万年橋パークビルhachikaiで円盤に乗る派「正気を保つために」を観た

カテゴリー │演劇

6月30日(土)19時~

今回公演から名乗る「円盤に乗る派」は
それ以前は「sons wo:」と名乗っていた。

カゲヤマ気象台さんによる演劇の上演を中心に
複数の作家・表現者が一緒にフラットにいられるための時間、
あるべきところにいられるような場所を作るプロジェクト、
とチラシに記されている。

「STONE/ストーン」という生活状態(ライフスタイル)誌を公演に合わせて刊行するそうで、
「STONE/ストーン」付きの公演チケットもあったが、
僕は観劇のみの公演チケットを購入した。
刊行の意図を読まず、
安いからという理由で、なしを購入したが、
そちらを読めばまた違った感想を抱いたかもしれない。

ここ数作拝見した
sons wo:時の作品は
SFの形態をとっていたように思う。
過去や未来
文明が滅びた後だったり、
また新しい文明のあけぼのだったり。

それは逆説的だが
いま私たちと生きている現場と、
あえて距離を取ろうとしていたのではないか。
そう推測する。

今というものを現実から表そうとすると
例えば情報に左右される。
例えばスマホとか、
SNSとか、
今ならワールドカップサッカーとか、
目まぐるしく変わる国際情勢とか。
それは一方足かせになる。
それを望む表現者もいれば
望まない表現者もいるだろう。

もちろん現実に射程を置いている。
限りなく離れたところから現実を見据えている。
それが有効かと考えたのではないだろうか。

ところが、
今回の場所は今だった。
そして日本人である僕たちが
生きている場所だった。
東京という場所であり、
家族や友人という関係性をすでに結んでいる。
まわりには
既成の音楽も映画も食べ物や生活品などもあふれかえっている。
就職もしないといけない。
何らかの形で稼がねばならない。

登場人物たちは
あふれる情報の中から
各自慎重に選び取ったものを提出する。
探偵になるのも選び取ったはずだし、
演劇をやるのも選び取った。
西伊豆のバナナわに園に行くのも、
映画「チャイナタウン」を観ながら途中寝てしまうのも。

普段しゃべることも
普段の体の動作も選び取る。
瞬時の判断もあれば、
長年積み上げてきたものもある。
無意識だろうが意識的であろうが。
選び取った結果は、
ここでは観客の眼前に現れる。

それらを時間をかけて様々なシチュエーションで
観客に提示できればいいが、
そうはいかないので、
限られた時間にひとつの場所に集められて
一挙に提示されるのが、
演劇とも言える。
それは「ライブ(live)」という言葉と置き換えることができるだろうか。
「ライブ」とは一般的には音楽のジャンルで使うことが多い。

オリジナルと思われる音楽もいくつか使われていたが、
既成の音楽を多用していた。
音楽はそれ自体多弁であり
ちょっとどうかな、と思うところもあるが、
音楽は演出にとって重要なファクターなのだろう。

どれだけ慎重に選び取ったもので積み上げていっても
コントロールできないことは多い。
例えば、大事な誰かが死ぬこと。
他人の存在自体コントロールできないものだ。
コントロールできるものとできないものとの
齟齬が物語とも言える。

物語の中で、
登場人物たちは
あえぎ、足掻き、
行動する。

それが、
今を生きることであることであるというかのように
作者は集団の名前を変えるとともに
今を舞台に選ぶ。

終演後、
ポスト・パフォーマンス・パーティー!と題し、
山川、Soushi Mizunoのライブあり。
こちらは音楽ライブ。

万年橋パークビルhachikaiで円盤に乗る派「正気を保つために」を観た



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