絡繰機械’s事務所でワークショップ部会打ち合わせ

カテゴリー │演劇

24日19時~
仕事終わりにかけつけ参加は19時半。
その頃から打ち合わせは始まる。
鹿目由紀氏の劇作ワークショップ等の話。
終わったのは10時半すぎ。
夕飯を食べねばならない。
腹がすいてるから。
翌日は3時半に起きねばならない。
決勝トーナメント進出をかけたサッカー日本代表のデンマークとの一戦があるから。
俺が日本人だからという理由で。
あらかじめ遺伝子に刷り込まれているかのように疑問もなく他人である日本チームを応援しているという理由で。
仕方ない。
睡眠時間を犠牲にしても観たいのだから。
朝が来ればきのうと同じようにスーツに着替え出社しなければならないにも関わらず日本代表の行く末を生で見届けたいのだから。
翌朝の各局のニュースの一報で知るのは納得できない。
そこで知るのは敗北感すらある。
眠ってしまった敗北感。
観たいという信念が睡魔に勝てなかった自分への敗北感。
でも、もしもデンマークチームに敗れ、予選リーグ落ちに終わった場合の日本の選手たちの敗北感とは比べものになならない。
比べること自体失礼、にもかかわらず、日々の一喜一憂はこんなものだろうとも思う。
選手たちは夢とプレッシャーの狭間の中、渇望していたことが実現できなかったことを悔いる。
俺は睡魔に襲われた一瞬、意思に反して眠ってしまったことを悔いる。
そう変わらない・・なことないか。
日本はデンマークに3対1で勝ち、決勝トーナメント進出を決めた。
応援する日々は続く。
日本で生まれ育った俺の意志と関係ない遺伝子によって。





 

ムナポケ K2100「つづくデルタ」を観た

カテゴリー │演劇

浜松市地域情報センターで20日(日)15時~。
人がたくさんいるということはそれぞれを尊重しなければいけないのかもしれない。
特に、地方で仕事をしながら趣味として演劇をやる場合、そのことを配慮しなければいけないのかもしれない。
でもそれぞれを尊重することと観劇は関係ない。
あえて配慮しないシビアさも大事だ。
何をしたいのか。
何をせずにはいられないのか。
何を言いたいのか。
何を言わずにはいられないのか。
自信があるときほど、疑ってみる必要があると思う。
演技を疑ってみる。
ギャグを疑ってみる。
流行りを疑ってみる。
言葉を疑ってみる。
仲間を疑ってみる。
客を疑ってみる。

もちろんその裏にはそれらすべてを信じているという意味が含まれているが。

ひとつ、観劇前の予想と異なったこと。
もっとエッチかと思った。
つづくデルタってどういう意味だろう。







 

シネマe~raで「ミツバチのささやき」を観た

カテゴリー │映画

19日16時40分~
スペインのビクトル・エリセ監督の1973年の長編第1作。
主演はアナ・トレント。
子供のころは家と学校とそれらの周辺が世界のすべてである。
そこに巡回映画で怪奇映画「フランケンシュタイン」がやってくる。
アナは姉と一緒にその映画を観る。
映画に出てくるフランケンシュタインと出会った少女は殺されるが、アナにはどうして死んだのか分からない。
姉に聞くが、姉は答えを教える代わりに、フランケンシュタインは実際に存在して、自分の名前を呼ぶと現われると言う。
アナは新しい世界を知る扉を少し開く。
当時のスペインの哀しい内戦も知らない。
食べれるキノコと食べれない毒キノコの見分け方もこの後、養蜂家の父に教わる。
走る列車が本当に危ないのかも本当にはわかっていない。
命の大切さを考えることもない。
「生きている実感」って何?
大人はそういうことを考える。
アナの行方がわからなくなると必死で探す。
見つかると、生きていてよかったと喜ぶ。
でも、本人は相変わらずフランケンシュタインが現われるのを信じている。





 

たけし文化センターでの岸井大輔「浜松喪失報告会」に行った。

カテゴリー │路上演劇祭

14日(月)19時~。
仕事帰りで、19時半頃になる。
旧文泉堂で期間限定で行われたたけぶんが入野のビルに移動して、行くのは初めて。
施設名称はたけし文化センターARSNOVA(アルス・ノヴァ)というそうだ。
ARSNOVAとはラテン語で英語で言うと、NEW ARTだそうだ。

以下HPより

「たけし文化センターARSNOVAは浜松市西区入野町でNPO法人クリエイティブ レッツが新たに始めた障害者福祉施設ARSNOVAに設置された文化芸術施設です。
個人保有の文化の発信拠点・コミュニティスペースとして常設されています。」

路上演劇祭で行われた岸井大輔氏の15日間のワークショップ「浜松喪失」の報告会が名目。
いろいろな人がいた。
最初は岸井氏のつらつらとした話で始まった。
徐々に「浜松」ことを語り合うことになった。
いろいろな人がいろいろな立場から浜松のことを語った。
普段浜松のことを語ることはない。
だからあまり好きもきらいもなかった。
でも語り始めるとなぜか熱くなった。
何だろう。
出身をみんなに聞いたら、浜松人の方が少なかった。
でもその時はみんな浜松にいた。
東京や埼玉で生まれた人も、16歳から1年間ボリビアに留学していた人も、生物調査でブラジル入りしていた人も、ロンドンに行っていた人も、南米各地で演じていた人も、2010年6月14日の夜は浜松にいた。
大学生も大学院生も酒造メーカーのデザイナーも現代美術家も演劇家も・・・も・・・もいつものように浜松にいた。
そして、浜松を語った。
そんな一夜のあとにはカメルーン戦があった。
23時の開始ちょっと前に家に着き、テレビをつけ、ビールを飲み、飯を食べながら、さあキックオフ。
・・・。
前半の本田の得点シーン見逃した。
眠ってしまって。
起きたら、後半始まっていた。
1-0で日本が勝っていることはわかった。
本田が点を取ったことは何となくわかった。
松井に代わって岡崎が投入される。
その後は・・・。
眠ってしまった。
起きたら、試合は終わっていた。
選手たちはグランドの外に出て、喜び合っていた。
岡ちゃんとか勝利者インタビュー・・・。
眠たいのは変わりなく、
気分がいいまま、眠りにつく。
明日も仕事なので早く起きなきゃと思いながら、目覚ましがセットされているかを手さぐりで確認しながら。
よかった。気がついて。目覚ましセットされてなかった。
これが生きる本能か。
今やワールドカップ時にしか買わないサッカー本であるが、ガイド本を買いこみ、今年はNHK他地上波の放送が多いなと喜びながら(衛星放送入ってない)、会社ではカメルーン戦見るぞと言い放ち、たけぶんへは行くけど23時には絶対間に合うぞと気合入っているにもかかわらず、得点シーンも勝利の瞬間も見逃すのに、のにのに、「目覚ましセット大丈夫かな?」は泥のような眠気の中、ちらと思いつく。
これは自慢していい。
だから生きていける。
そして、いつものように朝が来る。
目覚める。
日本が海外のサッカーワールドカップで初めて勝った日の日本での朝が来る。
スポーツ紙も一般紙も朝のワイドショーもニュースもそのニュースは大きくとりあげられるだろう。
きのうのニュースはそのことしかなかったかのように。
でもほんとうはかわらずいろいろなことがあったのであるが。

このワークショップのミソは受講した人がその後何をやるかにあると実は思っている。
そして、今日ももちろんワークショップの延長であった。

写真は僕が1日のみ参加した岸井氏のワークショップより
戦前より残る静銀浜松支店を模した肴町の乾物屋さんのビル。
さすが頑丈そうだ。









 

愛知県芸術劇場小ホールでB級遊撃隊「カレー屋の女」を観た

カテゴリー │演劇

13日(日)14時から名古屋栄駅近く。目の前にはテレビ塔。
でも、10時に待ち合わせて、車で行った。
作 佃典彦、演出 神谷尚吾
佃氏が12年前に東京流山児★事務所の依頼を受け、書きおろした作品を自らの劇団、B級遊撃隊で改訂を加え初上演。
パンフに「今回、B級で演るにあたって読み返しました。オレ好みの若手作家が書いた戯曲みたいでした」とある。
チラシには「常々、安部公房の砂の女みたいな作品を書きたいと思っていました」ともある。
そうなのだ。変な話なのだ。
女ばかりの島とある。
ところが冒頭、死体を埋めるふたりはどう見ても見た目は男。
片方は(神谷氏)ひげぼうぼう。もう片方は(佃氏)胸毛ぼうぼう(なのだそうだ)。
このふたりも実は女であることが明かされてくるが、どう見ても男なので、本来の話の持つ不気味さには不利のように思える。
B級の持つグロテスクさを含みながらもコメディに徹する雰囲気は楽しいが、本来の女ばかりの中に、餌食ともいえる男がひとりほうりこまれるという命とも言える設定にひたりたかった気がする。
カレー屋の女はどもりながら永遠とも言えるカレーを長いかき交ぜ棒を回しながら煮込み続けている。
女たちがさえない郵便局の男に向ける目は獲物を射るかのようだ。
雨が降る。
喪服で並ぶ女たちの立ち姿が妙に色っぽい。
罪人たちなのに。

浜松に帰ってきて、別用があり、意図せず、カレーを食べた。
これは偶然だ。
あの芝居を観て、カレーなど食べたくなるはずがないのだから。
おいしかったが。
でも、栄駅周辺のおいしいカレー屋がのっているチラシがおまけとして挟み込まれていた。
きっとこれもシャレだろう。





 

セイ高橋氏の声のワークショップ by からころ

カテゴリー │からころ

今日12日のからころ定例会は南みくり公民館にセイ高橋氏を招き、「声のワークショップ」。
からころから10名参加。
俺自身は2度目の受講。
声を出すということは全身運動だ。
4時半までワークショップ。
5時までからころの話し合い。
その後、一部メンバーと知久屋でお茶。
次回7月10日はテーマの話等をする予定。
興味ある方はぜひ!!


 

「ニンジンなんて大きらい」路上演劇祭篇

カテゴリー │路上演劇祭

6日の日曜は19時から砂喰社やPAFが活動している神田町に引っ越した新生スペースCOA(コア)で西部演劇連絡会があった。
今年度のはままつ演劇・人形劇フェスティバルの件等。
今年は8月21・22・29日に戯曲執筆のワークショップがある。
詳細はチラシができたら。

今日11日は19時から文芸大で路上演劇祭の本番がおわった後はじめての実行委員会。
またDVDの観賞会をやろうという話が出た。
そうなのだ。
俺はあまりそれぞれの芝居を見ていない。


ニンジンなんて大きらい 路上演劇祭篇

僕はニンジンがきらいです。
苦いっていうか。
渋いっていうか。
甘いっていう人もいるんだけど。
あの白い雲のようなソフトクリームみたいに甘いとは思えない。
あの何ともいやな味のニンジンが生まれたときから大きらいです。
   ニンジンのお面をかぶる。









   




   


   音楽流れる。吉田拓郎「人間なんて」
まったくあいつはどこにいてもニンジンなんだ。
カレーやシチューに形がわからないくらい煮込まれていても、
野菜ジュースにほんの少し混ぜ込まれていても、
チャーハンにニンジンのみじん切りは必要ない!!
   音楽とまる。
ニンジンの赤は乱暴に描きなぐった夕焼けのようで、
白い雲のソフトクリームとはちがうのです。

ある時、何かが足りないことに気がつきました。
   ニンジンの二とンの間にホを加えた紙を出す。

















ニホンジン・・・。
僕は日本人がきらいなのだろうか。
僕が浜松がきらいなのだろうか。
僕は、僕がきらいなのだろうか。
   上着を脱ぐと松菱Tシャツ。

















こうして、かつて松菱だった建物をながめてみて、
僕らは何を思うだろうか。
・・・。
記憶というのはあいまいなもので。
・・・。
ただ確かに言えるのは、僕が今ここに立っているように、
この建物は、悲しげに、いや、やけに堂々と立っています。
僕が僕のことを思ってみるように、
浜松のことを思ってみる。
日本のことを思ってみる。
世界のことを思ってみる。
そして、ニンジンのことを思ってみる。
   ニンジン君を肩につける。

















ニンジン君・・・。

見慣れた街の見慣れない「ドキドキ」
路上演劇祭JAPAN in 浜松2010!ただ今開演!

そして来年に続く・・・。




 

根上松のカフェコンコルドで中西一浩/中西小傳ライブを聴いた

カテゴリー │いろいろ見た

8日火曜19時30分より前半中西小傳三味線ライブ、後半中西一浩アコースティックギターライブ。かたや着物、かたや洋服であるが同一人物。
昨年の落語会メンバーそろい少し話をする。
今年は・・・。
後半聴いてる時、なぜか芝居のファーストシーン思いつく。
フリーマーケットの準備にブルーシートを持って、早く来すぎた女。
終わったら俺はウーロン茶(冷)で打ち上げ参加。23時閉店、車で帰る。



 

ニンジンなんて大きらい

カテゴリー │ブログで演劇

僕「僕はニンジンが嫌いです。
  苦いっていうか。
  渋いっていうか。
  甘いっていう人もいるんだけど。
  あの白い雲のようなソフトクリームみたいに甘いとは思えない。
  あの何ともいやな味のニンジンが生まれた時から大嫌いです。
  まったくあいつはどこにいてもニンジンなんだ。
  カレーやシチューに形がわからないくらい煮込まれていても、
  野菜ジュースにほんの少し混ぜ込まれていても、
  チャーハンにニンジンのみじん切りは必要ない!!
  ニンジンの赤は乱暴に描きなぐった夕焼けのようで、
  白い雲のソフトクリームとはちがうのです。
  僕は食卓に出されたニンジンが食べれませんでした」
母さん「ニンジン食べないような子はうちの子じゃないよ」
僕「こんなこと言う母さんは僕の母さんじゃありません。
  僕は学校の給食で出されたニンジンが食べれませんでした」
先生「ニンジン食べないと立派な大人になれないぞ」
僕「こんなこと言う先生は先生なんかじゃありません。
  教室でひとりニンジンが残ったトレーを前にした僕に友達が言います」
友達「ニンジン食べないやつとは遊んでやらないぞ」
僕「こんなこと言うやつらは友達なんかじゃありません。
  ニンジンが嫌いな僕はひとりで生きていくことに決めました。
  学校へ行かなくなり、家を出ました。
  そして手に入れたのです。ニンジンのない生活」

















僕「ニンジン絶対反対~!
  ニンジン廃絶~!
  ニンジンを許すな~!
  僕は世界中の反ニンジン派のリーダーでした。
  ニンジン反対のシュプレヒコールがいつまでも鳴り響いてました。
  僕はそんな声に応え、いつまでも手を振っていました。
  そんな幸せな夢からさめると、僕はニンジンでした。
  茶色い土のついた赤い1本のニンジンでした」

















僕「ニンジンは子供たちの嫌われ者でした」
A「え~!今日の給食ニンジン入ってる~!」
B「ニンジンなんかいらないよ~」
C「ウサギじゃないんだからさ~」
A「ニンジンあげる」
B「いらないよ」
A「あげる」
B「いらないって」
C「捨てちゃえ。ゴミ箱捨てちゃえ」
A「誰だ~。筆箱にニンジン入れたのは」
A・B・C「二~ンジン、二~ンジン、二~ンジン、二~ンジン、二~ンジン、二~ンジン・・・」
僕「ニンジンなんて・・・ニンジンなんて、ニンジンなんて・・・大っきらいだ」
   音楽、吉田拓郎「人間なんて」
僕「世界中がニンジンでした。
  どこを見渡してもニンジンばかりの世界に、僕の居る場所はありませんでした」

















僕「君は?」
ニンジン君「僕、ニンジン君だよ」
僕「ニンジン君?どうして、こんなとこにいるんだい?
  ひとりぼっちの僕なんかのところに」
ニンジン君「それはね、君のことが好きだからだよ」
僕「え?ニンジン君は僕のことが好きなのかい?」
ニンジン君「うん。君のこと、好きだよ」
僕「そうか。好きか。好きなのか。好きっていいな」
   ニンジン君いない。
僕「あれ?ニンジン君?・・・」
   ニンジンを取り出し、ぼりぼり食べる。
僕「僕は『ニンジン』と書かれた文字を見て、何かが足りないと思いました」
   ニンジンの二とンの間にホを入れる。
僕「ニホンジン」