本日から戯曲を書き上げるまで日記をつける宣言

カテゴリー │戯作者たわむれ日記

いわた表現の会からころで「朗読をするための本をさがそう」という提案した。
そこで、読むべき本はないかと、家にある本を引っ張り出したりした。
その過程で、手に取った坂口安吾の「堕落論」をパラパラと読んだ。
そのなかに「戯作者文学論」という文章がある。
小説家である安吾がなぜ「戯作者~」と称しているかと言うと、「私はただの戯作者、物語作者にすぎないのだ。~」などと述べている。
安吾が漱石の長編を一通り読り読んで、人間関係に肉体がまったく書かれていないのに触れ、対して、自らの小説の中で、ひと組の夫婦のつながりをあるべき心と肉体をもって描きたいと考えていた。
その小説を書く安吾自身が、「日ごと日ごとに何事を意図し、どんなふうに考えたり書いたりするか、日記をつけてみようと思ったのだ」とある。
僕も少し真似する。
他にも書く理由はある。
そちらの方が大きいかもしれない。
普段のブログは他人の作品について書くことが多い。
演劇、映画やその他。
観た上に、書く。
書くにあたり、すらすら文書が出てくるわけではない。
どんな作品だったか考える。
自分を引っ込めて、客観的にとらえる作業が必要となる。
不特定多数の人が読む可能性があるので、当然多少気を使う。
だから、多少時間がかかる。
そこで、ここはひとつ他作品から自作品にターゲットをぐるっと回転させようと考えた。
他にまわって自ではなく、できるかぎり自→。
スピード重視で、戯曲を書く励みとなる日々を語ろう。
目的は戯曲を書くことなのだ。
安吾の「戯作者文学論」にもある。
7月18日(曇、午後二時ごろより晴)の日記より。
「私はわざと筆をとらない。ふくらみつつある力をはかって、ねころんで本を読んでいる、なんとも壮大で、自分がたのもしい。
架空の影の虚しい自信と力なのだが、それを承知で、だまされ、たわいもない話だが、それでほんとに、いい気なのだから笑わせる。」

※なにか観たらそれはそれで書きます。

7月24日(晴)
いつものように仕事。
帰宅してからこのブログ書く。
主に火曜曲という音楽番組の特番を観ながら書いた。
昼間、移動の車の中で、「雨 or 晴」というキャッチフレーズを思いついた。
帰宅したら書きまくろうと思ったが、その前に安吾の真似事日記をやろうということの方に盛りあがる。
準備は出来ているつもり、いや、出来ているのだ。
イチローがマリナーズからヤンキースにトレード。

本日から戯曲を書き上げるまで日記をつける宣言





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