路上演劇祭JAPAN in 浜松2012の下見に行った

カテゴリー │路上演劇祭

21日(土)14時~有楽街に集まり、路上演劇祭の下見。
毎年恒例となり、かれこれ3回目。
そしていつも年が明けてのこの時期。
当然寒い。
でも5月の本番から逆算すると場所決めを兼ねた下見は必然的にこの時期となる。

だらりと集まり
だらりと歩き
だらりと話す。
他の人は知らない。
でも僕はいつもそんな感じ。
これから始まるのだという確かな予感だけは胸に
だらりと休日の寒空、人と過ごす。

この日は寛永堂さんというはんこ屋さんで話を聞き
有楽街を北から南に歩き
鍛冶町公会堂を覗き、
肴町の喫茶店beni (ベニ)でコーヒーを飲む。
beni を出たら雨が降っていた。


写真はこの日撮ったものではないですが、昨年暮れ、肴町で撮った壁です。




 

ファイナルイベントが終わった

カテゴリー │演劇

15日(日)クリエート浜松ふれあい広場にて15時~。
昼前に到着するとすでに浜松写真連絡協議会の方々によるパネルの展示作業が行われていた。
会の方々には昨年に引き続き、各劇団の稽古場に撮影に来ていただいた。
劇団側は撮影の場を提供する、写真の方々は作品を作る場を得る、という関係なのだが、
結果としては、ほとんど記録されることがない稽古の過程が写真家たちにより撮影されるから、この上ない体験だと思う。
そして、その作品たちがパネルに貼られ、各公演会場のロビーで展示された。
ファイナルイベントでもその集大成と言うべく、各劇団のパネルの展示準備がされていた。
どんなに感謝しても感謝しきれないと思った。

15時ファイナルイベント始まる。
短編作品の発表は「今日も君子は日記を綴る」、「風船」、「正しい税金の使われ方」の順。
(記憶で書いているのでタイトルもしかしたら多少違うかもしれません。失礼)
それぞれ演出の意向が反映され、何より2~3回の稽古にもかかわらず、参加してくれた役者たちが奮闘。
その姿に感動。もちろん作品に感動。
高校生たちも(なんと中学生もいた)、大人たちも、演技ワークショップに参加してくれた人の中から自ら手を上げて参加してくれた。
そして、フェスに参加した6公演のダイジェストDVDのプロジェクター上映。
最後に審査発表。
受賞劇団、受賞者の方々、よかったね。

俺は何をやっただろう。
とりあえずは打ち上げを段取った。

18時から街中繰り出し打ち上げ。

家に着いたら3時過ぎていた。

その日の仕事には多分影響なかったと思う。(自称)









 

市民劇団どあのぶと演劇集団esのW公演を観た

カテゴリー │演劇

14日(土)19時~袋井月見の里学遊館特設ホール。
市民劇団どあのぶは「らぶ・れたぁ」、演劇集団esは「HUG ME」
ともに50分くらいの作品。
どあのぶは袋井の劇団。
esは掛川の劇団。
ともに現代劇。
今はだれもが生きにくいらしい。
若者も母になろうという人もお母さんもおばあさんも。
らぶ・れたぁ=ラブレター=愛の手紙ほしいし、
HUG ME=ぎゅっとされたいのだ。
小さな会場だったが、客席の目の前に舞台があり、役者たちも伝わるあたたかい演技。




 

はままつ演劇・人形劇フェス2011「ファイナルイベント」

カテゴリー │演劇

1月15日(日)15時から(30分前開場)クリエート浜松1Fふれあい広場でファイナルイベントが行われます。
2012年になりましたが、フェス2011の最後のイベントです。

内容
◎劇作セミナー→演技ワークショップから生まれた短編3本の発表。
◎フェスをふりかえるDVDの上映。
◎各賞表彰式(最優秀賞、やらまいか賞、MIP賞、最優秀男優賞、最優秀女優賞、劇評賞)

入場無料です。

ぜひお立ち寄りください。







 

シネマe~raで「エンディングノート」を観た

カテゴリー │映画

7日(土)17時~。
上映後、監督の砂田麻美さんのトーク。
末期のがん宣告を受けた監督の父の残された人生をエンディンングノートというキーワードで描いたドキュメント作品。
終了後のトークで知ったこと。
この映画は父ががん宣告を受けてから撮り始めたわけではないということ。
娘である監督はいつも家族を撮っていたのである。
子どもの時から撮影の係だったそうだ。
家庭で、旅行先で、家族の日々にカメラを向ける。
映画にも過去に撮った映像がたくさん出てきた。
とりわけキャッチな言動や動きをする父にはカメラが向きがちだったようである。
この映画はそれらの集大成である。
一時はカメラを向けるのをやめようと思ったそうである。
娘として父に対応しなければならない。
カメラを向けている場合ではない。
ところが、他の人から撮るべきであることを言われた。
そうなのだ。
映像を撮る人なのだ。
撮り続けていた人なのだ。
そういう人はいいところばかりでなく、悪いところも撮らなければならない。
都合の悪いところも、みっともないところも、恥ずかしいところも、不謹慎かと思うところも・・・。
これは父のためではない。
もちろん家族のためでもない。
誰のためか。
それは映画のためである。
カメラを向け続ける持続力が大切で愛おしい場面もカメラに逃さずおさめることができる。
これは対象への愛情以外の何物でもない。
どこにでもある、でも映像化するのは難しい。
それをこの映画は実現している。
そして、撮り続けた結果彼女は映画監督になった。
ナレーションを監督自身が行っている。
当初、別の方がやる予定だったが、できなくなり、仕方なくやることになったそうである。
これは結果、とてもよかった。
誰でも撮れそうで誰にも撮れないホームムービー。
これが今、世界を回っているそうだ。
今回は第一回監督作品。
次回はフィクションを撮りたいと言っていた。







 

テトラポッド

カテゴリー │思うこと

海行った。

テトラポッド。



















足跡。
































今年もよろしく。