2017年12月08日07:55
クリエート浜松2Fホールで雪解カンガルー「座る」を観た≫
カテゴリー │演劇
12月3日(日)17時30分~
静岡文化芸術大学講堂で行われた「はままつ映画フォーラム2017」の会場から
歩いてクリエート浜松へ。
はままつ演劇フェスティバル2017の自主公演の最終公演。
自主公演の多くは土日と会場は抑えてあるが
土曜が仕込み、日曜が本番という劇団が多い。
今回も日曜の13時30分~と17時30分からの2回公演であるが、
2回目の方を選ぶと、おのずとサザエさんシンドロームの時間に突入する。
サザエさんシンドロームとは
「日曜の夕方、サザエさんのアニメを見ながら、翌日からまた学校や会社に行かなければならない」
と憂鬱になったりすることだそうだ。
サザエさんは18時30分からだが、
僕は19時30分からの世界名作劇場を観ながらそんな思いになった。
アルプスの少女ハイジ、フランダースの犬、ムーミン、母を訪ねて三千里、アンデルセン物語など、
子供向け文学とはいえ、人生の悲喜劇を含んだ内容に、
メランコリーを感じたのかもしれない。
この例は、ずいぶんと昔の子供の頃のことだが、
今でも、その思いと重なる時がある。
学校や会社へ行くのが嫌な理由があるわけではない。
それでも習慣的にそう思うのだ。
何もなかった日曜を過ごしたとしても。
日曜日の夕方、
外出し、芝居を観ながら客席にいる。
そんな場面でもサザエさんシンドロームのメランコリーは訪れる。
楽しかった旅先からの帰りも訪れる。
家路に帰る車の渋滞の中で
学校や会社のことを具体的に考えるわけでもないのに
言い知れぬメランコリーが訪れる。
「座る」は、
本来は安息のための道具である椅子に座ることができない女のことを描いている。
二足歩行の人間は一生立ち続けることはできない。
ところが女は訳あって、椅子に座ることができない。
部屋には豪奢な椅子のコレクションが並んでいる。
女の夫の趣味である。
まわりからは椅子屋敷と呼ばれている。
その前の奥さんもそのまた前の奥さんも
いつのまにかいなくなったと
不吉めいた暗示が
登場人物たちが、
手持ちの仮面をつけ地顔を隠すとコロスにも転じるという演出で告げられる。
主人がコレクションする椅子の名称を表す固有名詞が
連発され、ある種のリズムと雰囲気を作る。
役者は、言い慣れぬ固有名詞を活舌よく語ることで、
特有な世界に入り込む。
もちろん衣装や舞台セットや照明や音もその世界を作るのに貢献する。
役者は普段言い慣れぬセリフに腐心するのもいいのかもしれない。
余計な感情表現をすることに気をとられなく、
結果、的確な演技になるのかもしれないと思ったりした。
説明がなくなるのだ。
観る側は想像する余地が生まれる。
キーとなるのが家に出入りする
椅子販売業者の女である。
淡々と明確に演じることで、
観客は勝手に謎を深める。
妻である女の2人の妹は
それぞれ特徴がある役回りで、
話を展開させるのに寄与する。
謎解きは明かされ、
椅子屋敷の女の状況は変わるが、
本質は変わらない。
ラストは決着をつけすぎた感じがしたが、
女の言い知れぬメランコリーは続くのであろう。
終幕時にはサザエさんの放送時間は過ぎていた。
もちろんサザエさんシンドロームに
「サザエさん」にまったく罪はない。
ずっとお茶の間に笑いを提供し続けてください。

静岡文化芸術大学講堂で行われた「はままつ映画フォーラム2017」の会場から
歩いてクリエート浜松へ。
はままつ演劇フェスティバル2017の自主公演の最終公演。
自主公演の多くは土日と会場は抑えてあるが
土曜が仕込み、日曜が本番という劇団が多い。
今回も日曜の13時30分~と17時30分からの2回公演であるが、
2回目の方を選ぶと、おのずとサザエさんシンドロームの時間に突入する。
サザエさんシンドロームとは
「日曜の夕方、サザエさんのアニメを見ながら、翌日からまた学校や会社に行かなければならない」
と憂鬱になったりすることだそうだ。
サザエさんは18時30分からだが、
僕は19時30分からの世界名作劇場を観ながらそんな思いになった。
アルプスの少女ハイジ、フランダースの犬、ムーミン、母を訪ねて三千里、アンデルセン物語など、
子供向け文学とはいえ、人生の悲喜劇を含んだ内容に、
メランコリーを感じたのかもしれない。
この例は、ずいぶんと昔の子供の頃のことだが、
今でも、その思いと重なる時がある。
学校や会社へ行くのが嫌な理由があるわけではない。
それでも習慣的にそう思うのだ。
何もなかった日曜を過ごしたとしても。
日曜日の夕方、
外出し、芝居を観ながら客席にいる。
そんな場面でもサザエさんシンドロームのメランコリーは訪れる。
楽しかった旅先からの帰りも訪れる。
家路に帰る車の渋滞の中で
学校や会社のことを具体的に考えるわけでもないのに
言い知れぬメランコリーが訪れる。
「座る」は、
本来は安息のための道具である椅子に座ることができない女のことを描いている。
二足歩行の人間は一生立ち続けることはできない。
ところが女は訳あって、椅子に座ることができない。
部屋には豪奢な椅子のコレクションが並んでいる。
女の夫の趣味である。
まわりからは椅子屋敷と呼ばれている。
その前の奥さんもそのまた前の奥さんも
いつのまにかいなくなったと
不吉めいた暗示が
登場人物たちが、
手持ちの仮面をつけ地顔を隠すとコロスにも転じるという演出で告げられる。
主人がコレクションする椅子の名称を表す固有名詞が
連発され、ある種のリズムと雰囲気を作る。
役者は、言い慣れぬ固有名詞を活舌よく語ることで、
特有な世界に入り込む。
もちろん衣装や舞台セットや照明や音もその世界を作るのに貢献する。
役者は普段言い慣れぬセリフに腐心するのもいいのかもしれない。
余計な感情表現をすることに気をとられなく、
結果、的確な演技になるのかもしれないと思ったりした。
説明がなくなるのだ。
観る側は想像する余地が生まれる。
キーとなるのが家に出入りする
椅子販売業者の女である。
淡々と明確に演じることで、
観客は勝手に謎を深める。
妻である女の2人の妹は
それぞれ特徴がある役回りで、
話を展開させるのに寄与する。
謎解きは明かされ、
椅子屋敷の女の状況は変わるが、
本質は変わらない。
ラストは決着をつけすぎた感じがしたが、
女の言い知れぬメランコリーは続くのであろう。
終幕時にはサザエさんの放送時間は過ぎていた。
もちろんサザエさんシンドロームに
「サザエさん」にまったく罪はない。
ずっとお茶の間に笑いを提供し続けてください。