プラザおおるりで「My town 千年先のわたしたちへ」を観た

カテゴリー │演劇

26日(日)14時~
プラザおおるりは島田市の施設である。
前週の19日には藤枝市民会館でも上演された。

島田市と藤枝市が演劇創作体験事業を実施し、
静岡県舞台芸術センターSPACの協力の元、
一般から公募された人たちとSPACの俳優が共演して制作された。

構成・演出はユニークポイントという劇団の山田裕幸さん。
ユニークポイントのメンバーも役者の他制作に関わっている。

原作はソーントン・ワイルダーの「わが町」である。
原題は「Our Town」という。
「わが町」は1937年に書かれた作品であるが、
今現在でもあちらこちらで上演されているという。

その理由は戯曲の持つ構造によるところが大きい。
「わが町」のト書きは、
幕なし。
装置なし。
とあり、
続いて、
入場する観客には、薄明りの空虚な舞台が目に入る。
とある。
(鳴海四郎氏訳より)

そして、終演まで案内役を務める進行役が登場し、
隣り合った2軒の家庭の屋内を表すテーブルや椅子を置く。

つまり、何もないところから始まることを観客に提示する。
饒舌な進行役は、
劇の題名から劇作者、演出者等の紹介をし、
この劇の舞台である架空の町、グローヴァーズ・コーナーズの様子と
そこに住む人たちの紹介へと導いていく。

ギブス家とボッグス家の2つの家族を中心に町の人との
何気ない会話が繰り返される。
それは特別な事件が起こるのではない。
当たり前と言えば当たり前のこと
国や時代が違っても
他人のこととは思えないようなこと。

幕が変わる時は、
時を経ていて、
当然ながら
それぞれの人生は動いている。

観客たちは
自らの人生と重ね合わせる構造になっている。
舞台の上の人たちだけの物語ではなく、
自分たちの物語でもある。
生きて喜び、
死んで悲しむのは
まったく同じなのである。

「My town 千年先の物語」は
藤枝と島田を合わせた「フジマダ」という町を舞台として演じられる。
町の象徴である大木が舞台中央に鎮座していて、
何もない舞台から始まるのではない。
この木はひとつのモチーフとなる。

子供たちや家族の描き方は
登場人物に合わせ、書き換えている。
ラストの悲しさも原作と比べ観客への衝撃を和らげる工夫を施している。

しかしながら、
観客に自分たちの物語でもあるとさせる構造は
それ以上に
参加者たちにとって、
自らの物語を自分たちで作っていると感じさせる
効果を持つ。

「演劇創作体験」としては、
もってこいな素材なのだ。

今回はもうひとつ。
オリジナル曲による音楽がとてもよく効いていた。
歌い手として登場するAsumiさんは、
小学校の音楽の先生の役も重ねている。
このあたりは巧妙だった。

SPACの俳優が柱となる役を演じているので、
確かに安定感はある。
学ぶという効果も大いにあるだろう。
完成度も担保されるだろう。
ただ、
一般公募だけで作られる例もたくさんあることだろう。
世界各地の「わが町」が。





 

サポートレッツ「検証!『支援』と『表現未満、』そこからみえること」へ行った

カテゴリー │いろいろ見た

25日(日) 木下惠介記念館で「山崎幹夫映像個展」を観た後、
ザザシティの向かい側にある金原ビルディングの2階・3階で行われていた
認定法人NPO法人サポートレッツ『「表現未満、」実験室』へ行った。

1月16日から開催されていて、この日が最終日。
1か月以上の会期で行われていた。

とはいえ、
僕は最後の実験結果、
「検証!『支援』と『表現未満、』そこからみえること」
に足を運んだのみ。
18時を少し過ぎた時間に始まり、
予定の20時を大きく超えて終了した。

ゲストは
アサダワタルさん(アーティスト・社会活動家)、
天田城介さん(社会学者)、
椹木野衣さん(美術批評家)、
久保田翠さん(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ代表)
の4名。
アサダワタルさんが口火を切り、
他の方々が応対するという形式で、表題について等語られた。
終盤、ゲスト以外の人たちからも感想が語られた。

障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァのメンバーがこの実験室の主役である。
支援される側といえば、そうとも言えるかもしれない。
ただし、それを越え、時に、
支援する側と称する専門家、アーティスト、その他の人たちが主役のように見える。

これは矛盾しているようにも見えるが、
そうではないと思う。

美術批評家が、
他人の作品を評する批評という行為に対し、
批評が成り立つためには、
自己批判が必要であるし、
自分を奮い立たせるために行う、
もっと言うと、
自分を支援するためにやっている、
というようなことを言っていた。

つまり、例えば福祉というフィールドでも
支援する側も
とどのつまりは
自らを支援するために行っているのだ、
と言い換えることができる。

そうなのだ。
まったく立場は同じ、
なのだ。

だから、支援する側は
そんなに遠慮してはいけないと思う。
大変なのは支援される立場の人なのだから、
出すぎてはいけないのかしら、とか。
自分が楽しんでいるだけ、
自己満足でやっているんじゃないかしらとか。

そんなこともそう感じる必要はないんじゃないか、
そう思う。
孤高の存在になりたくない、という言葉が出ていたが、
もっと飛び出ていいと思う。
孤高を恐れず、
新たな価値観を生み出すくらいになればいいと思う。

まあ、傍から見れば全く孤高ではなく
賛同者がいるように見えるし、
おのずと追随者も出てくるだろう。

ただ、その方法が苦手な人もいるし、
そう好きじゃない人もいるだろう。
方法というもの強制はできない。

しかし、このことは
この行為がどこかアート的な色合いを持ち、
何より表現行為そのものなんじゃないか。
そしてその中心にはやはりアルス・ノヴァのメンバーたちがいる。
支援しているとされている側も支援されているとされている側も
一体となって。

そんな風に思う。





 

木下惠介記念館で「山崎幹夫映像個展」を観た

カテゴリー │映画

25日(土)15時30分~

中学生の時に自宅のタンスで8ミリカメラを見つけて以来、
映像作品を作り始め、
現在100本近くの作品を制作しているそうだ。

その中から4本上映された。
主に近作かと思われる。

1本目は「LetMeEndWithYou」。
打ち込み系の音楽に映像をつけることを依頼され、制作された。
映像は今までの過去作品からピックアップされ編集されたもの。
ビデオで撮影され、パソコンソフトで編集できる今では、
珍しい画像処理であるが、
フィルムで撮影していたころは
至難の業であったようだ。
個人的な話であるが、
「ハレロヤ」という芝居を作った時、
映像を芝居に組み込むことを考えていたが、
僕の準備不足が理由で、実現できなかった。
その時欲しかった映像がここにある、
と思いながら観ていた。

2本目は「居酒屋張々の夜」。
北海道で長編映画を撮影していた時、
撮影後によく立ち寄った居酒屋での宴会を撮影した映像を元にしている。
どうでもいいことと言えばどうでもいいことなのだが、
自分の行動の延長線上に作品があるのなら、
よく理解できる。
今ではその場所はダムができ、水の底であるということだが、
それは旅人としての感傷である。
その居酒屋は場所を変え営業を続けているそうだ。

3本目は「ディープスイーツ・ジュニア」。
音楽スクールから、生徒のための演技指導を依頼され、
それならと、そのための映像作品を作ったそうである。
作品に登場させれば、演技指導も兼ねられる。
暖めていたモチーフを若い生徒たちのために使用して作品化した。
だからからかどこか仕事的なつくりである。

4本目は「ディープスイーツ・シニア」。
3本目の本来の作品。
男は2万年生きているという女と出会うが、
ただ誘われるままについていく。
その距離感は近くもならず遠くもならない。
そのスタンスは作者の撮影者としてのたたずまいかもしれない。
女は決まった時間があったかのように去っていくが、
男はよくある面白かった一日が終わった後のように
つぶやく。
「ホッピーと焼き鳥で一杯やっていこうかな」。
いうまでもなく、カメラを構える男は
作者その人である。





 

マリナート 小ホールで「マリナート演劇カタログ」を観た その4

カテゴリー │演劇

4本目はTPSスタジオの「化粧」。
井上ひさしさん作による一人芝居。
演じるのはTPSスタジオのメンバーである水沢詩生さん。

近く取り壊されるという大衆演劇の劇場の楽屋で
客入れの音楽が流れる中、
女座長が化粧をしている。

そんなところから始まるが、
終始舞台の上はたったひとり。
ただし、本番の準備に余念がない中、座長としての
まわりの劇団員とのやりとりや訪れる人もいる。

作者の井上ひさしさんは
「一人しか出てこないのに、すごくにぎやかな芝居にしたい」と
28年、600回以上この役を演じた渡辺美佐子さんの初演の稽古時に言っていたそうだ。

それは新たに演じる役者にとっても演出者にとっても
指針とすべきことであると思う。
実はそのためにはいかにいろいろなコトが必要であるかは
実際にやってみなくとも想像に難くない。

例えば、女座長は限られた時間で頻繁に煙草を喫うが、
当然喫うにも理由がある。
劇場の運命も思い、
客席で待っている観客のことも思い、
まわりで準備している役者やスタッフに指示・指導をし、
なおかつ自らの化粧もしなければならない。

にぎやかにまわりの人たちとやりとりをした後、
ほんの一息ついて、煙草に火をつけるのである。
ただし、ほんの数回喫っただけで、次の行動に移る。
その繰り返し。

後半には女座長の生き別れの息子が楽屋に現れる。
大変な状況ではないか。
そんな中のたびたびの煙草。
煙草の喫い方ひとつですべての演技がわかる。

ラストは、虚実ないまぜになり、
観客の心を揺るがせたまま終わる。
そんな構造をこの戯曲は持っている。
今回の演出では、
この場面をそれまでスポットな明かりだったのが、
舞台全体を照らした色付きのあかりに転換する。

それは果たしてふさわしかったのだろうか。
狂いゆく場面ではある。





 

マリナート 小ホールで「マリナート演劇カタログ」を観た その3

カテゴリー │演劇

3本目は劇団「Z・A」の「隻眼の紅蓮丸 ご当地番外編 ~清水の章~」。
「隻眼の紅蓮丸」は、
紅蓮丸という、片目を眼帯で隠し、腰に二振りの刀をさした男を主人公とする
シリーズ物ということだ。

劇団新感線のイメージはどこかにあるかもしれない。
大衆演劇のイメージもどこかにあるかもしれない。

作・演出の他、紅蓮丸役で主演も兼ねる木田さんは、
キックオフトークでも登壇していたが、
やろうとしているメッセージは明確に思えた。

チラシのコピーにもあるが、
「笑いあり、涙あり、チャンバラありの、演劇を観たことがない人でも楽しめる極上エンターテイメント」。

まあ、もちろん、極上かどうかは観客が決めることであるが、
このコピーの内容が、作品によく表れていた。
「演劇を観たことがない人でも楽しめる・・・」

先ず、開演5分前には、
主人公の口上に合わせた掛け声の指導がなされる。
僕はちょうどトイレにいたので、
指導の声のみが聞こえたのだが。

幕が開くと、
狂言回しが出てきて、
状況や登場人物の解説、
話の進行の手助けをする。

登場人物の役割はとてもわかりやすい。
主人公に最終的に光が当たるように組み立てられている。
王道のヒーローものである。

問題が起こり、
危機に陥り、
他人に華を持たせるように見せかけながら、
最後はすべてを持っていく。
観客はすっきりカタルシス。

一件落着。
遠山の金さんか水戸黄門か。
そして、紅蓮丸の旅は続く。
シリーズも続く。

漫画が好きだという作家は、
確信犯的に
少年ジャンプ長期連載中の人気海賊漫画の
セリフをもじり、話に取り入れる。

漫画→映画は
今や商業映画の王道だ。
「この世界の片隅に」もそうである。
漫画→演劇も
ざっと思いついただけでも
「PLUTO」「ブラックジャック」「わたしは真吾」「cocoon」「火の鳥」「ブッダ」「ベルサイユの薔薇」「ワンピース」・・・

対して演劇→漫画はほとんど聞かない。
紅蓮丸はどうであろうか。





 

マリナート 小ホールで「マリナート演劇カタログ」を観た その2

カテゴリー │演劇

2本目は演劇ユニット 一笑ギダオシ「夏芙蓉」。

静岡市立商業高校のOB・OGを中心にした
演劇ユニット 一笑ドミノのメンバーから結成された。
何でもこの作品は高校演劇の名作と呼ばれているようで、
メンバーの一人が、7年前である高校時代より上演を暖めていたということだ。

本来の戯曲は女子高校生4人の物語であるが、
男子高校生4人の物語に書き換えて演じられている。
そのアイディアも高校時代から暖めていたそうだ。

それが今回の演劇カタログへのエントリーを機会に
実現することとなる。
当時高校生だった企画者は7年たてば20歳代中盤になる。
そして、今は高校生ではない男たちが
高校生の役を演じる。

高校の演劇部を卒業した後も
OBやOGたちと演劇を続けていたとして、
演技は7年間の熟成を遂げ、
高校生の役を演じるにあたって、
ある種、客観性を帯びる。

その客観性は、
観客にとっても、想像力を発揮して観る手助けとなり、
思いを巡らせる余裕を持たせる。

自らの高校時代だったり、
その後の歩みだったり。

この効果をもたらすことが
この元となる戯曲が人気のある理由だろう。

男性バージョンで脚色された作品は
さすが7年越しだったこともあってか、
よく練られていたように思う。
(元の戯曲を知らないので、
どの程度違うのかはわからないけれど)

出演、演出も、この脚色者が兼ねている。





 

マリナート 小ホールで「マリナート演劇カタログ」を観た  その1

カテゴリー │演劇

11日(土)
11時からリハーサル室で
キックオフトーク「静岡演劇マップ」が開かれていた。
途中から入場したので、
すべては見ていないが、
演劇カタログの出演団体の代表に
劇団渡辺の渡辺さんがインタビュー形式で話を聞いていた。
そして、最後に主に渡辺さんが
静岡市の劇場事情、劇団事情、公演事情を紹介。

その後、
13時から小ホールにて、演劇カタログの上演が始まる。
マリナートは、
静岡市清水区のJR清水駅から連絡通路でつながっている。
連絡通路からは富士山、駿河湾、清水港が一望できる。
そのため、まずは足をとめてしまう。

この日、1時間の作品が4本上演された。
1本目は、浜松を主な活動場所とするFOX WORKS「L⇔R 今日から地球はフル回転」。
互いの部屋がつながっているという欠陥を持つ
アパートの3つの部屋を舞台とするコメディ。

婚約真近の同棲カップル、
謎の外国人3人組(実は宇宙人)、
1人暮らしの浪人生
それぞれ2人、3人、1人。

アパートの部屋を人々が行き交うグルグルがテーマ。
このグルグルによりそれぞれの事情が影響を受けていく。
この事情の変わり方が、
尋常な状態になればなるほど
このテーマは力を持つ。

3つの部屋は簡素なつくりではあるが、
備品が置かれ、
部屋が入れ変わる場転は
クラブチックな音楽とキャバレー的な照明が施され、
にぎにぎしく行われる。

その間の3つの部屋の場面は、
ていねいにお笑い重視のコントが演じられるが、
少し時間を取りすぎな気がした。

グルグルがテーマだとしたら、
やはりスピード感ではないか。
タイトルにもあるではないか。
“フル回転”なのである。
後半、スピード感が出てきたなと思ったら、
すでに幕が閉じる時間だった。

用意できたかどうかはわからないが、
3分割の回転舞台があれば、
もっとフル回転だったかも。





 

出演者・スタッフ募集  路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018

カテゴリー │路上演劇祭

開催日 2017年6月3日(土) 午後
場所 砂山銀座サザンクロス商店街

今回の特徴は、
2017年に続いて、2018年も同じ場所で開催すること。

出演者もスタッフも2年続けて関わることで
「この場所」でこそ表現できる路上演劇祭を作っていく。

まったく難しく考える必要はないと思う。
ほんの少し意識を傾けるだけで、
その場所は僕たちの体の中に入ってくるはずなのだから。

僕たちは現にどうしようもなく、
浜松の街に住み、
日本という国に住んでいる。

詳しくは路上演劇祭Japan in 浜松のブログにて!!






 

クリエート浜松ふれあい広場で劇突2016ファイナルイベントが行われた

カテゴリー │演劇

5日(日)15時~17時

ワークショップの成果発表4作品の短編上演や
演劇部門の審査発表があった。

僕も審査の方とともに担当した「高校演劇選抜公演」の審査結果をご紹介。

◎台本の良さを最大限に引き出してホロリとさせた演技賞
   浜北西高校  B・HAPPY

◎夢のような色使いで物語世界を作り上げたファンタジー賞
   浜松湖東高校  ドッペル・クラウンとおもちゃ箱

◎透明な世界観をポエティックに表現した舞台効果賞
   袋井高校  はじまりの駅

◎マニアックなファンをとりこにする次世代モンスター賞
   浜松工業高校  秘密戦隊サンレンジャー ~シングルモンスターの巻~

◎大いなる可能性を奥底に秘めた光り輝く脚本賞
   浜名高校  天国列車

◎モチベーションの高さが現代に切り込む鋭い感性賞
   浜松北高校 ワガクニ ~四畳半帝国の興亡~

◎静岡県西部演劇連絡会賞
   磐田東高校 メガネとマスク


2017年になり1か月経ったが、
劇突2016がすべて終了した。

会場で展示された写真の数々は、
自主公演、人形劇公演、オムニバス公演、高校演劇選抜公演など
の稽古場に足を運び撮影された浜松写真連絡協議会の方々の
ご協力の賜物である。





 

浜松市勤労会館Uホールで高校演劇選抜公演を観た

カテゴリー │演劇

1月28日(土)・29日(日)
演劇・人形劇フェスティバル(劇突)のプログラムのひとつである
静岡県西部高等学校演劇協議会 高校演劇選抜公演が行われた。

講評と審査を静岡県西部演劇連絡会が担当。
僕は幕間の出演者インタビューと講評の進行を担当。

28日の講評者は、松本俊一さん、中西祥子さん(絡繰機械’S)、鈴木里美さん(雪解カンガルー)
29日の講評者は上記3名に加え、布施佑一郎さん(劇団からっかぜ)

審査会は翌日30日(月)に両日観劇した3名とともに行った。

参加した高校名と演目はこちら。

1月28日(土)
浜名高校  天国列車
浜北西高校  B・HAPPY
浜松北高校  ワガクニ~四畳半帝国の興亡~

1月29日(日)
磐田東高校  メガネとマスク
浜松工業高校  秘密戦隊サンレンジャー~シングルモンスターの巻~
袋井高校  はじまりの駅
浜松湖東高校  ドッペル・クラウンとおもちゃ箱

明日2月5日(日) 15:00~17:00
クリエート浜松ふれあい広場で
劇突のファイナルイベントがある。
自主公演等の審査発表やワークショップの成果発表のほか
高校演劇選抜公演の審査発表もある。
入場無料!!





 

鴨江アートセンターで「新年あけましてさんにんしばい」を観た その3

カテゴリー │演劇

3本目が、オトナ青春団「北壁の彼方に・・・」。
1、2本目はこのイベントのために結成されたユニットだが、
オトナ青春団は、活動中の現役グループである。

路上演劇祭にも2回ほど参加したりしている。
他の劇団との合同企画で上演したりしている。
はままつ演劇・人形劇フェスティバルのオープニングイベントのブース展示に参加したりしている。

そして、地域の集まりの場などで
子供たちやオトナたちを対象に
お芝居や紙芝居やお話会をしたりしている。
こちらはある程度定期的に活動しているようだ。

出演者のひとりが10年前、観客として観たという作品を上演。
ところはおでん屋。
大将がひとりで切り盛りしている。
お客さんにはリポーターの仕事をしている女性。
女性にはとある仕事の話が舞い込んでいるようである。

その話が、女性の過去と切り結ばれている。
まさに「北壁の彼方に」なのである。
そのような過去や思いは、
種類や内容こそ違えど
共通する。

もうひとり、3人目の登場人物で、
おでん屋の常連客でもある
就職活動に悩む大学生の思いとも
どこか共通する。

それらを表すひとつの表現が、
オトナ青春団の特長である、
「歌」である。
オリジナルの歌詞とオリジナル(たぶん)の曲による歌が
アカペラで挿入される。

今までセリフをしゃべっていた役者が
突然歌いだすのである。
これはまったくジャンル分けすると、
ミュージカルである。
ふいをつかれ、つい引き込まれる。
そして短めで終わる。

だから僕はいつも
オトナ青春団を「ミュージカル」を観る気分で観ている。
そういえば、少し踊ってもいるな。
別に、派手なオーケストラの伴奏はないけれど。





 

鴨江アートセンターで「新年あけましてさんにんしばい」を観た その2

カテゴリー │演劇

2月に入って、
「新年あけまして~」の投稿をするのもどうだろう。

28日、29日と高校選抜公演に関わっていたこともあり
遅くなってしまった。

2本目は、三感詩音「豆大福の気持ち」。
1本目が住む場所の違う3人なら、
こちらは年代の違う3人。

いずれも経験者ではあるが、
それぞれが今まで別の形で演劇をやっていた。
つまり、初共演である。

集団が違えば、作り方も異なる。
演劇作りの工程は
そのすり合わせの作業とも言える。

三感詩音というユニット名は
3人のメンバーで考えたそうだ。
それもすり合わせのひとつである。

舞台となるのは、
夜の雑居ビルのエレベーター。
夜の時間帯は深い。

事情を抱えた3人が乗り込んでくる。
アクシデントが起きる。
そして、
それぞれの事情がすり合わされることでドラマが生まれる。

歌手の布施明さんは、
三谷幸喜さんの演劇や映画に出演しているが、
その際、三谷さんに、
役の人物の履歴書を書いてくれと要求するそうだ。

つまり、布施さんがAという役だとしたら、
Aがいつ、どこで、どんな親から、どんな環境で生まれ、
どんな幼少時代を過ごし、
学生時代は、
友人関係は、
どんなクラブ活動をやっていたか、
仕事は、
趣味は、
好きな食べ物、嫌いな食べ物は、
などなど。

どこまでの内容を書くのかはわからないが、
それがないと役作りができないということだ。
そのためには脚本にそれら人物像が描きこまれていなければならない。
この人物像の綿密な描き方が三谷さんの脚本の特徴だと思う。
「真田丸」などは、歴史上の人物という骨太さとも相まって、
その特徴が表れたのではないだろうか。

その人物像が魅力的かどうかが話の重要な点となる。
それら人物におのずから面白さが備わっていれば、
演技であえて面白く演じなくても
面白さは出てくる。

それぞれ魅力的な事情を抱えた3人は
エレベーターでのアクシデントに対応する。
互いのすり合わせの結果、
人生の中の束の間の出来事であるが、
その時間がそれぞれの履歴を観客に垣間見せる。
「豆大福の気持ち」というタイトルの意味も提示しながら。