路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018のタイムテーブルが決定した

カテゴリー │路上演劇祭

20日(土)は第3土曜日のため、
砂山銀座サザンクロス商店街で
朝市が開かれた。

6月3日(土)13時から開催される
路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018
にエントリーしている
「砂山劇場」の準備もあり、
午前10時前から12時過ぎまでうろうろしていた。

来ていた路上演劇祭の実行委員たちと
末広鮨さんで昼飯を食べる。

その後、クリエート浜松で行われていた
浜松写真連絡協議会の展示会に行く。
力作の写真をたくさん観た。
写真とは、その時居る場所でしか撮れない、
とあらためて思った。

路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018のタイムテーブルが決まった。
僕も少し出る「砂山劇場」は
13時からオープニング後、
13時5分スタートのトップバッター。

ぜひ13時のスタートから来てください!!
6月3日(土)は砂山銀座サザンクロス商店街へGO!!
午前中は10時から12時まで朝市もやっています。





 

浜名湖ガーデンパーク屋外ステージで「つかこうへい症候群 舘山寺殺人事件~黄昏のベアトリーチェ」を観た

カテゴリー │演劇

14日(日)14時30分~。

日曜日の午後、浜名湖方面へ行く道は車が混んでいた。
イオン志都呂があるからだろうか。
それとも天気がいいからだろうか。
途中では、あさり採りをしているらしき人たちもいた。
一度は近道かと思い、道を変えたが、そちらも混んでいた。
ナビにセットされた到着予定時間は着々と伸びていった。

かつて浜名湖花博の会場であった
浜名湖ガーデンパークへの道は思ったより遠かった。
一度だけ来たことがあるが、
屋外ステージの場所はよく知らない。
パークに到着してからのことを考え、また気が重くなった。

駐車場から、屋外ステージまではいったいどれくらいかかるのだろうか。
浜名湖ガーデンパークは56ヘクタールあるそうだ。
計算してみたら東京ドームの43個分だ。
屋外ステージが、車を停めた場所からできるだけ近いことを祈った。
到着したときは、14時30分の開演時間をすでに超えていた。
駐車場は、やっぱり広かった。
何か所かに分かれ、
それぞれ車はたくさん停まっていた。

「~舘山寺殺人事件~」は3年前に、
はままつ演劇・人形劇フェスティバルのオムニバス公演での上演作品を
演出及び新しいキャストを迎え、新たに書き換えた。

つかこうへい症候群とうたっている通り、
物語の構造は「熱海殺人事件」から借りている。
オムニバス公演の時は、刑事と犯人の2人芝居だった。

今回は晴れて、というか、オリジナル「熱海殺人事件」の登場人物に沿い
部長刑事、新人刑事、女性刑事、犯人の4人のキャストとなった。

本家である「熱海殺人事件」も様々なバージョンがある。
「舘山寺殺人事件」が面白いのはひとつの観光地案内にもなっていることだ。
それが宣伝臭さを感じさせず、ひとつの物語として昇華されている。

それも、物語の構造が、堅固なのだと思う。
本来なら、殺人犯が犯行を認めた時点で話は終わるのに、
犯行を認めたにも拘らず、それを刑事側が認めず、
理想の犯罪に仕立て上げようと犯人をあおる。
この物語の構造がとても「演劇的」だったのだと思う。

犯罪と言うマイナスの価値にさえ光を当てるという心情は
舘山寺と言う地に光を当てるという行為と重なる。
誰もが知っている東京ディズニーランドとか富士山とか京都とかの
メジャーな観光地だったら成り立たないだろう。

舘山寺と言う微妙な選択が功を奏し、
シニカルな複雑な観光PRになっている。

もちろん観劇後感は
舘山寺行こうよりも、演劇的な感動であろうが。

帰りは、路上演劇祭の打ち合わせをした。
終了後、会場を後にする頃には
17時の閉演を告げる音楽が長く流れていた。
広い敷地なので、早めに告げるのであろう。





 

静岡文化芸術大学講堂で劇部コーヒーメーカー「SCANDALOUS」を観た

カテゴリー │演劇

12日(金)18時30分~
劇部コーヒーメーカーの最終公演ということだ。
劇部とは今の部員の人たちと面識はないが
かつては少なからず関係はあった。

静岡県西部演劇連絡会のメンバーに入っていた時もあり、
大学内の部室で会合を行わせてもらったこともある。

路上演劇祭にお誘いし、一緒に上演したこともある。

公演は毎回というわけではないが、少なくない回数拝見させてもらっている。
在学生のクラブ活動なので、
部員は入れ替わり、それぞれの活動期間は限られる。

だから、むしろ外部の立場の方が、つき合いは長くなる。

最終公演のタイトルが「SCANDALOUS」。
スキャンダル記事を主な題材とする雑誌の編集部を舞台とする芝居。

終演後パンフレットを見たら、
演出及び出演もされた石田歩里さんのオリジナル作品だった。
既成台本かと思いこみ、
アンケートで台本選びのことを書いたが
的外れだった。

オリジナル作品で、長きにわたる劇部の歴史に幕を閉じるのは
まだできるのではないかと、外からは思うが、
パンフレットの「お別れのあいさつ」にもあるように
メンバー一同協議を重ねて~とあればもちろん仕方がない。

例えば劇評などと言うものは
次回があるものに対して行うものだと思う。
幼稚園とかの卒園発表会で
批評めいたことを言っても意味はない。
「よくがんばりました。素晴らしかった」
としか言いようがない。
たとえそれが、頑張った行為に対してのものだとしても。

アンケートで
面白かったかそうでなかったのか、
いくつかの選択肢の中から選ぶ質問事項があった。
また、印象に残った役者をチェックし、
その理由を問う質問事項もあった。
次回があるから成立する質問ではないだろうか。

最後の公演が昨今の文春砲を思い起こす題材と言うのは面白い。
パンフレットも攻めの姿勢がうかがわれる。
これは作者の個性が現れているのかもしれないが、
解散の情緒とは無縁である。
役者たちが登場人物の心情を表現する姿は
次があるように思えて仕方がなかった。

それでも予定通り、
「わたしたちは、解散します」
と宣言され、幕は閉じた。

演劇でもなんでもそうだけど、やりたい人がいれば始まるので、
始まる時は始まることだろう。





 

静岡市中心街で「ストレンジシード」を何本か観た

カテゴリー │演劇

ストレンジシードは
静岡ストリートシアターフェスとして、
ふじのくに⇔せかい演劇祭と同時開催で5/5~5/7の3日間行われた。

僕は5月5日(祝)、
静岡市美術館で開かれていた「アルバレス・ブラボ写真展ーメキシコ、静かなる光と時」と
18時30分開演の「アンティゴネー時を超える送り火」の間に
何本か観た。

お城ステージ、学校ステージ、市役所ステージの3か所で行われ、
上演が被るので、1日ですべてを見ることは不可能。
あ~、これ観たかった~って涙をのむときもあるけれど。
スケジュールと体調と気分で観たのが以下7本。

観た順に

森山開次×ひびのこづえ×川瀬浩介(ダンス・音楽)
KPR/開幕ペナントレース(パフォーマンス)
On7(演劇)
いいむろなおきマイムカンパニー(マイム)
柿喰う客(演劇)
シルヴプレ(マイム)
少年王者館(ダンス・音楽)





 

静岡市美術館で「アルバレス・ブラボ写真展ーメキシコ、静かなる光と時」を観た

カテゴリー │いろいろ見た

5日(祝)
アルバレス・ブラボが写真家として活動していた頃、
メキシコではメキシコ革命下、
革命の意義を訴える等を題材に
メキシコ壁画運動が巻き起こり、
画家たちは政治的な作品を描いていた。

そんな時代に生きながら、
強い主張とは距離を置く写真を撮っている。
それらはどこか俯瞰で
どこか客観的で
だからこそ
時代も場所もを経てみる僕にも
むしろ近さを感じさせる。

ブラボは写真のことを
「見る芸術」であると言っている。

人に対しても物に対しても景色に対しても
冷静に見るということに徹している。
今のカメラやレンズの性能なら、接写なら相当な近い距離で撮れるだろうし、
望遠なら相当な遠い距離からでも撮れるだろう。

当時は思うに
撮影するには一定の距離が必要あっただろうし、
準備も必要だったであろう。

「ストライキ中の労働者、殺される」という
頭から血を流し、倒れ死んでいる労働者を写した写真が展示されていた。
他の写真とは異色な写真だったが、
当時は本来はこのような写真を要求されていただろう。

このような題材でも、例えば庭の植物を撮る時と同様
見ることに徹している。
怒りでもない、同情でもない、
無残に大量の血を流す人をひたすら見る。
それをカメラにおさめる。
これは簡単なことではない。

ブラボは、写真のタイトルにこだわったそうだ。
「ストライキ中の労働者、殺される」も、
間にあるカンマ(、)にこだわったそうだ。

これは僕もとても共感できる。
僕は戯曲を書く場合であるが。
タイトルと作品はセットになっている。
タイトルあっての作品、
作品あってのタイトル、なのである。

最晩年には
「内なる庭」と題したシリーズ作品がある。
自宅の庭を撮影した写真である。
生きていた頃は、
手入れがあまりされていない庭は葦がぼうぼうに生えていて、
刈ろうとすると猛然と抗議したそうである。

アルバレス・ブラボは2002年に満100歳の生涯を閉じている。





 

駿府城公園内の特設会場でSPAC「アンティゴネ 時を超える送り火」を観た

カテゴリー │演劇

5日(祝)18時30分~

舞台上はいくつかの岩島が点在し、
その間は水が張られている。

俳優は、岩島の間を行き来しながら
演技をする。

ともすれば、裾の長い衣装や足元は、
水に濡れる。

演じられるのは紀元前442年ごろにソポクレスにより書かれたギリシア悲劇。
権力者である叔父のクレオン王に逆らい死んだ兄を弔ったことを問われ、
幽閉され、死に至るアンティゴネ。

これは弔いの演劇である。
かつて演劇は神に捧げたことから始まったという。
芸術表現のためなどではない。
楽しみや娯楽を提供するためでもない。

つまり神=真実のために、
自らの犠牲も顧みず、
ましてや誰かのためでもない。
アンティゴネは死者を弔うという行為で示す。

冒頭、まるで現代の日本から、
紀元前のギリシア悲劇の時代に紛れ込んだかのように
袈裟を着た僧侶が、
櫓をこぎ、筏に乗り、
水の上をすべるようにやってくる。

演奏隊によるとどまることのないリズムが奏でられる。
ガムランを基盤にしているのだろうか。
このスタイルはSPACの公演ではおなじみで、
回数を重ねるごとに演奏は一層拍車がかかっている。

そして、チラシで、「盆踊り」と称す、コロスたちによる踊りは
文字通り、弔いの象徴で、
最後には精霊流しまで出てくると
この上演はどう考えても死者に捧げた儀式の様相を呈する。

ここで、ハタと思いつき、調べてみた。
この作品は、アヴィニヨン演劇祭(フランス)のオープニング招待作品として、
上演される。
その日程はいつだろう。
今年の7月6日~12日で6公演行われるということだ。
やっぱり。
お盆の時期である。

演出の宮城聡さんは日本のお盆をフランスの地で行おうとしていた。
タイトルは、アンティゴネ・・・時を超える送り火、ではないか。
日本各地では、
迎え火が炊かれる。
送り火が炊かれる。
盆踊りが踊られる。
そうして祖先の霊は祀られる。
(月遅れの8月も含む)

約1時間半の上演を終え、
会場である駿府城公園を出て、
お堀沿いを歩いていたら、
同じように会場から出てきた若い女性が言っていた。
「わたし、こういう救いようのない話大好きなの」

劇中多くの人が死ぬ。
なぜ私たちは悲劇を観るのか。
死者を弔うために観るわけではない。
どこか陰惨な悲劇を楽しんでいる。
それは事実ではないから楽しめる。
物語として置き換えれるから楽しめる。

賑やかな夏祭りのように、
楽しむことにより、
死者と生者の枠を乗り越えて、
おのずと、弔いの儀式となり、
神(仏)に捧げられているのである。





 

舞台芸術公園 野外劇場「有度」で「MOON」を観た

カテゴリー │演劇

29日(土)19時~
作・演出は庭劇団ぺニノのタニノクロウさん。
プロダクションデザインはカスパー・ピヒナーというドイツ人。
この日は偶然ではあろうが、
観た3本ともドイツ人絡みだった。

プロダクションデザインとは
舞台美術だろうか。
タニノさんと共に
会場である「有度」に入り、
滞在して制作したということだ。

舞台芸術公園には制作棟があり、
寝起きしながら、制作に従事することができる。
そうして生み出されたのが今回の作品「MOON」である。

参加型の作品であるということと
ヘルメットを着用するらしいということは
事前に聞いた。

これも他人から聞いたことで、
事前の予備知識はないに等しかった。
だから、かつてのテレビ番組「川口浩探検隊」をイメージして
何となく面倒な気もしていた。

我々は観客なので、
やりたいのではなく、観たいのだ、などと、少し突っ張ってもみた。

すでに、観劇(参加)した後に、書くのだが、
タニノさんたちが僕たちに見せたかったものは何だったのだろうか。

僕が観劇直後似ていると思ったのは
東北大震災の際、粛々と助け合いながら行動する被災者の方々。
また、生まれた国を捨て、国境を越えていく難民たち。

いや、何かしら楽しいことはないかと、
ゴールデンウイークにやみくもに外に飛び出していく人たち。
僕なんかもそうだ。

委ねた環境の中で、
何かに突き動かされ、
行動せざるを得ない状況になっていく。

観客は、開演を知らされない。
地面に整然と並べられたおよそ300個のヘルメットを被ってくれというアナウンスはある。
シールドを下すと、スモークがかかっている。
両耳もおおわれているため、その後の数度のアナウンスも聞こえない。

最低の段取りを済ませると、
その後は言葉での案内はなくなる。
誘導するのは、小さなものたち。
様相は宇宙飛行士であるが、
ストレートにイメージすると、
妖精である。

観客はあらかじめ用意されている状況なのに
自らの意思で、
また、同行者たちと同意し合って、
演劇の最中に突入していく。
先のまったく見えない、
心地悪さを感じながら。

でも、やはりこの集団行動は
決して特別なことではない。
すいぶん思い当たる。

普段の生活でも、
互いはまったく関係ないのに
共に生きているという感覚。

ミサイルが飛んでくるかもと言えば、
同じように不安に思う感覚。

天気がよくなるとなれば、
なんとなくうれしい感覚。

一度なくなった声の案内は
演劇の閉演も伝えられず、
誰に促されるわけでもなく、
観客たちは、野外劇場を後にする。

使用したヘルメットは元あった場所に
自主的に返還される。
たぶん1個の欠けもなく、
再び整然と並べられる。

このまま何もないまま帰るのかと思っていたら
舞台芸術公園を出る直前、
スタッフにより、パンフ(や他公演のチラシ)を渡される。
それまで忘れていた。
通常なら、入場時に配られるパンフをもらっていなかった。
防寒用のカイロはもらい、腰に貼りつけているのに。





 

静岡芸術劇場で「ウェルテル!」を観た

カテゴリー │演劇

29日(土)16時30分~。
先ほど観た「1940―リヒャルト・シュトラウスの家」もドイツが舞台である。
こちらはドイツ人の演出者による、
ドイツ人の役者によるひとり芝居である。
その上、
題材はドイツ人作家ゲーテの「若きウェルテルの悩み」である。

若いときに読んだ。
ただし、それきりである。
一言で内容を言う。
若いウェルテルが、恋に悩み、死ぬ話。
いろいろあるが、
とても簡単な話なのである。
かつて読んだ時もそう思った。

それを一人芝居でやる。
話の構造はシンプルなだけに
むしろやるのはなかなか難しいと思った。
物語というより、心情が延々と語られるからだ。

一体どのように見せるのだろう。
自撮り映像が、同時に編集しながらライブ感あふれて使用され、
ひとり芝居と言いながら、
映像を編集するスタッフとのコンビネーションが
変化ある演出の大きな要素を占めている。

静岡で、海外の作品を観る機会であるが、
テクノロジーの活用はすでに定番とも言える。
プロジェクションマッピングを用いての上演も珍しくはなく、
すでに、観ることのできない「絵」はないとも言える。

かつては、背景を表すために舞台セットを組んでいたのが、
映し出す映像により、様々な背景が瞬時に表される。
映像の光源を落とせば、そこには何もない。
それに引き換え、人は、簡単には消えることはできない。

落語のことを通常、一人芝居とは言わないが、
究極の一人芝居、と言い換えることもできる。

演劇の自由さをふんだんに生かした演出に感心しながら、
それらを使用しないシンプルな形にも思いを巡らせた。
これは、どちらがいいという話ではないのだが。

続いて、舞台芸術公園・野外劇場「有度」へ向かった。





 

静岡音楽館AOIで1940-リヒャルト・シュトラウスの家―」を観た

カテゴリー │いろいろ見た

29日(土)13時30分~
静岡音楽館AOI×SPAC-静岡県舞台芸術センター 共同事業とある。
言い方を変えれば、音楽と演劇のコラボと言える。

目的としては、異なる畑の特長を生かし、
単独では出来ないような表現作品を生み出すということだと思う。

但し、主体が2つあると、問題もあったりする。
それは、どちらの立場も立てる作品つくりになりがちであるということだ。

オペラでも海外では
新作が日々生まれているので、
観客は新しい演出による作品を望むのだという。
今までのとは異なる
斬新な演出作品を。

対して、
日本で公演が行われる際は、
そのような斬新な演出作品は好まれず、
保守的な演出作品が求められる、
という話を聞いたことがある。

今回の会場は音楽ライブに適していると思われる静岡音楽館AOIである。
そして、主催はやはり静岡音楽館AOI。
演劇の事情で、革新的な新演出はなかなかできる環境でないかもしれない。
また、求められてはいないのかもしれない。
観客にとっても。

「1940-リヒャルト・シュトラウスの家ー」の
タイトルは、リヒャルト・シュトラウスという作曲家の名がどうしても表に出てくるが、
こちらはあくまでサブタイトルで、
メインタイトルは「1940」という年号である。

こちらの年号に創作の発端があったように思う。
当時大日本帝国は、皇紀2600年を記念する祝典音楽の創作を6か国に依頼し、
そのうちのひとりが当時ナチスドイツが割り振ったのが、
リヒャルト・シュトラウスである。
アメリカにも依頼したが、両国の関係の緊張化を理由にアメリカ側が断ったと言われる。

リヒャルト・シュトラウスは楽曲提供でナチスに協力した形になるが、
本人には政治的な意識はないようだ。
どこの国でも戦時下ではそのような例はいくらでもあった。

なぜこの状況を舞台とする作品を今行うのか。
それが、この作品の意図である。
制作者たちの意図である。
その意図に従い、ソリストが歌い、ピアノ、クラリネットが演奏する楽曲が決まる。
服部良一さん作曲の「蘇州夜曲」やアメリカのジャズナンバー「私の青空」も同様だろう。
聴いていると
単に歌を堪能しているのだが、
意図を考えると、聴こえ方も変わってくる。
そして、演劇と音楽が並列に並んでいるのではなく、
音楽劇の様相を呈してくる。

最後に、リヒャルト・シュトラウスの晩年の最後の作品「4つの最後の歌」で幕を閉じる。
4つの内3つは、ヘルマン・ヘッセの詩に曲をつけた。
「車輪の下」という小説でも知られるヘルマン・ヘッセは平和主義者とされ、
ナチス政権から目をつけられていたそうだ。。

最後にそんな詩を自ら選んだリヒャルト・シュトラウスの心境が、
「1940-リヒャルト・シュトラウスの家」を象徴していたと思う。
1940という、
日本にとっての戦争前夜の意味を持つ年号をタイトルとした作品の。

続いて、静岡芸術劇場で行われる「ウェルテル!」という演劇作品を観るために
JR静岡駅から東海道本線に乗って、東静岡駅へ向かう。