路上演劇祭Japan in 浜松2020→2021

カテゴリー │路上演劇祭

4月24日には、駿府城公園 東御門前広場 特設会場で「野外劇 三文オペラ」を観た。

5月4日には、ストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡」へ行き、
8本のパフォーマンスを観た。
完売のアンティゴネは、初演を観たからいいや、と自分を励まし、会場を横目に見ながら、駿府城を後にし、
駐車場へ向かう。
といっても、野外で行っているので、会場外から、観ようとすれば観れる。
実際開演してしばらくは、外から、眺めていた。
他にも眺めている人はいた。
でも、帰った。

5月になったばかりとはいえ、昼間の日差しは強く、
あちこち歩きながら会場にたどり着いて、席を確保し、
短いので15分、長いので40分、計8本の作品を観たら、
どこかでもう十分という気にもなっていたのは確かだ。
そして、静岡から浜松へ車を走らさねばならぬ。

シネマe~raで映画も観た。
4月11日に「春光水暖」。
4月29日に「夏時間」。
6月13日に「シカゴ7裁判」。
6月20日に「ブータン 山の教室」。

感想を書きたかったのだが、ずるずると日がたった。
以下はその言い訳でもある。

5月29日の土曜日は、
関わっている路上演劇祭Japan in 浜松が街中の有楽街で行われる予定だった。
昨年5月31日に予定していた路上演劇祭Japan in 浜松2020は、
例に漏れず、新型コロナウイルスのため、開催できなかった。
その頃は、じゃあ、秋にやろうか、なんて話も出たりしたが、
いや、オリンピックだって、そうだ。
秋になれば収まるだろ?

それでも、秋に半年先延ばしにしても
毎年同じ時期(5月終わりから6月初め)にやっているのだから、
来年度がすぐ来てしまう。
それは準備が大変だ。
てなことで、1年の延期とした。
その時は、1年後、また開催されないなんてことは頭になかった。
それは世界中がそうだったのではないか?
どんなに感染者が爆発的に増えていた国でも。
世界中の現代人が束になって人知を尽くせば、不可能なことはない。

人間(僕)とはいかに楽観的に理解したがるものか。
悲観的に述べる者もいた。
何年かはこのような状況が続く、
という専門家の声も聞いた。
でもそういう都合の悪い意見は聞かなかったことにし、
何とかなるさと、どこか楽観視し、不安を収める。

それはなぜかというと、
誰もわからないから。
未知のウイルスのことは。

そして1年経った。
人知は未知のウイルスとの付き合い方を学び、
実践した。
止めていたものは、再開するものもあった。

でも、再開していないものもたくさんある。
また、再開したものも、コロナ以前とは形を変えている。

僕も何本かの演劇は観ている。
映画も観ている。

路上演劇祭Japan in 浜松2020→2021というタイトルは
2年越しに会場としていた浜松有楽街で行うという意味がある。
商店街の窓口になっていただいている方に
開催の意向を話したときは、
今度は出来るでしょ、という楽観的、いやその時は一般的な
やりとりがあり、準備を進めることになった。
5月29日という開催日も決めた。

ところが、日が進むにつれ、
状況がまったく変わらないことに気が付く。
コロナ対策を講じて開催するものはあるが、
お祭りとか、特に不特定数が訪れる可能性があるものは
例外なく開催していない。
行うにしても、観客数を制限する。
つまり、観客を管理できない限りは行うことに踏み切れない。

その代表が、花火大会だと思う。
有料席があるものもあるが、
基本は無料だ。
空に上がる花火を金を払わなければ見るなというのは無理だ。
無料だから、多くの人が訪れる。

同様に春の桜の花見もあるが、
こちらは、花見の会を主催するのを取りやめても
季節が訪れれば桜は勝手に咲くので、
人は見に来てしまう。

路上演劇祭はこの名の通り、路上で行う。
開催場所によっては、ここって路上?という時もあるが、
誰でも観ることが出来るという観点で
路上であると拡大解釈している。

決して多くの人が訪れるというわけではないが、
路上演劇祭は偶然の通行者を含めた
不特定多数の前で行う。
コロナ対策をした上での上演という
ガイドラインにのっとれば、
観客を管理せねばならない。

体温を測る?
名前と連絡先を聞く?
手指消毒をする?
観客同士のソーシャルディスタンスを保つ?
声を出さないなど、観劇時のルールを告知する?

出演者にもガイドラインが必要だろう。
マスクをする?それともしない?
接触は密になる演技は可能?不可能?
観客を巻き込むというのもよくあるが、
当然これは禁止だろう。

オリンピックでは滞在期間中、毎日PCR検査をするそうだ。

話し合いの結果、
観客の前で上演することは取りやめた。
理由は、自分たちはそのようなコロナ対策をしてまで
開催することは出来ないというのが大きな理由だ。

僕は果たして、見も知らぬ人の体温検査が出来るのだろうか?
見も知らぬ人に消毒液を吹きかけることができるだろうか?
上演したとして、目の前の見も知らぬ人にソーシャルディスタンスを
取ったにしてもセリフを吐くことができるだろうか?
または、そういうことがしたいのだろうか?

仕事であれば、やるだろう。
路上演劇祭が僕の食い扶持を支えているというのなら、
何としてでもやる方向を模索したかもしれない。
それはまったくない。
支出こそあれ、収入はない。

そこで、出来ることは何かと考えた。
WEB配信とすぐ思いついたが、
演劇界も生配信は生の舞台に代わるものとしてすぐに開始された。
そして、もうひとつの収入源を見つけたというところもあるだろう。
もちろんこれは著しく、元々の人気度に左右されるが。

僕が考えたのは、
この機会にひとつの紹介としてWEBを活用できないかということだった。
今まで、誰かに紹介しようとしても
生で観ていない人に伝えることはとても難しいと思っていた。
今後、そういう時、YouTubeにコロナ下に作ったのがあるからさあ、
暇なときにでも見てよ、なんて言えるのではないか。

そんな将来のいつ訪れるかわからない日のために作ろうと思ったのだ。
まあ、参加する人とか、手伝ってくれる人とか。
声掛けするときに。

動画参加を前提にエントリーを募り、
ただし、本来の開催予定日である5月29日に会場である有楽街で、
何らかのアクションを起こそうという目論見がひそかにあった。
もちろん集客は考えていないので、PRはしない。
商店街の方に許可を得るために話に言ったら、
道路使用許可は取った方がいいというアドバイスを受けた。
映画撮影も取るよ、と。
映画撮影とは違うけどなあ、と思いながらも、
それは一番大事と、許可を取った(取ったのは担当者)。

ということで、
7月1日午前9時にYouTubeにて配信ということで、準備は進んでいる。
生配信ではないので、その後いつでも見ることができる。






 

路上演劇祭リレーエッセイ⑥

カテゴリー │路上演劇祭

私の路上演劇祭


私は事務局として実行委員会の開催、司会が主な担当である。
演劇祭当日は、裏方を担う。終了すると、演者はみな何かしらの達成感や満足感を得ているようである。
しかし、私には会計や報告書作成が待っているので、終わった感はない。

私は、何を得るために実行委員をしているのだろうか?と疑問がわく。(勝手な思い込みもあるが)
パフォーマーや演劇人は自由で個性的、多文化共生をテーマに活動もしているので、会議内容は多岐にわたり、堂々巡りすることも多い。

会議は小さな社会そのもので、まとまらず司会は難航する。
だが、みんな一生懸命、熱く語りあう。
そんなとき、私は思う。報酬もないのに、熱く語るその姿はいきいきして美しい。
それは私に元気をくれる。
この輝きをみるために、私は続けているのかもしれない。

演劇祭に向けての過程こそが、「私の路上演劇祭」と思うことにしよう。
実行委員は大募集中!
           

熊谷有加      路上演劇祭Japan浜松実行委員会





※記事は浜松百撰6月号より転載。
路上演劇祭リレーエッセイは今回の熊谷有加さんが最終回。
写真は2018年砂山銀座サザンクロス商店街での路上演劇祭の本部の様子。


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hamamatsu100sen.com

※21ページに掲載されています。