渋谷道頓堀劇場へ行った  その2

カテゴリー │いろいろ見た

渋谷道頓堀劇場は
渋谷区道玄坂にあるストリップ劇場である。

ウィキペディアで知ったのだが、
「道玄坂劇場」とするつもりだったのが、
看板ができあがったら、
手違いで「道頓堀劇場」となっていて、
そのまま「道頓堀劇場」となった説があるそうだ。
言うまでもなく、道頓堀は大阪の有名な繁華街である。

一番はじめに行ったのは大学の時。
入ったサークルの歓迎会の流れで連れていかれた。
その時の行く名目が、
「ストリップだけど、演劇のようだよ」

酔った流れで行くストリップ劇場は
同じような流れで来た客たちでいっぱいで、
後方の席から客と客の間を縫って、
舞台上の踊り子さんたちを観ていた。

その頃は、合い間に、芸人によるコントが入り、
コント赤信号、ダチョウ倶楽部、ピンクの電話、杉兵助さんなどが
舞台に立っていた。

その後も何度か観に行った。
主にひとりで行ったので、
混んでいる夜というより
比較的すいている早い時間に行った。
演劇として観に行ったというのは
あくまで名目であるが、
今回久しぶりに行って、
やはり演劇だなあと思った。

東京から高速バスで帰る時、
ネットを見ていたら、
小説家の桜木紫乃さんが、
ストリップ劇場へ行くのが好きだという
記事が掲載されていた。

北海道在住の直木賞受賞の女流作家である
桜木さんは、主に札幌道頓堀劇場に月1回行っていたそうだが、
今は札幌の道頓堀劇場は閉館し、
仕事で東京へ来た時等に
渋谷道頓堀劇場などへ行くということだ。

その記事では、
ストリップはまるで小説のようだ
と書かれていた。
短編小説のようであると。

僕も全くそう思う。

この日は、
11時開場で、
1回目の公演が11時30分開演だった。
1公演につき7人の踊り子さんが踊り、
これが4回繰り返される。

13時までに入場すると
早朝割引で観ることができる。
僕は11時30分を少し越えて入場した。

チケットを購入し、
地下にある劇場へ。
入ると、一人目の踊り子さんの出番の
クライマックスだった。

流れる曲は70年代のプログレッシブロック。
大人たちに支配されたくないと子供たちが叫んでいる。
踊り子さんは身に着けてる衣服を脱いでいく。
これはまったくの不条理劇である。

踊り子さんたちはそれぞれ演目を持っている。
タイトルがあるかどうか知らないが、
(あったとしてもあまり意味はないだろう。
特に客にとって)
テーマはそれぞれある。

それは使用される曲や
衣装やダンスに反映される。
小道具が使用されたり、
芝居的な演出も施されたりする。

今回のテーマは
「大阪」
「テディベア」
「フラメンコ」
「エマニュエル夫人」
「嵐」
など。

普通に考えて
演出家、振付家がつき、
練習を積んでいる。

照明、音響、スモークマシンやミラーボールの特殊効果を
おそらくひとりのスタッフでまかなわれている。

演出やテーマはさまざまだが、
構成はごく単純である。

つまり、衣服を脱ぐ。
それだけである。

踊り子さんが演目を演じ終えると
お客さんへのサービスタイムに入る。
1枚500円で踊り子さんと写真が撮れるのだが、
その希望がない客は単なる待ち時間となる。

これはアイドルの握手会みたいなものだなあ
と思いながら、ひたすら待つ。
スマフォを見るというのは厳禁のようだ。
それはそうだ。
スマフォにはカメラ機能が搭載されている。

進行はおし、
最後のフィナーレはなくなり、
1回目の公演が終わる。
すでに午後3時を過ぎていた。

入れ替えなしなので、
1回目に途中から観た踊り子さんの
2回目だけ見て帰ろうと考えた。

同じ演目をやると思っていたのだが、
まったく違う演目だった。





 

渋谷道頓堀劇場へ行った  その1

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16日、17日と東京へ行ったが、
17日(土)はほぼ2つのことをした。

ひとつは、築地で親子丼を食べた。
午前9時台に築地市場あたりに着いたのだが、
場外市場は人でいっぱいだった。
しかも6、7割くらいは外国人だった。

小池都知事が、豊洲への市場の移転と合わせ、
築地ブランドも残す意思表示をしたが、
この場所を簡単に捨て去ることができないと考えるのは、
目の当たりにするとよくわかる。

日本橋にあった魚河岸が
関東大震災で焼け野原になったのを機に、
築地に移転したのが、元になり、今の築地市場ができた。

築地で飯を食べるのに都合がいいのは、
元来は市場関係者たちのために食べさせる店が多くある場所なので、
朝からやっていること。

そして、東京駅から歩こうと思えば歩いて行ける。
例えば観光で東京に来て、
先ず築地で腹ごしらえというのが出来る。

親子丼は、一応ネットで調べ、
うまそうだな、と思い、行った。
鶏肉の卸会社の直営店。

築地と言うと、寿司や刺身など魚介類を連想するが、
市場関係者はわざわざ仕事のあとに
自分たちが扱っている魚はそんなに食べない。(のではないか?)

むしろラーメンとかそばとかうどんとか普通の定食とかを食べる。
牛丼の吉野家も元々日本橋の魚河岸で誕生し、
移転ともに築地に移り、歴史を歩む。
海鮮丼とか寿司とか魚介類を食べさせる店は
むしろ観光客を目当てに増えたのではないだろうか。

店に前にはすでに5人並び、
少し待ち、そして、食べた。
れんげと箸がついていたが
れんげで流しこむように食べられる親子丼だった。

ほとんどカウンターばかりの店内は
となりの席の客との距離が狭く、
運悪く右利きの僕の右側の客が左利きだった。

2度、ひじとひじが当たり、
僕は自然と右ひじを手前に引いて
必要最小限の動きで
れんげを口に運んだ。
たぶんとても上品な食べ方だったと思う。
豪快さとは程遠い
大人しい観光客である。

忙しい市場関係者が、
さっと入り
さっと食べ
さっと支払い
さっと帰る。

そんな親子丼だった。
きっと吉野家の牛丼も
つゆだくで、
流し込むように食べられたのではないか。
そして、ひじとひじが当たっても気にせず、
ガツガツとかきこんだのではないか。

築地から歩いてすぐに銀座がある。
途中、新橋演舞場もある。
歌舞伎座の前を通り、
6月歌舞伎やってるなあ、
松本幸四郎や中村吉右衛門出てるなあ
来月は市川海老蔵だなあと思いながら
銀座駅に行き、
地下鉄で渋谷へ向かった。

その日したことのふたつめは
渋谷道頓堀劇場へ行ったことである。
その2へ続く。





 

浅草演芸ホールへ行った

カテゴリー │いろいろ見た

16日(金)休日出勤の代休を利用し、1泊で東京へ行ってきた。
近頃、例えば積極的に東京へ芝居を観にということもあまりなくなった。

仕事がらみで、行く用もあり、
急きょ思い立ち、前日、高速バスとホテルを予約した。

1日目、仕事がらみで板橋区へ行ったあとは
やったことはほぼひとつ。
寄席へ行った。
浅草演芸ホール。

夜の部は16時40分からだったのでそれに合わせて、
少し早くチケット売り場へ行ったら、
もう入場していいということだった。

「夜の部で」と言ったら、
「入れ替えなしなので、入っていいですよ」

ああ、それなら、余計な時間つぶしをしないで、
入ればよかった。

昼の部は11時40分から16時30分である。
夜の部は16時40分から21時である。

入場料は大人2800円。
いようとすれば、
昼夜ぶっ通しで11時40分から21時まで
いることができる。
9時間20分。

いまどきそんなエンターテイメントがあるだろうか。
映画も昔は朝から晩までいることができたが、
今はほぼ入れ替え制だ。
居眠りしちゃったからもう1回というのは出来ない。

その代わり、
「入場後の中間外出は非常時を除いて出来ません」
とある。

入場したら、
昼の部のトリである三遊亭円丈さんが始めたばかりだった。
円丈さんは近頃はあまりメディアには出ないが、
ひと頃はテレビなどにもよく登場していた。
古典が主流の落語界で、
新作にこだわる落語家として知られている。

生で聞くのは初めてである。
演目はたぶん「シンデレラ」。
子供が親に昔話をせがむ話。

台本を手元に置き、
堂々とそれを見ながら演じていた。
それはすべて笑いに転化していて
全く気にならない。

寄席では主任と呼ばれるトリをつとめる真打が
それぞれいて、休みなしの寄席で
一定期間主任をつとめる。
円丈さんも6月11日から20日までの10日間の主任の期間、
おそらくだが違う演目を演じる。

多くの人が数限りなく演じてきた
古典落語ならまだしも、
自分で書いたとは言え、
新作落語を体に染みつけるまで覚えるというのは
もしかしたらそんなに意味のあることではないかもしれない。

新作は、現代性も大きな意味合いがあるので、
次から次へと新作を生み出さなければならない運命がある。
その上、物語性があるので、
プロットを間違えると、
よくわからない話になる。

それを防ぐためにも
あんちょこの存在は必要かもしれない。
まあ、若い頃はそんなことはなかったと思うが。

観客はそれも含めて、
喜んでいた。
「シンデレラ」も見事な話だった。

夜の部は17演目。
落語を中心に
紙切り、粋曲、マジック、漫才、曲芸が色物が間を挟む。
考えれば、
長い歴史の中で
定着してきた構成だと思う。

主任は柳亭市馬さん。
若くして、
東京に2つある落語協会のうちのひとつ
「落語協会」の現会長である。
ちなみにもうひとつの「落語芸術協会」の現会長は
笑点の前司会者桂歌丸さん。

17演目の感想を書くのは
やめておきます。
手間の都合で。

次回は昼夜ぶっ通しでいそうで、
少し怖い。
他にも寄席はあるし。

ちなみに浅草演芸ホールのとなりは
漫才中心の
浅草フランス座演芸場 東洋館。

井上ひさしさんが、過去、ストリップ劇場浅草フランス座時代、
大学に通いながら、コント台本を書いていた。
また、ビートたけしさんが、大学中退後、
エレベーターボーイとして働いていたのも有名。







 

「砂山劇場2017」が終了した。

カテゴリー │路上演劇祭

「砂山劇場2017」は
路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018のトップバッタ-として
砂山銀座サザンクロス商店街にて、
6月3日13時に登場した。

前半と後半に構成はわかれていて、
前半は「砂山」を紹介する紙芝居で表現される。

メンバーと共に砂山銀座サザンクロス商店街の人や
「砂山に関わる高校生や大学生などから聞いた話を元に
紹介文を書き、写真を撮影し、
18枚の紙芝居にした。

前半の紙芝居の後、後半に突入する。
後半は「砂山」をテーマにしたごく短い芝居。
今ここにいる場所から
そのままつながるのがイメージ。

用意された台本は以下のとおり。

我々は砂山をつくっている。
小さなスコップで掘る。
大きなスコップで掘る。
手で掘る。
ここは砂漠である。
ここは砂浜である。
ここは砂場である。

砂を互いに掛け合って、ふざけたりもしている。
堀った砂を寄せ集めて、積み上げられる。
積み上げられた砂は、大きな山になっていく。
他の誰かが飛び入りで手伝ってもよい。
砂山銀座サザンクロス商店街に
とても大きな砂山ができる。
誰かが「砂」と言う。
誰かが「山」と言う。
誰かが「砂山」という。

風の音が聞こえる。
誰かたちが、口から風の音を出している。

サザンマンが、長い1本の棒を持ってやってくる。
ぶら下げた空き缶をカラカラさせて。
風の音がやむ。

誰かが「棒倒しやろう」と言う。
「やろう」「やろう」と他の者たちが答える。
男の持つ棒を取り上げる。
砂山のてっぺんに、棒を立てようとする。
砂山に登ろうとしてみるが、山は崩れて登れない。
誰かにやらせようとする。
誰かが試みるが登れない。

走って勢いをつけてきて登ろうとしたりもするがどうしても登れない。
高く作りすぎた砂山は登れない。
長い棒から手を離すと、地面に倒される。
棒が倒れる音がする。
みんなで高くて登れない砂山を見つめている。

誰からかというわけでもなく、
砂山の砂を崩し始める。
小さなスコップで掘る。
大きなスコップで掘る。
手で掘る。

サザンマンが持つ小さなカセットデッキから、
サザンオールスターズの「真夏の果実」のイントロが流れ出す。
曲が流れる中、砂山を崩している。
歌うものがいる。
踊るものがいる。

     終わり

僕は本番6日前、
長い1本の棒を探すために
遠州灘の海岸に出向いた。
いい棒が見つかった。





 

なゆた浜北で絡繰機械’S「ヨコシマ デイドリーム」を観た

カテゴリー │演劇

5月28日(日)14時30分~

「ヨコシマ デイドリーム」とタイトルがついたのも理由があるだろう。
なげやりなアイロニー♪でも
裏切りのレイニーデイ♪でもなく。
当然、「わがままジュリエット」というタイトルではない。
BOOWYだし。

ヨコシマなデイドリーム♪というフレーズに
何かが埋まっている予感がしたのだろう。
とりあえず、話の舞台は「島」ではある。

完成形を観るとそうは思わないかもしれないが、
完成形に至る過程は、行き当たりばったりだったりする。

いや、ほぼ行き当たりばったりだ。
偶然の産物とも言える。
でも偶然は待っていて棚ぼた式に訪れるのではなく、
用意周到なたくらみの末、訪れる。

今回の作品「ヨコシマ デイドリーム」は
絡繰機械’Sの10周年記念と銘打たれている。
記念公演だからだろうか。
ロビーにはかつての出演者が
スタッフとしていつもより多く並び、
舞台上も12人といういつもより
多めの出演者が、並んでいた。

いつもより多めの俳優の構成が功を奏していたと思う。
適材適所に俳優が配置され、
いつものように足りない役は兼任でまかなわれるのだが、
主とする役の輪郭がはっきりしているので、
入れ替わりに無理がなかった。

舞台上に揃った12人が
「ヨコシマ デイドリーム」を生んだとも言える。
卵が先か鶏が先かの議論と同じく、
戯曲が先かキャスティングが先かの議論をすれば、
キャスティングが先というのは実は珍しくない。

キャスティングありきで戯曲が生まれる。
他力本願のように思うかもしれないが、
僕は、世の戯曲の少なくとも半分は、そうなんじゃないかと思っている。

代表的な劇作家はウイリアム・シェイクスピア。
作品はそれぞれ風合いが変わり、
シェイクスピアは実在でなく、
いろいろな作家の集合体なのではないか言われたりする。
完全なオリジナルかというとそうでもなく、
元となる話があったりする。

極端な話をすると
劇作家自身に書きたいことなんてないのではないか。
周りからの要請で
行きがかり上書くことになったのではないか。

俳優のピースが埋まるに伴い、
戯曲も仕上がってきたように思う。
これは、ひとつが終わったから次、
というものでもなく、
なかなか有機的に定まってくるものなので、
これまた無責任に思われるかもしれないが、
意志ひとつで決まるものでもなく
やっかいだ。

それでも行ってきたことは
裏切ることなく、
結果的に形になる。

そんな10年を象徴しているような気がした。
俳優のピースが埋まることで、
話のピースが埋まり、
劇団が銘打つ
「ハイスピードエンターテイメント」に
結実していた。

最後、悲劇的な結末のあと、
時間をかけずむくりと立ち上がり、
冒頭のシーンと同じく
歩みを刻む動作に移ったのが
とてもよかった。





 

いよいよ明日 路上演劇祭Japan in 浜松2017-2018開催!!

カテゴリー │路上演劇祭

いよいよ明日!! 路上演劇祭japan in 浜松2017-2018
ぜひお越しください!!

6月3日(土) 13時スタート  18時頃終了
場所:砂山銀座サザンクロス商店街
入場無料

タイムテーブル ※開演時間は目安です。当日の状況により前後しますのでご了承ください。
13:00~ オープニング
13:05~ 砂山劇場 featuring ぷちまり 【砂山劇場2017】
13:30~ 雨ニモ負ケズ  【いらっしゃいませ(予告編)】
13:50~ 浜松キャラバン隊 【発達障害、知的障害、」こんなことあるある!】
14:10~ アルス・ノヴァ 【表現未満、」実行室】
14:45~ 里見のぞみ 【どこかにつながってるにちがいない】
15:15~ 加藤解放区 【ミライハミテイ】
15:50~ URARA 【吸血伝説】
16:25~ TRIBUFU 【MENDI語】
17:00~ しんぽじうむ 【砂山で物語をつくるということ】
17:55~ エンディング
常時開店 ひらのあきひろ 【らのや】

※開演時間は目安です。当日の状況により前後しますのでご了承ください。