浜北文化センター小ホールで絡繰機械’S「戯ガーデン」を観た

カテゴリー │演劇

22日(日)17時~。

「戯ガーデン」とは何だろうか。
「戯」は「たわむれ」と読む。
これは非常に土俵が広い。

例えば、戯日本と言ってもいい。
戯教室、戯家庭、戯会社、戯自分、戯世界、戯宇宙、戯未来、戯〇〇・・・。
言わば、何でも当てはまる。
すべては「たわむれ」で出来ていると言うことは出来る。

戯れで出来ているのだから、
作る人が、
「戯れで作ってしまった、。アハハ(笑)」
というのは、あたりまえのこととも言える。
権力を握る裳のの特権であるからだ。
思うように、出来るということも。

世界は神様が作ったと信じる文化ならば、
世界は神様が戯れで作った。
ひとつの国も、時の権力者が戯れで作った。

そこに罪があるとするならば、
その無邪気な戯れに、下の人たちが
影響を受けるからだ。

国の為政者にとっての国民。
社長にとっての社員。
家長にとっての家族。

社会はとりあえずそれぞれが主体的に生きているので、
そう単純ではないはずだ。
ただし、時に、社会は、至極単純なのではないかと思ったりする。

権力者と非権力者。
支配者と被支配者。

ニュートラルはないのだろうか。
砂漠のオアシスは。
森の泉は。

庭作りは具体的な作業が伴う。
場所を確保することが前提となる。
そのままと言う手もあるが、
多くは、手入れをする。
好みの植物があれば、種をまき、育てる。
土に手を加える。
どこかから持ってきた石を置く。
池を作ったり、滝を作ったり、
鯉を泳がせたりする。
ししおどしを置く。
日本寄りになったが、国が違えば、違う庭がある。
隣りに行けば、違う庭がある。
ほんとうはこんなに複雑なのだ。

この芝居では当然のように
結論は示されない。
ただ、客席に座る観客に、
無造作に状況が提示されるのみ。

そういえば、戯曲の「戯」も戯れ(たわむれ)だなあ。


浜北文化センター小ホールで絡繰機械’S「戯ガーデン」を観た



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