高校1年の時の年賀状

カテゴリー │段ボール箱より

今日、コメントで自作している年賀状について書き、思いついて、押入れから引っ張り出して来た。
高校1年の時に出した年賀状のデザインである。
当然ながら、年賀状は出してしまうと、相手側に渡るわけだから、
自分が出した年賀状がどんなものだったか、時と共に忘れてしまう。
だから、1枚は自分のためにとっておこうと思いついて、ずいぶん経つ。
今まで見返すことはほとんどなかった。
でも、本日、見返してみた。

ラブレターも同様、現物は相手側にあるので、複写をとらない限りは
自分が出したのがどんなものだったか、時と共に忘れてしまう。
(今なら、PCのワードとかで書けば、データを残してるかも)

とは言え、年賀状もラブレターも相手が今も保存しているかどうかは
知る由もない。
(ラブレターを相手が保存しているかどうか、想像するのは
考えること自体、自分でもちょっと気持ち悪い)

高校1年の時の自作年賀状。
木版画で刷った。
お馴染みの3人らしい。





 

ひえひえ漫画 「ソフトクレイムおばさん」

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これは僕が相当昔に描いた漫画。
「サンディー&イッツィー物語」という話の中で登場するキャラクター
ソフトクレイムおばさんとダブルソーダおじさんが出てくる番外編として描いた。

2人は夫婦で、冷蔵庫の冷凍庫に住んでいる。
近くのガレージではロックバンド「モーニング・セット・スペシャル」のメンバーたちが
ドカドカうるさく練習をやっている。
はっきり言って、近所迷惑である。
ソフトクレイムおばさんは激しく文句を言いたいのに、外面がいいので言えない。


【登場人物】
・ソフトクレイムおばさん
他人に厳しいクレーム体質だが、外面はいいので、クレームはソフトに言う。
だから、ソフトクレイムおばさんと呼ばれる。

・ダブルソーダおじさん
クレイムおばさんの夫だが、妻の外面のよさの反動の犠牲になり、
常に虐待されている。
ダブルソーダアイスの割れ目を真っぷたつに割られそうになる。
口癖は「赤チンないか、赤チン」

・ホウレンソウ
保存のため、冷凍庫に入れられた。

右から数字の順番で読んでください。






 

僕がそっと見る夢

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僕がそっと見る夢

天使、夢、幸せ、猿、馬鹿

僕がいつも寝床で見る夢は
隣に共に寝る人がいようがいまいが
社会保険が僕を保障していようがいまいが
明日、勤めに出かける場所があろうがあるまいが
天使、夢、幸せ、猿、AND馬鹿

僕がいつもひとりで見る夢は
天使が僕を救い、夢を夢見、幸せであるように望み、人間はしょせん猿だと開き直り、やっぱり馬鹿でいようと思う

僕が外のベンチで見る夢は
親が子どもを甘やかせようが、知らず知らずに緑が伐採されてようが、化学製品が燃やされようが、オゾン層に穴が開こうが、遠くの国で人が死のうが

僕が外のベンチで見る夢は
やっぱりそれは天使、夢、幸せ、猿、そして馬鹿

僕は気持ちのいい家の布団で眠っているかのようにここで眠る



これも20年以上前の東京にいる学生の頃の詩。
次回の詩は「世の中にはラブソングが一杯でそれ故にだらしない2人」です。
写真は天使のわっか。


 

小学5年生の文集より

カテゴリー │段ボール箱より

上ぐつ

今、上ぐつのそこは、ごみだらけ。
あらってもとれない。
しかし、ぼくは上ぐつは大好きだ。
今まで、おせわになってきた上ぐつ。

五年の二学期からつかっている上ぐつ。
中はあせだらけだ。
こうして目をつぶってみると、
夏、あせをかいて、
教室へもどってきたことが、頭に浮かぶ。
上ぐつもあつかったんだなあ。

三学期になり、ぼくも体重がふえた。
二月の体重は32kg。
いつもはへい気でも、
よく考えてみると、上ぐつも重いんだなあ。
いつも、ぼくの下じきで、
ごめんよ、上ぐつ




















上ぐつのことなんか今まで考えたことあったかなあ。
これは学年の最後に文集のために詩を書くという目の前の課題があったからこそだ。
学生服だとか。机だとか。教室だとか。先生だとか。友だちだとか。
普段はそんなこと特別考えないもんな。
小学5年の僕もたぶん上ぐつのことなんか考えたことなかった。
感謝も、してなかったと思う。
1年をふりかえろうと機会を与えられた時、何について書こうか教室でいすに座って考えていて、足元を見て、これにしようと思い付いたものがたまたま上ぐつだったのだ。
結果、僕の1年間お世話になった何らかへの感謝の代表として上ぐつについて書いただけなのだ。
5年の2学期から使ってるって、半年か・・・そんなに使ってないじゃん。


 

運動場のまん中であおむけになる

カテゴリー │段ボール箱より


運動場のまん中であおむけになる

久し振りに昔の学校を訪れた
池の鯉は元気だろうか
用務員は今日も用務員室の日当たりが悪いのを嘆いているであろうか
昇降口にはお昼のパン注文が運び込まれているであろうか
廊下にはやっぱり「走るな」という文字が貼られているであろうか
先生は生徒の方を向いて喋っているであろうか
生徒たちは先生の方を向いて聞いているであろうか
授業中だった
運動場では体育をやってるクラスはなかった
体育館でバスケットか何かをやっているんだろう
門は昔と変わりなかった
僕が入り込むのを見ている者はいなかった
空気を吸うのが少しはばかられた
まぎれもなく 学校のにおいだった
僕は運動場のまん中に向かって歩いていった
誰もそれを見ていないはずだった
そんなことはなく 窓際の何人かがそれを見ていた
2階でも3階でも 4階でもそれを見ていた
生徒ばかりでなく先生もそれを見ていた
僕は運動場のまん中で立ち止まって寝転んだ
あおむけになって上を見ていた
窓から何人かがそれを見ていた




久々20歳過ぎ頃の詩。
東京でうだうだしながら書いた。
そういえば、タイトル、某ヒット小説ヒット映画ヒットドラマ「世界の中心で愛を叫ぶ」と似てるかなあ。
「世界」と「運動場」。「愛を叫ぶ」と「あおむけになる」。
俺のはせまいし、なんか受け身だし。
けど、たぶん言いたいことは同じだと思う。

適当な写真がないので、とりあえず文章だけだけど、また撮って載せようと思う。


 

再会

カテゴリー │段ボール箱より



再会

寒い雨の季節をすぎると
僕の手をはなれていった手紙が帰ってくる
そろそろそんな時間だ
うら窓から外を見ていると
何か不思議な予感がして
出てくる  出てくる
石塀で隠れたところから歩いてくる気配が
もうじき 木の影から見え隠れしてくるよ
出てきた  出てきた
そんな気配  いつもの気配
目の前に来る前に言おう
「よっ、変わってないな」
そして歩いてくる奴も僕の視線に気がついて
おもわず出るテレ笑い
気付いたのは僕の方が早かったけど
おまえも感じていたはずだ
そんな気配を

  

  

20年以上前の詩。
また段ボール箱からとりだした。


 

ライブの子

カテゴリー │段ボール箱より


ライブの子

金髪の日本人がどなってた
「君らの未来はここにある」
髪の毛重力に逆らった少年が指つきたてた
「踊ろうぜ とどまってる奴はとりのこされる」
私らは踊る 
つま先をコツコツやる
ひざをまげる
腰をくねらす
腕を振る
うたう
となりの奴のひじが私のほおにエルボーくらわせた
だけど私は文句を言わない
リズムのまま頭を揺らす
金髪の日本人がマイクを突き出しお伺い立てた
「飛びたくないかい」
イエー
「飛びたくないかい」
イエー
いっせいに飛びはねはじめたうさぎさん達は
胸の赤や緑のかざりものをガチャガチャさせ
髪の毛や洋服を上下させ
それらは青春のシンボル
汗で体に貼りついていき
上へ上へと飛んでいく
昇天する
世の中のことがわかったようなわからないような気になる
信じることができるのは自分と目の前の人と
少なくともここにいる人だけ
金髪の日本人が投げキッスをして引っこんでいく
「また会おうぜ  外でもお幸せに」
残された私たちはいつまでもここにいるわけにもいかないので帰ることにする
だけど私達の未来は確かにここにあったと思っている


                

段ボール箱の中の昔のノートより
記憶ではボ・ガンボスというバンドをNHKホールに見に行ったあとに書いた。


 

僕のメロディ

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 僕のメロディ

東京を拾った
3丁目の横丁を曲がったらビルディングが見えた
そのビルディング見てたら悲しくなった
悲しいなと思ったらもう夕暮れだった
まだ少し明るい空で窓のあかりがにぶく光ってた
ん~明日も晴れ
今日も昨日も晴れなのに
ん~明日もまた晴れ
もうじき会社帰りの人でこの通りもあふれる
こんなに道は狭いのにね
あのメロディは忘れない
あんなに体にしみついたメロディはないから
もう焼き終えた焼却炉から昇っていく煙だね
元気がなくなってかわいた空に溶けていくあの煙だね
だけどきらいじゃないよ
いつもの用務員2号みたいでね
ん~明日も晴れ
今日も昨日も晴れなのに


    20年前のノートより 本

自分解説~明らかにこれは詩というより歌詞だね。
       『ん~』のとこなんか鼻にかかった声で気分よく歌ってる。
       といって全体のメロディがあったわけではない。
       でも、その時町を歩いていて、確かに音楽はなっていた。
       学生時代の東京の夕暮れに。
           
  



 

段ボール箱を開けてとりだしてみた

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大学を卒業するころバインディングの無地のノートに小使い帳+スクラップブック+雑記帳をつけていた。

創作のプロット的なことも書いてある。

文章上達のコツに、「最後まで書きあげること」というのがある。

最後まで書かれることのなかったそのプロットにまだ思いは残っているのだろうか。

「靴をおろす日」

内容は次回に続く。

※今日はずいぶん長く、このノートの1ページ目にはりつけた太宰治没後39年の記事について書いたが、(今年は没後60年でワーワーやっている)写真を挿入しようと悪戦苦闘していたところうまくいかず、×とか戻るとか押しているうち全部消えてしまったので、気力がなえ、こんな感じで終わる。
ところで記事投稿のところに公開せずに下書きとして保存することもできますってあるけど、どこ押せばいいの?
写真も同じファイルがあるのでダウンロードできないだのか、そのわりに本文に反映されてないし、プラウザがちがうとプレビューでないだとか、ようわからん。いつもワードだと次々に保存されていくので、安心して書き続けることができるが、ブログは難しいのう。なんかセツナ的で。どこ行った俺の文章。太宰から蟹工船まで書いたのに。