どあのぶ~絡繰機械’s 芝居を観た

カテゴリー │演劇

きのうの日曜日、芝居のハシゴをした。

14時から袋井の山名公民館で市民劇団どあのぶの第5回公演「処方せーん。」
45分ほどの芝居であるが、構成がしっかりしていて、気持のいい舞台だった。

町を歩いていても人とすれちがうばかりで、誰と目が合うこともない。
仕事もうまくいかない。彼女もない。休みの日もしたいことがない。なんかうまくかない。体調も良くない。
こうして、病院にかかったひとりの男。
白髪で腰の曲がった医師と色気振りまく欲求不満の看護師。
診察するが、どこも悪いところはない。問診で何を聞かれても男の返事は「特にありません」
処方箋を出しますといわれ、待合室で待つ。
そこに現れるのは、痴ほう症のようで、死んだ旦那の眠るアルプスに行きたいというおばあさんや、やくざに追われた妊婦や追うやくざや、気の弱いガードマンたち。
最初はまったく関係のなかった男はみんなに巻き込まれていき、突然死んだおばあさんの遺骨をアルプスに返す役割を負ったり、妊婦の子供が生れ、認知する役割を負ったりする。
それらは深刻ではあるが、展開はバカバカしいく嘘っぽい。
しかし、男は大まじめ。そして、いつの間にか自分が役割を持っていることに気が付く。
再び、医師と看護師がやってくる。
問診を受けると、今度は男は「特にありません・・・いや、そうだ。・・・。」
次から次へと、言葉が出てくる。
舞台転換のシンプルな音楽がいい。
舞台セットも街、診察室、待合室と変わる共通のセットとして、よく考えられてる。
公民館入口に立つ会場である部屋のドアを模した看板も面白かった。(部屋番号である202と書いてある)
役者たちも公民館の観客の間近の舞台にふさわしい演技をしていた。
だからよく伝わってきた。
ずっと雨降ってたけど、公民館の外でたら、からりと晴れていた。


17時からは浜松の劇団からっかぜアトリエで絡繰機械’sの第6回公演「ヴィジョナリィズ~種を蒔く人~」
1年かけて大きな物語を紡いでいく3部作の第一弾公演。
序章は順調に刺激的に進撃したようだ。

「世界の果ての終わった街」でたまたま場所をともにしたものたちが、互いに刃を向け合う。
ここはルール無用の何でもありの街であることを示す。
人がひとりで生きている街であることを示す。
それぞれのものたちのここにいる理由は伏せられている。
その理由、登場人物としてここにいる目的があぶりだされることに時間は費やされる。
そこで人間性を表すのに時間が費やされるということは、それぞれの役者に存在感が求められる。
台本が遅れ気味のことの代償か、エチュードなど武器の少ない中での役者としての対処方法も身についていったのだろう。
お笑いの要素がふんだんに盛り込まれる。
それは決して芝居の大きな流れを損なうことなく、生の芝居の何でもありの楽しみに忠実であるかのように、観客へのサービスもつとめる。
衣装、メイク、美術、小道具、音楽、照明・・・。それらに手を尽くすことは、もはや、スタンダードとなっている。
標準仕様なのだ。
観客たちは貪欲にその先を求める。
舞台は登場人物たちが自らを立たせていく中、第1章の主人公ジーンが大きな変貌を遂げ、次回へのヒントを残し、幕を閉じる。
幕の終わりでは再び互いに刃を向け合う。
味方などいない。この世は敵ばかりなのだ。
肉付けを終えた登場人物たちは思う存分第2章以降活躍してくれることであろう。
絡繰機械’sが言いたいことは難しいことではない。
原初的であり、始原的であり、基本的であり、普遍的であり、個人的なことだ。
そんななんでもない、でも重要なことを言うために、あらゆる手を使う。
ふと思った。演劇ってそんなものかも。
チャレンジするということは同時にリスクも背負うことでもある。
そんな姿勢は怖がっているより美しい。
(怖がっているのもよ~く気持ちわかるけど。といういより俺、こわがり屋だけど)









 

声のワークショップ

カテゴリー │演劇

声のワークショップに参加した。

講師はセイ高橋氏。

歌うときの呼吸の使い方はなるほどと思った。

歌う時もセリフを言う時も息を使うということ。





 

テトラポッドな日々

カテゴリー │変更しました

テトラポットな日々→テトラポッドな日々に変更しました。

「・・・ト」じゃなく「・・・ド」

反省の意味を込めて、海へテトラポッドをみにいきたいと思います。

そして、海に向かってさけぼうと思います。

「トじゃなく、ドだよな~!。ごめんよ~!。トじゃなくドのおまえよ~!」

灰色のあいつらのバックに広がる海に向かって。


              

                    PS   決してこれは青春じゃあない。


 

マイケル・ジャクソンと私

カテゴリー │思うこと

マイケル・ジャクソンが亡くなった。
そういえば、CDもレコードも持っていない。
唯一録音したカセットでソロ1枚目の「オフ・ザ・ウォール」を持ってるだけだ。
「スリラー」のアルバムは最初から最後まで聴いたことなかもしれない。
「ビート・イット」「ビリー・ジーン」「スリラー」・・・。
曲は知ってる。聴いてみれば、「ああ」と思う曲はたくさんあるはずだ。

段ボールの中の昔のノートに「マイケル・ジャクソン公演の整理番号2139」と書いてある。
1987年7月1日。昭和62年。その年、3枚目のアルバム「バッド」が発売され、9月には後楽園他4球場で初の来日公演を行って、43万人を動員した。
僕はその中には入っていない。
でも、公演チケットを得るための整理番号をもらいに行っていた。

当時、海外ミュージシャンをウドー音楽事務所というところが、よく呼んでいた。
朝、新聞にその記事広告が掲載されると、表参道にある事務所に行き、整理番号をとるというのが、チケット購入のためのひとつの方法だった。
ボブ・ディランとか、ミック・ジャガーもその方法でチケットを取ったと思う。(たぶん)
マイケルの時も、朝新聞を開いて、これは整理番号を取りにいかなきゃと思ったはずだ。
京王線の下高井戸から渋谷に出て、地下鉄で表参道に行く。
そして、同じ思いのひとたちの列に並ぶ。
このあたりほとんど記憶がないが、こんな感じだっただろう。
ただ、とんでもない行列だったことはなんとなく覚えている。
交通整理の人が出て、大都会の早朝(6じ~7時の間だと思う)早目の通勤者がゆきかう中、マイケルのチケットをゲットすべく人たちが並んでいる。
もちろん1列には並べないので、ビルの周りをグルグル巻き込むように並んでいたように記憶している。
他のアーティストの時はこんなことはなかった。
ほとんど待つこともなく、駅からバラバラとやってきて、お互いに「朝早くから御苦労さん。会場でお会いすることはないかもしれないけど、まあ、その時は楽しみましょうよ」というような感じで、整理券を受け取り、また自分の住む場所へ帰っていったと思う。
かくして、2139番という整理券を無事手にした。(ようだ)
しかし、コンサートには行ってない。
後楽園球場でやったので、買おうとすれば買えたと思う。
でも、買わなかった。
理由は覚えてない。
行くのをやめたのだと思う。
記憶としては整理券をもらったあと、六本木の方まで歩いた。
ノートには「納豆定食300円」と書いてある。
牛丼屋で朝食を食べたと思う。
吉野家か?松屋か?

マイケル・ジャクソンは好きとかきらいとかではなく、1982年のスリラー以来、当時、とにかく目にし、耳にした。
テレビ、ラジオ、街で、店で・・・。「俺たちひょうきん族」などバラエティではパロディとして取り扱われる。
僕はといえば、朝刊を見て、ひまな学生の特権を利用して、マイケルを目の当たりにするチャンスを得には走るが、CDを買うほどじゃないし、日ごろ接するマイケルでまあ満足しているし、同じお金使うのなら、他に使いたいものはあるし(チケット代は当時としてはかなり高かったと思う)で、チャンスを手にしてみても、簡単に放棄してしまう、という程度だ。
その2年前の1985年、難民救済チャリティのための曲USA for アフリカ「ウイ・アー・ザ・ワールド」が発売された。マイケルとライオネル・リッチーが共作し、多くのアーティストが参加した。
その曲をはじめて聴いたのは、ある夜のビートたけしのオールナイトニッポンで、番組も終わる深夜3時も近い頃、たけしが曲に対してのなんの説明もなく「なんだかなあ。じゃ、これでおしまい。ウイ・アー・ザ・ワールド。バイビー」って言って、「ウイ・アー・ザ・ワールド」のイントロが流れてきた。
ニュースでは多くの有名ミュージシャンがとんでもない曲を作ったということは知っていた。
ライオネル・リッチー、ハリー・ベラフォンテ、ビリー・ジョエル、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパー、ウイリー・ネルソン、ボブ・ディラン、ディオンヌ・ワーウィック、ケニー・ロギンス、ポール・サイモン、レイ・チャールズ、ティナ・ターナー、スティーブ・ペリーなどなど・・・。そしてマイケル・ジャクソン。
ラジオであったが、メロディーにのり、次々と現れる声に、アーティストの顔が次から次へと思いうかび、布団の上で眠ろうとしている午前3時、泣けて泣けて仕方がなかった。
ひとりひとりのアーティスト、音楽への愛情が感じられたのだと思う。
黒人も白人も、ブルースもロックもフォークもカントリーも。肌の色も音楽のジャンルも関係ない。みんな同じ。そんな願いがこもっていた。
だから、居心地悪そうなボブ・ディランも、音が割れるブルース・スプリングスティーンも、アドリブで曲をかえてしまうレイ・チャールズも、力入りすぎのシンディ・ローパーもハードロック系から無理やり入れられたようなスティーブ・ペリー(ジャーニー)も、全く気にならなかった。
通常なら不可能なメンバーが一緒にやってしまうということに、ただただ圧倒され、心の中で拍手をし続けていたように思う。

追悼ニュースで、歌い踊るマイケルが流れる。何億とかけたミュージックビデオが流れる。
やっぱり天才だ。
そして完璧だ。
これぞ最高のエンターテイナーなんだろう。
マイケル・ジャクソンはマイケル・ジャクソンを演じ続けるしかなかった。
そんなひずみも反動のように出てくる。
後年のスキャンダルは宿命だったともいえる。
「ほどよく」
そんな言葉はマイケル・ジャクソンには不要だったのかもしれない。
でも、得た輝きは果てしない。
そして、世界中の多くのかぎりないひとたちに与えたものも大きい。

納豆定食か。
六本木の早朝、納豆定食。
いいかもね。










 

テトラポッド

カテゴリー │思うこと

ブログのタイトルを「テトラポットな日々」としておいてなんだが、「テトラポット」ではなく、「テトラポッド」なのだそうだ。
知らなかった。
「・・・ト」ではなく「・・・ド」
ウィキペディアで知った。
でも「・・・ト」と勘違いしている人も珍しくないらしい。
検索してもかなりの人が「・・・ト」で堂々と使っている。
多数決の民主主義で「・・・ト」でなく「・・・ド」になる日も近い。
というわけで、ここで、私から「・・・ト」でなく「・・・ド」で読んだり、言ったり、書いたりする運動を起こすことを提案したい!
・・・。
そんなわけない。
しかも「テトラポッド」とは(もう・・・ドで使ってる)、登録商標なのだそうだ。
つまり、どこかの会社の商品名。
すでにウィキペディアで知っているので言うが、不動テトラという会社の登録商標。
他社の「テトラ〇ッド」的なものは、この名前を使えないのだそうだ。
では本来は何と呼ぶかというと・・・。
呼ぶかというと。
はよ言え。
・・・。
はよ。
・・・はあ・・・。
いいから。はやく。
まあ。
・・・(怒)
わ、わかりましたってえ。言います。言います。言いますよ~。
ふぅ(怒)
怒らないで!消波(しょうは)ブロック。海岸や河川などの護岸を目的に設置する構造物。別名、消波(なみけし)ブロック、護岸用コンクリートブロック。日本消波根固ブロック協会ってのもある。ちなみにテトラポッドって、4本足を意味するギリシャ語を語源とするんだって。わかりやすく言うと、バンドエイドとばんそうこうの関係と同じ?テトラポッドと消波ブロックの関係って。きっとクイズ王にとっては基本中の基本の知識なんだろうな。・・・。

従来メディアというものは誤字脱字から注意深く守られてきた。
権威ある新聞で誤字脱字がひんぱんにおきれば、存続にかかわるだろう。
テレビだって、放送禁止用語や視聴者からのクレームもある。
その点ネットは基本自由だ。
倫理規程は叫ばれているが。
誤字脱字もあふれている。
正しいことも間違ったことも混然一体となり、何が正しくて何が間違っているかわからなくなってくる。

てことをつらつらと考えてみました。
ああ、もう日が変わる。
日が変わるとブログの投稿日が翌日になるのも軽いプレッシャーだなあ。
やってみて気がつくこといくつか。
ああ、日が変わる・・・






 

ライブの子

カテゴリー │段ボール箱より


ライブの子

金髪の日本人がどなってた
「君らの未来はここにある」
髪の毛重力に逆らった少年が指つきたてた
「踊ろうぜ とどまってる奴はとりのこされる」
私らは踊る 
つま先をコツコツやる
ひざをまげる
腰をくねらす
腕を振る
うたう
となりの奴のひじが私のほおにエルボーくらわせた
だけど私は文句を言わない
リズムのまま頭を揺らす
金髪の日本人がマイクを突き出しお伺い立てた
「飛びたくないかい」
イエー
「飛びたくないかい」
イエー
いっせいに飛びはねはじめたうさぎさん達は
胸の赤や緑のかざりものをガチャガチャさせ
髪の毛や洋服を上下させ
それらは青春のシンボル
汗で体に貼りついていき
上へ上へと飛んでいく
昇天する
世の中のことがわかったようなわからないような気になる
信じることができるのは自分と目の前の人と
少なくともここにいる人だけ
金髪の日本人が投げキッスをして引っこんでいく
「また会おうぜ  外でもお幸せに」
残された私たちはいつまでもここにいるわけにもいかないので帰ることにする
だけど私達の未来は確かにここにあったと思っている


                

段ボール箱の中の昔のノートより
記憶ではボ・ガンボスというバンドをNHKホールに見に行ったあとに書いた。


 

てくてく

カテゴリー │落語会

落語の題目を「てくてく」にしようと思っている。
その前は「路上の人」にしようと思っていた。
「路傍の人」とかけて、とか。
明らかにからころ公演の「白い本が落ちていた」の滝口や路上演劇祭からの流れである。
「てくてく」もそうかもしれない。
14日の落語会の話し合いのあと、アクトの南の自転車置き場へ向かい歩く中、メールがあり「今、てくてく歩いておりやす・・・」とあった。
そうか。てくてくか・・・。
それから先はまだ進んでいないが、そろそろ書き始めないと。
今週もワークショップにどあのぶ、絡繰機械’sだ。


 

帰ってきたぜ

カテゴリー │演劇

たった今、静岡県立美術館と演劇2本観劇から帰ってきた。

人の表現を見ていろいろ考える。

また感想を書こうと思う。

今日は・・・あ、もうじき日が変わる。

野外劇場には唐十郎が来ていた。

カーテンコールで紹介された。

野外劇場は難しいな、アングラは難しいな、などと思っていたので、今日の芝居、作者の唐はどう思ったんだろう?と余計なことを考えた。




 

ヴィスコンティとか

カテゴリー │思うこと

例のごとく段ボール箱の中のノートを開いていると、次のような文章があった。


「ヴィスコンティが苦悩したのはこの人間の未来をいかに市民(ブルジョア)たちの偽善に汚されずにそれを越えて発展させるかという一点だった。
実用・金銭・利己主義のメカニズムでがんじ絡めになっているわれわれがとくにヴィスコンティの官能的陶酔にひかれてゆくのはそれが一種の溶解的作用となって、そこから救い出されるのを感じるからだろう。
デカダン(頽廃主義者)とはまさしく現在を否認しつつ現在に執着する人だからだ。
そしてそれが未来を望む<貴族性>の別名である。」


何か出典はあると思うが、本文の書き写ししかない。

その下に


「ロベルト・ロッセリーニとジャン・リュック・ゴダールが映画を誰でも撮れるようにしてしまった。」

とある。
映画に関する本でも読んでいたのか。記憶はない。

路上演劇祭(路上演劇祭JAPAN IN浜松) を手伝っていた時、ヒストリーワークショップの講師である成沢富雄氏(元劇団黒テント所属、現在演劇を媒体とした町つくりワークショップや大学講師などで活動)コメント(僕がイベントの司会をやらせてもらったため、各参加者のことを知るためにネットで調べた)に「町を変えるには、よそ者と若者と馬鹿者が必要」というような言葉があった。
これはよそ者性、若者性、馬鹿者性と言葉を置き換えることができる。
中にいてもよそ者性は持てるし、年取っていても若者性は持てるし、利口でも馬鹿者性は持てる。(利口の方がいいか)

「変わる」ということ。「変える」ということ。
神風が吹いたり、救世主がやってきたり、ドラえもんが机の引き出しから現れたり、そんなことなかなかないから、自分でやる。
今の世の中がいいのか悪いのか、それは考えかたにもよるだろうが、変えるべきことがあるとして、これらの言葉はなるほどと思わせる。
20代前半にこのヴィスコンティ論がどれほどフィットしたのかわからないけど、今もそう気持は変わらんな。

ちょうどいまテレビ静岡の番組で清志郎のエンジェルという曲が流れてる。
エンジェルはきまぐれでうそつきなんだってさ。
最後「愛と平和~」って言ってた。
「気をつけて帰れよ~」
だって。
そんなこと言う人やっぱいないよな。



 

僕のメロディ

カテゴリー │段ボール箱より

 僕のメロディ

東京を拾った
3丁目の横丁を曲がったらビルディングが見えた
そのビルディング見てたら悲しくなった
悲しいなと思ったらもう夕暮れだった
まだ少し明るい空で窓のあかりがにぶく光ってた
ん~明日も晴れ
今日も昨日も晴れなのに
ん~明日もまた晴れ
もうじき会社帰りの人でこの通りもあふれる
こんなに道は狭いのにね
あのメロディは忘れない
あんなに体にしみついたメロディはないから
もう焼き終えた焼却炉から昇っていく煙だね
元気がなくなってかわいた空に溶けていくあの煙だね
だけどきらいじゃないよ
いつもの用務員2号みたいでね
ん~明日も晴れ
今日も昨日も晴れなのに


    20年前のノートより 本

自分解説~明らかにこれは詩というより歌詞だね。
       『ん~』のとこなんか鼻にかかった声で気分よく歌ってる。
       といって全体のメロディがあったわけではない。
       でも、その時町を歩いていて、確かに音楽はなっていた。
       学生時代の東京の夕暮れに。
           
  



 

段ボール箱を開けてとりだしてみた

カテゴリー │段ボール箱より

大学を卒業するころバインディングの無地のノートに小使い帳+スクラップブック+雑記帳をつけていた。

創作のプロット的なことも書いてある。

文章上達のコツに、「最後まで書きあげること」というのがある。

最後まで書かれることのなかったそのプロットにまだ思いは残っているのだろうか。

「靴をおろす日」

内容は次回に続く。

※今日はずいぶん長く、このノートの1ページ目にはりつけた太宰治没後39年の記事について書いたが、(今年は没後60年でワーワーやっている)写真を挿入しようと悪戦苦闘していたところうまくいかず、×とか戻るとか押しているうち全部消えてしまったので、気力がなえ、こんな感じで終わる。
ところで記事投稿のところに公開せずに下書きとして保存することもできますってあるけど、どこ押せばいいの?
写真も同じファイルがあるのでダウンロードできないだのか、そのわりに本文に反映されてないし、プラウザがちがうとプレビューでないだとか、ようわからん。いつもワードだと次々に保存されていくので、安心して書き続けることができるが、ブログは難しいのう。なんかセツナ的で。どこ行った俺の文章。太宰から蟹工船まで書いたのに。


 

春の芸術祭と県立美術館

カテゴリー │演劇

今週土曜日は静岡へ『Shizuoka春の芸術祭2009』を観にいく。

「ブラスティッド」と「ふたりの女~唐版・葵上」の2本。

せっかく静岡まで行くので県立美術館にも行こうかと考えている。
何をやっているかとHPで調べてみると「柳沢紀子展」が行われている。
浜松出身の画家。ざっと見た感じ・・・とがっている。細かい。暗い。
しっかり見るのは当日見ればいい。

先日のNHK「日曜美術館」で、ロダンの特集をやっていた。
県立美術館にはロダン館があるので、いつもならサンデーモーニングの大沢親分・張さんのあっぱれ!喝!を観るところをその日はチャンネルを合わせた。

静岡のロダン館は出てこなかったが、ロダンの彫刻家としての人生をデビューから愛人カミーユ・クローデルとの生活、彼女との別れから地獄の門の製作に至るまで、興味深く見た。
遅咲きの37歳でデビューするまでは、あまりのリアルな生命感に、生きた人間から型をとったなどと疑われ、なかなか認められなかったようなのだ。
ロダンは人間そのものの喜び、苦悩、叫びをイキイキと表現した。
近眼なので、モデルを真近でなめまわすように観察して、彫刻に移し変えていった。
「考える人」もじっとしているが、肉感的だ。

そして、番組後半の各地の展覧会情報で、「柳沢紀子展」が取り上げられた。

「ロダンでは現代を語れない」

そんなようなことを言っていた。
柳沢の描く人間は「閉じた体」で、切り裂いたような筆致。
展覧会の中で、対局するロダン彫刻とジョイントするのだそうだ。
ロダンでは現代を語れないのか確かめに行こう!

有度の野外劇場で行われる「ふたりの女~唐版・葵上」 作 唐十郎 演出 宮城聰 出演SPAC
には知った名前が出る。
パンフレットに名前が載っていた。
ある人に聞いたら、どうやらSPACに入団したらしいのだ。
へえ~。。。





 

ロックバーDE寄席ッ!

カテゴリー │落語会

9月27日に落語会をするよ。
7時から浜松市伝馬町のロックバールクレチアで。
映画撮ってるやつのよびかけで、元落ち研の女と、俺。

きのうザワタミでおちあい、テーブル狭かったのでエリサに移動し、チラシのスチール担とおはやし担も交え5人であれこれ。
日時、場所、入場料等を決め、チラシ用スチール撮影の打合せ。
話す順番、着物、座布団、屏風、めくり、高座名、会のタイトル・・・。

そして何より何しゃべる?
飲んでいるとき話が出た当初は落語は古典だろうと思ったかもしれない。
いくつか聞いてみる。
「らくだ」、「あくび指南」、「時そば」いつもは志ん生を聞くが、知り合いからもらった小三治を聞く。
「あくび指南」面白すぎて繰り返し聞いたが、その直後、6月7日にシネマイーラで観た映画「小三治」の中で、「らくだ」と「あくび指南」を話す場面があった。なにかシンクロする感じで、映画館の座席でひとり偶然を味わいながら考えた。

俺がやるんなら・・・新作書いてみようかな。
決して、俺、こんなのできねえって思ったんじゃねえ。俺は新作を書きたいんだっっ・・・。




 

M-planet

カテゴリー │演劇

13日、いわた表現の会からころの定例会後、劇団からっかぜアトリエで午後7時から行われるM-planetの第5回公演「フラレター」を観に移動。
マイカーで行く者、相乗りで行く者、バイクで行く者、家に帰り家族の夕食の支度をして行く者。
総勢7名。

常にダイエットが一番の課題でその相談にサハラ医師を訪れるところから事件に巻き込まれる25歳の女性、星野玉子役を舘香緒里さんが演じている。、
主宰者の見野君の芝居を観るとモレナクついてくるので、10回は演じているところを観ているだろうか。体も心もよく動き、イキイキと演じていた。
彼女は責任を背負うとイイ。
そして見野君との息の合った絡みは劇団の財産である。

玉子と友人海丘ミサキ役を河合祐美さんが演じている。今までは彼女の持っている魅力をそのまま活かしている様子だったが、今回は茶髪といまどきのメイクで、役つくりが新鮮に感じた。これからもいろいろな役をやると幅が広がると思う。自分自身と重ならない部分が多い役を。

「フラレター」という魅力的なタイトルから僕が想像していたのと違う展開で物語は進んでいった。
童話星の王子さま、玉子、ダイエットと体の膨張等、キーワードが複数に重なりながら、物語は展開していく。
なかなか「フラレター」のイメージが出てこなかったが、ダイエットの相談にきた玉子が膨張する爆弾が体内に入り込み、その爆弾をつくったサハラへの恋心が語られ、そうか、「フラレター」か、とタイトルの意味を知る。
ひとつ言えば、レター(手紙)のイメージも色濃く重ねるともっと合点がいったか。
ダイエットや失恋という身近な問題から、「世界を変える」までのイメージの振幅に作者の意思を感じる。
惑星(プラネット)の思いを語るところに、劇のテーマとともに劇団(エムプラネット)の思いも重ねながら、終幕を迎える。
星空を見上げながら。







 

カテゴリー │思うこと

朝、思い立って、ブログを始めた。

今日は先月16日にゆやホールで公演したからころ「伝える」後、初めての集まりがある。

撮影編集してもらったDVDをみんなで見る。

始まって終わる。終わって始まる。芝居はそんな循環をあらためて感じさせてくれる。

(公演が)終わった後、会うのはいつも楽しみだけど、なぜか少し照れもする。

ここ数年、春はからころ、秋はフィールドだったが、今年の秋はフィールド公演は休み。

さて、秋は何しよう・・・。というわけで、ひとつは決まってる。

そのための集まりが明日夜飲酒しながらある。