浜松市地域情報センターでM-planet「カノープスの刺客」を観た

カテゴリー │演劇

1月27日(日)17時~

2006年5月、劇団からっかぜアトリエにて上演された作品の再演。
開演前、前説者により
13年前の上演の際観た人に挙手を求められた。
あまり挙げる人がいないように見受けられたが、
僕から遠い席の人が2名手を挙げた。
白状すると僕も観た。
手を挙げるタイミングを失したと言っておこう。

13年も前と言うこともあり、
失礼ながら話の内容はあまり覚えていなかった。
ただ、タイトルに含まれる「刺客」と言う言葉で思い出した。

当時、小泉内閣の郵政民営化を焦点とする選挙で、
反対する同じ自民党の候補を公認せず、
賛成派を送り込むという手段に、
「刺客」と言う物騒な言葉がマスメディアにより使用されていた。
刺客とは暗殺者の意味。

しばらく休団していたM-planetの再スタートは
13年前の作品の再演が選ばれた。
また、7つの役の内5つは当時の配役の役者が
揃ったということだ。
休団にも理由があり、
再スタートにも理由がある。
7つの内5つのピースが埋まり、
足りないのは2つのみ。
実施までのそんな効率の良さもこの作品を選んだ理由だろう。
また、パンフには、
メンバーのリクエストもあった、と書かれている。
そうなのだ。
主宰者の意向のみではない。
望まれて上演されるのだ。

「カノープスの刺客」には
世紀(せいき)、拓人(たくと)、海(かい)という3人の少年が登場する。
他の登場人物は大人であり、
それぞれ重要な役ではあるが、
3人の少年たちの物語と言っていい。
話は大人の事情が絡んだミステリーであるのだろうが、
僕にはそう思えた。

「問題」はすべて大人たちが要因となる。
少年たちはいつも被害者であり、
翻弄され続ける。
それは同時に体験者ということであり、
感情の吐露や心の動きがドラマ全体を推進する。

冒頭、細本数子という有名な占い師
(細木数子さんと極似した名だが、このパロディも13年前の作品らしい)
と世紀が出会い、手相を観る。
つまり、少年の未来だ。
少年の未来は本来
まだまだ長く、輝きに満ちているはずだ。
ただし、世紀は川で言うとずっと下流、
社会の中でも最下層にいるという。

未来ある少年の逆の象徴として
若くして老いる病、早老症に侵された
「小さなおじいさん」と呼ばれていた男の存在が示される。
そして、彼はすでに死んでいる。
少年であった男の未来は短かった。

3人の少年役の内、2人は13年前にも演じた。
13年分年を重ね今や30代。
一方残る1人は新人で
ほぼ初めて舞台に立つという。
もしかしたら10代かもしれない。

この組み合わせが今回の公演を象徴している。
30代で取り組む少年役に戸惑いながらも
この作品の上演を望む。
そんな複雑さの上に演劇はある。
そして、未来を演じる。
劇団の未来を重ね合わせて。

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