ギャラリー遥懸夢で映画「ガザ 素顔の日常」を観た

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11月26日(日)10時~

鴨江アートセンターへ向かい歩く途中で立て看板を見かけたのだと思う。
それがこの上映会を知ったきっかけ。
スマホの写真を確認したら、11月5日夕方だったので、
路上演劇祭のための街歩きの日だ。

映画が制作されたのが、2019年。
ここで描かれている攻撃で亡くなったのが50日で2200人。
今回10月7日、ハマスのイスラエルへのミサイル攻撃から始まり、
イスラエル約1400人(11月5日)、パレスチナ1万人以上が亡くなっている。

パレスチナの行政自治区ザザ地区に住む人たちの日常を追ったドキュメンタリー。
もちろん、日本に住む僕たちの日常とは違う。
海外渡航は自由にできないし、海外からの入国も同じ。
パレスチナ人が住むエリアのまわりに、分離壁が作られ、
イスラエルの兵士が監視する。

200万人くらいの人たちが名古屋市程度の場所に住んでいる。
人口密度は世界有数だと言うが、東京や大阪の都市部も同様だそうだ。

しかし、東京や大阪のようにインフラが整っていない。
舗装道路が少なく土埃が立ち、道端にごみが同居している。

細長い地区の片側は地中海だ。
テーマパークがあるのかどうか知らないが、
生活は海と密接している。
漁師の親を持つ子が、
漁船に乗り、操縦を学ぶ。
少年は親のように海に生きる人生を望む。

海は泳いだり浜辺で過ごしたり、
夏の湘南の海のようにごった返している。
水着を着ている様子はない。
沖縄の人は沖縄の海では水着を着ないと言うが、
同様だ。

サーフィンにいそしむ人がいる。
若者たちはつるんで、
青春映画のようにエネルギーを発散させている。
スマホを持ち、自撮りをする。

車やバイク(4人乗りの場面もある)も走っているが、
ロバは交通手段の重要なひとつ。

チェロを弾くひとりの女子学生は、
現実から逃れたいと弾き始めたが、
音を出すにつれ、表現する喜びの実感を語る。

集団で現代舞踊の表現をしている様子が映し出される。
舞台演出家だという男は、
発声や呼吸、顔面筋肉の運動などの準備の後、
野外で一人芝居の舞台に立つ。

3人の奥さんと多くの子を持つ男性は、
4人目を持ちたいが、生活が苦しいのでやめていると余裕ある様子で語る。

そのような“日常”の中、突然ミサイルが飛んでくる。
戦時下なのだ。
腕の一部をミサイル弾が吹き飛ばす。
人やロバが力なく横たわっている。

治療を施す緊急隊院はハンカチで涙をぬぐい語る。
「パレスチナ人以外のすべての人を憎む」
その言葉の意味は重い。

ひとりの女性が語る。
「以前は兵士になりたかった。
でも今は暴力でない方法で解決できる人間になりたい」

映像はどの場面もとても力を持っていた。
それは、撮影時の「ガザ」そのものであったからだと思う。
撮影者(映画制作者)たちの思いを聞いてみたい気がした。
ネットで探したが、その人たちの言葉や声は見つからなかった。

車いすのラッパーのシーンはとても印象的だった。
ひとつの音楽としても。

その日の夜TOHOシネマズで北野武監督作品「首」を観た。
命の重さに思いを馳せた後に、日本の戦国時代の話。
表現としては対照的とも言え、考えるところもあった。


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