浜松城公演中央芝生広場で劇団どくんご「愛より速く FINAL」を観た その1

カテゴリー │演劇

9月24日(日)19時~

劇団どくんごの公演チラシは豊橋に行った時、
何回か見かけたことがある。
豊橋で公演を行っていたのである。

テント芝居かあ。
どくんご?
どくって、毒か?
毒って名がつく劇団って。
でもひらがなだし。
ソフトな毒なのだろうか。

僕は、テント芝居だから
観に行きたい、
という志向が特別あるわけではない。

テント芝居は1960年代後半から
状況劇場の紅テント、
黒テントの黒テント、
新宿梁山泊の紫テント
など旅するテント芝居はあった。
他にもあっただろう。

それぞれテント芝居である必要があったのだと思う。
紅テントは、唐十郎の有り余る創造性が、
従来の枠組みでは捉え切れない独自の創作方法を選ばせたのかもしれない。

黒テントは、運動の演劇として、従来の劇場を拒否し、
自らの力ですべて準備し、客に会いに行く手段を取らせたのかもしれない。

紫テントは、主宰者らが状況劇場出身で、
唐十郎の影響を強く受けたのかもしれない。

その中では唯一唐十郎の後継者たちにより、
唐組芝居が、テント芝居を継続している。
そのほかは、さまざまな事情でテント芝居をやめている。
テント芝居だから、何か意味があるという時代は終わった。
演劇の上演手段は広がり、
どこで上演されようとそうそう驚かない。
前衛やアングラという言葉も何周かは廻っている。

そんな時代になぜテント芝居なのだろう。
劇団どくんごのことを全く知らなかった僕は、
頭の中ではどこかいぶかしげだった。

テント芝居は今も昔も変わらない特徴がある。
既成の劇場で行う場合、
プロモーターともいうべき興行主がいる。
自治体であったり、テレビ局であったり、
イベンターであったり。

しかしながら、テント芝居は
劇場とつながっていないので、
個人を主体とした招へい先とつながりを持つことで
上演が行われる。

つまりその劇団を呼ぼうという人たちが
公演場所の選定、
宣伝PR、
チケットの販売・集客、
入りから当日までのスタッフ
などをまかなう。

テント芝居は、
呼ぶ人たちの存在なしでは成り立たない。
僕が浜松で演劇を始めた時にいた劇団は
自分たちの公演の他、黒テントの招へいを行っていた。
僕は、鴨江観音で上演した「三文オペラ」の招へいを手伝った。
この後、テントの老朽化を理由に黒テントのテント芝居は幕を閉じる。

もう一度、黒テントを招へいした際も関わったが、
その時はテント芝居をやめ、劇場で上演する1作目だった。
Uホールで「ハザマとスミちゃん」という芝居が上演された。

それ以前、浜松では紅テントの状況劇場を招聘する人たちもいた。
また、紫テントの新宿梁山泊を招聘する人たちもいた。

劇団どくんごは1988年の初のテント公演以来テント芝居を続けている。
30年近くたつのか。
僕が知らなかっただけなのだ。
僕が知らない間、
全国の呼ぶ人たちに支えられて、
テント芝居を行ってきたのである。

浜松での公演は今回、初めてということだ。
浜松で呼ぶ人が誕生したということである。

僕は、劇団どくんごに関し、チラシ以上の情報を得ぬまま、
会場である浜松城公園へ向かった。

公演初日前日の22日に雨が降る中、
チラシの挟み込みの依頼に行き、
芝生広場に設置されたテントと楽屋を見たが、
そこに特別の感慨は抱くことはなかった。

まだ上演前なのだ。
彼らはこれからリハや準備が始まるが、
僕は僕の生活をしなければならない。

これだけは思った。
24日は雨がやんでいるといいなあ。

浜松城公演中央芝生広場で劇団どくんご「愛より速く FINAL」を観た その1


同じカテゴリー(演劇)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
浜松城公演中央芝生広場で劇団どくんご「愛より速く FINAL」を観た その1
    コメント(0)