劇団からっかぜアトリエで「春の試演会」を観た その2

カテゴリー │演劇

1本目が「あい棒」。
「あい棒」の名前の由来は
人気ドラマの「相棒」である。

「相棒」は主人公の刑事と組む部下が「相棒」として登場し、
ともに協力して容疑者を捕まえる物語。
その「相棒」を人でなく、
本当の棒に置き換えた。

取調室。
主人公の刑事と容疑者。
そこに主人公と組む相棒が絡む。
そんな「相棒」というドラマの本質とも言える
シンプルな構造に
違いとして「人」ではなく「棒」。

すでに刑事 VS 容疑者の捕物帳の様相を離れ、
「棒」とはいったい何ぞやと、
不条理の世界に飛び込んでいく。

2本目は「あのとき、実は・・・」。
1人目の登場人物は死者である。
墓場の住人である。
そこに若くして死んだ男の
学生時代の同級生たちが墓参りに来る。

3人登場するが共通点はみな
かつて男のことが好きだった。
登場人物が現れるたびに明かされる
「実は・・・」により話は展開していく。

この戯曲は時間をうまく使っている。
時間とは男が死んでからの十年間である。
この日の偶然は
10年間の時間を浮き彫りにする。

それぞれどんな十年間を過ごしてきたか。
その情感が短い再会のやりとりの中で現出する。
しかし、十年の時間は再生の時間としても十分だったようで、
出てくる人はみな明るい。
取り残された死者さえも。

3本目は「バッターボックス」。
観終わった後に思ったことだが、
タイトルがいい。

昨年の劇作セミナーに僕も参加し、
この戯曲の発表稿を読んだが、
その時はタイトルがなかった。
(理由はわからないが)
また、登場人物も
イケシマという元プロ野球選手と
小学生の野球少年の2人だったが、
今回はもう一人、
バッティングセンターのおばちゃんも加わっていた。

ほとんどセリフはないのだが、
この登場人物の追加もとてもよかった。
バッターボックスにそれぞれの立場で立つ男性2人の様子を
見ている人がいる。
じっくり見ているわけではない。
事務仕事をしたりしながら、あくまでも片手間で見ている。

それでもその目は
小さな奇跡を目撃した証言者としての役割を持つ。

へたくそだった野球少年が、
イケシマのアドバイスによりホームランを打った、
未来への一打の。
そして、イケシマのプロ野球選手としては果たすことができなかった
人生の再生の一打の。

おばちゃんの目に増幅されて、
それが観客にもうれしい。





 

劇団からっかぜアトリエで「春の試演会」を観た その1

カテゴリー │演劇

5日(日)14時~
副題に、
劇団員による書きおろし三作品一挙上演とある。

きっかけは、はままつ演劇・人形劇フェスティバルの劇作ワークショップである。
劇団からっかぜのメンバーがワークショップに参加して書き上げた短編戯曲を
今回、劇団員の手により演出され、
劇団員が出演して、上演された。

劇作ワークショップでは、
参加者それぞれが書き上げた作品は
最終日に発表と称して、
参加者同志で役を割り振り
みんなの前で演じられる。

とはいっても、
稽古をする時間はないので、
初見の戯曲を読み上げるという形で終わる。

戯曲は上演されて、
はじめて戯曲たらしめると思うので、
みなの前で読み上げられることも
上演された、と解釈することもできるだろう。

でもそれはどうだろう?

劇作ワークショップで選抜された戯曲は
複数の演出家により作品つくりを通して行われる
演技ワークショップの台本となる。

1日通し行われたワークショップの成果発表が
最後に行われる。
稽古を経ての上演であるが、
メインは参加者たちの演技のワークショップなので、
作品上演のためのものではない。
参加者数と役の数は当然のように合わないので、
1つの役を複数が演じるというような形がとられる。

フェスティバルのファイナルイベントにおいて、
選抜された戯曲は
有志の演出家と俳優により、
数度の稽古を経て、上演される。

とはいえ、
イベントのためということもあり、
衣装やセットは簡易的なものであったり、
むしろ何もなかったりする。
やはり戯曲と戯作者の紹介という意味合いが大きいだろう。
手を挙げる俳優が多いと、
それに合わせた演出になったりもする。

もちろんそれは仕方がないことであるし、
それはそれで、目的からすればふさわしいことだろう。

でも生まれた戯曲はこの先がある。
これも当然のことである。
と、わかっていても
そう実現することではない。

今回の試演会の話をお聞きしたとき、
それを実現させたのだと思った。
戯曲の上演を一番望むのは
当然のことながら戯作者本人であろう。

でもそれを実現させるためには
ともに実現させるメンバーが必要である。
演出も含めまったくのひとりで行う
一人芝居以外は。

それを実現させたのが
劇団の力であると思う。
場所がある。
人がいる。