3月20日(水祝)14時~鴨江アートセンター「二人 Vol.1」に出演すること

カテゴリー │演劇

2月25日の「生きるフリー素材」の後も、以下の芝居を観ている。

2月26日(月) 人宿町やどりぎ座で、劇団ストレイシープ×劇団渡辺 「班女」「アッシャー家の崩壊」
3月2日(土) 穂の国とよはし芸術劇場PLATで、市民と創造する演劇「地を渡る舟」
3月3日(日) 藤枝ノ演劇祭3へ行き、
蓮華寺池公園 野外音楽堂前芝生広場で、「お願い、だから笑って」、
ひとことカフェで、アートひかり「ねずみ狩り」、
生涯学習センターで、「清水宏スタンダップコメディ演劇祭スペシャル」の3本。

本当はそれどころではないとも思うのだが、
3月20日(水祝)に鴨江アートセンター104号室で、14時から行われる、
「二人 VOL.1」に出演する。

タイトルの「二人」とはダンサー二人の意味で、僕はそこには入っていない。
「テラ・ダンス・ムジカ」というユニットで、プログラムのひとつに参加する形だ。

昨年より、「テラ ダンス ムジカ」という、運営に携わる路上演劇祭Japan in 浜松で知り合ったメンバーとユニットを組むようになった。

テラは僕、寺田だが、あとは、文字通りダンス、そしてムジカはラテン語、イタリア語、スペイン語などで音楽の意味。
僕は、演劇的行為をするので、
結果、『演劇×ダンス×音楽』と、ジャンルを掛け合わせた上演となる。

2023年6月10日、路上演劇祭Japan in 浜松2023で、いじめられっ子の男の子が黒板に変身して復讐する「ブラックボードマシーン」、
11月3日、袋井のLive & Cafeマムゼルで、スーパーマーケットで死にたいと願う女が何となく生きて行こうとする「スーパーマーケット」を上演した。

ここ試みの恐ろしいところが、
お互いに会って、練習をあまりしない、ほぼ即興に近い形で行うということだ。

音楽の竹嶋賢一さん(チェロ、コントラバス、ギター等弦楽器)と加茂雄暉さん(サックス、ピアノ)の奏法は、
即興演奏だ。(アドリブ、インプロビゼーション)
1940年代のビバップに端を発するモダン・ジャズと言われるスタイル、と調べると書いてあるが、
僕はあまり良く知らない。

浜松市高台協働センターで、「子供の為の音楽研究会」という看板を掲げて、
ピアノのある大きな部屋にたくさんの楽器とたくさんのアナログレコード(とレコードプレイヤー)を持ち込んでいた竹嶋さん。
その部屋には子供どころか、竹嶋さん以外には誰もいなかった。
そんな不思議な空間に、たまたま用があり来ていた路上演劇祭Japan実行委員会の代表、里見のぞみさんが、
看板に興味を持ち、部屋に入り込むことから、出会いが生まれる。
そこから、路上演劇祭に関わるようになるが、その時、「演劇」「音楽」の区別は頭にない。

加茂雄暉君は、2022年の砂山銀座サザンクロス商店街での路上演劇祭にて、
杉浦麻友美さんの「はままつ・つながり・アート」で演奏したことから、始まる。
メキシコの高校生とZOOMでつながった「朝のリレー」でも自作の詩を読んだ。
竹嶋さんと雄暉君は、主に音楽的に気が合ったのか、それから良く、共に活動している。

ダンスの杉浦麻友美さんは、現代舞踊(モダンダンス)の団体に長く所属していて、今はフリーで活動を行っている。
その団体の紹介では、クラシックバレエ・リトミック・モダンダンスを基礎に訓練していく、とある。
日本の創作舞踊の礎を築いた石井漠さん、義妹の石井小浪さんの系列を引き続いでいる。
石井漠さんのお名前は、先日初めて読んだ「窓際のトットちゃん」にも新しい身体の動かし方を教える先生として、登場していた。
やはり僕は何となくはフーンと思うのだが、あまりよく知らない。
麻友美さんは、いつ、どこで、誰とでも踊りますよ、という無敵なスタンスで、あちらこちらで踊っている。
まるで、ぴーひゃらぴーひゃらまるこちゃんだ。
「何でもかんでもみんな~、(ウーベイビー)踊りを踊っているよ~♪」

今回、当初、ダンサーには、野中風花さんが出演する予定だったが、
外せない予定が出来てしまい、Yochhiさんが出演する。
どちらのダンスも僕はまだ拝見したことがない。
野中さんはベルリンに在住して踊っていたという経歴に単純に驚き、
Yocchiさんは男性らしい、それしか知らない。

後日追記。
→大変失礼いたしました。
女性であるということ、ご指摘受けました。

楽器を弾くことも踊ることもしない僕は、演劇を担う形になっているが、
これがまた難しい。
即興の中に入り込むには、即興で応じるのも方法だろうが、
即興で演じられる演劇をそんなに観たことがない。

稽古には場面設定だけで台詞や動きを自ら考えるという(地獄のような)稽古、エチュードという手法があるし、
即興演劇、インプロと言う言葉がある。
日本では聞きなれなくても海外では結構盛んらしい。(知らんけど)
演劇の為のワークショップや実生活で役立たせるための教室でも活用されているようだ。
例えば、さまざまな状況で、当意即妙に自発的な対応や行動が出来るようになる。
そんな魔法のような効果を得ることが出来たら、さぞ楽々と生きれることだろう。

ただし、そうした即興劇のみの演劇公演は僕が知る限りあまり耳にしない。
まるで即興みたいにセリフをしゃべっていると感じる舞台はあっても、
俳優はセリフを覚え、稽古を積んで舞台に立っている。

浜松市内で、即興劇のみの公演を観たことがある。
それは、一堂に会した何人かの俳優に対し、お題(テーマ)が出て、それに即し、即興劇が始まり、ほどいい所で締める。
たったひとりの俳優が、即興で演劇を作っていくのではない。
共演者がいて、全員で協力しながら、登場人物を決めたり、場面を作り、話を進めていく。

お題が変わり続々演じられ、結果、何本かの短い劇が出来上がっていく。
その発した言葉を書き留めれば、戯曲が出来る。

つかこうへいという、劇作家・演出家は、俳優にその場でセリフを伝える、口立てという台本を使わない手法で演出していったというが、
稽古場が、劇作の場でもあったということか?
これこそ、劇作の即興力とも言えようか?

ただし、そんなことをやっている人はめったにいない。
トップレベルのプロ野球で投手と打者の二刀流が大谷選手くらいしかいないように。
もちろん僕などにそんなことは出来ない。

だから、僕は、テラ・ダンス・ムジカで行うとき、事前に台本を用意する。
即興のダンスや音楽に即興の言葉で挑めば、
たぶん、公衆の面前などで、ひとりでぶつぶつ言っている方と同様になってしまうだろう。
それは、何か意味があることかもしれないが、聞いてるまわりの人がそうは思ってはくれない。

用意した言葉を、その場で思いついたように表現できれば良いが、
どのようにしたらいいだろう、と考えるうち、
テレビで、ミュージシャンのボブ・ディランの詩を取り上げていた。
ディランの詩は、ノーベル文学賞まで受賞したが、
彼の詩を、古代ギリシアのホメロスの詩と結び付けていた。

当時、詩=歌で、詩人は歌手と呼ばれていたそうである。
つまり、詩は石に刻まれたり、紙に書かれた文字で完結していなくて、
人々に対し、語られていたそうだ。
口承と言う。
ホメロスは盲人であったと言われていて、
「イーリアス」や「オデュッセイア」などの叙事詩を伝えるには、語るしかなかったのかもしれない。

ディランはギターで旋律を奏で、詩を歌い、伝える。
僕と同様に語るべきものでもないが、
「詩を伝える」
という意味では、ああ、そうか、と思った。

言葉の切れ端が積み重なり、詩となるし、戯曲ともなる。
そういう気持ちで、
言葉を投げ出そう。
(事前に書いた台本であるけれども)

そういう気持ちに至る。

今回書いたのがタイトル「名のなき人」。
ひとりの路上生活者を題材にした。
これは誰だろうか?
オレだろうか?

前置きが長くなったが、
言いたいことはひとつ!

「ぜひ見に来てくださいね!!」

お問い合わせは僕のアドレスでもOK。

tetora@kyj.biglibe.ne.jp

※チラシの出演者変更
野中風花→Yocchi