェスティバル2024参加作品。

演劇とは何だろう?と考えてみた。
いろいろな演劇を観るとこういう機会も出来る。
劇場でやるから演劇と言うわけでもない。
演じるのは舞台、観るのは客席と境界線を設けるのが演劇でもない。
価値を観た人自身で決めることが出来る。
必ずしも決める必要もない。
タイトルの「マジシャンズ・ワース」の意味は、マジシャンの価値だそうだ。

芸術かエンターテイメントか指向性を問題にしても境目はあいまいだ。
どちらが有用かなんて論議は不毛だ。
どちらも必要としている人がいる。
良いエンターテイメントは芸術だ。
プロによるものかアマチュアによるものかもそう。
プロ=良い演劇、というわけではもちろんない。

基本的には誰もが自分が求めている演劇を観に行く。
有料にせよ無料にせよ。
開催場所への距離に応じ、交通費だったりガソリン代がかかったりする。
誰にも平等に与えられた時間を費やすことにもなる。
求めていないものに時間を費やす余裕は誰もないのだ。

浜松市芸術祭の一環だからと言って、エンターテイメントにふった作品をやってはいけないということはない。
むしろ志向するならぞんぶんにやりきってもらいたいと思う派だ。

商売として演劇をやっていないと、とかくエンターテイメントと言う言葉から離れがちになる。
しかし、世の中を見渡してみれば、そのような演劇の方が優勢に見えたりもする。

ブロードウェイ等のロングラン作品を翻訳しレパートリー化した劇団四季のミュージカル。
これはそれのみで生活する劇団員を雇う営利団体としての劇団を維持し発展させて行くために選択した手段。
「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」だって、海外発が今では日本で十分なじんでいる。
歌舞伎座で行われる歌舞伎はテレビなどメディアでも有名な歌舞伎役者を抱え、古典芸能を興行として成り立たせているように見える。

多ジャンル発のエンタメ強力コンテンツを演劇化した作品は数多くある。
「ワンピース」や「風の谷のナウシカ」は歌舞伎化されたし、「千と千尋の神隠し」は有名女優のダブルキャストで演じられ、「進撃の巨人」「鬼滅の刃」もブームの後には企画され舞台化されるという流れは出来ている。
あんなに本が売れ、映画でも多くの観客を動員した「ハリーポッター」は本場イギリスで演劇化された作品を日本向けにして持ってこればあらかじめ成功は約束されているものだとも言えるだろう。

2.5次元演劇と言う演劇ジャンルがある。
アニメなどのキャラクターをさす平面世界2次元と、実在する人物の存在世界である3次元との中間の意味だが、
本来の2.5次元の意味と合っているのかわからないが、誰かが紹介するためそう名付けたのだろう。

プロジェクションマッピング等デジタル映像により、俳優の身体以外に頼りになる手段が発展したことはそれらを支える大きな要因だと思う。
AIによる即興性あふれるコンテンツも生まれるかもしれない(今もあるかもしれない)。
望む望まないは人それぞれあるだろうが。

それは、観客が求めるものが変化していることにも所以する。
コンピューターゲームなどは、デジタル技術の進化により、創成期と比べれば格段の違いだろう。
音楽などは部屋に置かれたコンピューターの前で完結させることが出来る。
身体表現を基本とする演劇は、その点、世の中の技術の発展に対し、遅れをとっているようにも見える。
むしろ、遅れながらやっとついていっていると言えるかもしれない。

1945年にアメリカで初演されたテネシー・ウイリアムズ作「ガラスの動物園」の戯曲のト書きに例えば、このような表記があり、へえと思った。

   スクリーンに文字―「去年の雪いまいずこ」
   スクリーンに映像―ポーチで客を迎える少女時代のアマンダ

そうなのだ。
演劇と映像のコラボレーションが、行われている。
しかも、テネシー・ウイリアムズの有名戯曲ですでに指定されてることに驚いた。

エンターテイメントの世界も他のあらゆるジャンルと同様、時代とともに複雑化している。
旅などでもただ見学物を観るだけでなく、自ら行う体験型が求められていたりする。
テーマパークなどは、どこも来場者にここでしか出来ない体験をしてもらおうと様々なアイディアを尽くす。
わかりやすいひとつの形が東京ディズニーランドやUSJ。

ただし、送り手が用意したものを享受する自分にも飽きてくる。
ロールプレイングゲームのように、選択権を与え、自主性を発揮できることに価値を見出したりする。
客席に一方的に座っているからと言って、完全な受動的な存在ではない!
我々も能動的存在であり、この作品に参加する権利があるのだ!

そんな大げさなものではないが、人はテレビでもクイズ番組が好きだし、
本屋に行っても、クロスワードパズル雑誌のコーナーは売り場の一角を占めている。
高学歴者のクイズ王、謎解きなんてのも今でも続く時代のキーワードだ。

FOX WORKSの「Magiician's Worth」のチラシにはこう表記されている。

マジック×謎解き×ミステリー×多重展開

さあ、果たして“演劇”は行われるのか?

時代は大正9年。
江戸川乱歩、大正ロマン、観客は自分勝手にイメージを作り上げていく。
これは大いなる期待でもある。
テーマは、マジック。
導入は、幻影城を作った建築家であり、マジックの創作者でもある老人を奇術雑誌の記者が取材に訪ねるところから始まる。

話の骨子は老人が語る「幻夜城」で繰り広げられた、とある奇譚。
謎の天才マジシャン「D」により導かれたトップマジシャンが集められ、競わされる。

マジックにも得意ジャンルがあり、登場人物にはそれぞれ振り分けられていた。
マジシャンらしい名があり、衣装、出で立ちにも反映する。

トップマジシャンと言う役割だが、舞台で実際のマジックは行われるのか?
それは演劇では必ずしも必要な条件ではない。
ピアニストだからと言ってピアノを弾く場面が必須なら出来る役者は限られる。

おそらく役を演じる前はマジックの実践者でなかったと思われる俳優たちは、
それぞれのマジシャンとしての特徴であるマジックを披露した。
そこは作品にとって重要なポイントだったのだろう。

「限定 推理チャレンジ席」が最前列に用意されていて、謎を解く実践者としての役割も持つ。
それは舞台上の住人としてではなく、舞台と客席の約束事を破り、遊園地での謎解きゲームに挑む参加者となる。

演劇として観ようとすると、それぞれ持ち合わせている「演劇の見方」がじゃまする時がある。
「演劇とはこういうもんじゃない・・・」
でもどこかそんな凝り固まった見方をがらりと覆される作品を求めて劇場に足を運ぶ。

チラシにもあり、台詞にもあったように思う。
「マジシャンはいつも、観客の驚く顔が見たいのさ」

きっとそれが今回の作品の一番の目的だろう。

エンターテイメントの道はある意味芸術志向より、奥深く困難な道なのかもしれない。
そんなことをふと思った。






 

2025年の始まり

カテゴリー │新年の始まり

昨年11月3日、袋井のジャズハウス「マムゼル」でのフリージャズライヴで、場違いな朗読劇「誰かの気持ち」を上演した。

その時、自宅の庭の木と母が残した端切れと段ボールで登場人物をイメージする人形を三体つくった。
それぞれ「病室の男」「掃除する女」「看護する女」。

その人形を2025年の年賀状に使おうかと考えたがふさわしいと思えなかったので、別のモチーフで新たに作った。
これ意外と短時間で出来るのが良いところ。

中田島砂丘へ行き、夕焼けを背景に写真を撮ったが、うまくいかなかった。
日没は夕方4時50分頃。
28日は風が強くて撮影どころじゃなく、補強して出直そうと断念。
翌29日、冬の海風に対し補強が甘く、人形が壊れてくる始末。
そのうち、陽は無情にも落ちていく。
あらかじめ想定していた別プランに切り替えようと即決断。

モチーフはクリント・イーストウッド主演のマカロニウエスタン「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」。

今年は長い芝居を書こうと思う。
本年もよろしくお願いします。




格闘の痕跡。
28日 「風が強い」


29日 「腕が折れた」



タグ :2025年賀状


 

シネマイーラで「拳と祈り―袴田巌の生涯」を観た

カテゴリー │映画

6月~11月 シネマイーラで観た映画

 6月 1日 小路紘史監督 「辰巳」
 7月 1日 ジョナサン・グレイザー監督 「関心領域」
 7月15日 入江悠監督 「あんのこと」
 8月10日 ジェームズ・ホーズ監督 「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」
 8月24日 ヴィム・ヴェンダース監督 「アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家」
 9月 1日 ハンス・シュタインビッヒラー監督 「ある一生」
 9月15日 近浦啓監督 「大いなる不在」
10月 8日  ピエール・フォルデス監督 「めくらやなぎと眠る女」
10月14日 石井岳龍監督 「箱男」
11月12日 呉美保監督 「ぼくが生きてる、ふたつの世界」


11月30日(土)9時50分~
「拳と祈り―袴田巌の生涯」は、9月26日に事件発生から58年の時を経て、無罪判決を勝ち取った袴田巌さんを取り上げたドキュメント映画。
笠井千晶監督、姉の袴田秀子さんが舞台挨拶で登壇。

監督は、元静岡放送(SBS)の報道記者で、ニューヨーク留学後、中京テレビに勤務し、現在はフリーランス。
計4本の袴田さんに関するテレビ番組を制作している。

静岡放送時代、取材で秀子さんと知り合い、巌さんが獄中から母に送る手紙への関心をきっかけに22年前から取材を始めた。
それはプライベートの関係にも及ぶという。

10年前再審開始が決定し、47年7か月ぶりに釈放され、東京拘置所から秀子さんらと共に浜松まで車で帰る場面がある。
カメラを構えた監督も写っていて、ここから撮影していたんだと驚いたが、22年以上前からの付き合いということを知り、納得。
浜松市の自宅でも、秀子さんが出かけるとき、取材する監督にあとよろしくと巌さんを託し留守番する場面があり、本当に信頼されているんだと思った。

この映画は、秀子さんと笠井監督のつながりから出来ている。
巌さんは、長い収容の影響で、拘禁症を患っているという。
毎月、浜松から東京拘置所まで面会に出向いていた秀子さんと会うのも拒否するようになった。
でも、面会が出来なくても、家族が来たということが伝わればいいのだと秀子さんは平然という。

元死刑囚という立場の方の家族のひとりとして、
残りの人生、巌さんが生きた証を存分に残し切ろうという覚悟を決めたのではないか。
隠し事など、ひとつだってしなくないのだ。
信頼すべき人にありのままに伝えてもらう。
秀子さんが受け入れるということは、巌さんも受け入れるということ。
その責任に関しては、秀子さんはじゅうじゅう理解している。

冒頭はじめ、弁護団の要求によりようやく開示された、警察による取り調べのテープの音声が流れる。
今となっては空しい閉ざされた部屋で行われたやりとりの意味は重い。

映画は、前代未聞のえん罪事件をひき起こした理不尽に対し、決して声高に訴えない。
不当に命を失わずにすんだ巌さんが生き続ける姿を伝えるだけで十分なのだ。
巌さんが行く先、光景が変わっていく。
場所が変わり、季節が変わっていく。
年月も変わっていく。
子どもの頃の笑顔の写真、ボクシング選手だった頃の写真は、撮影時、すでにはるか昔のことだ。
再審開始が決定した2014年3月27日から再始動した巌さん、秀子さんの人生の映画であるとともに、
2024年9月26日にて無罪判決が下されるまで10年の時を共に刻んだ監督自身の映画でもある。

巌さんは、浜松に戻ってきてから、一歩も外に出なかった。
ただし、家の中をずっと歩いていた。
朝から夕方まで。
それが、ある時期から、外に出て歩き始める。
時には走る。
まるで、青春時代打ち込んだボクシングのロードワークのように。

秀子さんが病気による妄想だと語る巌さんの発する言葉を映画では、意識的に伝えようとしている。
注意深く耳をすませてみる。
その言葉は決して、支離滅裂ではない。
巌さんが生きてきた中で学び、考えて来たことが反映され、論理的で筋が通っている。

それは、ある種、詩のようなものなのではないかと思った。
巌さんの語る言葉の中で、それぞれの言葉が反応しあっている。
頭の中で、言葉が生まれている。
撮影者はそのことに気が付いたので、語り終えるまで、カメラを止めない。

同じ浜松市に住んでいて、巌さんのお姿は何回もお見かけした。
そんな体験を持つ人は多いだろう。

僕は、11月17日に鴨江アートセンターで行った「二人」という音楽・ダンス・映像もコラボする公演で、
「ハカマタさんは歩く」という作品を書き、朗読した。
野間明子さんの2本の詩と僕の3本とのコラボレーションで読む趣向。
その中の1本である。






 

菊川文化会館アエル大ホールで「第48回 静岡県高等学校演劇研究大会」を観た

カテゴリー │演劇

11月23日(土祝)・24日(日)の両日開催された。
東部・中部・西部と3地区での地区大会を経て、県大会が行われる。
「演劇大会」ではなく「演劇研究大会」と表記されている。
“研究”するべき対象なのだ。
その中の2校が関東大会に推薦され、全国大会へとつながる。
現在全国大会は全12校が出場。

はままつ演劇フェスティバル(通称:劇突)で、
高校生たちが演劇を上演する静岡県西部高等学校演劇協議会「高校演劇選抜公演」が始まったのが、2013年のこと。
浜松市舞阪文化センターホールで6校の参加により開催された。

コロナにより中止の年もあったが、今年で11年目である。
静岡県西部の演劇団体や個人が所属する静岡県西部演劇連絡会が、講評や審査のお手伝いをしている。
秋の地区大会の後に開かれるので、3年生は引退し、1・2年の下級生で臨まれる場合も多い。

その影響で、高校演劇を観るようになった。
全国大会は毎年9月、NHK「青春舞台」で取り上げられている。
最優秀校の上演が放送されるのだが、その前に出演校のうちいくつかに取材が入り、稽古の過程などが紹介される。
テレビを見ていると、紹介されている高校が最優秀になるのかな、と思ったりするが、
そういうわけでもなかったりする。
全国大会に進むだけあって、どの高校も演目の題材、メンバー、つくりあがりなど甲乙つけがたく魅力的なのだ。
そして、全国一位となった作品を観ると、やっぱりなあ、と納得するのである。

ウィキペディアにての全国大会における上演規則抜粋。(地域大会は異なる場合もあるだろう)

・全国大会には、全国大会に推薦された上演時と同じ脚本で臨まなくてはならない。
・上演時間は60分以内、装置の設置・撤去時間は30分以内としなくてはならない。(今回の静岡県は、昼休憩時間以外は上演のインターバルは15分だった)
・キャスト(出演者)およびスタッフ(脚本を除く。演出を含む「裏方」全般)は在校生のみで構成されなくてはならない。
なお、脚本については既成脚本(プロによる脚本、古典作品など)、創作脚本いずれともの使用が認められている。
創作脚本は1人の生徒が書いたもの、演劇部員がアイディアを出し合ったもの、顧問の教員や外部コーチが書いたものなどすべてが認められている。

僕は今回、全12校の上演のうち、24日終盤の2校を除き、10校を観たが、
パンフレットをながめながら、気になっていたことがある。
作者はどんな立場の人なんだろう?

“〇〇高等学校演劇部 作”となっていれば、
ああ、生徒たちみんな、もしくは誰かが中心に書いたんだろうなあ、とわかる。

知っている作家ならいいが、わからない場合はネットで調べてみる。
高校演劇では有名な、ある意味古典とも言える作品だということも知ることが出来る。
今は一般から登録した戯曲を集めたサイトもある。
作品の傾向や上演時間もわかり、そこから、脚本をさがすのは、もはやあたりまえになっている。
でも、どうさがしてもネット上に現れない名前もある。
生徒か?先生か?外部の近い人か。(以前全国1位になったもので、OBの先輩なんてのがあった)

というのも、演劇のつくりあがりには、脚本が大きな基盤になると思うからだ。
そこから読み解かないと全体も見えてこない気がした。(あくまでも僕個人の見方)
脚本をどうするか?
上演にあたっての第一の関門。
本なしの即興なんてのもあるかもしれない。
文字にしない、なんてのも。
でも、それも含めての、脚本をどうするか?

ウイキペディアの上演規則で、演出は在校生に限る、というのはちょっとした発見だった。
とは言え、実際は顧問の先生や外部コーチ、時にはOBなども演出に影響するだろう。
それはつくりあげる上での自然な流れだ。
先生は演出的なことに口出ししちゃっダメ、となれば、何の指導も出来ないに等しい。

高校生の全国大会と言えば、“甲子園の野球”。(わかりやすいので例にあげた)
野球部で指導者がいないということはあるのだろうか?
監督もコーチもいなくて、制度上の顧問はいても、野球の指導にはタッチしない。
部員だけで、練習も試合もこなす。
少なくとも甲子園大会を目指す高校は、監督のみならず、コーチも数人いたりする。
中には元プロ野球選手を招聘なんてところもある。

高校演劇は、どうなんだろうか?
演劇の経験がある顧問の先生、ない先生。
顧問が脚本を書く学校、生徒が書く学校。
既成の脚本から選ぶ学校。
60分と言う制限があるので、書き直す潤色という形も多いだろう。
古典戯曲を大胆にリニューアルなんてのもある。
小説や映画など他ジャンルから演劇に書き換えるというのもある。(今回の「女生徒(たち)」は太宰治「女生徒」が元になっている)

どんな過程を経て作り上がったのだろうと考える。
パンフレットをながめ、この作者はどなたなんだろうと考える。
既成脚本か生徒作なのか先生作なのか外部の方に依頼したものか。
例えば建築なら設計図、演劇において脚本が果たす役割は限りなく大きい。

話がよく出来ていて面白いから良いのというのでもない。
生徒たちが演じるにふさわしい脚本があると思う。
この演劇を演じて、役に立つ脚本。
テーマ、配役、話の展開、結論。
例えば高校野球だって、生徒の役に立たなければならないと思う。
3年間、やりすぎによる怪我ばかりで良いわけはない。
身体の生育、技術の向上、野球を通して学ぶ心のつながり等。

決して教育的というわけではない。
説教臭いのはむしろつまらない。
高校生の今だからこそ演じるべき演劇。
それはきっとさまざまな形があるのだろう。

だから、高校演劇を観るたびに僕の印象は変わる。
今回も観ながらさまざまな感想を抱いた。
自分の価値観も変化していくことに気づく。
審査とは絶対ではなく、一時の縁だと思う。
審査員も毎回同じではないし。
でも、結果をみれば、なるほどなと思うのである。





プログラムの内、上演⑪日本大学三島高校、上演⑫新居高校は19時から浜松で路上演劇祭の実行委員会があり、観ることが出来ませんでした。

伊豆伊東高校「ラフ・ライフ」、韮山高校「昔話をしようじゃないか」の2校が来年1月に行われる関東大会に推薦されたようです。



 

劇団からっかぜアトリエで劇団からっかぜ「切り子たちの秋」を観た

カテゴリー │演劇

11月10日(日)15時~

劇団からっかぜ70周年記念公演第2弾。

当日配布されたパンフレットにはOB・OGや関係者からの言葉の他、「舞台美術で綴る」という、1971年 三好十郎「獅子」演出 深沢大助から、2024年 ふたくちつよし「切り子たちの秋」演出 布施佑一郎までの舞台写真が掲載されていた。
そこに写る俳優は、声も出さず身体も動かさないが、
微動だにしない舞台美術と共に、雄弁に語り出すようだ。
その時代、確かにその場で生きていたということを。

切り子とは、旋盤工場で、金属加工で製品を作るために削り出されていく切りくずのこと。
舞台には目立たぬ場所に、バケツの中に盛られた「切り子」が置かれている。
ただし、それは、ふとした場面のセリフに「切り子」のことが触れられ、その存在に気が付く。

そのように、舞台上に存在している物に、不必要なものはない。
「切り子たちの秋」と言うタイトルは、登場人物たちを新製品を作るために捨てられる切りくずにたとえている。

2011年10月、劇団青年座が青年座劇場で上演した、ふたくちつよしさんにより書き下ろされた作品。
1974年、東京大田区の町工場を舞台にしているが、当時でも37年前のこと。
劇団からっかぜによる2024年では、50年も前のことになる。

なぜその時代のことを描いたのか?
2011年や2024年の今でも当てはまるテーマがあるのだろう。

佐久間製作所の事務室と自宅の居間は併設されている。
事務室には、社員の休憩所や客との応接兼用のテーブルと椅子が置かれている。
自宅の居間で切ったリンゴを、
家族も従業員も隣の従業員や取引先も近所の人も、一緒に食べたりする。

狭い東京の建物や部屋の間も人の関係も、狭かった頃の話。
戦後、経済も物価も給料も右肩上がりで駆け上っていった時代。
ただし、そんな中にもすでに大きな歪みが現れている。

中東戦争をきっかけに原油の供給ひっ迫及び高騰によるオイルショック、
次々と新しい技術が更新され、それに伴い取り残されていくものたち。
ひとつの会社がつぶれれば、そこには社員がいて、取引先がいて、それぞれ家族もいたりする。

舞台は、殿様キングスの「なみだの操」が流れるところから始まる。
なみだの操は1973年11月に発売され、翌1973年大みそかの紅白歌合戦で歌われる。
つまり、まる1年以上、世の中に流れていたということ。
流行歌と言う言葉がふさわしく、今のようにネット中心にバズる曲が次々入れ替わるのとは違う。

音効を使うことが少ないイメージがある、からっかぜの演劇では珍しいと思った。
ただし、宮路オサムのだみ声で、一気に時代をさかのぼっていく。
(まったく知らない世代の人にはどう聞こえたかわからないが)
その後も暗転による場面転換でインストゥルメンタルの曲が使われていた。

経営者で偉大な職人だった父が亡くなり、離婚し一人娘を持つ次女幸子が会社を継いでいる。
受注は減っているにもかかわらず、積極的に営業するというのでもなく、来る電話を待っている状態。
実質、工場は母、照代が仕切っている。
中学卒業して就職して以来、以前はもっといた職人の中でひとり残っている信吉。
パート従業員だが、長く働いていて、居間にまで上がり込んでいる菊乃。
隣の工場の従業員だが、こちらの方が居心地がよく休憩時間になるとたむろする満男。
信吉と満男は小さな頃両親を亡くしている共通点からか、兄弟のように仲がいい。
近所の主婦、典子は、もらったおかずのお礼と、得意料理のおからを持って工場にやってくる。
取引先の社員で配偶者と別れた藤崎のことを、照代は、不憫でならない幸子の後添えになってくれればと願っている。
父のことが大好きだった幸子の娘、直子はこんな自分の家も住む町も大嫌い。
そして長女、光子は、工場を腕のいい職人として支えていた杉山と、恩をあだで返すかのように飛び出してしまっている。

誰もが何かを失ったまま、生きている。
失ったものはそれぞれ違う。
人によっては、そんなことで?と思うようなものかもしれない。
それでも、みんな自分のことだけを考えているのではない。
他人が何を考え、どんな状態か、
顔色を見て、声を聞いて、
予測し、合っているときもあるが、間違えるときも多く、
口に出し手を差し伸べたり、見守ったりしながら、
そんなこんなで、狭い空間の中でひしめき合うように生きている。

俳優たちは、ここのこと、よくわかってるという感じで演じていた。
この場所に生きているようなのだ。
特に直子役の鈴木千笑さんは、反応の表情や仕草が的確だった。
出演者一番の年少者が落ち着いて演じることにより、全体の調和が生まれたように思う。
時間が経つとともに、その場に生きている存在は凄みを帯びていき、感動が増していく気がした。

解決は、ひょんなところから訪れる。
完璧だと思った人が、実はそうでもなかったということが判明する。
もしこの世にいたとしたら、それをひた隠し、無理やりにでも完璧を守り通していただろう。
不在ゆえの効能だったかもしれない。

でもこれもひとつの天国からの贈り物で、
この世で、じたばた格闘していたからこそ、訪れたのだと思う。
でも、実際の現実的な状況は変わっているわけではない。
変わるかもしれないという、心の変化が訪れたのだ。

2024年の現在として考えてみる。
時代が刷新されていくに従い、追いかけるように歪みが生まれていく。
それは変わらない。
たぶんいつの時代も。
誰もがつまずくのだ。
時代もつまずくのだ。
そして、それでも人は生きていく。

切り分けられたリンゴは、お芝居の嘘として、エアーで食べられていたが、
とてもおいしそうだった。

※12月1日(日)14時~ 浜松市勤労会館Uホールで、はままつ演劇フェスティバル2024参加作品を観た。









 

静岡芸術劇場でSPAC「イナバとナバホの白兎」を観た

カテゴリー │演劇

11月4日(月祝)14時~

「イナバとナバホの白兎」はパリのケ・ブランリー美術館より、開館10周年記念に新作を上演してほしいという依頼から始まったという。

美術館内には、クロード・レヴィ・ストロース劇場という名の劇場があるようだ。
劇場のホームページを見たら、以下の紹介文があった。

創造と交流の場であり、アーティストや知識人が出会う場所。
さまざまな分野と宇宙(歌、ダンス、音楽、演劇、サーカス、人形)が肩を並べ、現代と千年の伝統を組み合わせている。
ヨーロッパでほとんど公演のないアフリカ、アジア、オセアニア、アメリカ(つまり世界全般)のアーティストを紹介することを目的としている。

フランスの社会人類学者クロード・レヴィ・ストロースの名を有した劇場名から、レヴィ・ストロースの著作物を題材に演劇を作るきっかけになったことは間違いはないだろう。

SPAC芸術監督であり、演出の宮城聰さんによると、「月の裏側」という日本についての文章や講演録を集めた、
レヴィ・ストロース最後の刊行本から着想を得たという。

レヴィ・ストロースはブラジル・サンパウロ大学へ社会学教授として赴任した頃から、民俗学のフィールドワークに取り組む。
未開だと思われていた先住民の人たちが、実は世界に満ち溢れる自然界と人間界の具体物を使って思考している、という「野生の思考」等を著す。

「野生の思考」を書いた後、本格的に神話の研究に向かう。
レヴィ・ストロースは、神話は、人類最初の哲学であるという。
社会の規則をくつがえすことも辞さず、人間の本質を考えるということ。

1977年、69歳の時に、国際交流基金の招待により、小さな頃浮世絵に熱中して以来、焦がれていた日本への訪問が実現。
それから、88年まで5回の来日を遂げている。
その体験等を記したのが、今回の「イナバとナバホの白兎」の着想を得るきっかけとなった「月の裏側-日本文化への視角」。

宮城さんによると、93~94歳の時に書かれた「因幡の白兎」という短いエッセイに、
古事記のオオクニヌシ神話の中に、なぜ唐突に因幡の白兎の話が挿入されているのか?と感じた疑問に対し、
このような仮説で答えている。
「アジアの大陸部に起源をもつ神話の体系が、先ず日本に伝わり、ベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸に伝わった」

アメリカ先住民の神話には因幡の白兎と似た話などのモチーフが一貫した筋にまとめられているのに対し、
古事記では、一話完結のようにばらばらになっている。
日本から遅れて伝わったアメリカでは、原型に近い姿が残っているのではないか?
そして、エッセイでは、誰か神話の専門家が、この仮説に触発されて、神話体系のすべてのつながりを結びなおしてくれるだろう、と結んでいる。

エッセイが書かれてから、まだこの問いかけに対し、どの神話の専門家も応じていないようなので、では、自分たちがと思ったようである。
自分たち、つまり、ひとりではなく、「集団創作」こそが、そのためにはふさわしい。
ということで、俳優全員がアイディアを持ち寄り、はじめての「集団創作」により作り上げた。

初演は2016年、ふじのくに⇔せかい演劇祭で駿府城公園でプレ公演。
6月、フランス国立ケ・ブランリー美術館 クロード・レヴィ=ストロース劇場で10回のパリ公演が行われている。

2024年の今回は、再演となる。
出演者は重なる
駿府城公園でのプレ公演は、今回の屋内での劇場公演に対し、野外公演である。

僕は下手寄りの最前列で観劇した。
ストーリーは、3部構成になっている。
第1部の日本の神話、古事記に書かれたバラバラなエピソードのひとつ因幡の白兎の話。
第2部が、レヴィ=ストロースの仮説によると、日本から遅れて伝わった、原点に近いと思われるアメリカ先住民、ナバホ族の神話。
第3部が、それ以前の元となったであろう神話を、想像を交えて創作。

白兎が、海を渡るためにワニたちを騙し、数を数えようと背中に飛び移る。
縄で作ったワニの造形が面白かった。
大きな顔面の仮面がとても良くできていた。
でも、僕にはそれらがあまりにもきれいすぎるように思えた。

わら縄を組み上げる度に、わら屑が舞い散る。
大木を切り出して作る仮面は、削る度、木屑が零れ落ちる。
本来はそうあるべきと思ったりもする。

多くの公的劇場が対外に貸し出すことで成立させているに対し、
静岡芸術劇場は慎重に管理し、SPACの専用劇場として演劇づくりの拠点となっている。
ある意味、そこは守られてる場所であり、原初的な古来の荒々しさを再現するのは難しいのではないか?
そんな邪推を含む眼で見たりもする。

ゴールデンウイークの初夏を手前とする時期ながら、
日が暮れると夜風が冷たい駿府公園の野外で、
巨大な投光器に映し出される縄の衣装や仮面は、暗闇に原初的な味わいで浮かび上がったかもしれない。
景色との間に輪郭が揺らぐように。
もちろんこれとて幻想ではあるが。

しかし、どうあっても取り繕うことが出来ないことがある。
それは、俳優の身体であり、声だろう。

生身の身体と声は、どうしようもなく原初性を担保する。
それぞれの履歴を背負った身体と声。
いつ演劇を始めたのか。
そしてなぜ続けているのか。
どこから静岡へ来たのか。
なぜ今SPACに所属し、この地で、この舞台に立っているのか。
そんなことまで想像させる。

宮城演出作品の特徴として、ムーバー(身体)、スピーカー(声)という本来1人でまかなう俳優の仕事を分業で行う方法の他、
俳優が、演技とガムランの演奏も兼任し、入れ替わりながら音楽の要素を担うというのがある。

ガムランとは、インドネシアで行われている銅鑼や鍵盤打楽器による合奏の民俗音楽の総称。
ガムランの特徴はリズム構造にあり、通常の合奏では、共演者と同じ拍子で合わせるところ、複数に分かれたパートにわかれ、ひとつのリズムパターンを組み合わせていくため、自分のパートと共演者のパートの違いを意識しながら、正確にリズムをずらしていくのだという。
また、音によるコミュニケーションに特徴があり、ガムランには基本的に楽譜がなく、指揮者もいない。
そのため、始まりも盛り上げも静まりも終わりも、特定の楽器からのメッセージが合図になるのだという。
(今回SPACの音楽がこの方式かはわからない。ガムランスタジオ音の森HPによる)

3つの神話の特徴は主人公は、理由があり、先へ行こうとしている。
しかし、共通する障害として巨大な「水」が立ちはだかる。
泳ぐ魚でも飛ぶ鳥でも渡るアメンボでもない。
自分の力だけでは、進むことが出来ない。
そのうえ、行く手を邪魔する強敵が現れ、立ちはだかる。
しかしながら、助けるものと出会ったり、本人の努力もあり、その先へと進む。
到着した先は、主人公が予想しなかった地点に立っている。
生まれ変わったかのように、もしくは約束されていたかのように、
国を造る者であり、生命を生む源泉、太陽の、その子供だったりする。

第3部では、特に俳優の身体と声が露わとなっていく。
宮城嶋遥加さんとながいさやこさんが、父を探して旅をする双子の兄弟。
簡素な服装を着たダンスのような身体表現で示す旅の工程は、
とてもシンプルな形で観客に提出される。
物語が進んでいくにしたがって、分業制で行われる身体と声はますます分離していくようだ。
それは分離しながらも、つながり、合致していき、
言うならば、それはガムランの「正確にリズムをずらしていく」作業にも思える。





観劇後、静岡市美術館で開かれていた「100 Year Story of Photography 写真をめぐる100年の物語」へ行った。
静岡市内で行われていた大道芸ワールドカップは最終日、終盤を迎え、帰途につく観光客、
また駅前会場でラストの演目を楽しむ人でにぎわっていた。






 

袋井マムゼルで行われた「WHAT is JAZZ」で「誰かの思い」を演じた

カテゴリー │ブログで演劇

11月17日、鴨江アートセンターで「二人」に出演したが、
11月3日にも、14時から本番があった。

会場のマムゼルは、袋井にあるライブ喫茶。
国内外のジャズマンが演奏する場所としても知られる。

路上演劇祭をきっかけに、ジャズをやる竹嶋賢一さんと知り合い、
僕にもライブに声がかかるようになった。

僕はジャズを聴くことはあっても、演奏者ではない。
シンガーとして歌うわけでもない。

竹嶋さんは、浜松にある実家の母親の面倒を見るため、東京からやってきている。
面倒を見るということは一緒に住むということなので、
東京の松濤にある自宅に戻ることはあるが、多くの時間を浜松で過ごしている。

ほとんど知り合いもいないのに、高台協働センターで「子供のための現代音楽研究会」なんて看板をかかげて、
ほとんど訪れる人はいないまま、弦楽器を弾いたり、レコードをかけたりして過ごしていた。
そこは、母親を介護施設に連れていくとき時間をつぶす理由もあったが、
路上演劇祭の代表、里見のぞみさんが、偶然看板を見て、部屋に入ったことから、出会いは始まる。

竹嶋さんと里見さんは話が合ったのか、2019年の演劇祭に一緒に参加することになる。
里見さんの身体パフォーマンスに竹嶋さんの音楽演奏。

それからコロナ禍行われた路上演劇祭でひとりでやった僕にも「ひとりでやるなら一緒にやろう」と声がかかり、
演劇+ダンス+音楽のコラボユニット「テラ・ダンス・ムジカ」を組み、2023年路上演劇祭に出演することとなる。

竹嶋さんは、即興演奏なので、そういう意味では、楽器さえあれば、いつでも演奏ができる。
だから、人や場所を見つけては、積極的に演奏会を開いている。
サザンクロスの朝市に出店して。
鴨江アートセンター104号室で。
袋井マムゼルで。
他には、呼ばれての福祉施設や演奏会やイベントでも演奏している。

一度その場所が気に入ると、何度もそこで行うので、
場所が増えるに従い、スケジュールは忙しくなる。
それでも、きのうどこかでやったとしても、
翌日またいつものようにやるのだろう。

ただし、僕はそういうわけにはいかない。
やる場所が違えば、新しい演目をやりたいと思う。

台本を書いて、どう演じるか考える。
衣装や小道具も用意することもある。
結果、台本を覚えなくてすむ朗読という形になった。

演劇を担うのは僕一人なので、その部分はひとりでの作業となる。
ダンス、音楽と合わせるのは、数度。
ある時は、「完全即興で行こう」と決め、当日ぶっつけ本番だった。

竹嶋さんも演奏しているジャズライブ喫茶 「高円寺グッドマン」から、オーナーの鎌田雄一さん他、5名のメンバーが、袋井市のマムゼルへ。

1973年荻窪グッドマンとして生まれ、2006年高円寺グッドマンとして移転。
開業してから50年以上の老舗のジャズハウス。

昨年この時期にテラ・ダンス・ムジカの演劇+ダンス+音楽で「スーパーマーケット」という作品をやったが、
今年は、ひとりでやった。
ダンサーが他のイベントと重なり、参加が不確定だったこともある。

「誰かの思い」の登場人物は3人。
病院を舞台に、それぞれ心に抱く気持ちをリレーしていくイメージ。
対話方式のセリフは進まないので、ひとりで3人の役を演じることも可能なように書いた。

夜、佐鳴湖畔で「野らぼう」という劇団のテント公演があることが頭にあったが、
週末の混み合う帰路を走りながら、日本酒でも買って、自分を癒すことにした。



誰かの気持ち

                          作:寺田景一



ナレーション 病室の男。白く無機質な病院。ベッドに「病室の男」。

   「病室の男」人形を置く。



病室の男 看護婦さん、看護婦さん……。看護師? そうだったね。いいじゃない。あんた、女なんだから‥‥‥男もいる? 死ぬ前に、男     
に面倒見られたくないよ……(笑い)差別発言か。最後ぐらい言いたいこと言って、嫌われて死んでいくのも悪くない。看護婦さん……。話   
聞いてよ。俺、もう死ぬんだからさ。今日はクリスマス。恋人と約束ないの?……。看護婦さん。モテるでしょ? セクハラ? もう関係ない      よ。……別れた? いつ~? 最近……。かわいそうに。ちがう。かわいそうなのはあんたじゃない。男。看護婦さんみたいな女をふって。絶対後悔するよ。一生。‥‥‥俺ねえ、生まれ変わったら、看護婦さんみたいになりたい。あんたのような、やさしい看護婦さんに……。

   ナースコール「メヌエット」が鳴る。
   
病室の男 整形外科棟B三〇五の、若い男。だろ? 飲み屋はしごして階段から転げ落ち、骨折で入院。ほっときゃ治る。談話室で会うたび、年寄りからかいやがって。長生きしても無駄だ、死んだ方がましだ、ほざきゃがって。

   ナースコール「メヌエット」が鳴る。

病室の男 行くなよ。あんな奴の所。……行きたいのか? あいつのところ。……え? 好きなのか? あの男のこと。

   ナースコール「メヌエット」が鳴る。
  
病室の男 行っちゃった。一目散に走り去っていった。ピン止めしていなかったらきっと、長い髪なびかせて……愛のナースコール。あの患者、個室だったな。(笑い)愛のクリスマス。お幸せに。

ナレーション 掃除する女。病院のトイレ。「掃除する女」、床の汚れを取ろうとしているが取れません。

   「掃除する女」人形を置く。




掃除する女 やめた。こんなの私の仕事じゃない。何もかも、あいつのせい。リストラ? 冗談じゃない。上司に言い返してやりなさいよ。辞めるのはおまえだ!……。おかげで私がこんなことに……。結婚するまではよかった。子供が出来て、仕事やめて何年経つんだろ。二十年。そしたら、仕事探しても、どこにもないじゃない。私の仕事。……結婚前の仕事、辞めなきゃよかったな。バブル真っ盛りで、楽しかったし。同級生の女の子よりグンと給料高かった。あの時、辞めてなかったら。あ~あ。どうしてあいつと結婚したんだろ。あ~、これ取れない。

どうぞ。‥‥‥すみません。じゃまですね。すぐ出ますので……。いてほしい? ここに? ……話、聞きますから、談話室。今から休憩取りますので。行きましょう。……だって、ここトイレですよ。……わかりました。ここで聞きます。泣かないでくださいよ。そんな大きな声で。

看護婦さん、……え? 看護師? わかってます。今はいいじゃないですか。そんなに泣いてるときに。あなた、学生時代、トイレにひとりで行けなかったタイプでしょ。絶対に誰かを誘ってトイレに行く。ひょっとして看護師になった今も。……私はひとりで行っていた。その頃から今もずっと。‥‥‥私あなたみたいな女に生まれたかったな。人前で泣ける女。

なるほど。だけどほんとどうでもいい話。……あ~、うそうそ。泣かないで。看護師同士で若い男のナースコール、取り合うっていうの、どうかと思うよ。しかも、あなたばかり来て冷たくされたって。それで泣いてるの? あなた、仕事に対して、どう考えてる?……男が自分のこと、どう思っているかって?……知らん。‥‥‥チョチョチョ、泣くな~。シミュレーションしてみよう。情報を整理して可視化。恋の現在地を知ろう。‥‥‥え? 楽しそうって。そうね。私こういうの大好き。他人事だし。

ゴールはここ。彼のハートよ。‥‥‥便器じゃいや? だってトイレだもん。じゃあ、(上方をさし)あれ。古くなってきた電球。ちょっと暗くなってるでしょ?……そういうものじゃない? ゴールって。小さくてほの暗い。だから目指し甲斐があるの。あなたが飛び込んで、そこに光を注ぐのよ。あなた自身が持つ明るさで。ぼわっと。わからない? 光っているでしょ? 魂? 心? そんなもの光らないでしょう。あなたすべてよ。光るとしたら。全部。あなた自体が強烈な光を持つの。

ここが彼のいる病棟。建物おっきいわねえ。巨大病院。掃除するのも大変。‥‥‥彼の特徴は?‥‥‥とにかくカッコいい?(鼻で笑い)フン‥‥‥顔は? ……旧ジャニーズ系?‥‥‥ジャニーズって、便利な言葉だったね。イケメンを言い表す。‥‥‥イケメンにもいろいろある。あなた、画面上と実像は違うのよ。あれは全部、虚像。あなたにとってカッコいい、あなただけがカッコいい。それでいいね。
 
(ゴール見て)ゴール、遠いなあ。旧ジャニーズもどきの男。行けないよ。おばさんでも行けるか? 行こうか。整形外科B病棟だっけ? 三〇五号室。彼のマンション押し掛けるんじゃないよ。

ナレーション 掃除する女、歩き始めます。看護する女、うしろをついていきます。

   「看護する女」人形を置く。




看護する女 私が進む道の先には、いつも、男がいる。お母さんには、しばらく。お父さんの方が好きと言えなかった。でも幼稚園の親子遠足で、お母さんよりお父さんの方がいい、って言っちゃった。だってみんなお父さんが来てくれてたから。きっと大事なお仕事休んで、もっと大事な子供のために遠足に来ている。みんながお父さんだからと子供ながらに気を使ったが、母はしっかり見抜いていた。私が母のことを好きではないことを。お父さん、お兄ちゃん、男の先生、部活の顧問、先輩、後輩、同級生。私は男を追いかけた。

母は、当然私から距離を置いた。実家から離れた看護学校に入り、その街にある病院に就職した。父には会いたいが母とは会いたくないので、実家には帰らない。看護師の仕事も昼夜(ひるよる)忙しい。でも男に向けては不思議と足が進む。歩け。歩け。歩け。病室の間を。迷いなく。‥‥‥この人は誰だろう? 私の前をゆうゆうと歩く女の人。あんた今から向かう男のこと、全然知らないじゃん。

   ナースコール「メヌエット」が鳴る。鳴り続ける。

看護する女 誰も行かない。どうせ大したことないから。大したことない。大したことない。でも、もしかしたら‥‥‥今ごろ‥‥‥床にばったり倒れてるかも。チューブ外れて。まわりには誰もいない…‥‥。待って。‥‥‥すみません。私、行かなくちゃ。‥‥‥いえ、男のとこじゃない。患者さん。‥‥‥仕事? 仕事だから。…‥‥そうかもしれませんね。すぐ行きます。もう少し。もう少しだけ待っていてください。私が行きますから。

ナレーション 「看護する女」、方向を変え、急ぎます。

看護する女 今まで、私が知らなかった男‥‥‥女の人‥‥‥入院期間が終わり、無事退院し、また知らない人になる。街で会っても、普段着の私に気づかない。私は気づく。あ、あの方、ずいぶん元気そうだね。足も、うん。大丈夫そう。慌てないで。転ぶといけないから。‥‥‥明るい化粧品使うようになったんだね。髪も自分で切ってるって言ってたけど、それは違うね。どこの美容院? とっても似合ってる。お孫さん、かわいいね。ひとり‥‥‥ふたり。両方から手をつないで。笑顔‥‥‥笑顔。そうだね。笑顔がチャームポイント。確かに笑顔。

患者さんに明るい気持ちになってもらおうと、廊下には、近くの小学生たちの絵が貼られている。花‥‥‥え! これ花? 虫かと思った。お父さん‥‥‥え! これお父さん? ゴリラかと思った。お母さんはそんないつも鬼みたく怒ってはいない。顔赤くて、目が血走っていて、角生えてる。鬼滅か。あ、これもアニメのキャラクター。そんなのばかり描いてると、オリジナリティ育たないよ。まあいいか、画家になるわけじゃないし。
私はいつも病室に入る時、緊張する。‥‥‥生きている死んでいる、生きている死んでいる、生きている死んでいる、生きている死んでいる、生きている死んでいる…‥‥。

(病室に入る)生きている。‥‥‥呼ばれましたか?‥‥‥いい加減にして! 本気の急用以外ナースコール押さないで。他の患者さんもいるんだから。あなたがしてることは、病院へ行くタクシー代わりに救急車呼ぶ人と変わらない。‥‥‥そう。りっぱな社会問題。‥‥‥あなたの病気はまったく問題ないんですよ。先生も言ってるでしょ? なおりますって。なおりますから安心してください。‥‥‥いつ? あなたの行いさえよければ。今のままではなおらない。‥‥‥子供扱い? そうですよ。何度言ってもわからないなら、子供と同じ。いえ、子供以下。子供の方がずっとまし。‥‥‥すみません‥‥‥そんな冗談言えるくらいなら、すぐ元気になりますよ。‥‥‥お孫さん、今度、小学校だよね? 女の子で将来はアイドル間違いなし? 頭も良くて、勉強かアイドルかどちらに進むか悩むに違いない。じいはそれが悩みじゃ。…‥‥この前、言ってましたよね。プレゼントするランドセルの色、何がいいって、私と盛り上がったじゃないですか? 忘れた? あ~あ、あんなにしゃべったのに。会話した甲斐がないなあ? その時間返して!‥‥‥ボケた人にはそれなりに気を使って話します。あなたはボケていませんので。‥‥‥はいはい、私の恋の行方は‥‥‥。どこかな? ‥‥‥ここかな?‥‥‥いや違う‥‥‥。これも違う‥‥‥これは悲しみの行方。‥‥‥さようなら~。

ナレーション 「看護する女」、出て行きます。「病室の男」、立ち上がり、うろうろします。

病室の男 誰かの気持ち。自分ではない誰かの気持ち。俺はわかるだろうか? 誰かの気持ち。今までわかったことはあっただろうか? あなたは?‥‥‥あんたは?‥‥‥おまえは?‥‥‥お主は?‥‥‥貴様は?‥‥‥お前さんは?‥‥‥あんさんは?‥‥‥君は?‥‥‥You?‥‥‥アンダスタン? What Do You Understand ? You? You? You? What Do You Understand?  What Do You Understand ?  What Do You Understand ? わかるかい? わっかんねえだろう。なあ。

   ナースコール「愛の夢」が鳴る。


                                おわり
 



WHAT is JAZZ

出演者
鎌田雄一(Ts)
平松カオル(As)
加茂雄揮(Ob)
木下浩美(P)
小澤 清志(P)
竹嶋賢一(CB)
難波博充(Dr)
星合厚(Dr)
杉浦麻友美(ダンス)
野中風花(ダンス)
寺田景一(朗読)





フリーJAZZの即興演奏の中、ひとり朗読。
ダンサーたちも遅れて到着し、音とともに即興で踊る。
17時終演。






 

ゆりの木通り・江間ふとん店で「アートの女神様やってきた!第7回浜松OPEN ART」を観た

カテゴリー

浜松OPEN ARTは、浜松街中で、アートのジャンルを越えて、一堂に介するイベント。
各店舗に作家によるアート作品が展示されていたり、会期中、音楽、舞踊などのパフォーマンスやワークショップが行われた。


舞踏と音楽に足を運んだ。
どちらも会場は、ゆりの木通りの江間ふとん店。

◎11月2日(土)15時~ ひらのあきひろ 舞踏

「俺はこれを脚の芸術と呼ぼう」













◎11月10日(日)11時~ めでたバンド 

オリジナルとセイカツノガラとウクレレでアロハオエ~♪





※女神様と邪心ドド 降臨!!







 

アクトシティ浜松大ホールへ「ヤマハ ジャズ フェスティバル」へ行った

カテゴリー │音楽

10月27日(日)13時~17時15分(予定)

1992年に始まったハママツ・ジャズ・ウイークのメインイベントとして、
最終日に行われている「ヤマハ ジャズ フェスティバル」。

今年が第32回となる。
僕も当初から、何度か足を運んでいる。

山下洋輔、日野皓正、北村英治、ヘレン・メリル、上原ひろみなど。
昨年は荻野目洋子さんが出演し、人気者はやはり違うなあと堪能し、
今年お亡くなりになった第27回に出た八代亜紀さんを迷い観に行かなかったことを悔やんだ。
八代亜紀さんのジャズは間違いなくいいのだ。
秋は、浜松の「演劇の季節」でもあるので、
僕がやる演劇公演があった頃は、稽古や上演と重なり、行けなかった。

ハママツ・ジャズ・ウイークのチラシを見ると、
中高校生や若者たちの演奏会、
ワークショップ、
ジャズハウスや飲食店を会場にしたジャズライブ、
街中の各所で行う地元のミュージシャンを中心とするストリートイベント、
そして最後にキャパ2,000人の大ホールでの演奏会が行われている。

今回のプログラムは

Part1 エメット・コーエン トリオ
Part2 Shiho with スペシャルゲスト 島袋寛子
Part3 シネマ ジャズ オーケストラ produced by クリヤ・マコト featuring 寺井尚子

クリヤさんが、イベントの担当者と企画の話が合った時の話があった。
「何か面白いことやってくださいよ」
そんな依頼から始まり、イベントのためだけにスペシャルバンドが組まれる。
ヨーロッパ、アメリカ、日本、シネマ・ジャズが世界を巡る。

まさにテーマである「ここにしかない、めぐり合い」。




Part1~3のメンバーが登場したフィナーレコラボレーションが終わると、
大ホールから2,000人の観衆がどっと吐き出される。

JR浜松駅に向かう通路は一時非常に混むのだが、
バスターミナルの地下では、外国人主催のイベントが行われていた。

大きな円形のスペースで、中心部は吹き抜けになっている。
その一角でロックバンドが、中心に向け演奏している。
女性ボーカリストのエネルギッシュな歌声が響き渡る。

中心の吹き抜けを囲むように外国人の若者たちが、たむろっていた。
吹き抜けの部分には、空から雨が降っているのだ。
ロックの演奏を聴いているのか、ただ仲間とだべっているのか。
下には飲み物を置き、煙草を喫う人も。

それらは、明らかに、大ホールからの帰還者たちとは、相違があり、
心なしか、目を背け通り過ぎていくよう。
それは錯覚かもしれない。
でも、僕には一種、断絶のように見える。

後日、NPO法人クリエイティブサポートレッツで行われた「ひとインれじでんす」で、
美学者の伊藤亜紗さんから聞いた話。
ノンクロンという、道端などにしゃがみこんでおしゃべりする文化があるそうだ。
日本のコンビニ、セブンイレブンが出店したが、
例えば店内でコーラ1本でノンクロンしてしまって、商売にならなく、撤退しまったそうな。
ただし、何気ないおしゃべりが、問題を解決したり、互いに助けたりすることにつながったりするのだ。
それを目的に集まっているのではない。
自然の流れにいる効果として。

その話を聞いて、この日の光景を思い出した。
彼らにとっては、身体に根付いた習慣なのだ。
縁あって日本に来て、そういうのを日頃は我慢していたのかもしれない。

もちろん日本の法律にまったく反していない。
肯定すべき、彼らの日常なのだ。

異文化の街中での邂逅。
融合ではない。
すれ違い。
互いにどう思っているのか。
それは、聞いてみないとわからない。







 

フェイヴァリットブックスLで「青木智幸(UP-TIGHT)×中西こでん ツーマンライヴ!! “生きろ!”」を聴いた

カテゴリー │音楽

10月19日(土)19時~

この日は、来年の路上演劇祭の開催場所を検討する“街歩き”があった。
候補となっていたバスターミナル地下から、ビールメーカーのイベント開催の新川モール、ゆりの木通りの民間の公民館「ちまた公民館」をめぐり、衆議院選挙出馬候補の応援演説で政党党首がやって来るという情報を聞きつけ、松菱跡へ。
時折降る雨の中、演説はすでに終盤だった。

2001年に地元の百貨店、松菱が倒産してから23年。
跡地の利用方法は決まらず、日ばかりが経つ。
言い訳のように地元のイベントに使われたり、こういう時にばかり使われるのも、何だかなあ。
ただ、空いている場所。
いいもわるいも、他人の所有地の行く末に関心がなくなり日常となっているのが現状。

フェイヴァリットブックスLは、遠州小松駅近くで、個人で運営している本屋さん。
このあたりに行くときは大概は車で行く。
僕は一度おじゃました時は、現在の近くにあるマンションの一室だった。
Lがついたのは、場所が移ってからか?
今回のライヴ、“favorite Rocks 01”とある。

音楽も演劇も、何の情報もないところにいきなり訪れることは、ない。
行くからにはそこには何かしら行く理由があるのだ。
あまり、行くべきか行かざるべきか考えることは少なくなった。
まあ、行ってみよう。
身体が空いていて、対象への興味とかかる料金の事情が合うのなら。

ツーマンライヴ。
共にギター1本で登場する。
先ずは中西こでんさん。
こでん、という命名は、かつて三味線の師匠にならっていた頃の名残だと理解しているが、
それは、自分というモノを隠すのに役立っているかもしれない。
ただし、それは隠しきれない。
こでんという仮の名に、隠しきれない「自分」を内蔵して、舞台に立つ。

本名での生活者としての自分と、表現者としての自分。

僕などは、仕事を中心とした日常の自分と、演劇等を行う自分との分離が解消できないのは、長らくの悩みだと思っている。
生活する自分と表現の自分を完全に切り離し、そういうものさと、どちらも頑張る人もいるだろう。
また、うまく融和させ、一体化させているようにみえる人もいるだろう。

ただし、それはあくまでも認識の違いであり、実際はどちらも自分であるので、
何も関連がないというわけにはならない。
どちらの自分も互いに作用しあって必要な自分、という結論は書いていてロマンチックに過ぎるが、
本音ではある。

僕は、表現する対象者に対し、どこか生活者としての姿を見ようとしているのかもしれない。
そんな風に考えた。
浜松の単館系映画館シネマイーラで、監督等の舞台挨拶の回に行きたいと思うのも、
その映画をどんな考えで撮っているのか、少しでも垣間見たいのだ。

そんな思いで、僕は小さなライヴ会場に足を運ぶのだと思う。

オリジナル曲なら、現出される歌詞に。
曲に、歌に、演奏に。
歌詞には、生活者として、観察し、徴集した言葉が反映される。

続く、UP-TIGHTの青木智幸さんは、自作曲の他、2作の既成曲をやったが、それとて、
「自分の曲です」とにやりと笑い、平然と演奏する。
あたりまえであるが、他人の曲とて、選ぶには生活が反映するのだ。
その選び方含め表現者。
個人的には遠藤ミチロウさんの「カノン」が、ロッカーバージョンのボーカル、ギターで聴けて、良かった。

最後は、出番を終えて、ギターを車に詰め込んでいた前の演奏者を呼んでのセッション。
申し合わせていなくても、成り立つのだ。
いや、むしろ申し合わせていない方が、スリリングで、ほんとの音・声が出るのだ。
そんな風に思った。

ライヴの間を取り持つDJが流す曲は、絶妙に懐かしかった。
のちに、本屋さんの店主である主催者に聞いたら、客層に合わせたということだった。
突然行ったのに、想定する客層とぴったりだったのかよ。






 

11月17日(日)15時~鴨江アートセンター104で行う、竹嶋賢一音楽会 「二人」に出演します

カテゴリー │演劇

タイトルの「二人」通り、
いくつかの1対1のセッションなどが行われます。

演奏者による「音」と踊り子による「踊り」の組み合わせは、即興で行われます。

僕は東京在住の詩人 野間明子(のまはるこ)さんと、自作の台本を元に朗読による「言葉」のセッションをします。

発露のされ方は、あくまでも“即興”です。
その時にしか生まれないもの。
それは誰もが生きている日々がそうなのですが。
再現不可能な一瞬。

僕は、袴田巌さんを題材にしたものを用意しました。
謙虚な気持ちで演じたいと思います。

秋真っ盛りで、イベントが重なる時期ですが、よろしければぜひ!!




竹嶋賢一音楽会
世間は 何処に 在也
雑音の おしゃべりな 踊り子
二人

2024年11月17日(日)
14時30分開場 15時開演
浜松市鴨江アートセンター104号室
料金 ¥2,000

出演者
≪語る≫
野間 明子
寺田 景一

≪踊る≫
杉浦 麻友美
野中 風花

≪音≫
江藤 みどり
加茂 雄睴

≪作≫
竹嶋 賢一

―みんな なに してるのかなー







 

グランシップ中ホール・大地で人形浄瑠璃 文楽 夕の部「近頃河原の達引」~四条河原の段~堀川猿回しの段~を観た

カテゴリー │いろいろ見た

10月12日(土)17時~
文楽を観るのは初めてだ。

だから、批評などというのはおこがましい。
演目前に、文楽や演目についての説明がされると言う親切な構成。

文楽とは、歌舞伎や能のような舞台芸術のジャンル名なのではなく、
人形浄瑠璃の、あくまでもひとつの家(座)の名前なのだそうだ。
いくつかあった家が淘汰されて、文楽座という名の家のみが残ったのだそうだ。

人形浄瑠璃文楽とは、大夫、三味線、人形遣いの三業が息を合わせ、“三位一体”で作り出されるのが特徴なのだそうだ。
今回、公演情報を知り、静岡市まで観に行った理由もここにある。

このところ、純粋ないわゆる演劇活動より、
音楽家、ダンサーとのコラボで、表現させていただく機会が多い。
ジャンルが違う中での表現に、それなりに思い、考えることもある。
特に、即興の音、踊りに合わせる演劇と言うものが、何なのか、測りかねたりもしている。

太夫=語り、三味線=音、人形遣い=踊り、
と見事に重なる気がしたのだ。
そこで、百聞は一見に如かず。
「グランシップ伝統芸能シリーズ
ユネスコ無形文化遺産
人形浄瑠璃 文楽」
に出向くことにしたのだ。

予想した通り、
面白い。
批評は書かない、
と言うより書けない。

演目の特徴的な場である、
猿回しの場面。

誤解を恐れず言えば、文楽も“演劇”、
演劇とは遊びそのものであると言うことがよくわかる。

着物を着た白髪の男性三人が、たった一体の人形を大真面目に扱う。
これぞ究極の人形遊び。
原点は子供の無邪気な人形遊びなのだ。

それが文楽と言う芸術の神髄。
堅苦しいものなんてこととはまったくの無縁。
その無垢さに単純に感動する。

猿回しなどは、2匹の猿を黒子たった一人で、両手につけた猿の人形を動かすのみで、行う。
子どもの手遊びとまったく変わらない。

大阪にある国立文楽劇場に一度足を運んでみたいものだと思った。
そうやって活動範囲は広がっていく。







 

静岡県立美術館で「無言館と、かつてありし信濃デッサン館―窪島誠一郎の眼」を見た

カテゴリー │いろいろ見た

10月12日(土)

この日が展覧会の初日だった。
グランシップで行われる文楽を観ようと静岡市へ行く予定を組み、
美術館何かやってるかなあ、と調べたら、この企画展が目に留まった。

無言館は、戦争で若くして亡くなった学生たちの絵が収蔵されている美術館であることは、
何となく、NHK日曜美術館か何かで見たことあるかなあくらいの認識だったが、
これも記憶が確かではないが、何かのシンポジウムをテレビで見ていて、面白いこと言う方がいるなあと、
ネットで調べたのが、館主の窪島誠一郎さんだった。

企画展のイベントスケジュールを見たら、開幕記念講演会「絵好き・絵狂い・絵蒐(あつ)め」が開催されることを知り、
ぜひこの機会にと文楽の公演の前に、足を運ぶことにした。

鑑賞後、14時からの講演会を聞く。
無言館および信濃デッサン館の収蔵作品をこうして特集しての展覧会は初めてだということだった。
そのためか、無言館がある長野県上田市在住の窪島さんが3回も展覧会イベントのために静岡まで来られると強調されていた。
静岡美術館の館長木下直之さんほかで、企画したのだろう。
有名画家の展覧会だと各美術館の巡回展が思い浮かぶが、美術館独自で何を紹介すべきか日々考えられているんだなあと実感する。

90分間(少し延長)の講演会では窪島さん自身の生まれてから今までが語られた。
客観的に語りたいということだったが、徐々に熱を帯びてくる。

高校卒業後、10いくつかの職業を体験したが、渋谷道玄坂の生地屋で仕事をしていた時、
中村書店という本屋で立ち読みすることが楽しみだったが、
そこで、村山塊多の画集と出会い、衝撃を受ける。
そして、「自分のやりたいことを貫く。それでいいんだ」と心新たにし、
1964年の東京オリンピック前年、京王線・明大前の自宅を改修し、
カウンター7席の、スナック「塔」と言う飲み屋を始める。

この店があたったようだ。
東京オリンピックで店の前を聖火が通り、そこでおにぎりを売ったら、やたら売れたそうだ。
その時、お手伝いを募集し、来たのがのちに奥さん。
また、多くの俳優、文化人が訪れる。

ある時、オールドパーばかり飲む画家原精一さんが置かれていた「塊多全集」をみて、
「マスター、塊多知ってるのかい」と声を掛けられる。
その時、窪島さんは「塊多(かいた)」という名を読めなかったそうだ。

それから、絵画についてのレクチャーを受けたりし、
金集めだけでなく、塊多の絵を集めるようになる。

塊多は、美術学校に入ったが、10日ほどでやめ、ほぼ独学で絵を学ぶ。
信州上田に放浪の旅に出て、木賃宿に宿賃代わりに絵を描いて置いて行ったので、
それらをたどれば、塊多の絵は手に入るということだった。
そして、飲み屋で儲けた金を元手に、
自身で徴集した絵画等を展示する「信濃デッサン館」を1977年に設立する。
デッサンが好きなのだと言う。
消しゴムで消えてしまう儚さ。

洋画家の野見山暁治 さんに、戦没が学生の絵を遺族から借りて、信濃デッサン館の一隅に展示したい旨を相談する。
それから、野見山さんの協力も得て、全国の遺族の元を訪れる日々が始まる。

将来画家として花開くことを夢見る中、戦争に巻き込まれていく学生たち。
時局が切迫してくると、兵士が足らず、学生の繰り上げ卒業という措置が取られる。
もっと勉強したいのに、無理やり卒業させられ戦地に赴き、非業の死を遂げる。

展覧会で、絵に付随したキャプション内の記された経歴に「繰り上げ卒業」の文字。
そして享年が二十歳代・・・。

絵は、単なる物質である。
ただし、遺族にとっては、かけがえのない遺品なのだ。
それらを託され、預かる。
窪島さんは、それら絵を手にし、帰途に就く。
時には、この絵のために俺は何をやっているんだろうと自問すると言う。
世に認められた、または認められる傑作ではない。
学生の身分の者が描いた、まだまだ未熟な習作なのだ。

でも、それらが一堂に介すると、
「描きたい、もっと描きたい」と、
ものすごいコーラスが聴こえるのだそうだ。
オーケストラになって響き渡ると言うのだ。

そして作られた戦没学生たちの絵を集めた「無言館」。
寄付を全国から集め、六千万円の融資も受け、1997年に信濃デッサン館近くに開館する。

窪島さんは、音楽や演劇にも造詣が深く、1964年開業の明大前のスナック「塔」に設置された多目的ホール、キッドアイラックホールを運営していた。
演劇や詩の朗読、ジャズやダンスの創作が日夜行われていた。
僕は、名は知っていたが、経営形態などは知らず、一度も行ったことはない。
そして、2016年12月31日に窪島さんの意向により、閉館した。
(その後、別の人によりアトリエ第Q藝術」として開館)

なお、展覧会は12月15日まで行われている。






 

アクトシティ浜松大ホールで第8回浜松市民オペラ「音詩劇 かぐや」を観た

カテゴリー │演劇いろいろ見た

9月28日(土)18時~

浜松市民オペラの歴史
第1回 1991年「カルメン」
第2回 1993年「椿姫」
第3回 1999年「三郎信康」
第4回 2001年「三郎信康 改訂・再演」
第5回 2004年「魔笛」
第6回 2007年「ラ・ボエーム」
第7回 2015年「歌劇 ブラック・ジャック」
第8回 2024年「音詩劇 かぐや」

インターバルを見ると1本つくることのご苦労が感じられる。
(大きなお世話だと言われるだろうが)

今までは「歌劇 ブラック・ジャック」の2016年の再演を観たのみ。
オペラをあまり観たことがない僕も、随所に演劇的な演出が見られ、
演劇と近く感じたことを思い出す。(むしろ近すぎたのか?面白かったが)

https://ji24.hamazo.tv/d2016-09.html

今回の「かぐや」は、
作・監修:荒井間佐登さん、作曲・音楽監督:鳥山妙子さんのほか、
各役割、例えば総監督、指揮、演出、プロデューサー、舞台監督、美術、衣装等に、
専門家がきっちりと配置されているのが何といっても特徴だと思う。

あたりまえのことと言えるかもしれないが、
個人の集まりの中でやる場合、
ひとりが各分野を兼任していたり、
そんなに得意でない人が、便宜上名前を振り分けられたりする場合もあるものだ。

市民でつくりあげる市民オペラとは言え、
かなり強固な組織つくりを心がけてつくられたように思う。

専門の教育を積み、広く活躍されているキャストを担うソリストたち。
市民オペラをきっかけに結成された浜松オペラ合唱団のほか、公募で集められた市民合唱団。
子どもたちのジュニアクワイア合唱団、浜松少年少女合唱団、浜松ライオネット児童合唱団。
オペラと言うクラシックのジャンルを超えた
さざん座能舞台、モダンやコンテンポラリーのダンサー。
音楽も、浜松交響楽団の管弦楽ほか、箏、太鼓と和の音も登場する。

浜松というより、東京等で活動されている方も多い。
練習に不可欠なコレぺティトゥア(ピアノ伴奏をしながら歌手に音楽表現のアドバイスを行う)や、
合唱ピアニストの存在。

演出部として、静岡文化芸術大学の11名(1名は教員)もパンフレットには名が記されている。
将来のための教育とともに、実践としての貢献も期待されている。

第8回浜松市民オペラ実行委員会では制作、広報、イベント企画、資金獲得の部会、事務局が組織される。

その成果として、アクト大ホールには多くの観客が訪れていた。(すべての席を使用ではないが)
僕が行ったのは1日目の28日だったが、翌2日目はチケットが完売と言うアナウンスがあった。

かぐや姫の竹取物語を翻案し、地球からの視点だけでなく、宇宙からの視点も描かれる。
平安時代に生まれ現存する日本最古の物語といわれる竹取物語。
当時は月は見上げるもので、月から見下ろす視点はまだなかったと思われる。

考えてみれば、かぐやは、自ら行動しない女性だ。
でんと存在するだけで、まわりが勝手にやきもきする。
日本的な女性としての象徴なのかもしれない。

つまり運命に翻弄されるのだ。
自らの意思が及ばないところで、どんなにあらがっても及ばない。
行動はしないが強い。
そこにドラマが生まれ、歌となる。
歌い手により表現される。

銀河世界で、恋を認められないかぐやは、傷心をいやすため、地球に送られる。
ここでは“かぐや姫”でおなじみのおじいさんとおばあさんに愛され育てられるかぐや。

劇中劇がふたつあり、そのひとつが父と母に愛される娘のイメージが懐かしきわらべ歌のように描かれる。
少女役の増田琴羽さん(28日)が、天性の芝居心で演じ、観客の心を和ませる。

もうひとつが、ジャジーな曲調の音楽が特徴の酒場の場面。
天井から降りてくる複数の空飛ぶ貝のような不思議なオブジェに、ヒッピー調など時代をまたいだ衣装と印象的。

銀河世界のものたちが勢ぞろいすると、ギリシア悲劇やワーグナーのオペラ(知らんくせに)のような荘厳さを醸し出していて、
おじいさん、おばあさんと住む地球の場面とのギャップが、演出の意図を感じさせる。

作者の方が、きっと決まりきったオペラの世界にとどまらず、能や舞踊など広いジャンルとの融合を視野に入れた作り方をしている。
そこから発し、演出、演者に広がっていく。
そこに肝心かなめの楽曲の力がある。
そうしてオペラが出来上がる。

音詩劇 かぐや、か。
それもまた、意図的だ。
音・詩・劇。
ジャンルが融合する。






 

穂の国とよはし芸術劇場PLATでシス・カンパニー公演「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」を観た

カテゴリー │演劇

9月22日(日祝)15時~

チラシには、日本文学へのリスペクトを込めた「日本文学シリーズ」が久々に復活、
織田作之助「夫婦善哉」をモチーフに・・・、
とあったので、読んだことがなかった「夫婦善哉」を事前に読んでみた。

「夫婦善哉」は、妻子持ちで、食いもんや遊びが好きで、あいそはいいが仕事が長続きしない柳吉とてんぷら屋の娘で、柳吉と駆け落ちし、何度裏切られても離れられない芸者・蝶子の話。
終盤、別れぬまま、大阪の法善寺境内の店で一人前に2杯ずつぜんざいがついてくる、夫婦善哉をふたりで食う。

日本文学シアターは、シス・カンパニーによる、作:北村想、演出:寺十吾(じつなしさとる)で、今回がvol.7。
2013年上演の太宰治の死により未完の絶筆「グッド・バイ」から始まる。

このシリーズは、原作をモチーフにしているが、<本歌取り>とも言える、自由に斬新なアプローチで戯曲が書き上げられているのが特徴らしい。

北村想さんは、もぐりの学生をやっていた時代から大学の演劇部で演劇をはじめ、
1979年「TPO師★団」、1982年「彗星’86」、1986年「プロジェクト・ナビ」と名前を変え主宰として劇団活動。
2003年に解散後は、文筆家として個人で活動するということだったが、元の仲間たちが立ち上げたavecビーズに依頼され、
年に1本程度北村作品を書き下ろす。
avecビーズも2023年1月の公演にて、劇団としての20年間の活動を終えている。

劇作家も、拠点があったり、フリーだったりしながら、作品を書き続けるが、
誰かに求められなければ書く必然性はなくなる。
(もちろん上演抜きで手元に置いておくという方法はあるが、それでは戯曲の役割は果たせない)

北村想さんの戯曲を読むのも芝居を観るのも決して熱心な読者・観劇者ではないが、
僕の人生のさまざまな年代に要所要所で触れる機会があった作家であり、どこか感慨深い。

夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」は「夫婦善哉」だけでなく、川島雄三監督の映画「洲崎パラダイス、赤信号」もモチーフのひとつになっているということだった。
だからタイトルは「夫婦パラダイス」。
こちらは、ぜんざいは登場しない。

「夫婦善哉」同様、柳吉(尾上松也さん)と蝶子(瀧内公美さん)が登場するが、いいとこのぼんぼんと芸者あがりで、夫婦ではないというのは同じだが、話の筋は、異なる。
蝶子の腹違いの姉がやっている川辺にある飲み屋「河童」に訪れる。

信子(高田聖子さん)がやっている店では土建屋の社長、牛太郎(段田安則さん)がバターピーナッツをつまみに一杯飲(や)っている。
この後は、すぐ先にあるIR(政府公認賭博場)パラダイスへ乗り込む。(建設時は仕事の恩恵もあった)

信子の年下の夫、藤吉(鈴木浩介さん)は、煙草を買いに行ったきり、帰ってこなくて何日か経つ。
信子がガラケーで出前を頼むと、静子(福地桃子さん)が岡持ちを持ってやってくる。

そんなわけで、総合型リゾートIRが出来上がる未来なのか、原作で描かれた昭和初期なのか、スマホ以前のしばらく前なのか。
時代はあいまいにされている。

そこに登場する、妄想・ファンタジー。
河童に陰陽道に裏金、強姦騒ぎの刃傷沙汰、おまけに社会批判も有りとてんこ盛り。

柳吉は売れている気配はないが、いつか俺の『浄瑠璃パンクロック』で世の中を炎上させてやるぜ!と自信満々で、
常にネタ集めのメモ書きを欠かさない。
ただし、できる仕事といえば、得意料理といっても、料理だか何だかわからない煮込み昆布。
昆布を時間をかけてゆっくり煮出すだけ。

言ってみれば、よくいる、夢ばかり語って何もしていないと世間からみなされがちな若いやつら。
(プータロー・ごくつぶしともいう)
でも、自分の芸について、静子に語ると、専門的で、けっこう尊敬されたりする。

終演時点で、その夢が叶うかまでは描かれていないが、
ラスト、蝶子と冒頭の待ち合わせ場所で語る場面は、
小説「夫婦善哉」の読後感を呼び起こす。

成功するかどうかは、そんなに関係ない気がする。
いや、そんなことはないか・・・。

そして、にぎやかに、松也さんが達者な歌で、大団円的に締める。
そんなに状況は変わっていないのに。







 

静岡市民文化会館大ホールで劇団四季ミュージカル「キャッツ」を観た

カテゴリー │演劇

9月16日(月祝)13時~

静岡市民文化会館では、何年間に一度、劇団四季ミュージカルの期間限定公演を行う。
今回のキャッツは7月17日から9月23日の2か月以上の上演。
しかしながら、自治体が関連するホールで、2カ月以上貸し切るのは、そう簡単ではないだろう。
他に使用希望者もあることだろうし。

キャッツの公演は、2013年以来、約10年ぶり、3度目だそうだ。
僕は「キャッツ」は初めてで、「美女と野獣」「オペラ座の怪人」を同じく期間限定公演で観た。
公演数を数えてみたら、一回の貸し切り公演を含み64公演。
静岡市民文化会館の席数は1968人。(そのうち何席上演のために使用しているかはわからない)
料金は4000円~13000円(日や席種により異なる。週末は高くなる。そして高い席種から売れていく。
僕はピーク料金C席5000円)

僕が行ったのは千秋楽の1週間前の公演。
上演日の9日前に購入したのち完売となった。
9月になっても真夏と同じ暑さが残る駿府城公園横の会場へ赴く。
前の広場では地元のテレビ局のイベントをやっていて、露店の前で予想外の暑さに訪れている客も戸惑っているよう。

会場内は、さまざまな年代の人がいた。
お子さん(と言っても3歳以上は料金がかかるので、ある程度理解できるような年代)連れの家族、
あらゆる年代のカップル(老夫婦もいた)、
女性グループ(男性グループというのはあまりいない)、
など。
最もいないのは、僕のような男性ひとりというのかもしれない。
他の演劇ではけっこういるのだが。

キャッツは、ノーベル文学賞詩人、T.S.エリオットの詩集を原作とする。
「キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う法」というタイトルの本には、
様々な個性の猫が章ごとに紹介されている。
つまり、ばらばらに生きていて、同じ地平にはいない。
猫愛にあふれている作品。

これをミュージカルでは、
年に一度の夜、都会のごみ捨て場で、猫たちが、最高のジェリクル・キャッツを選ぶ舞踏会が開かれるという設定に変更している。
ばらばらに生きていた猫が同じ時、同じ場所に生きている。

一定の主人公がいて、他の登場人物たちと絡み合いながらひとつの物語を作り上げていくというより、
各登場人物に順番にスポットライトが当たっていき、全体が作り上げられる群像劇となっている。

それも、長く観客に愛されている作品になっている理由だと思う。
それぞれのキャラクターをもっと知りたいという気になるのだ。
台詞と歌で語られるのはその猫の人生のほんの断片。
自己紹介。
本当はその先があるのだ。
それは、限られた上演時間の中では語られない。
そんな、知りたい、知りたい、もっと知りたい、という欲求が、
ふたたび、劇場へ通わせることになるのだと思う。

そして、何より楽曲。
ヒットミュージカルには、キラーチューンが必須で、
「メモリー」を聴きに劇場へ来る人は数多いだろう。

音楽は魔力のようなもので、話の詳細などを吹っ飛ばしてしまうところがある。
今のよくわからなかったけど、まあいいや。
(だって、ジェリクルキャッツ、ジェリクルキャッツってしきりに言うけど、素晴らしいものだろうけど、何なんだって思ってたもんね。初見だと)

それも、また劇場に足を運ばせる理由だと思う。
足を運べば運ぶほど、知らなかったことがわかり、理解が深まっていく。

その猫たちを表現する衣装、メイク、演じる俳優の魅力があり、それぞれのキャラクターが成り立っている。
当然ながら鍛えられた歌とダンス。
劇団四季には、700名以上の俳優が所属しているという。
そして、専用劇場や全国各地で、常に上演を行われている。
小さいころからバレエをやったり、歌を学んでいた人が目指す場となっている。
また経営350人、技術350人のスタッフもいるという。
年間3000ステージ超、観客約300万人(Wikipediaより)

舞台セットを見れば、建て込みを予想するとキャッツという公演は、
専用劇場か、地方なら今回のような2か月以上くらいでないと、上演は出来ないというのがよくわかる。
ゴミ捨て場を表す捨てられたゴミのオブジェは、上演地域にちなんだゴミが登場し、加わっていくということが話題になる。

僕が観ていた2階後ろの方の席の隣では、
ご夫婦らしきおふたりが、開演前に、劇団四季の各上演案内を見ながら、
「今度はアラジン行きたいねえ。映画おもしろかったもんねえ」と話をしていた。
上演終了後のカーテンコールでは、
「うわあ、また出来てきてくれた」と、舞台袖にひっこんでからの何度目かの登場に感謝している。
そして、
「また来たいねえ。次はもっと前で」

そうなのだ。
おそらく、演劇をあまり観ない方をそんな気にさせてしまうのだ。
僕なんかは、何度もカーテンコールで現れるのはよくあることだよ、
とすましているのが恥ずかしい。
1階の客席に俳優たちは降りていき、観客を喜ばせていると、
2階のドアが開き、そこからも猫たちが現れる。
観客は思いもよらぬことに大喜びで、しきりに手を伸ばしタッチ。

最後は、マジカルなキャラクターの猫がひとり(1匹)で現れ、
マジカルに消えて完全終演。

カーテンコールも計算されている。
すごい。
「また来たいなあ。今度はもっと前で。できれば誰かと」






 

浜松市地域情報センターでM-planet 「望月うさぎをめぐる4つの狂詩曲(らぷそでぃ)」を観た

カテゴリー │演劇

9月8日(日)14時~

M-planet 第11回公演。
調べてみたら、第1回公演は、
はままつ演劇・人形劇フェスティバル2005参加作品「いいとしのエリー」。
今はないメイワン・エアロホールで上演された。
前年2004年に別々で開催していた浜松市の演劇と人形劇のフェスティバルが、
一緒に開催する新機軸となって2年目のこと。
(現在は再び別での開催となっている)

19年前。
19年で11回公演とは、決して多くはない。
ただし、主宰である近江木の実さんは、SPAC県民劇団(SPACの劇場で公演を行う2年間の助成を経て劇団の自立を目指す制度)から2013年に結成された劇団MUSESの代表でもあり、その他プロデュース公演も数多い。

それぞれメンバーは異なり、目標・スタンスも違うのだろう。
劇団MUSESがSPACの拠点がある静岡市で結成された関係で静岡県中部地区のメンバーが多いのに対し、
M-planetは、近江さんが居住する浜松市を拠点として運営されている。

第1回公演「いいとしのエリー」が、サザンオールスターズの名曲「いとしのエリー」の掛詞となっているのに対し、
今回の「望月うさぎをめぐる4つの狂詩曲(らぷそでぃ)」も、
“餅つき兎”と何やら掛かっている。
月を眺め日本人が、模様が餅をつく兎に見えるという伝説はいつから始まったのだろう。
ちなみに海外では同じ模様なのに各国、見え方が違うようだ。

“餅つき兎”つまり、主人公である望月うさぎから発想を飛ばし、イメージの世界を縦横無尽に広げていく趣向。
4つの異なるパートを俳優5人が出ハケを繰り返し、役を入れ替わりながら演じる。
俳優のひとり、BKぶんぶんは、観客とつなぐ水先案内人となる。

特に印象的だったのは、視覚障碍者が、同行者と一緒に美術館で絵画を鑑賞する場面。
同行者2名が、美術作品を観ながら、感想を口に出して語るのだ。
目で観ることが出来ない当事者は、言葉による情報から、想像して作品を鑑賞するのである。

僕も昨年映画で観た「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」の白鳥建二さんをモチーフとしていると思うが、
想像をテーマにした作品では、ぴったりの題材だった。
想像が鑑賞のすべてなのだから。
白鳥さんが、最初、ひとりで出かけた美術館で、係員に同行し紹介して欲しいと依頼し、断られた(前例がないので検討に時間が欲しい)ことからこの鑑賞方法は始まる。
その後、周りの理解を得ることとなり、ひとつの鑑賞スタイルとして確立していく。

同行者の言葉次第で、白鳥さんの頭の中に描かれる“絵”は変わるのだ。
責任の大きさを感じ、びびってしまうのも良くわかる。
これはつまり、人と人とのコミュニケーションの一コマなのだ。
常に自分自身が問われる。
ひとつの絵の鑑賞が、想像力を使っての共同作業となる。
これは演劇も同様で、演劇の上演とは舞台に立つ俳優と観客との共同作業とも言える。
俳優たちが生み出した想像力の賜物を観客が自らの想像力で読み解く。

月のうさぎは、うさぎ跳び、餅つき、バニーガール、バ(ジャ)ニーズ、月まで3キロ、月に代わってお仕置きよ、などと転調していく。
それは演劇という手法を使っての想像力の遊び。
時事問題、小説、アニメなどジャンルを超えていく。

ただし、表現は演じる側からの一方通行であってはならない。
観客との幸せな共同作業は決して容易いことではない。
なかなか高度な遊びなのだと思う。
そんなことを考えながら演じる俳優を観ていた。






 

浜松市春野文化センターで劇団限界集落「オリジナルミュージカル庚申堂~僕は、本当の僕に会いに行く~」を観た。

カテゴリー │演劇

9月7日(土)14時~

劇団限界集落とは、インパクトがある名をつけたものだ。
先ず、その劇団名に目をひかれる。
限界集落とは、地域の人口の50%以上が65歳以上の集落のことを言う。

過疎と言う言葉があるが、
限界集落という概念の提唱者は現状を伝えるには実態とずれていると、刺激性のある言葉を使ったそうである。
今が限界。
この先は・・・。

代表であり、作品の脚本・演出 松井茉未さんはかつてタカラジェンヌを目指したが、果たせず、音楽大学に入学し声楽を学ぶ。
その後、地元に戻り、就職、結婚、出産。
母校の小学校から依頼され、音楽を教えることになり、こどもたちと関わるようになる。

ミュージカルのシーンを練習で行う内、見ていた大人たちからもやってみたいという声が上がり、
「地元でミュージカルができるかもしれない」とひらめくに至る。
(以上、劇団noteより)

メンバーによる記事。
若い頃から演劇をやってみたいと思っていた70歳代の男性が、
どこか演劇集団を知っているか松井さんに聞いてみた所、
ちょうど「大人のミュージカルを地元で作りたかった」という思いと合致した。
集団が始まるときはこういうものだ。
ひとりがふたりになり、それが広がっていく。

初公演はディズニーや劇団四季でもおなじみ「ライオンキング」。
でもこの演目を選ぶとき、劇団の特徴があらわれる。
つまり、動物の着ぐるみ、衣装はおまかせあれ!
メンバーには布の事や縫物が得意な人が控えているのだ。
僕だったら、ライオンやミーアキャットやイボイノシシどうしようと尻込みしてしまう。

既成の題材2作を経て、3作目でオリジナル作品「庚申堂」を作るに至る。

庚申とは、当日配られたプログラムによると暦の上で六十日に一度めぐってくる庚(かのえ)申(さる)の日。
夜、眠ってしまうと体から三戸という虫が抜け出し、
天帝にその人が行った悪行を告げ口に行く言う。
そのため、庚申の晩は、仲間で集まり、眠らず過ごすという風習がある。
全国に庚申信仰に関連する寺社がある。

そんな庚申信仰を題材に描く、ひとりの少年、真幸の成長物語。
母を亡くし、父と新しい土地へ引っ越してくるが、転校先ではガキ大将たちにいじめられ、なじめない。
ガキ大将がかわいがっている小鳥を傷つけてしまったことで、行き場がなく、やってきたのが町の庚申堂。
不吉なことを告げる管理人の老婆にいざなわれ、中に入り込むと出会う庚申の世界。
ファンタジー。

ここでも、ライオンキングどんとこいの制作力が発揮される。
青塗りの青面金剛童子、見ざる聞かざる言わざるの三猿、熊、ウルフ、青ぎつね、ヤマセミ、お亀、シカジカ先生。
ファンタジー世界の住人たちを、俳優が個性たっぷりに演じる。
配布された登場人物の紹介文にはそれぞれの役の立場や性格が書かれていて、
それは演じる上で助けになったことだろう。

真幸が、タイトル副題の~僕は、本当の僕に会いに行く~のきっかけになったのが、
彼の歌。
歌えなかった歌を歌うことで、窮地を脱し、出会いと別れを体験し、いま生きる場所で新たな友を獲得する。
この先長い新しいステージに立つのだ。

それは、代表の松井さんの思いとも重なる。
もちろん劇団限界集落の思いとも。

※浜松市のHPで、人口分布(R6.4.1)を調べてみた。
浜松全体(78万6792人)で0~14歳 12.03%、15~64歳 59.19%、65歳~28.78%
春野町を含む天竜区(2万5296人) 0~14歳 7.20%、15~64歳 45.42%、65歳~ 47.38%(女性は50.86%つまり限界集落)
天竜区は浜松市域の61%を占め、91%が森林だということだ。
春野町文化センターまで浜松駅から46キロ、車で約1時間。
遠いのか、近いのか。