ZOOT HORN ROLLOで『4人の表現者による音楽×映像コラボ、裏テーマは「ヒロユキ」。』へ行った

カテゴリー │いろいろ見た

13日(土)18時30分~

今回のイベントに決まったタイトルはない。
4人の表現者が集った、ということだ。
集うには理由がある。

たまたま「ヒロユキ」つながりということだが、
これは偶然だろう。
フライヤーに記された名前からはわからない。
本名を並べてみたら「ヒロユキ」が4枚揃ってしまった。
何かのゲームの役としたら、強そうだ。

まあ、とにもかくにも
盆休みのこの時期、
live bar ZOOT HORN ROLLOに4人の演者が集い、
さらに客たちが集い、
始まった。

以下の順番で行われた。

寺田町(吟遊詩人)  
~ギターを抱えてふらりあらわれ、夜と月に捧げている。

西村比呂行(インプロヴィゼーション・ドラム)
~ドラムセット携えて、今いる場所に桴(バチ)を捧げている。

稲垣大作(シュールレアリスティック・ムーヴィー) 
~撮影する者たちに、非物語を捧げている。

袴田浩之(随想映像) 
~女名の誰かに、時々の激情を捧げている。

最後に、寺田町(G、Vo)×西村比呂行(Dr)のコラボレーションライブ。
ラストは「今もここにいて こうして歌いたい♪」という歌詞の歌だったが、
近隣を気にする時間にさしかかったアンコールは、
打ち上げを予告する「飲みに行こう♪」というような内容の歌だった。
演奏し終え、演奏者同士が握手を交わし合うのが心地よかった。





 

穂の国とよはし芸術劇場PLATで葛河思潮社「浮標」を観た

カテゴリー │演劇

11日(木・祝)13時~

開演前、なぜかブルーハーツとか聖子ちゃんとかが流れていた。
これはどんな選曲なのだろうか。
と考えているうちに客電が消え、舞台上に照明が集まる。

いよいよ本番が始まると身構えると、
登場人物が全員現われて、客席に向かい前と後ろ2列に並んで立つと、
演出者で登場人物でもある長塚圭史さんが、おもむろにあいさつを始める。

「これは現代の話で、千葉市の郊外の話です。
ご存知かと思いますが・・・まあ、来てくださってるので・・・
上演時間は4時間で、休憩が2度あります。
ですから、リラックスしてご覧ください。」

親切なあいさつが終わると芝居が始まる準備にかかる。
ある人はそでに引っ込み、ある人は舞台の両横に並べられた椅子に座る。

舞台の真ん中には、白砂が敷かれている。
役者たちは主に砂の上で演技をする。
そこが、結核を患い療養する美緒と主人である画家をしている五郎と世話をする小母さんが住む家であったり、
文字通り、砂浜であったりする。

三好十郎による戯曲「浮標」が初演された当時は、
家の場面はセットを組んで上演していた。
砂を敷き詰めた砂浜のみを舞台にしようと考えたのは長塚さんのアイディアだ。

再々演となる今回の上演。
あいさつの最後に長塚さんは
「この戯曲に取り付かれてしまって・・・」
上演時間4時間の観劇は
その想いの足跡をたどる旅でもある。
ちなみに主演の五郎役は田中哲司さんが一貫して演じ、
今回、妻の美緒は原田夏希さんが演じる。

三好十郎は妻を病により亡くした後にこの戯曲を書いた。
自ら「イッヒドラマ(私戯曲)」と称している。
作者は、プロレタリア戯曲の書き手から、転向している。
個人主義的な主観を否定するプロレタリアと「私戯曲」は対照的とも言える。

ここには敗北感がある。

病による死への道を止めることのできない敗北感。
妻の面倒を見ることにより生活は困窮するが、
天才と呼ばれる画力を活かす仕事に向かうこともできないことへの敗北感。
科学としての医療も認めることができない。
経済の論理も認めることができない。

戦地に赴く友が訪ねてくる。
彼は小説を書く男でありながら、
小説を書くどころではない。
戦地に赴くことを、
もう帰って来ないことを前提に書いている。
つまり戦争に関しての敗北感である。

日中戦争を背景に書かれているのだが、
その後の太平洋戦争への発展し、
結果日本軍の敗戦により終結することも見越しているようだ。

その苛まれる敗北感の中、五郎はひとり抗う。
見舞いに訪れる人たちとも様々な理由で衝突する。
他の者たちはその五郎の気持ちがわからない。
ただひとり妻のみが痛いほどわかる。

妻が希望するように絵を描き始め、
妻はほめるが、本人にとっては決していい絵は描けていない。

病床の妻に、万葉を詠んで聞かせる。
五郎の解釈付きであるが、
本人言うところ、勝手な解釈と言うことだ。
しかし妻はそんな五郎に、万葉を読んでくれとせがむ。

五郎は万葉人は、
生きることを積極的、直接的に愛していた、という。
自分の肉体がうれしくて仕方がなかったと言う。
つまり、今は否定されている。

妻が元気だったころ、
尽力し、世話をした託児所の大きくなった子供たちが見舞いに来る。
子どもたちの声をそれまで登場していた役者たちが、
両横に並べられた椅子に座ったまましゃべる。
これはひとつの希望としての演出である。

もちろん妻が死んだ後も、
五郎は抗い続けるであろう。

敗北感とは、
自らの意志で進むことの代償として、生まれるものでもある。
進まなければ敗北感はない。

本人曰く、頭のよくない小母さんと通じる͡言葉がある。
これから生まれてくる赤ん坊は、
死んでいった人たちの生まれ変わりである。
これは、決して科学的とは言えないかもしれないが。





 

サザンクロスの音楽会✿2016へ行った

カテゴリー │音楽

6日(土)17時~
浜松市駅南の砂山町サザンクロスアーケード内
何と、今回が17回目ということだ。

アーケード内には中村文具店という店舗があり、
その軒先で行われた。
次から次へと現れる出演者たちは
店舗の中からやってくる。
店舗を控え室と使わせてもらっているようだ。

というのも企画者である安藤真美子さんという
東京のオーケストラで活動するトランペット奏者の
おばあちゃんが、このお店をやっていたそうなのだ。

「中村文具店」という看板はあるが、
お店は今はやっていない。
そのおばあちゃんが米寿を迎えられるということで、
八十八にちなんだ曲のメドレーも演奏された。
(茶摘みとか、中村八大さんにひっかけ、上を向いて歩こうとか)

演奏者が紹介されるとき、
「たった今まで、そこで行われていたアカデミーで〇〇していて「・・・」という言葉がある。
調べたら、
浜松国際管楽器アカデミー&フェスティバルが8月1日~6日まで行われていた。
そこ、とはアクトシティのことである。
どちらがメインかは言ってみても意味はない。

企画者の思いに応え、
世界中から演奏者が集う。
おひとりトルコの楽団に所属していて、日本に戻り参加したというチューバ奏者がいた。
日本人で、帰省絡みということだったが。
宮崎県の都城市からやってきた常連らしいKOMA-BANブラスアンサンブルという14名の編成もあった。
東京や名古屋の楽団に所属していたり、
ソロでプロ演奏者として活動している人もいた。

その中でも特別出演として名を連ねる
サキソフォーン奏者の須川展也さん(A.Sax)。
静岡県の文化奨励賞を受賞されたようで、
店の入口のガラス面に、受賞を祝う紙が貼られていた。
中村文具店のかつての店主であるおばあちゃんが筆書き。
「追憶」という映画で主演もしたバーブラ・ストライザンドが歌う
主題歌「追憶」を演奏してくれたのはうれしかった。
東京から浜松にやってくる新幹線内で、
方南バスターズというユニット名で
共演した栃尾克樹さん(B.Sax)と楽譜のやりとりをしたそうだ。

最後に地元砂山町のラッパ隊が登場して、
浜松まつりのラッパ競演で締めた。
浜松まつりでは各町内のラッパ隊が、
オリジナル曲を含め演奏し合い、
まるで競演会のような場面が展開されているということだ。
何か面白そう。