静岡芸術劇場でNODA・MAP「THE BEE」を観た

カテゴリー │演劇

23日(土)19時~
登場人物は4人の70分の芝居である。
4人とは宮沢りえ、池田成志、近藤良平(コンドルズ)、野田秀樹である。
またNODA・MAP番外公演とある。
番外というのがどんな範疇なのかよくわからないが、70分というのは比較的短い上演時間であり、4人という限られた人数による凝縮された芝居といえる。
僕は2007年に東京・三軒茶屋のシアタートラムで同じ作品「THE BEE」を観た。
近藤と野田以外の2人は別の役者が出ていた。
同時多発テロ9.11に触発され書いたとされる。
ただし僕が面白いと思うのは2006年、ロンドンで初演された作品は英国人俳優たちと数カ月のワークショップを経て、英語で書かれたということだ。
つまり役者たちと共同で作り上げたと言える。
英国留学経験もあり、英語で台本を書くくらいだから英語には明るいのだろうが、決して母国語ではない野田が、母国語とする俳優たちと「英語」で格闘する。
創作には追い風ばかりが薬になるのではない。
向かい風、アウェー感が大きな力となる場合がある。
スリリングさ
不安定さ
リスキー
賢い表現者はあえて、意図的にそんな場に自分を置く。
でもそんな人は少数かもしれない。
やりやすさ
安定
経験と実績
これらが頼りになるのはよくわかってる。
これらをみすみす捨てるなんてことはお勧めできない。
でも時にはあえてそんな場に自らを置く。
しれが「番外編」なのかもしれない。
ある意味「野田英樹」ブランドは演劇界では超然と確立しているので、挑戦もしやすいのかもしれないが。
いや、そうではないだろう。
きっと、常にチャレンジし、生まれ変わり、新たな自分で取り組んでいるだろう。
僕が観た2007年の公演はそんな言葉がぴったりに思えた。
(2006年の初演であるロンドン版の翌年日本語版も書かれ、英国版と日本版が野田以外は別キャストで上演)
野田が日ごろ芝居をやる舞台の中では狭い会場であるシアター・トラムで僕は震撼した。
芝居はこんな怖いだけでいいのだと、震えながら観ていた。
客入れ時流れ続けた70年代の歌謡曲(伊藤咲子のひまわり娘とか、今聞くとなぜかすべてB級に聞える曲たち)はそんな震えを前もって備えた緩衝剤のためにあったのだ。
この作品は2007年の演劇賞を独占する。
そんな作品が2012年、ジャパンツアーと称し、全国5か所で上演。
静岡芸術劇場でふじのくに↔せかい演劇祭2012参加作品として、静岡公演。
(英国人俳優と野田が英語で上演するワールドツアーもある)
感想は・・・。
この作品は1度見ただけでとてもよくわかった。
だから訴えかけてくるものも大きかった。
これはワークショップで作り上げたことによるのではないか。
作り上げるには共有しなければならない。
共有するには言葉は時には魅力的であってもわかりにくさやあいまいさは排除され、選び抜かれていく。
時にはわかりやすすぎて、美学的にはどうかと思う時にも、その作品が持つ目標のためには、わかりやすさに軍配が上がったりする。
それというのも共有しあわないと、先に進めないからだ。
英国人たちとの共同作業がよほど環境がよかったようだ。
それは明確な目標を持つ、観客をまっすぐに突き刺す作品を作り上げた。
もちろん野田はそんな成功(客観的に見て)に満足仕切ることはない。
その後同様に作った番外編「DIVER」では多義的な答えのない作品を作り上げたようだ。
(これは観てません。ネットでどなたかが多義的うんぬんと書いてました)
再び感想は・・・。
こんな作品は奇跡のようなもので、共同作業による創作はよほどいい環境が整わないと傑作は生み出さない。
だから6年後の再演はやはり6年後の再演だ。
新たに再構築なんてのは初演を成功させる以上に難しいのかもしれない。
初演は秋山菜津子
今回は宮沢りえ
やっぱ、りえちゃんだよなあ。
だって観るこっちがりえちゃんとして観てしまうから。
「ほんとに虐げられる役を出来る役者などいるのだろうか」
ほんとに虐げられると可哀そうを越え、無になる。
それは逆に凛とし、強ささえ帯びてくる。
あげく死んでしまう(殺されてしまう)
感想は・・・。
宮沢りえにこのような役を挑ませてしまう芝居を作る野田秀樹って。
そりゃ、売れるわけだ。

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