穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホールでこまつ座&世田谷パブリックシアター「シャンハイムーン」を観た

カテゴリー │演劇

3月24日(土)17時~

中国の上海にある日本人夫婦が営む書店、内山書店。
多くの人に本に接してもらいたい思いがあらわれた
ロビーのような趣のある店内には、
「阿Q正伝」などで有名な中国人作家魯迅もやってくる。

蒋介石の国民党に反日を訴える魯迅は目をつけられている。
といっても、魯迅は若い頃、日本の仙台で医学を志し、
途中で文学に転じ、国民的作家になったが、
日本人のファンが多い。
魯迅は、第2夫人の広平とともに
この地に身を隠し生活している。

上海では、売春婦の数が増えていて、
その客の数は日本人が一番多いという情報が劇中触れられる。
つまり居留する日本人が多いということだ。

戦争でなくても国が違うと
同じ場所にいると無意識に陣地争いをする。
どちらが優位であるか。
自分たちの陣地を増やそうとする。
それは相手の陣地を奪う事でもある。
この後、満州事変、日中戦争と進んでいく。

晩年を迎えている魯迅は体のあちこちを悪くしている。
若い頃は医学を志していたにも関わらず、医者嫌いで、
書店でも医学本のコーナーには寄り付かないくらいだ。

そんな魯迅の痛んだ体を治そうとまわりが躍起になるのが、
この物語の骨子。
みんな魯迅のことが大好きなのだ。

魯迅文学のファンであり、主治医である日本人の医者と
母親が中国人である日本人の歯医者が、
魯迅の体を診察しようとすうが、魯迅はそれを許さない。
「体」より「精神」が大切なのだとも言う。
そこで、笑気ガス(麻酔)で、眠らせてそのすきに治療をしようとする。

ところが、笑気ガスにより、
人物誤認症なる症状があらわれ、
まわりの人たちを他の人物と見間違え、
途端にしきりに謝りだす。

医学を志しながら道半ばで転じたことを恩師に詫びる。
亡くなった革命家に自分だけ生き残ってしまったことを詫びる。
自分の文学のファンに何も変わらなかったことを詫びる。
北京に残した第一夫人に幸せにできなかったことを詫びる。

あげく魯迅の医者嫌いが、
自殺願望症の故であったと結論付ける。
そして、尚も魯迅の体を治すため、
間違えられた人の振りをして、
魯迅に対する。

特に広末涼子さんが演じる第2夫人の広平の立場はつらい。
第2夫人が第1夫人の振りをするのだから。
魯迅役の野村萬斎さんのほか、
芸達者が揃う配役である。
セリフの中で複雑な状況も言わなければならないので、
長ぜりふも多い。

そんな中、広末さんは、
すべての状況を受け止める感受性の高い演技をしていたと思う。
これは、状況が複雑であれば複雑であるほど、
あまり余計なことをしない方がいいのかもな、と思った。
ただ、状況に身を置く、
と言っても、状況を理解していないと
それは出来ない。

他の人たちがセリフを発しているとき、
黙ってその様子をうかがう表情に
理解をため込んでいる気がした。
それがいざセリフを発する段になると活かされる。

きっと演出の栗山民也さんの演出はとても丁寧なんだと思う。
だからキャストもたぶん演じやすい。
翌日、ちょっと読んだ本にこう書いてあった。
「演劇はキャスティングが・・・パーセント」
あれ?何パーセントだっけ?
キャスティングの占める割合が多いことを記した記事だったが、
正確な数字を忘れてしまった。
海外の演出家が演出について書いた本だった。
ただ、立ち読みした本なので、
手元にはないし、本のタイトルも定かではない。
結論としては、
キャスティングはとっても大事だ。

1991年1月に初演が演じられた井上ひさしさんの作品。
企業人や芸能人や政治家など
謝る姿がひんぱんに見受けられる昨今、
謝罪するということは興味深いモチーフ。
国が国に謝るということは解決しない
遠大な課題でもある。

魯迅が謝る姿がそのことを象徴しているかどうかはよくわからない。
謝って済むものでもない。
かと言って、謝らなくていいというわけではない。
但し、心から謝ると、澱が取れて、
何となく、いつもよりも月が清々しく見えるものだ。

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