シネマe~raで「アネット」を観た

カテゴリー │映画

4月16日(土) 19時35分~

フランス人のレオス・カラックス監督作品。
23歳の1983年に「ボーイ・ミーツ・ガール」で長編デビュー以来、
公開されたのは今回の「アネット」までに長編6本。

学生時代、1986年作品「汚れた血」を観たはずだ。
「恐るべき子供たち」と呼ばれ、1950年代に始まるフランス映画のニューウェーブ、ヌーベルバーグ以後の
「新しい波」を象徴する監督のひとりとして話題になっていた。
ただし、内容はまったく覚えていなかった。
で、レンタルDVDで観直してみた。

主人公の名がアレックスと共通する「ボーイ・ミーツ・ガール」、「汚れた血」、1991年の「ポンヌフの恋人」は
アレックス三部作と言われる。
アレックスは、監督自身の分身とされる。
先の2作ではアレックスはラストで死ぬことになるので、同一人物の役ではない。
ただし、すべて、見るからに鬱屈した若者を体現するドニ・ラヴァンが演じている。
監督自身と同年代の。

自分自身を表現することは、年を重ねると共に変容していく自分にあわせ適応できる人もいるが、
そうはいかないタイプもいる。
レオス・カラックスが31歳で撮影した「ポンヌフの恋人」までも名があるにしては決して順当なインターバルではないが、
それ以後、より寡作になっていく。
1999年「ポーラX」、2008年オムニバス映画「TOKYO!の中の「メルド」、2012年「ホーリー・モーターズ」は観ていない。

1970年結成の兄弟ユニットバンド、スパークスの原案、楽曲制作による音楽映画。
カラックス自身、少年時代よりスパークスのファンで、「ホーリー・モータース」で曲を使用したことがきっかけで、
「アネット」の話が始まったようである。
それからもずいぶん経って、公開に至る。

ミュージカルと言うのかロック・オペラと言うのか。
どちらも始まりは舞台芸術である。

舞台には正面奥、左右の3つの壁に加え、
観客と舞台の間に、現実と虚構の第4の壁があると言われる。

舞台上で例えば殺人が起ころうと、観客は安心していられるのだが、
その第4の壁をぶち壊して、現実と虚構の間を飛び越える作品のことを
メタフィクションと言う。

メタ構造(二重構造)と言い、例えば、物語が進んでいたところ、
突然観客に「いらっしゃいませ」と呼びかけるのもひとつの例。
第4の壁をすりぬけ、一瞬舞台世界と客席は同一になる。
また、作品内でも物語の虚構と製作している現実を行き来させ、作品効果を高めたりする。

寺山修司の映画や舞台ではその構造は意識的に使われたし、
「カメラを止めるな!」はその手法を巧みに使うことで、観客に驚きを与え、ヒットした。

音楽スタジオで、レオス・カラックスの観客に向けての呼びかけから、
スパークスの演奏が始まり、歩き出すと、出演者たちが登場し、共に歌いながら行進をする。
そして、そのまま役を演じ、物語に突入していく。

アダム・ドライバー演じるスタンダップコメディアンが、マリオン・コディヤール演じるソプラノ歌手と出会い、愛し合い、結婚するが、
ふたりの仕事は正反対の方向に向かっていく。
歌手は名声を博し、コメディアンは落ちぶれ、男は女に強い嫉妬心を抱く。
そして、ふたりの間に娘が生まれる。
娘の名前でありタイトル名でもあるアネットを演じるのは人形。
ここで究極のメタ構造が投入される。

物語の悲劇的展開を観ながら、ずいぶんクラシック(古典的)だなと感じた。
まるでシェイクスピア劇やオペラや能や歌舞伎を観ているように。
死んだ奥さんの亡霊も出てくるし。
ああ、舞台劇だ。

20代初めから、30代に入るくらいまでの若い時代に撮ったアレックス3部作の革新とは違う。
いや、この3部作も下敷きにあるのは古典的な恋愛映画だろう。
男と女と出会い、その後どうなるか?
男には同じ男である監督自身が意識的無意識的に関わらず投影される。

それは、原案はスパークスによるものであるが、
「アネット」も同様に、監督自身が投影されていると思う。
ただし、レオス・カラックス自身は主人公ヘンリーの年を大きく越えている。
映画でも冒頭の現実の場面に登場する実の娘の父親でもある。
より客観性も帯びざるを得ないだろう。

映画は人生である。
ただしそれは壮大な作り物である。
そんなあたりまえの感想をあらためて抱く。

罪を犯し、獄中の身になるヘンリーの元に
アネットが面会に来る。
年を経てアネットを演じるのが人形から人間に変わっている。
現実の世界に引き戻す合図のように、
冒頭の映画の制作者たちの歌いながらの行進に戻り、
映画は幕を閉じる。






 

路上演劇祭Japan in 浜松2022開催!!

カテゴリー │路上演劇祭

2022年5月29日(日)
13時~18時頃
場所 砂山銀座サザンクロス商店街

観覧無料

タイムテーブルは5月中旬に決定
乞うご期待

https://rojo-hamamatsu.blogspot.com/

写真はチラシの表と裏












 

劇団からっかぜアトリエで劇団からっかぜ「ここだけの話」を観た

カテゴリー │演劇

4月19日(日)11時~

「ここだけの話」は劇団ショーマの高橋いさをさんの脚本。
劇団ショーマは、1982年に高橋さんが日大芸術学部演劇学科在籍中に結成され、
2019年2月5日公式ホームページの閉鎖と共に解散としている。(Wikipediaより)

上演時間1時間未満の一幕喜劇。

ベルボウイに案内されてホテルの一室にやって来た
男の部屋に花嫁姿の女が突然入ってくる。
登場人物はこの3人。

ベルボウイは男と女の関係を意図的には脅かさない。
男を恐喝したり、女に色目を使うこともない。
ベルボウイとしての仕事をまっとうする役。
ただし、その普段の仕事をまっとうすることが、
演劇に影響を与える。

プログラムによると、演じていたのは中学生の役者。
中学生のベルボウイは現実にもいないだろうから、
この役へのチャレンジ自身が、職業訓練にもなるという役者というものの面白さ。

ホテルにやって来た男は、ベルボウイが去り、ひとりになった時、
無言で間をたっぷり取った演技をする。
その意味はその時はわからない。
役者や稽古に付き合った関係者や脚本を知っている人にはわかる。

その意味は一体なんだろう?と考えていると、
突然ドアが開き、ウエディングドレスを着た女が飛び込んでくる。

ウエディングドレスにもさまざまなシルエットがあり、スカートの裾が短いものもある。
今回飛び込んでくる花嫁のドレスは尾っぽ(トレーン)が長い。
尾っぽが長いのは、中世ヨーロッパでは身分の高い人が着るものだったので、
エレガントさと引き換えの動きにくさは、むしろお抱えがたくさんいる裕福さを表している。

現代の結婚式もそういうものなのだ。
普段の生活はさておき、この時だけは、お金さえ出せば、
中世ヨーロッパの身分の高い人並みの扱いを受け、人生の一つのピークを演じる。

その特別な結婚式を前に、
心の中が逡巡し、式の手前で、しかも会場に来て、ドレスも着せられ、メイクもヘアも整えられ、
それでも逃げ出し、誰がいるかわからないドアが開いてしまった部屋へ飛び込む。

そんな非常事態から、演劇は始まる。
非常事態に尾っぽの長いウエディングドレスは似合わない。
逃げたり、隠れたりする状況に追い込まれる。

ドレスの長い裾を引きずらせて動く様子を見ながら僕が思った言葉は、
「白いゴジラ」。
ゴジラが、最大の武器となる尾っぽを引きずって暴れる様子と重なった。
劇中、役者は持て余す尾っぽの位置を整える動作をしたが、
イライラしている心のままに衣装を取り扱ってもよかった。

女が飛び込んできた理由が明かされ、
男が一層混乱し、この部屋に来た理由が語られ、
物語はエンディングに向け、収束していく。

エンディングの意味は、コロナ対策で人数制限を行った客席にも表れている。
西洋式の結婚式では欠かせないウエディングブーケが着席不可の客席を飾る。
この意味を考えてみれば、あらかじめ結末も想像できたかもしれない。

パンフレットに、事前に観光ホテルでスイートルームやバックヤードなど見学に行ったことが書かれていた。
舞台美術にも表れていたようで、出ハケを便利に何でも袖に頼らない作り込みは
役者にも観客にも優しい。






 

シネマe~raで「名付けようのない踊り」を観た

カテゴリー │映画

4月2日(土)11時45分~

映画監督の犬童一心さんが、ダンサー・俳優の田中泯さんを追って、2017年8月~2019年11月まで、
ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら撮影。
泯さんは72歳から74歳になり、3か国、33か所で踊りを披露した。

新型コロナウイルスは2019年12月1日に最初の患者が当時原因不明の肺炎を発症したことから始まったと言われている。
この映画には、コロナ禍を象徴するマスク姿の人々は映し出されない。
コロナの影響で2019年11月に撮影を終えたのかどうかは知らない。
ただし、通常の例から言えば、2020年となり1月にニュースが報じられはじめ、
みるみるメディアでの報じる枠が広がり、2月になって、イベントごとがバタバタ中止に追い込まれていく。

映画の冒頭、2年ちょっとの撮影された期間を伝えるテロップをながめながら、
ああ、コロナは逃れたのだな、マスクをしている僕はそんなことを思った。

泯さんは、子供のころから、お祭りのお神楽や、盆踊りが大好きだったそうである。
クラシックダンスやモダンダンスを学び、暗黒舞踏の土方巽さんを私淑していると紹介されている。

私淑と言うことは、直接会わずに学んでいたということだが、
土方が亡くなる際、本日体の幕を閉じるというような旨の連絡を本人から受け、
死ぬまで自分の体を使い切った生き方に唸ったと触れていることから、
おふたりが深い関係にあったことは理解できる。
Wikipediaによると1982年に意を決して会いに行き、
土方演出・振付の田中泯ソロ公演「恋愛舞踏派定礎」を決行するに至る、とある。

東京のごみ集積所である夢の島で踊ったり、
体中の体毛を剃り上げ、全裸で、世界各地で踊る。

40歳の時に、踊りのための体つくりを農業のみで作るという考えで、
山梨県に移り、その場所を「桃花村」と名付け移住する。

農業をするために移住するというのではなく、
踊りのためというのが一言でいうと「かっこいい」。

山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」に伝説の武士役に抜擢され
映画やテレビを舞台に俳優生活も始める。

泯さんの踊りを表現する言葉である「場踊り」。
踊りの起源へのこだわりを追求し、日常のあらゆる場で即興で踊る実践的アプローチとある。

ちょうどNHKで「SWITCHインタビュー達人達」という番組で
田中泯さんと女優の橋本愛さんの対談がオンエアされたので、
配信番組で観た。

体だけの長い歴史の後に、待ち望んだ言葉が出現したというような話があったが、
泯さんは、とても話好きだと思う。
ナレーションも自身が行なっている。






 

シネマe~raで「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ・カンザス・イヴニング・サン別冊」を観た

カテゴリー │映画

3月26日(土)11時50分~

タイトルの「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ・カンザス・イヴニング・サン別冊」は
アメリカ・カンザスで発行されている、ジャーナリストが独自の記事を投稿する雑誌「ザ・リバティ・カンザス・イヴニング・サン」の別冊紙がフランスで発行されていて、その編集部のことを描くという、元々屈折した設定であることを表している。

この映画は一筋縄ではいかないよ、と見えない観客に対し、宣言しているようなものだ。

僕はなぜか、先ずこういう場合、どこか警戒する。
簡単にその手に乗りたくないのだ。
作り手がほくそ笑む自信満々の策略に騙されたくないのだ。

でもここですでに罠にかかっている。
関心がまったくないのなら、見て見ぬふりをして、いや完全に無視して通りすぎればいいのだ。

ただし、そうはいかなくて、結果、手前で逡巡する。
すでに観ている専門家やレビュアーの声をちらりとのぞいたりする。

そうやって僕はウイルスから身を守る免疫を作るように耐性を整える。
観るに十分な自分を作り上げるために。

こうして面倒な作業を経過して、足を運ぶのであるが、
事前にあれこれ考えるのも映画を観る行為のひとつであることは自覚している。
学校の修学旅行で、事前に旅行地のことを調べてみたり、
旅行後に、感想などの文章提出を求められたり。

雑誌社の編集長が亡くなることで、廃刊されることになり、
最後の1冊を作るという前提で映画は始まる。
その最後の雑誌の内容、そのままが、映画となる。

この架空の雑誌は、アメリカの雑誌「ニューヨーカー」がモデルと言うことだ。
雑誌が何から構成されているかと言うと、
読者がまず目にする表紙デザインだったり、
さまざまなジャンルの記事があり、
それぞれの記事を書くライターがいる。
そしてそれらをまとめる編集長を筆頭にした編集部と
仕事場である編集室。
デザインもさまざま。
記事の長さもさまざま。
文字だけでなく、写真、イラスト、漫画などであふれている。

雑誌読む人読まない人がいると思うが、
好きな雑誌というのは、読みたい記事が載っているというのが条件だろうが、
読みたい記事があふれている様子というのは重要だと思う。
この記事も載ってる、
あの記事も載ってる、
いやあれも、いやこれも・・・。

その様子が、映画にもあふれている。
だから情報は過剰だ。
カラーとモノクロを行き来したり、
映画自体の画角も意識的に変える。
人が頻繁に行き来し、場所も変わる。

日本語字幕100%で言葉を理解する僕は、
今さらながら英語やフランス語を聞き取れない理解力を恨む。
モノローグで説明言葉が発せられながら、登場人物もしゃべり、
まるで雑誌の1ページのように「文字」が映し出されると、その上に字幕も読まなければならないとなると、
完全にオーバーフローとなる。

そこでどれかを諦めることにする。
それは、元来、制作者は想定していない
「字幕」を読むことだ。
これが本来の洋画を観るということだと気が付く。
ただし、理解できない内容も多い。

映画で展開される最後の雑誌の記事には、それぞれタイトルがついている。

「自転車レポーター」
編集部がある架空の町(アンニュイ―=シュール=ブラゼ)の過去と現在を巡るレポート。

「確固たる名作」
収監されている天才画家が画商に見いだされる美術記事。

「宣言書の改定」
学生運動のリーダーと女子学生との恋にまつわる政治記事。

「警察署長の食事室」
グルメな警察署長とお抱えシェフになつわるグルメ記事。

そして、編集長の遺体が安置された編集室で、編集部は解散し、映画は終わる。






 

クリエート浜松で浜松ものがたり文化の会「宮沢賢治・童話の世界」を観た

カテゴリー │いろいろ見た

3月21日(祝)14時~

ものがたり文化の会は、1982年に発足し、宮沢賢治の作品を中心に体験学習をともなったものがたり活動を続け、
40周年を迎えるそうだ。

宮沢賢治とはいったい何なのだろうか?
東京オリンピックの閉会式で
大竹しのぶ演じる先生が「星めぐりの歌」を夜空を見上げながら子供たちに教えるパフォーマンスがあった。

3月19日・20日に動画配信で行われた様々な表現のオムニバス上演「春なのに...2022」の見逃し配信を見ていたら、
ロウドクシャと劇団静芸が偶然にも同じ演目「どんぐりと山猫」を扱っていた。

賢治の生まれた家は裕福で、父親は質屋・古着商を営んでいたそうだ。
子供のころ、服を質入れに来る客に同情し、世の中は不公平だと泣いて困らせたようである。
また、店番をしていた時、客に言われるまま、金を貸し与えてしまい、
そんなことでは家がつぶれてしまうと父親に叱られたということだ。

自分が恵まれていることを恥じ、むしろ申し訳ないと思う。
これは自分にこだわらない無私の精神というよりも
自分というものをどう扱っていいかわからない賢治の無意識の葛藤を感じる。

農学校の教師をしていた賢治は、生徒たちに「農民になれ」と指導しながら、
自らは給与をもらって生活をしていることに対し、葛藤し、退職したとも言われている。

退職後、賢治は農作業を行いながら、「農民芸術概論要綱」を書き、宮沢家が所有する家で農業に関する科学技術などを教える農民講座を始める。
そして、レコード鑑賞会、子供たちへの童話の朗読をしたりし、若い農民たちと「羅須地人協会」を設立する。
実際は賢治一人の使命感と奉仕の気持ちで行っていたとされている。
そこでは農民たちの楽団を結成しようとチェロを購入して練習したり、農閑期には被服や食糧、工芸品も製作することを企画していたようである。
賢治が言う「農民たちの理想郷 “イーハトーブ”」。

しかし、経費をねん出するために金を借りたり、また、年長の保守的な農民の理解が得られなかったり、社会教育を行っていると、政治的な理由で警察の聴取を受けたりし、楽団も解散、集まりも不定期になっていく。

これは、おそらく賢治が実践でやりたかったことの理想郷であった。
そして、実現が出来なかった挫折感を味わう。

ただし、それらの思いは賢治の文学にすべて現れている。
実践でつまずいたとしても、文学は想像だけで書くことが出来るのだ。

賢治の本が出版されたのは、生前、詩集「春と修羅」と童話「注文の多い料理店」の2冊のみ。
しかも、自費出版で、あまり評価もされなかったと言われる。

しかし、その後数々の作品が見いだされ、出版され、読まれ、何より、どこかで誰かが賢治の言葉を誰かに紹介している。
なぜ、彼ら彼女らは、賢治の言葉を発しようとするのだろうか?
僕はいつも何回耳にしても簡単には思えない言葉を聞きながら、その理由を知りたいと考えている。

4月3日に磐田市の岩田交流センターで行われた「お花畑コンサート」でも
ピアノ演奏と絵画が彩る映像に合わせ朗読と歌で表現する、
組曲「銀河鉄道の夜」がプログラムのひとつにあった。

ああ、なぜに宮沢賢治なのだろうか?
誰か僕に詳しく説明しておくれ。






 

菊川文化会館アエルで「マダム・バタフライ~三浦環ものがたり~」を観た

カテゴリー │演劇

3月27日(日)10時~

劇団静岡県史と菊川文化会館アエルの共同企画。
プッチーニのオペラ「蝶々夫人」を20年にわたる海外生活で2000回も歌ったという、プリマドンナ・三浦環を取り上げた音楽劇。

父親は御前崎市、母親は菊川市出身で、二度目の結婚となる夫・三浦政太郎は掛川市出身。
静岡県内でも、西部地区、遠州、それも東遠地域揃い踏み。
ただし、環さんが生まれ、育ったのは東京である。
東京女学館から、音楽教師に勧められ、東京音楽学校(今の東京藝術大学音楽学部)に進む。

静岡国際オペラコンクールは、次代を担う声楽界の人材をは見つけ、育てる目的で1996年に三浦環没後50周年を記念して始まり、浜松アクトシティを会場とし、3年ごとに開催されている。
2020年に予定していた第9回は新型コロナウイルスのため、延期となり、2023年の開催が発表されている。

「マダム・バタフライ~三浦環ものがたり~」は
静岡国際オペラコンクールを目指す声楽家の卵と指導教師が舞台袖に登場し、三浦環について語り聞かせるところから始まる。
ふたりは狂言回し的役割りとして、劇中、舞台袖に位置し、観客との間をつなぐ。

音楽学校時代、「自転車美人」とも呼ばれた環が、花道後方から自転車に乗って登場する場面は華やかで楽しい。
それを支える音楽学校の女子学生など所々で登場するアンサンブルキャストたちは袴、振袖、ドレスと場面により衣装替えして演じる。
これは衣装の用意と当日の楽屋が大変だったと思う。

オペラ「蝶々夫人」の場面もうまく生かされていた。
ラストの場面にそれはつながれ、傍観者であった、現代の声楽家の卵も物語の中に取り込まれていく。
そこで歌われる過去に生きる三浦環と、現代に生きる未来の“三浦環”との「ある晴れた日に」の共演。
この場面をやろうと思いつくことは出来ても、実現できることはスゴイと思う。
だって、ちゃんと歌えないと、絵にならないのだから。
俳優の能力と専門家による指導体制が整って成り立たせていると思う。

また、映像との融合も観客との橋渡しを果たしていた。
政太郎と環は、後に医学博士となる政太郎の研究の為ドイツに渡るが、それから第一次世界大戦に入り、それらの経緯を童謡「村の鍛冶屋」のメロディーに乗せて、脚本・演出の松尾朋虎さんの歌詞で歌とダンスと映像で表現する。

そして、オペラ「蝶々夫人」を表現する際、話のあらましをわかりやすく伝えるために手書きの絵によるアニメーションが活用されていた。
オペラ「蝶々夫人」のラストの場面は、「マダム・バタフライ~三浦環ものがたり~」のクライマックスにも投影される。
三浦環を演じる藤森美香さんが回転舞台に乗って、演技をする中、
第二次世界大戦の終戦とも重ね合わせ、モノクロの実際の写真や映像が淡々と映し出される。
ここは元々のオペラが持つ現代では特に複雑なテーマ性にも切り込んでいた。

三浦環の生涯を僕は初めて今回の音楽劇で知った。
日本人の女性が自分の仕事を持ち、結婚後、しかも海外でも続けて行くことのある種の困難、
芸術というジャンル(環の場合は音楽)の時代や状況における必要価値、
という、過去から現代まで横たわる大きなテーマに関して、彼女の生涯を通し描かれていた。

パンフレットによると2021年5月から、3度にわたり演目についての勉強会を実施している。
そういう経験は、決して裏切らないと思う。