路上演劇祭に向けて作品をつくる「街を知る 自分を知る」第1回目が行われた

カテゴリー │路上演劇祭

5月31日(日)に有楽街で路上演劇祭Japan in 浜松2020が行われる。

そこで上演することを目的にワークショップを行う。
会場である有楽街を歩き、商店街の人などから話を聞き、
参加者と協働で1本の演劇作品をつくる。

その第1回が行われた。
3月20日(祝・金)13時~17時
「オリエンテーションとはじめての街歩き」。

遠鉄電車 第一通り駅前に13時集合。
身体を動かすいくつかのワークショップを14時まで行った後、
有楽街に移動。

参加者各自が気になるものを探して街歩き。
気になるものを見つける作業は
なかなか難しいものだと思う。

なんでもいいと言いながら、
演劇のテーマに結び付けるものというと
何やらハードルが高くなる気がするかもしれない。

何を見つけるのが正しいのか
なんてのは何もない。
僕自身もよくわからない。

イメージするのは
10人で街歩きをするということは、
10人分の目や鼻や耳や手や足や頭を
獲得することになるということ。

カケラを集める、という表現をしている。
集めたカケラは大きな何物かになる。

15時からあらかじめお願いしていた
寛永堂のご主人に有楽街についての話を聞く。
寛永堂は明治16年創業で、
今のご主人が4代目のはんこ屋さん。

有楽街商店街は浜松市まちなかの商店街の中で
一番新しい商店街で、昭和27年ごろに出来た。
ただし、それ以前からあった店もいくつかあり、
寛永堂さんをはじめ、いくつか100年以上の歴史を持っている。
何と、その中の自転車のミソノイさんは
日本一古い自転車屋さんだそうだ。

新型コロナ影響下である。
オリンピックも延期が決まった。
足を止めることを
望んでもいないのに受け入れざるを得ない。
それは金銭的及び精神的な損失が伴う。
2020年が始まり、
「明けましておめでとう。今年もよろしく」と言い交わしたときに
日本人の誰がこのような事態を考えたであろうか。

人生は続いている。
食べることをやめることができないように、
歩み続けなければならない。

問題に当然ながら直面する。
演劇はいかなる状況でも成立するものだと思っている。
それはスポーツも芸能も産業も教育もすべてそうなのであろうが、
多くのものが経済と直結しているからそう簡単にはいかない。

オリンピックだって、足の速い人やボール扱いの上手い人が、
競技をして1番になることだけを目標に一つの場所に
自力で集まって行うものなら、やるやらないで大騒ぎはしない。
第3者に影響しない場所で競技者同士のみの責任においてやれば済む。
もはやオリンピックがアマチュアスポーツの祭典などとは誰も言わない。
誘致する側は競技を行う以上のものを期待する。

演劇もスポーツも本来は決して死ぬことはない。
人間が存在する限り。
でも演劇産業やスポーツ産業は経済的に破綻し、
死ぬこともあるだろう。
積み上げてきたそこが揺らいでいるから
今、皆戸惑い、右往左往している。

次回は4月4日(土)13時~17時
「街歩きを通して、見つけてきたものを披露しあう。作品のテーマを決める」

参加者は引き続き募集している。
途中参加でもまったく構わない。






 

白子ノ劇場で第2回ふじえだ短編演劇祭を観た

カテゴリー │演劇

3月15日(日)18時30分~

ふじえだ短編演劇祭は参加劇団が演じる15分の短編演劇を
審査員と観客の投票により1等賞を決めるというイベント。
前日の14日と合わせ、
劇団であるユニークポイントが運営する白子ノ劇場で行われた。

昨年行われた第1回も観た。
前回と異なるのは参加劇団とか審査員とか様々あるが、
何よりも
今年は新型コロナウィルスを抜きにして考えることができないことだ。

主催者は当然世の状況に気を揉んだことだろう。
開催を決めた際も、やはり不安感を抱きながらの決断だっただろう。

対策は諸々行われる。
入場の一定人数の制限、
出演者、スタッフの検温、
スタッフ、観客のマスク着用、
入場時には消毒液を手にワンプッシュされ各々消毒、
出来る限りの換気対策、
終了後の交流会の廃止、等。

新型コロナウィルス対策、
皮肉なことにこれに類する業種が唯一
経済活動において恩恵を被るかの様相だ。
いや、恩恵という言葉はひどく不謹慎だろう。
感染症の専門家がテレビのワイドショーで
毎日各局各番組を渡り歩く。

演劇を観る場合も
さまざまなフィルターが掛かる。
うれしいことがあったり、
心配なことがあったり、
観るときの体調や環境によっても
変わるだろう。
“コロナ”を頭から取り除いて観ることは
不可能だろう。

とりあえず僕は
1番目の短編演劇が始まったとき、
慣れないマスクに
曇る眼鏡をどうしようかという課題にも取り組まなければならなかった。
マスクの位置を試行錯誤した。
目の前ではそんな事情と関係なく、
創作処愛染屋による二人芝居が進行していた。
しばらくするとマスクは気にならなくなった。
マスクに適応したのだろう。

くじ引きで決めたという上演順に以下。

創作処 愛染屋「ハッピーバースデー」は、
大切な人を失うと悲しいという感情を活かして、
徐々に事情が明かされていき、コミカルな演技スタイルを通して、
観客の心情に訴える作品。

迷子の遊園地「陽射し」は、
外の天気にも気を留めることがなかった男が
関係する女の気遣いに心をほだされていき、外のことを気にし始める話を
詩的なセリフとストイックな演技を通して、感情の裏側に訴えかける作品。

演劇ユニット 茶わん虫「ムダイ」は、
突然2人の間が壁で分断された状況で、
声は聞こえるが見えない相手といかにコミュニケーションをとるか、
エチュードで誰でも試しにやってみるとバリエーションが様々出て面白そうな作品。

もたい村「いる」は、
理由はよくわからないが、死のうとしている女の元に
なぜか小学3年時の自分が現れ、死ぬという目的を達成するのを必死に阻止しようとする様が
絶妙な演技と効果的に書かれたセリフで演じられた作品。

ああ、振り返ってみると4作品すべて2人芝居だった。
他に2作品のエントリーがあったが、
残念ながら事情で参加できなかった。

4つの作品の上演後、
観客は上位と思った2作品を投票し、
観客票が4人の審査員1人分で計算され
得票数で1等賞が決められる。
審査員1人の持ち点が20点なので、
合計100点。

集計の間、審査員による講評。
フェスティバルディレクターであり、
進行や講評の司会も行った
山田裕幸さんによると、
演劇の専門家だけでなく、
さまざまなジャンルの人、
性別も異なる人を意識して選んだということだ。

浜松出身で現在は藤枝でフリーペーパーなどのライターをされている青陰悦子さん、
九州出身でK-MIXでのアナウンサー後、フリーのアナウンサーをやっている島田真梨子さん、
かつては駒場アゴラ劇場や沖縄、現在は長野で演劇作りの仕事をされている野村政之さん、
藤枝に在住しながら東京の空間デザインの仕事をしている街歩きが趣味の増田あきらさん、
以上4名。

1等賞は東京から参加された
もたい村。

来場する前に昼間と比べて冷え込んできたため
ホットコーヒーを購入しようと
劇場がある通りの商店街を少し歩いた。
18時を過ぎたためかシャッターが下りた店も多かったが、
店先に演劇祭のチラシが貼ってある店を何軒か見かけた。






 

観ることができなかった演劇たち

カテゴリー │演劇

新型コロナウィルスが世界中を席巻している。

ここでは鍛え上げてきた肉体も
弛まぬ経済活動も
新学期から積み上げてきた級友との思い出も
無力化する。

最悪のストーリーを書き上げるとしたら、
“第3次世界大戦”と言っても大袈裟でないのかもしれない。
敵は国境により隔たれる他国ではない。

肉眼では確認できない
“見えぬウィルス”である。

世界は救世主を待ち望んでいる。
人によっては、
マスクを大量に生産できる製造会社と
スムーズで良心的な流通であろうが、
やはり、未知のウィルスの正体の解明と
対抗しうるワクチンの開発であろう。

ワクチンとは言え、絶対的なものはあり得ない。
対抗しうるワクチンが生まれれば、
運悪く命を失う人が現れても
それは、万策尽くしたけど・・・と
他の病によって倒れた人たちと同様、
ひとつの諦念として迎えられる。

そして、新型ウィルスも
他の既知のウィルスを起因とする
体調の悪さと同じ立場となる。
その時が問題が終息する時だろう。
消滅、もしくは共存が認められるまでは
未知なる侵略者である。

この土日の休日は
3本の演劇を観ることを目論んでいた。
チケットを購入済みだったもの、
近くなったら購入しようと思っていたもの、
とそれぞれあるが、
内閣総理大臣の口から
イベント等の自粛要請が発せられたのをきっかけに
時が経つごとに雪崩式に
中止もしくは延期が発表されていった。

結果
僕は埋めようとしていたスケジュールを
明け渡すことになる。
もちろん落胆の思いはあるが、
世の状況と何より当事者たちの気持ちを思うと、
そうも言えなくなる。

演劇だけではない。
イベント、スポーツ、コンサート、講演会など、
不特定多数の人間が集合する可能性があるものは
自主的に予定を変えていった。
中止にしたり、延期にしたり、規模を縮小したり。

土日に観るつもりだった3本の演劇は
偶然であるが、
主催は完全な民間ではない。
地域の文化振興を目的として、
公である自治体が関わっている、
と思われる。

3月7日(土)14時30分~予定していた
穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホールでの
「グッバイ フランケンシュタイン」は
豊橋市により創設された劇場が
企画制作した「市民と創造する演劇」だ。
劇場が依頼した脚本・演出家とともに
参加者を募集して、創り上げた。

こちらは公演1週間ほど前に
それまでの販売分のみを有効にし、
それ以後を売り止めにして、規模縮小として
土日の2回、上演された。

3月8日(日)15時~予定していた
アミューズ豊田ゆやホールでの
「どんぐりと山猫・よだかの星」は
所有する磐田市が依頼した
劇場の指定管理者である会社の主催で
浜松市の児童劇団たんぽぽの協力を仰ぎ、
ミューズふるさと劇団と称し、
参加者を募集して、創り上げた。

こちらは、4月5日に延期して上演される。

同日18時~予定していた
雄踏文化センター大ホールでの
「奇跡 ヤマトタケルを継ぐ者たち」は
実行委員会として
「市民ミュージカル in 雄踏」と称し、
プロデューサーである会館の館長を中心に
スタッフワークの体制を整え、
参加者を募集して、創り上げた。

こちらはある時期には
希望者には払い戻し可で
上演を発表していたが、
その後状況の変化により、
今後の上演を願いながらも
中止を発表した。

多くのプロ劇団の公演も中止しているが、
僕が観ようとしていた3本は1回か2回きりの公演である。
参加者には演劇の経験が少ないどころか
はじめての演劇出演という人もいたことだろう。

それまでどれだけ準備してきたかは
公演によって、または個人によって異なるが、
すべて、舞台にて上演のための準備である。
決して、上演までの練習や準備諸々が目的ではない。
チケット販売も参加者たちの準備のひとつだ。
「返金しました。OK~!」
で済むものでもない。

人生というものは不条理なものだ、
は真実ではあるが、
簡単に受け入れられるものでもない。
その体験は未来があれば
糧ともなり、
もちろん取り戻すことはできる。

目的を達することができなかった
公演チラシの行方はどこへ行くのだろう。
時間が経てば処分も進む。
僕自身も保持しておく自信はないので、
せめて痕跡は残しておく。
団体の為というより僕自身の為であることの
了承を請う。