木下惠介記念館アートホールで迷子の遊園地「おかしな朝」を観た

カテゴリー │演劇

10月29日(日)17時~

迷子の遊園地の旗揚げ20周年記念公演ということだ。
観劇した結果から言うと、
20周年にふさわしい公演だったと思う。

20年前には観ていないが、
15、6年前には初めて観ているのではないだろうか。

この作者はいい意味で、
それまでの自分を壊したのだと思う。
それがいつのことなのかはわからない。
もしかしたら、徐々になのかもしれない。

伝えたいことは変わっていないのだが、
伝え方がよくわかって来たのではないか。
そして、これはとても難しいことなのだと思う。

その結果、わかりやすさを生む。
言葉が立ってくる。
言葉をセリフとして伝える役者の存在が際立ってくる。

物語は、コケコッコーというニワトリの鳴き声の後、
パパとママと娘であるメメちゃんの3人の朝食の場面から始まる。
いつもと変わらない風景はパパとママから
「本」と「人形」をプレゼントされることから
何かが壊れ始める。

壊れの過程は作者自身が行ってきた壊しの過程であると思った。
それは言うまでもなく表現者として伝えたいことである。
劇団の表現であるが否応なく個人としての表現が現出する。
終盤の言葉の多さも、きっと言わずにはいられないのだろう。
言わないということも、ひとつの表現の手段でもあるが。

「本」と「人形」の物質はそれぞれ「オールド」と「クロ」と名付けられ、
象徴として役者により演じられる。
これが、他に適役はいないというキャスティングであった。
僕は20年がフラッシュバックされてくる気がした。

その頃同じ舞台を作っていた仲間と
今、同じ舞台を作る仲間は異なるだろう。
それらも含めて20年が眼前にフラッシュバックされる。
いろいろなことを言いたいのではない。
同じことを言いたいのだ。

会場が、芝居と合っていた。
演技エリアもふさわしい場所を選択していた。
食卓の背後にある元々備え付けの窓には
元々備え付けのアンティークな大きなカーテンがかかっている。

会場である木下惠介記念館は1930年に浜松銀行協会集会所として
中村與志平の設計により建てられた。
浜松大空襲からも焼け残り、
現在は浜松出身の映画監督木下惠介の功績を称え、
記念館として利用されている。
上演されたホールでは木下惠介作品など映画上映も行われている。

台風による雨音や車が走り去る音も聞こえたが、
それも必要なBGMのように聞こえた。
僕は中の緊張感を外の音で紛らわせた。

終幕後外へ出ると、雨はやんでいた。
翌日まで続くと予報されていた雨は
もう降りそうにない。

木下惠介記念館アートホールで迷子の遊園地「おかしな朝」を観た





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