セビジャーナス祭りとA on A in HAMAMATSU 2010を観た

カテゴリー │いろいろ見た

25日(日)。
13時30分~15時 クリエート浜松1Fふれあい広場でセビジャーナス祭り。
セビジャーナスとはスペインセビリア地方の春祭りで踊られる曲でフラメンコの中で最もポピュラーなものだそうだ(チラシより)
イイオ・ダンシングプラザが主催するフラメンコを学ぶ生徒たちによるフラメンコダンスの発表。
少しネットで調べた。
フラメンコはカンテ(歌)、トケ(ギターの演奏)、バイレ(踊り)の3つがそろって成り立つ芸術。
即興で歌い、踊られ、弾かれる。
その時の気分で自分を自由に表現できる。
元々は迫害を受けた民族の怒りや苦しみ、哀しみ、恋への情熱、生きる喜びなどの感情と様々な文化が混ざったアンダルシア地方の音楽と融合し今のフラメンコになったそうである。
からころで一緒に公演したメンバーが出演した。
からころの仲間何人かも観に来て、その後街中でお茶。
別れた後、ZAZAの中央広場で24、25の2日間行われたAon A ~音・舞・芸の祭典を観に行った。
25日も12時からジャズ、レゲエ、ゴスペル、太鼓など様々なジャンルのひとたちが演じていて、着いたのが17時ころ。
北インド音楽、フュージョン、ブルーグラス、ブラスロックと観ていたら、19時終了予定が押して、結局20時終了まで付き合った。
食べ物やグッズの出店、学生ほか美術家のアート展示もあった。
前日24日は演劇畑ではPAFや浜松キッドも出たようだ。
路上演劇祭の実行委員会の時、このイベントのことを知った。
最後主催者代表が言っていた。
「来年もやります」
以下Aon Aより。












 

浜松市民オーケストラサマーコンサート2010を聴いた

カテゴリー │いろいろ見た

18日(日)14時30分~
はまホールにて。 
指揮 佐々木宏
モーツァルト「魔笛」序曲
J.シュトラウス「美しく青きドナウ」
ベートーヴェン 交響曲第五番「運命」第一楽章
「ハリー・ポッター」テーマソング
「タイタニック」〃
「ジュラシックパーク」〃
「篤姫」〃

路上演劇祭実行委員の文芸大大学院生が在籍、出演。
まず驚いたこと100人近くメンバーがいる。
後ほどHPを拝見させていただいた。
2004年5月に入団オーディションなど制約のない市民オーケストラとして結成された。
主に週1回毎週土曜に練習。
想像するに過去、弦楽部だとか吹奏楽部で活動していた人が、一生の趣味として、浜松市民オーケストラに参加する。
楽器ごとに招聘する指導者がいて、常にレベルアップを図っている。
そんな地道な活動の様子が感じられた。
ちょっと思った。
浜松の社会人の演劇人口トータルで考えても、浜松市民オーケストラ1楽団の数と比べて、もしかしたら、少ないんじゃないか。
これは演劇と音楽のジャンルの違いもあらわれている。
つまりオーケストラに参加するには楽器をマスターすることが必要不可欠である。
それは高いハードルであるかもしれないがいったんマスターすれば、一生続けることができる。
対して演劇は条件はあるとも言えるし、ないとも言える。
たとえば、発声を身につけたとしても十分とも言えるし、声だけ出てもなあ、という部分もある。
顔がよければいいという考えもあるが、それだけでもない。
要は条件はよくわからないのである。
経験が全くない人がとてもよくて、経験者を食ってしまう場合もある。
そんな何とも懐の深い自由さが演劇のよさだと思うが、どうだろう?
しかし、その自由さがある種演劇への参加しにくさにもつながっているのではないか。
オーケストラに参加するには楽器が弾けることというような条件がはっきりしていない。
少し興味があっても始める前は誰もが不安。
果たして、わたしには演劇を始める資格があるのだろうか。
目的がはっきりしている人はいい。
舞台に立ちたい!!
戯曲が書きたい!!
舞台美術をやりたい!!
・・・。
舞台に立ちたいというのはなんとなくいそうだ。
でも実際多くの人(特に若い人)は実際に演劇を観ていない。
観ていないものは参加するのに躊躇する。
学生時代演劇部だったという人もいるが、幼いころのピアノ習得や吹奏楽部、弦楽部などと比べて将来その道を趣味に選ぶ呼ぶ予備軍を養成してないのではないか。
やりたいな、とひょっとして思ったとしても、よく聞く言葉。
「敷居が高い気がする」
誤解だ。誤解。
まったくそんなものないのに。
経験まったくいらないし、かといって、可能性もはるかなる地平線のごとく無限に広がっているのに。
絵や俳句や楽器みたいに個人で出来ないのもネックかもしれない。
でも共同でなければ出来ないのが最大の演劇の魅力であると思うし、思う以上に個人でやることも多い。
セリフ覚えだけでなく。
役作りを考え、やってみる。衣装を考え、時には作る。舞台美術を考え、作る。音楽を考え、作れる人がいれば作る。ダンスのシーンがあれば、練習する。チラシやパンフレットもどうしようか考える。
そんな総動員が大変だと思うのか、楽しいと思うのか。
大変に思ったら、分け合えばいい。
役割分担をして。
ここで亡くなった井上ひさしの言葉を引く。
「演劇はあまりものがないんです」
すべて使うことができる。
人も物も。
もちろんセリフの多い少ないもあるけど、それは役割分担のひとつ。
そうしてみんなで協力してひとつのものを作るのがいい。

オーケストラに戻る。
でも楽器が弾けるっていいね。
一生ものだね。
その先は・・・鍛錬なのだが。







 

シネマe~raで「クロッシング」を見た

カテゴリー │映画

18日(日)10時~。
美しい映画だった、というと語弊があるだろうか。
降り注ぐ雨。壮大な朝焼け。はるか彼方まで見渡せるかのような星空。
父子がサッカーに興じる姿。思春期の入口に入るか入らないかの年令の男の子と女の子の自転車の二人乗り。
北朝鮮の父と母、男の子ひとりの普通の家族が離れ離れになっていく様を、この映画では現実におこっていることとして、描いている。
多くの脱北者に取材を重ね、ストリートチルドレンの様子、強制収容所をリアルに再現し、4年の歳月をかけ作り上げたそうである。
「神様は豊かな南だけにあり、北にはないのか」
というような家族の幸せのために脱北した父のセリフがあるが、南の側から制作した映画であるので、これが真実であると、断言はしない。
ただ、この映画に流れるただただ悲しい現実は観ている者の心にせまってくる。
そんな中で人々は懸命に生きる。
画面の中でひどいことをする人物たちもそれぞれを懸命に生きているのである。
そして、上記の美しい映像はより登場人物の悲しさを浮き彫りにする。
ただひとつ雨がそれらを洗い流してくれるのである。
チラシからの抜粋であるが、「クロッシング」は2002年、脱北者25名がスペイン領事館に駆け込んで韓国亡命に成功した事件をモチーフに極秘裏に製作され、2008年政権交代後の韓国で公開された、とある。




















 

自転車団地

カテゴリー │写真

ここは自転車団地。
搭乗者の見あたらない夜の団地にあかりがともる。





















 

生身の体

カテゴリー │静岡県西部演劇連絡会会報原稿

劇団フィールドの第1回公演は2003年7月26日・27日のことである。
7年前の夏。
そのころ誘われて、静岡県西部地区の演劇団体である西部演劇連絡会に入会した。
8月第一日曜日発行号の会報に原稿を依頼され、書かせてもらった。
あらためて読んでみた。
そう考えは変わってない気もするので文章をそのまま以下に転載。



生身の体                       フィールド 寺田景一
     

僕たちは生身の体を持っている。演劇とは、その生身の体で客と対峙し何らかのものを伝える。物語を。メッセージを。娯楽を。新しい価値を。やりきれなさを。生きているすばらしさを・・・。心ふるわせるポエジイな言葉で。なおかつ論理的でもあり。当意即妙な間でもって。納得させる肉体表現で。表情も時には世界の悲しみを、時には隣の猫、タマの生あくびの無意味さをにじませ・・・。観客は見終わった後、「まあ、費やした時間と出した金の分はあったわい」とそのまま家に帰るのもなんなので、コーヒーでも飲みながら、誰かと行った人はいっしょに、ひとりの人はひとりで、さっきのことを語り合ったり、かみしめたりする。
こんなことを考えると、演劇など出来なくなってしまう。なんせこんな僕の生身の体なのだ。しなやかなターンなんて出来るわけない。立っているだけでさまになるなんて、そう生まれてきた奴にはかなわない。歩く姿だって、舞台より普段の方がまともだから、普段の姿見せた方がいいんじゃないか。これは正しいとも言えるが正しくないとも言える。もちろんこんな自分でもいいのだ。舞台の上で許されないものはそんなにない。でも自覚のないまま舞台にごろんと転がった自分はやはりみにくい。稽古の最中はそんな部分のオンパレードだ。でも互いに指摘し合ったり、自ら気がつくことによって、稽古が続けられ、芝居は完成に近づいていく。そんな時、“こんな自分”が逆に個性や武器になっていたりする。新しい自分なんてものを発見したような気になっちゃったりする。めでたい。
声や肉体の訓練は必要だ。古今東西のいろんな戯曲も読んだほうがいい。演劇に限らずいろんなジャンルのことに親しむこと、人や物を見ることも必要だ。自分のことや周りのことを考えることも必要だ。
これって大変。でもこれって生きること。生身の肉体しか頼りにならない演劇だから特に避けては通れない。ある意味きついことかもしれない。でもかけがえのない楽しさがある。何よりいろんな可能性がある。と、僕は思う。
7月26日(土)、27日(日)にフィールドというグループで「なだらかに世は明けて」という作品でスペースコアのユニットライブで公演をしました。昔からの仲間たちと互いに久し振りの本舞台でした。次回はぜひどうぞ。
                               
                            2003年8月1日


「なだらかに世は明けて」で僕が演じたバーテンダーマンの衣装、小道具のイメージです。
言葉で説明してもなかなか伝わらなかったので、絵にしてみた。






 

つかこうへい

カテゴリー │

つかこうへい。
つかこうへい事務所を創設し、熱海殺人事件で当時最年少の25歳で岸田戯曲賞を受賞。
蒲田行進曲、幕末純情伝など戯曲が小説化、そして映画化され、1970年~80年代を象徴する演劇家。
小劇場界では「つか以前」「つか以後」の言葉もあるそうだ。
俳優の演技に合わせ、けいこ場でセリフを考案する「口立て」の手法が有名。
90年代には「北区つかこうへい劇団」「大分市つかこうへい劇団」を創設。
在日韓国人としての思いを綴ったエッセー「娘に語る祖国」もベストセラーに。
近頃は俳優の演技派への登竜門として、つか作品のつか自身の演出により上演され話題となる。
遺作は黒木メイサ主演の「飛龍伝」。

つか作品は1作しか見たことがない。
浜松フォルテホールでやった熱海殺人事件~売春捜査官。
風間杜夫、平田満、加藤健一、三浦洋一、根岸季衣、かとうかずこらが出演した70~80年代を全盛とするなら、フォルテで見たのは「大分市つかこうへい劇団」だったと思う・・・。

実はあれほど話題になった映画もほとんど観ていない。
蒲田行進曲はテレビでなんとなく観た記憶はあるが、どこかあの熱いベタな感じに距離を置いていた。
ヤスだの銀ちゃんだの小夏だのくわえ煙草伝兵衛だの大山金太郎だのあかぬけない名前が入り込むのを邪魔した。
というより当時の俺は何をやるにも入り込むことを邪魔していたのかもしれない。
「庶民の目線でなくて、なんの文学なんだ」という意味のことをつかが生前言っていたということを朝のワイドショーの追悼ニュースで言っていた。
地べたに這いつくばり、虐げられ、報われなく、でも、見栄っ張りで、突っ張ってて、正直で、懸命に生きている。
そんな登場人物たち。
そういうことが、入ってきた。やっと。
俺の屈折が、入り込むのをずっと邪魔していた。
朝のワイドショーでつか氏の高校時代の同級生という人が言っていた。
ある日、運動場で話しかけてきた。
「俺、韓国人だけんね」
早くから屈折を自覚していたつか氏は大学に入り書き始めすぐ世に出て演劇界の革命児となった。
ここ何年かは作家としてよりも演出家として名を目にすることが多かった。
富田靖子、牧瀬里穂、石田ひかり、阿部寛、小西真奈美、内田有紀、広末涼子、石原さとみ、黒木メイサ・・・。(石原良純など男優もいるが、女優が目立つなあ)
商業演劇と小劇場の違いがなくなった今、女優の演技開眼がひとつの目玉として、つか芝居は21世紀になっても、観客に受け入れられ続ける。
そのことがどうこうというより、才能ある役者たちとの芝居作りがこの上なく楽しかったのだろう。

つか氏の本を家の中からかき集めてみた。




 

文芸大講堂で「アフリカの若き息吹」を聴いた

カテゴリー │いろいろ見た

11日(日)17時半~
南アフリカのカース二ーカレッジ合唱団との交流コンサート「アフリカの若き息吹」に行った。
カース二ーカレッジ合唱団とは南アフリカの私立男子高校の合唱団だそうだ。
路上演劇祭の会合の時、池上先生のご案内で知った。
参考として紹介さえていたユーチューブのライブの様子を見た。
「観に行こう」
すぐ思い、メールで入場整理券を取得した。
主催は地元の混成合唱団ヴォア・ヴェールと静岡文化芸術大学。
入場無料。
カース二ーカレッジ合唱団の他、ジュニアクワイア浜松、浜松ライオネット児童合唱団、ヴォア・ヴェール、静岡文化芸術大学ゴスペルサークル「ごす」も出演。
確信した。
普段は演劇をやっている身として思う。
ジャンルなどない。
・・・。
もちろんジャンルはある。
でも、その枠の中におさまってしまうと表現の可能性のひとつを閉ざしてしまうことになる。
芝居じゃないか。
ダンスじゃないか。
もちろん音楽じゃないか。
南アフリカはアパルトヘイト政策で白人により黒人が虐げられていた。
ネルソン・マンデーラ氏らの尽力により、白人も黒人も平等な社会となり、決勝を残すのみになったサッカーワールドカップのホスト国として選ばれることとなった。
カース二ーカレッジ合唱団はほとんどが黒人であるサッカー南アフリカ代表とちがい、黒人と白人が同居している。
彼らの演目は全体の流れの中、現代音楽、宗教音楽、民族音楽、ポップスの4つに分かれその間に浜松の各合唱団が歌う。
それぞれの合唱を聴きながらさまざまな文化を感じた。
はままつ演劇・人形劇フェスティバルのワークショップ・イベント部会があったため、最後までいることができなかったが、その足りないところは自分の活動の中で返していこう。
えらそうにも思った。
(文芸大のごすとカース二ーカレッジのポップス、最後のジョイント・パフォーマンスを聴くことができなかった)

※どなたか俺とミュージカルやろうっていう勇気ある人はいませんか。
 川べりで即席の合唱団が立ちあがるという内容です。
 以前からおぼろげに考えていましたが、今回の企画を鑑賞して、「やりたいなあ」の思いを強くしまし  た。
 まだ誰も仲間はいませんが。
 思いを知りたい方にはお答えします。

文芸大の講堂を途中退席して、からっかぜ稽古場へ部会参加のため向かう。
オープニングイベントが10月8日シンポジウムとともに行われる予定。
ファイナルイベントが来年1月23日に行われる予定。
正式に決まったら正式に発表します。

3時半に起きれるかなあ、と参院選開票速報を観ながら何時に寝ようかと考える。
写真はたけしとアフリカの若き息吹

 






 

いわた表現の会からころ定例会

カテゴリー │からころ

10日は第2土曜日のからころ定例会。
次回テーマについて話し合う。
出席者それぞれがそれぞれを喋る。
それだけのことだ。
でもそこから始まる。
そんな感じがした。



 

文芸大で路上演劇祭実行委員会

カテゴリー │路上演劇祭

昼間は大雨。
夜は雨もやみ、9日19時から路上演劇祭実行委員会。
遅れて参加。
報告書の話と来年度の話。
ココスで180グラムハンバーグ食べて帰宅後、NHK教育で二兎社「かたりの椅子」を途中から見た。
(見てる)
竹下景子が銀粉蝶に名古屋弁で励ましてる。


 

東京芸術劇場でNODA・MAP「ザ・キャラクター」を観た

カテゴリー │演劇

南千住から新御茶ノ水に出て、湯島聖堂、神田明神、ニコライ堂付近を歩く。
NHKテレビで「タモリの街ブラ」を観た中で、神田をやっていたのを思い出して、行ってみた。
湯島聖堂は江戸幕府直轄の昌平坂学問所という名で学校があった。
すぐ近くに神田明神もある。
テレビではニコライ堂に入り、タモリが鐘を鳴らしていたが、一般の見学は不可。
昼飯トマトラーメンを食べて、池袋へ。
駅すぐの東京芸術劇場へ向かう。
鹿殺し観ようか野田地図観ようかあまり考えずに。
柱に貼られた「当日券あり」に導かれるように、中ホールに向かうエスカレーターに乗った。
当日券購入のために並ぶ列の最後尾に。
で、観た。
NODA・MAP「ザ・キャラクター」
場所はとある書道教室。
紙に筆で字を書く。
天井からのカメラでリアルに筆で紙に書く文字がスクリーンに映し出される。
ダジャレだろうが、こじつけだろうが、無理やりだろうが、言葉のアヤを絡め絡め絡めているうちに気がつくとふっと遠い位置にいる。
それが野田芝居の跳躍力だ。
そのために役者はよく動き、よくしゃべる。
そして「紙=神」が現実となる。
観ながらなぜ今このテーマか考えた。
でもそれを考えるよりも芝居の進行に身を任せることにした。
言葉の羅列の解読に疲労したか少々退屈な時間もあったが、幕が閉じるとなぜか泣けてきた。
何かに似ている気がした。
サッカーの日本代表がパラグアイ戦、PK合戦で負けた時、感じた思い。
敗北したのだから笑顔はない。
ただし、声を荒げてくやしがることはない。
むしろ、どこかすがすがしい。
満足感とはちがうだろう。
でもやりきった。
そこに後悔はない。
敗れた後の日本代表たちの表情。
「ザ・キャラクター」の役を終えた後の役者たちの表情。
それが似ている気がした。
スポーツとあの事件を(観てない人のためにも伏せときます)同じ壇上に乗せるのは不謹慎だろう。
でも、観方によれば同じ壇上に乗ってしまうことに人間の心のやっかいさがある。
9.11も戦争も同じだろう。
宮沢りえは一貫して一生懸命でさわやかで、だからこそせつない。
これも日本代表の姿と似ている。
ただし、大きくちがうこと。
それは宮沢りえの役マドロミが被害者であり加害者であることだ。
東京駅で東名バスに乗るために八重洲口から外に出たらどしゃ降りだった。
前日朝から雲行きあやしく、どこかで傘買うことになるだろうなと思いながら傘を持たず家を出た。
この際、かさばらない折りたたみ傘を買おうと思った。
いつもはこんな時、ビニール傘を買い雨をしのぐので、使わないビニール傘が何本かたまる。
浜松に着いた時には雨はまったく降っていなかった。
結局折りたたみ傘を買うことはなかった。
いつかこんな時のために折りたたみ傘を買おう。




















 

東京うろうろ

カテゴリー │こんなことあった

3日の夜は吉祥寺でビールを飲み、南千住のホテルで寝た。
前日夜ネットで予約し、3500円の所、ウイークエンド割り引きで10名限定3000円。チェックインの時、キャッシュバックキャンペーンで100円戻ってきた。1泊2900円。
23時からはドイツVSアルゼンチン。3時半からはスペインVSパラグアイ。ドイツが4点とり、スペインが終了近く1点をとって勝った。
翌4日はホテルから駅へ向かう。
気がついたこと。
ホテルが多い。
1泊2200円とか2300円とか。
看板には全室カラーテレビ。全室冷暖房完備。コインランドリーあり。
今やあたりまえだが、それらホテルができたころはそれらが売りだった。
働く人が連泊できる働く人のためのホテル。
高度経済成長万歳!!
南千住ホテルコレクション。





































































































泪橋。
荒川区南千住にある小原塚刑場跡の近くの思川にかかっていた橋。
あしたのジョーでは泪橋の下に丹下段平のジムがあった。
今はその橋はなく地名として残っている。









 

小劇場楽園で劇団青い鳥「ちょっとうれしい」を観た

カテゴリー │演劇

3日(土)下北沢の小劇場楽園は本多劇場や「劇」小劇場や駅前劇場やOFF・OFFシアターが密接する駅そばの一帯にある。
主に本多劇場などで人気劇団が公演する日は当日券入手待ちなどで演劇好きがわさわさする場所。
小劇場楽園は70人をキャパシティとする小さな劇場。
1991年以来の作・演出 市堂令の復活。
市堂令とは固定の作家、演出家を置かず、舞台に出る役者全員が作・演出をするという総称。
人に歴史あり。
劇団に歴史あり。
歴史とは味わい深いものであり、それら変遷を知ればまた味わいもより深くなる。
ただし演劇とは現実的なものであり、30年前何があろうが、今立っている舞台がすべてとも言える。
そんな非情の中、青い鳥は常に青い鳥であり続ける。
あり続けようとする。
これは当たり前のことだ。
僕が僕であり続けるように。
あなたがあなたであり続けるように。
人が多少変わり、
新しい人も入ってきたり、
年をかさねたり、
時代も年をかさねたり、
しながら、
青い鳥は青い鳥であり続ける。
メーテル・リンクの「青い鳥」の続編を僕たちに代わって演じ続ける。
それを観客たちは観ることで自分の場所を知る。





 

静岡芸術劇場で「リオ・デ・ジャネイロつかの間の愛」を観た

カテゴリー │演劇

6月27日(日)静岡芸術劇場へ「リオ・デ・ジャネイロ つかの間の愛」を観に行った。
出演のコレティヴォ・インソロヴィゾは「役者、ダンサー、振付家、ミュージシャンの集団で、さまざまな芸術ジャンルと都市生活者の観察をもとに新たな演劇言語を開発してきました」ともらったパンフにある。
コンセプト・演出としてエンリケ・ディアス。ブラジル人である。
一昨年同じ春の芸術祭で野外劇場で演じられた「かもめ プレイ」を同じころ岸田戯曲賞を受賞したチェルフィッチュの岡田利規がブログで外国で観た同作品をえらくほめていた、というのを知り合いから聞き、観たいなあと思っていたが、同じ日東京へ劇団青い鳥を観に行くことになっていた。昼間青い鳥をマチネで観て、帰りに静岡で降りて、夜からのかもめプレイを観るため日本平の野外劇場に駆けつけるというスケジュールプランを組むのは不可能でもなかったが、翌日月曜で仕事でもあるし、まあ、たいへんなのでやめた。
それから2年春の芸術祭2010のラインアップを観たとき、あった、エンリケ・ディアスの新作だ。
前作を観ていないにもかかわらず、気持ちの中では期待作である。
自らの目で見出したい、なんて思ってみても、頻繁に観ることができるわけではない。結果、情報や人の評判に左右されないというわけにはいかない。
左右される。あてにする。誰かがいいといってた。見なくちゃ。
リオ・デ・ジャネイロ。ロンドン後、夏季オリンピックが開かれる南米屈指の大都市。
リオのカーニバルが有名だ。
エンリケ・ディアスが都市をどう切り取るのか。
路上演劇祭、浜松喪失・・・。近頃かかわったものたちと重なる。
期待高まる。俺の中で。
で、観た。
面白かった。
カッコよかった。
俺好みだった。
生演奏とダンスと映像と演劇と道具の使い方とか役者も・・・いい。
フィールドワークを行いながら、稽古場に持ち帰り、シーンを作っていく。
いかにも創作している感じじゃないか。
でも、観劇後はどこか整理できなくて、ちょっと考えてしまった。
期待が大きすぎたのか・・・それほどでもなかった気がする。
町というテーマは抽象的すぎたかもしれない。
物語が断片的すぎると思った。
さまざまな趣向をこらした演出も時間が経つとそれほど印象的でないような気もしてきた。
観劇後外に出たら、東京からわざわざ静岡に観に来た人たちが喋っていた。
彼らの話題は2年前の「かもめ伝説」についてである。
今回の作品のことではなかった。
「かもめプレイ」はチェーホフのかもめを上演しようとする7人の俳優たちが稽古場の風景としてかもめは何であったのかを議論しながら作る。そんなドキュメンタリックな芝居だ。
どんなに俳優が遊んでも、確固たるかもめの世界があるので、物語は崩れない。
遊べば遊ぶほど、かもめとの差異が出て、作品としての個性が際立ってくる。
2年前と今回は構造に大きな違いがあったと思う。
それが観劇後の印象に大きな差を与えた。
新聞を読んでいたら、村上春樹が長い小説を書くにはストラクチャー、つまり構造が必要、ということをあるインタビューで語っていたそうである。(他にも2つあげていた)
こうも思った。
そんなにアイディアでは驚かない。
望むと望まざるにかかわらず、物語にも呑み込まれていく。
まだ終わってないが、今回のサッカーワールドカップを観ていても思う。
(今ブラジルVSオランダ。ブラジルが1対0で勝っている)
期待してなかった日本代表が予想以上の活躍をする。
ほんのそれだけで日本中をゆるがす。