ライブハウス窓枠で倉﨑由佳フラメンコ教室発表会を観た

カテゴリー │いろいろ見た

26日17時開演。
からころの仲間が出演する関係で観に行った。
入門クラス、初級クラス、初中級クラスが日ごろの練習の成果を発表する。
但し普段の練習と違うのはカンテ、ギター、カホンとプロのアーティストたちがバックでつくことだろう。
パンフにこう書いてある。

『フラメンコは、"日々"そして"人生"の「喜び」や「苦しみ」を表現している芸術です』

エンディングに入る時、講師である倉﨑さんはその言葉を使った。
パンフを読んだのは後日だが、舞台上で語る言葉を聞いた時、「ああ、そうか」と思った。
それは直前に倉﨑さんが踊ったソロを観たからだ。
彼女の踊りとその言葉がつながったからだ。

「喜び」と「苦しみ」を表現している芸術。
それは多分ほとんどの芸術がそうだろう。
つまり共通することがあるということだ。






 

「まちから創る」発表他

カテゴリー │こんなことあった

26日12時旧松菱前に自転車で行く。
12時30分より路上演劇祭の岸井大輔ワークショップ「まちから創る」の発表会がある。
全5回の初級篇ということだが、今日は5回目を受けた人が作品を発表する。
僕は観客として参加した。
発表したのは2人。
1人はZAZAの前で「雨」というタイトルのマイムを演じた。
続く1人は「よじのぼる」というタイトルで、移動しながらライブ。
有楽街を中心に気になる建物をめぐる。
僕はひたすらついていく。
終了後、柳通りにある創業60年という喫茶店こんどうコーヒーへ。
夜の店が並ぶ通りのまん中にこの店はある。
なぜかママと芸者の話になり、昔は浜松まつりの開幕に市役所前で芸者衆数十人が木やりを歌ったりしたそうだ。
その後、はままつ町つくりセンターで芝居のようなものをやっているということで、僕もついていった。
芝居ではなくて、町つくりに関連したプレゼンテーションのイベントだった。
10分の持ち時間で様々な団体が順番に言いたいことを言う。
そんなイベントだ。
ずいぶん長い時間やっているらしかった。
知り合いの発表が済むと席を立つ。
再び外へ出て、万年橋パークビルの1階にあるたけし文化センターのコミュニティスペースがあると聞き、行く。
どうしてそんなにうろうろしてるのかと言うと、17時開演のフラメンコの発表会を観に行く予定があるのだ。
ライブハウス窓枠で行われる。
そして、同行者たちと別れ、開演に間に合うように、万年橋からすぐそばの窓枠に向かった。






 

「太陽の塔を生んだ男 岡本太郎・・・愛も芸術も爆発だ」を観た

カテゴリー │テレビ

25日21時からNHKテレビで。
その前の日も同じNHKで「瀬戸内寂聴が語る究極の愛 太郎と敏子」というドキュメントをやっていた。
なんでも岡本太郎生誕100年だそうだ。
太郎を生涯支えたという敏子さんのことは初めて知った。
夫婦の関係ではなく、最初は太郎の秘書として、追って養女として、
でも太郎を愛情をもって全身で包み込んで支えた。
太郎の母、岡本かのこのような女性。
としてドラマでは描かれていた。
岡本太郎は松尾スズキ、敏子は常盤貴子、岡本かのこ(ドラマではすでに遺影だが回想で登場)は寺島しのぶが演じた。
ドラマの中でたまに実際の太郎たちの姿が当時の写真等で映し出されたが、驚いたのは松尾スズキが太郎の父一平(時事漫画家であった)にとても似ていたこと。
そして、寺島しのぶもかのこ自身ととても似ていた。
岡本太郎役は松尾スズキ以外いなかったのではないか。
そんな気がした。
かつてはビートたけしがバラエティとかでも物真似をやっていた。
たけしが太郎役をドラマや映画で演じたことがあるかどうかは知らないが、
「芸術は爆発だ!!」
と見得を切る仕草は有名で、あまりに実際の太郎のイメージが強く、
例えば田中角栄の役を演じるような難しさがあると思う。
織田信長やジャンヌ・ダルクは実際の姿は限られた資料の中にしかないので、俳優なりにイメージをふくらませることができるが、映像が発達し、実際に動き、喋っている姿をよく知っているとどうしてもそのイメージから抜け出るのが難しい。
見る側も先ず頭の中の本人のイメージと重ね合わせながら見る。
という条件の中、松尾はとてもよく太郎を演じていたと思う。
表に出る「芸術は爆発だ!!」の部分と内面の太郎の部分をよく演じ分けていた。
それは単なる物真似に走らず、むしろ抑制されていた演技で、人間岡本太郎を伝えていた。
そして、何より本来携えた松尾自身の“太郎的”な所は太郎を演じるのに役だっていたと思う。
元々絵を描く松尾が絵を描くシーンは確かに説得力があった。

写真は3年前、青山の岡本太郎記念館にて。




 

演劇ワークショップと路上演劇祭野外上映会

カテゴリー │こんなことあった

6月18日 10時~からっかぜアトリエで「演技ワークショップ」。
5月28日、6月11日に続いて、3回目の最終回。
講師は松本永実子さん(JOCO企画)
毎回宿題が出た。
1回目は歯磨きをどうやってやっているか観察してきて、次の会にやってもらうということ。
2回目は一篇詩を選び、覚えてくるということ。
選ぶのは歌の歌詞でもいい。
帰宅後、何を選ぶか考えた。
自宅にある詩集たちを引っ張り出した。
宮沢賢治
中原中也
萩原朔太郎
谷川俊太郎
ランボー
寺山修司
・・・
とぱらぱらとめくっていてすぐ気がついた。
詩との距離に。
普段決して愛読していないことに。
決して愛唱、口ずさむことなどまったくない。
1週間では足りないと思った。
距離の近い詩。
思いついたのは音楽。
4月のからころ公演のエンディングでサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」をみんなで朗読した。
5月の路上演劇祭ではボブ・マーリーの「ノー・ウーマン ノー・クライ」のリズムに勝手に歌詞をつけ、歌った。
ボブ・ディランの歌詞も使えそうな気がした。
「見張り塔からずっと」を覚えようと思った。
この歌詞はほとんど寓話だ。

以下「見張り塔からずっと」

「ぬけだす道があるはずだ」とペテン師が言った。
「あまりにもややこしく息つくひまもない。
経営者たちは俺のぶどう酒をのみ、農民たちは俺の土地をたがやす。
そいつらのだれ一人としてそのことの価値を知らない」

「そう興奮しなくてもいいさ」と泥棒はいたわって言った。
「俺たちの仲間でも多くの奴が生きることはペテンにすぎないと思っているさ
だがあんたとおれはそんなことは卒業したし、これは俺たちの運命じゃない
嘘をしゃべるのはよそう 夜がふけてきた」

見張り塔からずっと王子たちが見張っていた
すると女たちはみんな出たり入ったり、はだしの召使もそうしていた

遠くのほうでヤマネコがうなった
馬に乗った男がふたり近づき 風が吠えはじめた。


以上。
でも、結局は以下にした。
同じく歌詞ではあるが、元々日本語の歌詞だ。

「誰のせいでもない雨がふっている
仕方のない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子どもが責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く月日すべての悲しみを癒やせ
月日すべての悲しみを癒やせ」

中島みゆきの「誰のせいでもない雨が降っている」を覚え、最終回の演技ワークショップにのぞんだ。
午前中、素読みしたときに、このような芝居をつくりたいと思っていると言った。
それはほんとである。
だから常に聴いていたのである。
でも、今回覚えてみて初めて内容を知った。
そうなのだ。
何回も聴いているようだが、いかに無意識に聴いていることか。
歯ブラシもそうだ。
毎日やっていることだが、いかに無意識に行っていることか。


ワークショップを予定の16時を少し越えて終了する。
もっと話をしたいと思うがそうもいかない。
こういうことはよくある。
この後、車で浜松の北へ北へ。
滝沢町で行われている路上演劇祭つながりのバーベキューに向かう。
すでに昼すぎから集まり始まっている。
路上演劇祭のDVDをプロジェクターで野外上映会。
雨も降りだしたが、天井に貼ったブルーシートのためあまり濡れなかった。








 

ショートストーリー劇場 ~ 天竜二俣駅にて

カテゴリー │いろいろ見た

男が駅に着くと、どこかで会ったことがあるような顔があった。

「コ・ロ・助?」































男は改札を通り過ぎ、ふと振り返った。

「あ、波平か・・・。いや、足元は鉄腕アトムか・・・。なぜ、クサリでつながれている?収監されるのか??コロ助よ、いや、波平よ、いや、アトムよ、いや、センターベンツの男よ。変なエリの男よ。その服どこで買ったのだ???」



 

5日秋野不矩美術館へ行った

カテゴリー │こんなことあった

朝、自転車で家を出て、浜松駅でぐるっと遠州東ルートのチケットを購入。
浜松駅からJRで掛川駅。
朝9時30分頃集合。
天浜線に乗り換えて天竜二俣駅。
ぶらぶら歩き、よく知る仲間の店に寄り久し振りの再会。
11時30分に寿司やに予約をとってあり、昼食。
そのまま秋野不矩美術館へ。
「秋野不矩・小野竹喬二人展~灼熱の太陽と茜色の空」
4月23日から続く特別展の最終日。
とは言え、見やすく、ゆっくりまわる。
何度か目の来館だが、下から坂を登り、建物にたどり着き、館内に入ると靴を脱いで鑑賞するスタイルがいつきてもいいな、と思う。
靴を脱いで見る美術館を他に知らない。
(調べればあるだろう。世にある美術館の内わずかな数の訪れた美術館の経験値からだ)


















観覧後、またまた合流、歩いて再び天竜二俣駅へ。
13時45分からの国指定登録有形文化財という転車台を見学。


















約45分の見学後、またまた歩いて「むらせや」という洋・和菓子屋へ。
ぞろぞろとばらばらと好きな菓子を選び、店内の休憩所で菓子を食べ、出してくれたお茶を飲む。
帰り道、でかいというよりアンコ大量の大判焼きを購入、食べながら二俣本町駅へ向かう。
天浜線で西鹿島駅。
遠鉄電車に乗り換え、新浜松駅まで。
この日は19時から西部演劇連絡会。
自転車で森田町のスペースCOAに向かう。
からころの4月9日の公演の打ち上げで話が持ち上がり、本来5月1日の予定が雨天のため延期され実行された「小さな旅」でした。








 

5月22日ミルゥで「イノトモ」ライブを聴いた

カテゴリー │音楽

先月22日19時~浜北区ミルゥでイノトモのライブ。
一ヶ月前案内をもらった時、このミュージシャンの名を知らなかった。
「一人でアコーステックギターの弾き語りをする人」
勝手に男のミュージシャンだと思った。
そう思ったまま会場であるケーキショップ「ミルゥ」へ行った。
イノトモさんは女だった。
飲み物とスープとおやつがついていた。
「十分晩ごはんになりますね」
と、たまたま隣あわせた僕より年上の女性と話をした。
前半はギタレレという楽器でライブ。
ギター+ウクレレ÷2でギターより小さくウクレレより大きい。
後半はギターに持ちかえライブ。
みんなの歌やCMソングやどうぶつ奇想天外のエンディング曲。
ユーミンの「やさしさにつつまれたなら」を歌い、いい歌詞だと言っていた。
最後にりクエストにこたえ「しろつめ草」という曲を歌った。
また隣の女性と
「最近しろつめ草の髪飾りを編む子ども見かけませんね」
という話をした。
その女性は佐鳴湖のそばに住んでいて、しろつめ草はたくさん咲いているのだそうだ。
でも、髪飾りを編む子どもは見かけない。
近くの神社の前を通った時、思った。
子どもの頃毎日のようにここで野球(ソフトボール)をやったけど、ここ何年もそんなことやってるの見たことがない。
だからどうだというのではないけれど。
ライブ後、客たちは不要だという椅子を必要な人は譲り受けた。
僕は多くが所有者の決まったのち、月の椅子を頂いた。
「おまえにあってる」
と言われ、ありがたく持ちかえろうとした。
つくりが華奢に思えたので、ひょいと持ち上げようとしたが・・・重かった。
背も足も鉄製の椅子は重い。
こんな重いという感覚の椅子を持ちあげたこと今までにあったかな。
多分ない。
木製とかアルミ製とか。
明らかに重いと思われるソファーなんかは引っ越し屋でもないので持ちあげる機会はない。
「俺は鉄製の椅子を持ちあげた記憶がない」
一旦店の外に出し、少し離れた場所に停めた車をとりに行く。
そして、椅子をつめこみ、家へ帰る。
ライブの時テーブルに銀河高原ビールの瓶が置いてあり、ノンアルコールの飲み物を飲む僕は
「いいなあ」
と言っていたので、スーパーに寄り、缶ビールを買って帰った。
そういえば、前日の路上演劇祭のあとも恵比寿ビールを飲む人を前にして、コーヒーを飲む僕は
「いいなあ」
と言っていたので、帰りに同じ恵比寿ビールを買って帰った。
ライブの後は銀河高原ビールでなく、格安の第3のビールだったが。





 

路上演劇祭JAPAN in 浜松2011 PHOTO

カテゴリー │路上演劇祭

5月21日(土)午後 浜松市街中「モール街」にて


オープニング
  モール街を南下する。



















あずるみ「闇から生まれて~ふたりはひとり」より
  ふたりでやる作品は今回初めて上演。彼女らは今度ベネズエラでも公演するそうです。
















アイセセッセセイス「Eco」より
  浜松と豊橋で生活する、ジルソンほかブラジル出身の演劇人たちです。


















里見のぞみ「ここであなたと会う」より
  のぞみさんのパフォーマンスの末、袋をかぶるはめになったふたりです。
















エンディング
  旧松菱の前です。

















尚、写真は浜松写真連絡協議会の方々が撮影された写真を使用させて頂きました。
ありがとうございます。