思い、語ること

カテゴリー │思うこと

ある知り合いが亡くなった。
その方とはあるワークショップで知り合った。
誘いあって会うというような仲ではない。
ただ、2003年の第1回の劇団フィールド(当時フィールド)公演に子供さんと観に来てくれた。
別の公演でダンスの場面を入れようという提案に年末おしせまった日、ガストに呼ばれて、どのような場面にしようか話をした。結局その後都合ができ、公演には参加できなかったが。
今でも続くそのWSのメンバーを母体に始まったサークルの公演には、大きくなっていく子供さんのクラブ活動の世話等で忙しく、「いつか自分の時間がとれるようになったら」のカッコつきのまま、関わりをもつことはなかった。
公演を観に来ることも、子供さんのクラブ活動と重なったりして、結局できなかった。
知り合ったワークショップの終了公演にスタッフとして参加された時、空いた時間に子供さんがある芝居の子役で出演したことを話していた。
アクトホールにあるミュージカルを観に行ったとき、親子で観に来ていて、少し話をした。
年賀状を何回かやりとりした。
劇団フィールドの公演を案内した。

一緒に舞台に立つことはなかった。
でも僕が時間を過ごしていたように、その方もその方の時間を過ごしていた。
誰にでも平等に与えられたかけがえのない時間を。

追悼するとはどうすればいいのだろう。
それは、思うことだ。
思い、機会があれば、語る。
そしてまた同じ平等な時間が過ぎる。


 

浜松街中で梯子お茶する

カテゴリー │路上演劇祭

昨日24日(土)は自転車に乗って朝9時頃鹿谷町のいつも行く床屋に行き、連尺の谷島屋でせりふの時代春号と「寺山修司の時代」という本を買い、板屋町のガストでランチ(ドリンクバー付き、お茶とコーヒー飲む)、ZAZA前広場のヒップホップダンスイベント横目で眺めつつ、西館地下のZIPPY CAFEでコーヒー(L)、メイワンの谷島屋で本を立ち読み(ニーチェの超新訳っての、全部なるほどと思った)、からころのメンバーがちょうど街中にいるとのことで、合流し新浜松駅前アップオンでさすがに2軒コーヒーだったしなあとココア飲むちょっとおやつ食べる。そうこうしているうちに夕方5時を過ぎていた。
なんでこんなにふらふらしているかというと、自分的な理屈では、「路上演劇のアイディアを練る」。よく言うね。なんてリキんでみても、ただコーヒー飲んで時間過ごしておわりだったりもする。
昨日はどうかというと、「ああ。よかった。きのう浜松街中ふらふらしてよかった」
実は今書いている当日(つまり25日の日曜日)は東京の新宿をふらふらした。
西新宿から歌舞伎町を歩いた。人多し。浜松街中歩きやすし。皮肉だ。本当は人が多い方がいいのだから。
5月22日の路上演劇祭の会場である旧松菱あとをあらためて見た。
ここで、バリケード外してやります!





 

わたしと青い鳥

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

静岡県西部演劇連絡会の会報に何度か原稿を寄せさせてもらってる。
過去書いたものを紹介。



わたしと青い鳥     2007年2月筆

ようこそここへ~ クッククック わたしの青い鳥~は桜田淳子のデビュー曲。
劇団青い鳥の公演「U・Z・K夕月○~ゆうづき」を新宿のシアタートップスに観に行った。(1月28日 13時開演)
劇団青い鳥は東京演劇アンサンブルの研究所で出会った女性たちにより結成された。(75年11月旗揚げ公演)劇団の形はいろいろあるが、青い鳥は決まった作家を持たず、役者たちがエチュードを繰り返すことにより作品を作っていく方法で知られた。つまり劇団員全員で台本を書き、演出する。だから作・演出は個人名でなく、総称として市堂令(いちどうれい)と名乗っていた。
大学生であったわたしはその作り方にとても興味を引かれた。当時、多くの劇団にその作り方は影響を与えたと言われる。(全自動シアターや自転車キンクリート・・・)といっても、わたしは青い鳥の影響を受け、そのような方法で演劇を作った、というわけではない。わたしはただぼんやりとうらやましく思っていた、というのが正しい。
同じような価値観を持ち、そして同じような世代であることがそんな集団の形成には不可欠であったのだろう。仲良し集団では成立しない。それぞれが対等の関係であるからこそ、苦しみもあったことだろう。稽古場ではけなしけなされの場面も頻繁であっただろう。そうして、すべての参加者の体の中を通ったひとつの作品が生み出される。
多くの場合、劇団は役割分担がなされている。作家・演出家などある個人が中心の場合が多く、彼らの作品世界を体現できる役者がいると、劇団は強い個性を持つ事になる。
寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場、鈴木忠志の早稲田小劇場、野田秀樹の夢の遊眠社、鴻上尚史の第三舞台、松尾スズキの大人計画・・・。
青い鳥の場合、東京演劇アンサンブル研究所の中で自分たちの演劇をやりたい、と「この指とまれ」をした中に、劇作家はいなくて、全員俳優だったということで、否応なく集団創作の形がとられるようになったのかもしれない。
大きな個性が存在した時、集団創作という形は成り立つのであろうか。逆に個性を消し合うおそれはないのだろうか。
今ではテレビドラマでもよく顔を見る木野花が抜け、青い鳥の名を良く見聞きした頃からずいぶん時がたつ。創立メンバーは50歳を越えた。
今回の公演はラボラトリーステージ(つまり実験。本公演の位置付けではない)として、青い鳥の若い世代(といっても、世代の流れの早い演劇界では決して若くはない)4人を中心とする作品だ。作は北村想。演出は芹川藍。もう作・演出 市堂令ではない。この名は本公演でもすでに使っていない。
わたしが受講した磐田市のワークショップ「自己発見表現講座」の講師が青い鳥の芹川藍氏だった。講座の終了公演に向けた芝居の作り方のいくつかには青い鳥の集団創作の精神が息づいていた。もちろん青い鳥のように、全員ががっぷり四つに組み、作り上げることなどできない。それこそ参加者は年令も育ってきた環境も演劇への興味もまったく違う。でも、それぞれが表現者であることを目覚めさせるヒントがそこには詰まっていたと思う。その講座をきっかけに始まった「いわた表現の会からころ」の年一回の公演は次回で三回目になる。(4月21日ゆやホール)
演劇作品として、上演される「歩く王様」は確かにわたしが書いている。でも、根底に流れてるのは集団創作をやっている気持ちなのである。
普段のコミュニケーションの中でセリフやドラマを見つけていく。日常的というのはつまらないという意味ではない。普通の人というのは役者ではないという意味ではない。よりよい役者となるためには役者修業はするべきだと思う。よりよい劇作家となるためには文章修業はするべきだと思う。しかし、役者のセリフが人の発する言葉である以上、どんな人でも役者であり、劇作家であるのだと思う。そして、その修業はきっと、生きていること、そのものであると思う。
とはいえ、これはやはり入り口である。どの世界も例外なく奥は深いものだ。どのように変わっていくかは誰もわからない。変わらざるをえない場面も出てくる。しかし、入り口の部分は大切にしようと思う。
劇団青い鳥も変わっているようで、実は変わっていない。
どうぞ行かないで~ このままずっと~ わたしのこの胸で~ 幸せ歌っていてね~ クッククッククッククック 青い鳥~ 作詞は阿久悠。
  (了)

文中のからころの公演は先週17日の「開」が第6回。
DMで案内が来た6月30日~7月4日に行われる劇団青い鳥の次回作「ちょっとうれしい」は作 市堂令。(演出・構成は芹川藍)



















 

静岡文化芸術大で路上演劇祭実行委員会

カテゴリー │路上演劇祭

18日17時半から文芸大の教室で実行委員会。
チラシができた。

“見慣れた街の見慣れない「ドキドキ」”
旧松菱周辺で5月22日(土)
13時~17時頃まで
観覧無料です。
街中に出かけた時足を止めてみませんか。
「いろいろな人」が出演します!!
僕は進行役をやる予定です。

以前にもブログに書き込んだように、会場付近を覆うバリケードをとるのに30万円の費用がかかります。
ただいま募金を募っています。
ご協力よろしくおねがいいたします。

口座振り込み先 静岡銀行 篠原支店 
路上演劇祭を支援する会 
普通預金口座 0275205
または僕に一声かけてください。










 

「地下鉄のザジ」をシネマe~raで観た

カテゴリー │映画

からころ公演の翌日18日の10時から「地下鉄のザジ」を観に行った。
1960年のフランス映画。監督はルイ・マル。
以下、ウィキぺディアより。
「地下鉄に乗るのを楽しみに地方から出てきた少女ザジが2日間パリに住む親戚のガブリエルおじさんに預けられる。
ザジはおじさんの元を抜け出し、地下鉄のストライキで混乱するパリの町を冒険する。
フランス映画のヌーヴェルヴァーグ運動のさきがけ。」
ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)とはやはりウィキより。
「広義においては撮影所における助監督等下積経験なしにデビューした若い監督等によるロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品」
ゴダールとか。
アマチュアの自主上映作品的ともいえる。
今では珍しい方法ではないが、手持ちカメラを持った途端、撮影が始まるとしたら、ロケ中心・同録・即興となるだろう。
そういう意味からすると「~ザジ」の材料はそんな特長にぴったりだ。
まさに自由な子供の視点をカメラレンズに変え、好き勝手に遊んでいる。
デジタルではない当時できるアナログ手法を駆使した映画的遊びは根本は今でも変わらない。
そして、ザジを演じる少女の息吹は文化の新しい波の到来を告げるのにふさわしい。
主演の少女はカトリーヌ・ドモンジョというが、本格的に映画に出演したのは本作のみらしい。
最初はスカートだった彼女が途中でジーンズを手にし、ジーンズ姿になる。
アメリカとヨーロッパが映画という文化の中で混じり合っていく。
ボーダーレスになり世界は同じようになっていったかというと、そんなことはない。
アメリカはアメリカであろうし、フランスはフランスだろう。
個人としてのアイデンティティがけっこう堅固なように国のアイデンティティもけっこう強いものだ。




 

17日からころ「開」おわりました

カテゴリー │からころ

第6回が無事おわった。
1年に1回なので、6年目。
次回は来年。
またテーマが決まり、からころの形ができていくことだろう。


鬼は角が折れているので力が発揮できない。




 

あさって磐田市ゆやホールでからころ公演

カテゴリー │からころ

いわた表現の会からころ第6回公演
 
わたしが前に進むために

4月17日(土)
 開演 14時
 会場 アミューズ豊田 ゆやホール
 入場無料

プログラム
●開オープニング 閉じるとき
●開アラカルト 開うた 開朗読
●パセリ、セージ、ローズマリーand タイム 
    詩朗読
●鬼と私の居ぬ間に 演劇
●開エンディング 開くとき


役イメージ
下




 

5月22日、みんなの力で旧松菱のフェンスを開けよう!

カテゴリー │路上演劇祭

今日4月10日浜松駅周辺で、路上演劇祭Japan in 浜松2010の旧松菱前での開催のための募金活動が行われた。
僕も実行委員に名前を連ねさせてもらってるが、17日のからころ公演の稽古のため、残念ながら募金には参加できなかった。
明日11日も12時30分から15時まで行われる予定。
残念。俺明日もからころ。
街中には立てないけど、個人活動の中で募金活動にいそしむよ。
数日前には静岡・中日各新聞に記事が載った。
フェンスを外すことはどういうことなのか。
これは「何かが変わるかもしれない」
そんな願いだ。
演劇活動が何がしかをつくる行為であるように、場所選び(つまり舞台選び)もつくる行為でありたい。
自分たちの公演に合う既存の劇場を選ぶのが通常であるが、路上演劇はそれを一歩踏みこみ、既存の劇場に観客を呼び込み、呼び込んだ観客に向け演劇をする、というあたりまえのことを疑うところから始まっている。
どのような場所でもできる。どんな人でも観ることができる。
そんな無限の想像力から成り立っている。
実際は道路許可がいるだとか、観ることができる人数も物理的に限られるなど、制限はある。
ただし、想像の上では無限。
それが大事だと思う。
というより、命だと思う。
そんな自由さと機動力はタブーの壁を時には軽々と飛び越える。
だから景気がどうだとか、街中のドーナツ化現象だとか、松菱の後が決まらないだとかの壁も飛び越える。
その効力は・・・過大な期待はよそう。
行った行為がすべてなのである。
自ら選び作り上げた場所で自分たちで選び作り上げた演劇をやる。
5月22日はそんな日である。
というわけで、みなさん、御協力お願いいたします。





 

スターティング オーヴァー

カテゴリー │からころ

17日にからころ公演があるので、からころの週末と仕事の平日の日々。
きのうの4日は西部演劇連絡会の定例会が19時から浜松市西部公民館であった。
今年度のフェスの話。
僕は熱烈にどこかへ行きたいと思うタイプではまったくないが、埼玉のジョンレノンミュージアムへは閉館する前に行ってみたいと思っている。
今回のからころの「開」はなぜかジョンの曲が鳴り響いている。
「生まれ変わる」
「開」は僕の中で「生まれ変わる」になった。
「ドアを開ける」その先はいろんなイメージがあると思うが、「生まれ変わる」となると、その先は世界がずいぶん広がる。