「寿歌」を観に行った

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■「寿歌」を観に行った                  
               フィールド  寺田景一 


先週3月25日、愛知県芸術劇場で、SPACとの共同企画「寿歌」を観た。
僕が以前いた劇団「踊ら木偶」の元メンバーらと行った。
「寿歌」は、名古屋を中心に活動する北村想により、1979年12月に初演された作品。
踊ら木偶は、北村想の戯曲の上演を3作行っている。
「機械仕掛けの林檎」、「ダックソープ」、「想稿・銀河鉄道の夜」である。
また、北村想の作品は、学生やアマチュア劇団が、頻繁に上演されていた。
今の話ではない。
この作品での岸田國士戯曲賞の受賞は惜しくも逃したが、「寿歌」誕生以後のことである。

僕が東京で大学生活を送っていた時は、バブルの前夜だった。
全共闘時代の学生のように夢中になるオモチャを失い、しらけ世代を経て、
そして、テニスとスキーを謳歌するレジャーサークルが大所帯のサークルとして幅をきかせる時代。
今はないが、僕もポパイやホットドッグプレスを《中途半端に》愛読していた。
就職するのを、全共闘世代が負け犬として、葛藤するのなら、
就職を受け入れながら、その前に遊び倒してやろうと開き直る。

北村想の作品は、どこかその中に入り切れない人たちの気分を表していたように思う。
「寿歌」は核戦争後の世界を舞台にしている。
まわりは瓦礫の山である。
自動操作によりオペレータのいない残った核兵器がまるで花火のように時々飛び交っている。
放射能がまるで蛍のように光っている。
つまり、一度、今あるものが、すべてチャラになった世界。
これは、潜在的な破壊願望も内包している。

人が誰もいないと思われる場所にリヤカーを引っ張ったゲサクとキョウコという男女の旅芸人が現れる。
2人が芸を見せる相手は誰もいない。
そこに、一人の男が現れる。
ヤソと名乗るが、ヤスオと聞き間違えられる。
ヤソとは言うまでもなく、キリストのことを表す。

そこで語られるのは、どこまでも軽い、即興漫才のような会話である。
軽薄短小という言葉があるが、自ら選びとったというよりも、重厚長大の世界から逃げてきた、と言い換えてもいいだろう。
重く語るのを避ける。
軽く語ることにより、真実へ届く場合もある。
跳躍力が増すのである。

このスタイルも、何か表現したい人にとって受け入れやすかったのではないか。
経験の少ないアマチュアや学生にもむしろとっつきやすかったと思う。
それは実は、難しさもはらんでいる。
入りやすそうに見えて、思ったよりも難しかった。
でも戯曲は最後まで書かれているので、とりあえず上演にはこぎつける。
そんな上演もきっと多かったと思う。

今回演出の宮城聡さんは、北村想の作品のことをあまり知らないようなことを言っていた。
以前、唐十郎や野田秀樹の作品をやったことがあるが、この2人は好きで、影響されていることを公言している。
このことを僕はむしろ面白いと思った。
愛知県芸術劇場とSPACの共同企画ということで実現した題材なのかもしれない。
但し制作者との関係のなさが、新たなものを生むことになることは、珍しくはないだろう。

静岡県西部連絡会会報4月1日号より

「寿歌」を観に行った






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