クリエート浜松で全国公募写真展「視点 浜松展」を観た。

カテゴリー │いろいろ見た

20日(日)最終日に行った。

何をどう撮るか。

写真のすべてであり、
撮影者がどこに出向き、被写体と向き合うか
さまざまで興味深い。

最高賞である視点賞は「Tokyo 下町時間」と言うタイトルで、
構図がとても面白い。
人と場所を切り取ってるだけなのだが、
切り取り方が、独特で、ドラマ性を帯びてくる。
ちなみに左の一番上のモノクロ写真がその1枚。





 

七間町このみる劇場で絢とひさ枝のふらり旅「シスター・アンティゴネーの暦のない墓」を観た

カテゴリー │演劇

13日(日)15時~ 

この劇場は初めて来た。
イマココという建物はわかったが、
会場である3階への行き方がわからず、
しばらく、アーケードのように建物の真ん中を突っ切っている通路を
何度か行ったり来たりした。
そこにはいくつか店が立ち並んでいる。
この建物自体なかなか面白い構造だ。

同じ3階でも、ここに来る前に行ったスター・ウォーズ展の行われている
駅前の葵タワーというきれいなビルとの違いはそれはそれで、ともに味わい深い。
街中はいろいろなものが同居して、出来ている。
劇場のすぐ近くではおでんのお祭が開かれ、地域のアイドルがカラオケで歌い踊っていた。
(浜松出身って言ってたなあ。)

作品は守中高明という詩人の同名詩集「シスター・アンティゴネ―の暦のない墓」をテキストにしている。
役者2人(とうぜんのように、絢さんとひさ枝さん)が舞台に立ち、動きを交え、セリフのように朗読。
スクリーンに上から文字がローリングされて流される。
(ここスター・ウォーズ展のあとだけに映画の冒頭状況説明の文字が宇宙船の形で流れていくのを思い出した)
舞台外から、お経のようにホーミーのように誰かが朗読。

そんな様々な方法で「詩」を伝える。
提示される言葉は詩のみである。

演出の大岡淳氏は、パンフで
「詩的形式を過剰に増幅させる実験によって、「対話」形式を失効させ、
演劇における〈物語〉の支配に揺さぶりをかけることを意図したわけです」
と言っている。

「もし、シェイクスピアがスター・ウォーズを書いたら」と言う本がある。
つまりスター・ウォーズの話が戯曲形式で書かれているのだが、
ここには、シェイクスピアの劇世界と、スター・ウォーズが共通するということが前提になっている。

現代の演劇が散文による対話形式ばかりとなっているのに対し、
スター・ウォーズはシェイクスピアの戯曲と同様、
古典的ともいえる韻文による詩劇なのである。
とはいえ、詩的と対話的が共存し、確固たる物語世界を形成しているのは間違いない。

対話を封印して詩のみで問うまでの勇気はないが、
古いビルと新しいビルが同じ街に共存するように、
異なる形式もうまいこと共存できると、
より説得力を持つのかもしれない、
などと考えた。






 

静岡市美術館で「スター・ウォーズ展」を観た。

カテゴリー │いろいろ見た

13日(日) 午前中。
駅前の下の階には書店があるおしゃれなビルの3Fに美術館がある。
午後3時から演劇を観る前の午前中に行った。
父子、母子、夫婦、カップル等、複数で来ている人たちの会話が
「ホントにこの世界好き」と言う感じで興味深かった。
「スター・ウォーズ」をテーマにした美術作品も展示されている。







 

穂の国とよはし芸術劇場PLATで「夏の夜の夢」を観た

カテゴリー │演劇

3月6日(日)14時30分~

構成・演出:扇田拓也
音楽:棚川寛子
上演台本・演出助手:永妻優一

オーディションを受けた豊橋市民が参加して上演された。
シェイクスピアの同名作を「豊橋版」として書き換えている。

構想としては本来のシェイクスピアの作品世界をある意味壊し、
地球の未来(つまり人類の未来)を見据える作品にする、ということだろう。

50名以上が舞台に立つ市民劇なので、それように書き換える必要もある。
本来1人である妖精パックが3人登場する。
そのかわり演じる若い女性3人によるダンス的なシーンがある。
参加者に合わせた演出がなされたりする。

オーディションの要項を見ると、30名程度の募集とある。
より多くの応募があったのだろう。
プロの演出家の指導を受け、
プロのスタッフが付き、
稽古を傘ね、舞台に立つ。

その過程そのものが市民劇であり、
それは主催者の劇場の意図であることは言うまでもない。