東京見物

カテゴリー │いろいろ見た

24日に東京に劇団青い鳥を観にいった日のこと。
朝一番のこだま号に乗って東京へ行った。
東京駅から歩いて皇居の二重橋へ行った。
上野へ行き、西郷さん(銅像)に会った。
不忍池にも行ったが、そこは蓮が密集しているところ。
芝居に遅れては元も子もないので、「池の奥に蓮」が見えるところまでまわらなかった。
駅前で洋食を食べ、池袋のあうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)へ向かう。
1時半開演の「ザ還暦」を観て、お茶を差し入れして、劇場を出た。
すると、雨。
「でも、まあ、小雨だからいいか」
浅草へ向かい、地下鉄から表へ出ると、雨量増している。
「歩けない雨じゃないからいいか」
雷門へ行き、仲見世を通り、パーカーのフードをかぶってねずみ男の者。
帽子を目深にかぶりなおす者。
急な雨の時は兼用よ、と当然のような顔で日傘をさす者。
観念して、500円の傘を買う者。
その傘に相合傘で便乗する者。
もうちょっと降ったらもうちょっと降ったら、と結局最後まで傘を買わなかった者。
俺は最後です。
明日はオペラ、風邪ひいちゃならねえ、インフル言わずもがな。
と思いながらも、仲見世を突っ切り、浅草寺へ。
5時を過ぎ、本堂の扉も閉まり、まわりも改装工事で、覆いがかかっていたが、せっかくと手を合わせた。
あげまんじゅうを雨を避け店の軒で食べていると、浅草駅へ向かう時間だ。
東京駅へは予定していた時間に着いた。
弁当とビール(←俺は)を買い込み、ホームに並ぶ。
19時前のこだま号に乗り込み、浜松へ向かう。
ぷらっとこだまが取れなくて、案内された日帰り1day東京スペシャル(こだま)ってので行った。


ハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハハスノハ



























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青い鳥観劇と蝶々夫人出演

カテゴリー │演劇オペラ

青い鳥観劇

きのうの土曜日は東京池袋に演劇を観に行った。
いわた表現の会からころのメンバー8人で東京へ。
現地で元メンバー2人とも出会う。
劇団青い鳥の「ザ還暦」。
20代で女性ばかりで結成した青い鳥も35周年。
チラシには“スタートラインは「ザ還暦」”とある。
観るとなぜか泣けてくる。
まわりも多くの人が泣いている。
なんでだろうな?
生きてきた、生きている、生きていくだろう、そんな抽象的なひとつひとつがたまらなくいとおしい感じになるんだろうな。
意味わかんない?
俺もよくわかんない。
お客さんのひとりひとりになぜ泣いているのか聞いて回りたい。
そんな気分。

「今の私はこんなです。」
“でっかい名刺”を渡された。

















蝶々夫人出演

本日の日曜日はオペラ「蝶々夫人」の本番。
打ち上げで多くの人の話を聞いていて思った。
演劇もオペラも間違いなく地続きだ。
もちろん全然違うけどね。
一流の人ほど、真摯な態度に感慨深く聞き入る。
いい経験でした。
お世話になりました。
いろいろな人がいろいろな表現を自分のフィールドで行っている。
それらを引き合わせるには強い磁場が必要だ。
それを作りだしたのが国民文化祭なんでしょうね。
そして・・・一度全部観たいなあ。
でもそれはお客さんの特権だ。






 

オペラ「蝶々夫人」本日ゲネプロ

カテゴリー │オペラ

男性合唱団と我々助演は12時に集合して、メイク、衣装つけ、そして本番と同じ16時開演でゲネプロ。
ゲネプロは本番前の最終練習。
すべて本番と同じように進める。
僕の出番は無事おわったが、第1幕でもう出番はないので、楽屋で弁当を食べ、その後、客席に座り、ラストまで舞台を観る。
今まで場面ごとに別れて練習していたので、ソリストたちの場面は一緒に舞台に立っている人たちとは思えない。
見入ってしまった。
オペラも芝居なんですね。
あたりまえでしょうが。
おわったらまた書きます。






 

本日「蝶々夫人」HP

カテゴリー │オペラ

今日はオペラ「蝶々夫人」のHP(ハーペー)
ハーペーとはドイツ語のハウプト・プローベの略語で、オペラ、バレー、演劇等の総練習、本稽古のこと。
メイク、衣装をつけて、オーケストラも入り、頭から通し稽古。
人が多い。待ち時間が長い。
あしたのGP(ゲーペー)はもっと長い。
ゲーペーとは本番とまったく同じ条件で舞台上で行う稽古のこと。
ゲネラール・プローベの略語で、ゲネとかゲネプロとか言う。
そして1日おいて、24日の16時~本番は始まる。
オペラでは声のために1日以上あけて、GPがあったりするんだって。
今回もそんな関係で、土曜日は休みなのかな。
まあ、助演は声使わないんで関係ないけど。



 

高座の上から俺③

カテゴリー │落語会

俺は、本番の27日の直前23日の19時集合のゲネプロの日、朝起きて実感した。
やらなきゃよかったって。
前の日、からころのメンバーふたりに頼んで、稽古につきあってもらった。
実際、人前でまともにやってなかった。
9月第2土曜のからころ定例会で4人+ナレーターが登場する「バーベキュー伯爵」の台本を持ち込み、芝居の本読みのように、それぞれ役をふって読んでもらった。
客観的に聞きたかったのだ。
ひとりだけの稽古に息詰まりを感じていた。
面白くない。
集中が続かない。
演劇は個人練習も大事だが、基本的に演出家がいて、みんなで作る。
なんとか自分の頭を使い、書いた台本を体によみがえらせなければいけなかった。
それなくしては、ひとり落語なんかしゃべれない。
みんなに読んでもらったことはとても役に立った。
でも、足りない。
まだまだ、稽古が足りない。
ゲネプロの前日、からころのふたりにつきあってもらった稽古で、最初から最後まで、一気にしゃべった。
予想以上に、すらすらとしゃべることができ、思いのほか満足感があった。
ミスはいくつかあったが、それらを修正すれば、かなりいい出来の作品になりそうな気がした。
少し休憩して、もう一度しゃべってみるよ、と言った。
ところが、勢いよく飛び出し、3分の1くらいにさしかかると、次の言葉がまったく出なくなってしまった。
たとえて言うと、ガス欠。
頭の中のエネルギーがまったくなくなってしまったようなのだ。
1回目に手ごたえがあったこともあり、それ以上続けることをやめてしまった。
明日のゲネはまあ、大丈夫だろう。
そんな気持だった。
翌日、ゲネの日は朝から午前いっぱいは、本当に最悪だった。
かなり朝早く、目が覚めると練習しなくちゃと正座するが、気ばかりはやり、話し始めてみるが、セリフをひとつ言ったきり、次のセリフが出てこない。
やばい。
完全に気持まいっている。
今更ながら稽古不足をうらむ。
てめえのせいなのに、もっと人をつかまえてつきあってもらえばよかったとか。
今は新型インフルだな。
もしもかかったとしたら、みんなが高座に上がるのを止めるだろう。
みんなに「できない」って謝ろうか。
台本持ち込んで、かつてないリーディング落語と称してやろうか。
あれこれ思いめぐらせた。
どれも情けねえな。
でも今はそんな気持ちなんだからしょうがねえ。
朝飯もろくに食わず、そう見る気にもならない笑っていいともをあまり笑わず見ながら、昼飯も食ったか食わなったのか、ただその中でも、台本を手放さず、ずっと粘っていた。
いいとも選手権を見終え、あやうく小堺ごきげんように突入しそうになるのをテレビのリモコンを消し、部屋の座布団に座りなおし、ゆっくりとしゃべり始めてみた。
なんとかしまいまで行った。
芝居の本番直前もそういう意味じゃ尋常じゃなく緊張している。
そんな時、舞台への登場から去るまで、自分の出番を頭の中で通してみる。
こんな動きをして、こんなふうにしゃべって。相手がこんなふうに来て。
うまくいくと、「通った」と思うのであるが、これは言うまでもなくイメージトレーニング。
「よかった。通った」。
そんなわけで、何をやるにも苦労がつきまとう。
俺も「初めての落語」はかなり新鮮な体験だった。
「初めてのお使い」とどっちが難しい?
一緒にやる仲間に通して見せるのはゲネプロが初めてだった。
合同で稽古しようという話もあったが、都合が合わず、結局3人の演者が集まってやることはなかった。
つまり、それぞれで噺をつくりあげてきた。
無茶だと思う人もいるだろうが、これは俺たちらしいかもしれない。
離脱した姫も受け付けとして活躍した。
「道常」の意味を。道の上、つまり「道上」と「日常」をかけてます。
宵待亭は?そりゃ雰囲気です。
自分の名前つける経験もそんなにない。
芝居も本名でやっている。
2日間の公演を終え、主催の意向で両日とも打ち上げをやった。
お客さんも含めての打ち上げだ。
よく会うやつとも会ったが、めったに会わないやつとも会った。
知らないやつもたくさんいた。
2日目の本番を終え、高座を去る前に言った。
「すべてヴァリエッ亭もおかげです」。
ドキュメンタリー落語家の。
こいつは「替り目」の中で、プロポーズをした。
なんでてめえ事を?
これが実は醍醐味なのだ。
彼女が泣いちゃったって言ってんだから。
2日後、荷物の搬出に会場のルクレチアに行き、去り際、演者とスタッフだけの打ち上げの日程の話をしたら、ちょうど演劇・人形劇フェスティバルのワークショップと重なっていた。
オペラにも少し出るという話をした。
そして言われた。
「寺田さん、あまり安請け合いしない方がいいですよ」。
俺は口には出さなかったが思った。
「今回が一番安請け合いだったよ」。



おわり







てぬぐい本(落語編)
ネットで買った。





 

高座の上で俺②

カテゴリー │落語会

枕は、なにより言いたいことを言った。
本題への流れは先ずは気にしないようにした。
「お客さん来てくれてありがとう」と言った。
「なんで、この高座に座っているのかよくわからない」ということ。
「でもしゃべりに来たのだし、逃げずに準備してきたことを今出そうと思っている」ということ。
立川談志が「落語はイルージョンだ」と言っていたのを引いて、「落語とはなんでもありだ」と言った。
同じく談志が「落語の世界は業の全肯定」と言った話をした。
「これが俺の落語です」くらいのことも言った。
そして、本題の最初の設定を少し説明して、本題が始まった。
自分で書いた「バーベキュー伯爵」。
後半、まあ、乱れたが、しまいまでしゃべり、落ちを言い、お辞儀をした。
おひねりが飛んできた。
出来と関係なく投げる予定だったのかもしれないけど、噺手以上に粋な奴らに拍手。
ミスはあった。
草履を階段の下で脱ぐのを忘れて高座に上がってしまい、途中で謝り、脱いだ。
羽織を本題に入るタイミングで脱ごうとしていたのをこれまた忘れて本題が進んだ途中で気が付き、脱いだ。
緊張はしていた。
でも、やって後悔することは世の中にあまりないなと思いながら、来たドアを逆から開けて、出て行った。
再び10分のバータイムの後、トリのヴァリエッ亭玉斎の「替り目」が始まる。
今年2月、この映像作家玉男と飲んだことに始まる。
他に三味線1年ギター小傳とテアトロ太郎もいた。
とりとめもない話の中、落語聞くのが好き、という話が出た。
4月、いわた表現の会からころの公演を5月に控えたころ、携帯に電話がかかってきた。
「例の落語だけど、しゃべるメンバーがひとり(女)が見つかったんで、寺田さんもやりましょう」。
2月の酒席で俺はやるって言ったかなあ。
その時は秋は劇団フィールドの公演をする予定だったので、現実的になっても物理的に同時期に演劇と落語を両立させるのは無理なので、芝居を理由に断れるとタカをくくっていた。
でも、4月の電話がかかってきたときには秋のフィールド公演はお休みすることに決定していた。
ということは、俺は断るとしたら、「この前は酒の勢いなんで、やっぱ、落語なんか無理だよ」と言うしかなかった。
しかし、電話の向こうでは2人の演者が誕生し、話は実現に向け動き出していた。
がんばりゃできるだろう、まだ充分時間あるなよな、とも思ったのだろう。
俺はちょっと戸惑いを見せただけで、ほとんど快諾したと思う。
その後どういう過程を経るかはその時は全く考えていなかった。
企画者ヴァリエッ亭はいろいろ大変だっただろう。
総合プロデューサーの宿命だ。
催し物の全体のイメージは先ず、言い出しっぺの頭の中にある。
あとは自分以外の誰かを巻き込み、ひとつひとつイメージを具現化していくだけだ。
打ち合わせという名の酒席を何回か経て、全体は進んでいく。
普段はロックライブをやるロックバーで落語会をやろう。
タイトルは「ロックバーDE寄席ッ!!」と決まった。
入場料は1000円+1ドリンク代500円。
それぞれの名前を考えよう。
チラシのための写真撮影を暑い盛り、着物姿で浜松駅に集合して、街中に繰り出して行った。
しかしながら肝心の個々の落語は各人にゆだねられている。
俺以外のふたりは古典をしゃべることに決めていた。
デモさ~古典しゃべるって難しいだろ~。
・・・女の子が離脱した。
そりや、そうだろう~。
演者ふたりとなり、これゃたいへんさ~ってことになる。
でも彼女の気持ちはよ~くわかる。
さて、落語の稽古をしてみようかね、と始めてみてすぐに気がつく。
こりゃ大変だ。
手を出すもんじゃない。
ひとりでしゃべること。
何役もしゃべること。
正座した中、なんの手助けもない中しゃべること。
どんな口調でしゃべるんだろう。
しぐさ、表情もやらなきゃなんない。
何より覚えなきゃ。
覚えたあと、やること山ほどあるだろうな。
落語という文化が誕生して以来、数ある名人が落語と格闘してきた。
そんな噺を自分が喋る。
プロの落語家の世界は師匠がいて弟子がいる。
入門すると師匠や兄弟子たちから手ほどきを受ける。
他の師匠たちの芸も寄席などでのぞける。
俺たちに何がある?
あえて言えば、知らないゆえの無謀さが武器か。
敏感な人はすぐに気がつく。
やらなきゃよかった、って。
















おひねり。

次回(最終回)に続く。
※すみません。遅くなって。


 

オペラ公演前週

カテゴリー │オペラ

15、16、17、18日とアクトリハーサル室等で稽古。
ソリストの方々やスタッフも揃いだし、本番モード。
合唱や助演の出る場面を通し稽古。

「歌劇」をいろんな意味で実感。



 

静岡芸術劇場にSPAC「ドン・ファン」を観に行った

カテゴリー │演劇

12日にオマール・ポラス演出 SPAC「ドン・ファン」を見た。
2005年にフランス語版として製作された作品だそうだ。
今回SPACの俳優を使い、上演された。
面白かったとは言える。
全員が特注品の仮面をかぶり、派手な衣装と舞台美術や小道具。時には役者が客席に飛び出したり、花火が吹き出したり。
舞台である中世のスペインの雰囲気をかもしだしていた。
チラシにフランス版であろう、ドン・ファンが女たちに囲まれる(とういよりはべらせてる)写真がある。これと比較して気がつくこと、フランス版は女性役の何人かは素顔で出ている。
引き換え、日本版は仮面で顔のどこかを隠している。
ほとんど隠し、素顔の部分はほんの一部だけという役も多い。
どうだろう?異世界へのトリップをさまたげる日本的な顔を嫌がったのではないだろうか?
推測する。
フランス語版とSPAC版は演出の大筋は変わらないのではないか。
いくつか日本向きにしたいくつかのことがあったかもしれない。
ただし、それは静岡のお客さんへのサービスで、たとえば、派遣切り、など今的(というより少し古い)な言葉だったり、言葉尻の方言であったり。
なぜこんなことを言うのか。
それは僕がそれほど舞台に巻き込まれなかったからだ。
笑いはした。
いろいろ感心もした。
でも、オマール・ポラスのイメージとはこれくらいのものなのだろうか。
不道徳で、不潔で、無責任で、残酷で、神をもおそれぬ、親を親とも思わぬ、恩を知らぬ、スケベで、口がうまく、でも弱く、ひとりぼっちで、さみしがりやで、そんな自分をどうにもできなく、ますます、天にむかって唾をはき続ける、イカす男、ドン・ファン。
そんな世の中にとって非生産的などうしようもない男を愛してしまう女たち。
そんな女たちも実は自分にまったく自信がなく、世界中で自分のことをわかってくれるのは究極の愛のペテン師ドン・ファンだけと錯覚してしまう。
この話はほとんどの人物がそんなおろか者だ。
唯一、ドン・ファンが金貨と引き換えに神への悪口を言わせようとしたが、「それなら飢え死にしたほうがましだ」と、とうとう言わなかった貧しい農民ぐらいである。
楽しい雰囲気(サービス)にまぎれ、そんな人間のおろかさが、あまりあぶり出なかったのではないか。
本当の縦横無尽とはもっと違うベクトルなのではないか。
今回の舞台は中高生舞台芸術鑑賞事業の作品となっている。
これは県の事業である以上、意義あることなのかもしれないが、作品つくりの中では、足かせとなるのではないか。
中高生のために意義あることをやってますよ。
そのアピールは劇を見ない県民には必要かもしれないが、お金をはらって見に来る客にはまったく関係ない。
と、思いました。




 

演劇・人形劇ワークショップとオープニングフェスティバル

カテゴリー │演劇

10日・11日と静岡文化芸術大学内で人形劇ワークショップと演劇ワークショップが合同で行われた。
講師は人形劇が藤原玄洋氏、演劇が大岡淳氏。
1日目の午前、合同で心と体をやわらかくするいくつかのワークショップ。
午後からそれぞれに別れ、各自のワークショップ。
そして、2日目の14時から行われるフェスティバルのオープニングイベントでの成果の発表に向け、作品作り。
人形劇は昔話「そら豆の黒いすじ」。
演劇は同じく「そら豆の黒いすじ」と「猿正宗」「高山の沼の主」。
すべて、静岡県内の昔話。
発表があるというのはやはりいい。
緊張感もあるし、なにより、受講者同士の関係がぐっと縮まる。
その上、浜松アリーナ内研修棟で1泊するという企画だった。
1日目はたっぷり21時まで。
バスでアリーナに移動し、入浴、懇親会。
富士から高齢者劇団「チャレンジャー」のメンバーが5人参加。








文芸大内「瞑想空間」~ここでワークショップが行われた




 

台風の傷あと~「あっち向いてほい!」

カテゴリー │見つけた






台風が通り過ぎた夜があけて、その日の夕方。

クリエート浜松の東側の歩行者用信号機。

「あっち向いてほい!」

右

「いえ~い。勝った!!」








 

高座の上で俺①

カテゴリー │落語会

落語会が終わり、先日それについて書いた。
詳しくは西部演劇連絡会の会報に書こうと思うと締めたが、何回かに分けて、ブログ上に掲出しようと思う。
頭の部分重複しますが、よろしくお願いします。



高座の上で俺


9月27日・28日、「ロックバーDE寄席ッ!!」で噺手として出た。
浜松街中のロックバールクレチアで寄席を催す。
そんな企画だった。
無事終わったかどうかは俺は知らない。
おせじにも噺の出来が完璧だったとは言えない。
途中、話を忘れて止まった。(とくに初日)
でも、思いのほか満足度がある。
客が満足したかどうかは知らない。
それは客の中にあるのだから。
しかし、様々な企みに満ちたこの無謀な試みは、思う以上に刺激的だった。
「落語じゃない。芝居だ」
「いつもやってることと変わんない」
公演後の打ち上げ等で、そう言われたが、俺は納得する。
言っている人の意図はよく聞くと悪口ではなかったりする。
「確信犯だ」
チラシの写真を撮ってくれた人に2日目の終了後言われた。
勝手に直訳すると、「落語という名前を借りて、自分の芝居をやりやがった」の意か?
そうだ。
その通りかもしれない。
意図していたかどうかはよくわからない。
やりたいことを、伝わってほしいと思うことをやるとこうなる。
そういうことだ。
初日は枕を用意していた。
本題にスムースにつなげる。
そんな落語の枕の教科書のようなものに忠実にしようと、本題の鍋奉行に絡んだ話をした。
結果、用意した話は客が沸き立つこともなく、俺も緊張感を増しただけで、カチコチで本題に突入した。
これは決してスムースではない。
2日目の平日月曜日は仕事を定時の18時で終え、会場のルクレチアに向かう。
俺よりも早く来ていた他の者たちがそれぞれの過ごし方をする中、きのうのまま準備された高座に上がり、ひとり演目をしゃべりだす。
何か心持ちが軽くて、一気に最後まで。
終盤の「バーベキュー伯爵の歌」までたどりつく。
ここまで行けば落ちを言うだけだ。
「よし」。
着物に着替え、20時からの開演にのぞむ。
トップバッターの棚ぼた喜久映が「寿限無」をしゃべる。
彼女は中学の落語クラブでしゃべって以来30年ぶりにしゃべる。
ほとんどノーミスで、男たちとはちがう。
彼女は1月ちょい前、当初3人だった噺手が2人になったピンチを「わたしやるよ」と救った救世主である。
次は俺の出番。
噺の間にバータイムが10分ほどある。
初日はお囃子が始まる前に舞台に出てしまった。
5階の会場に4階からエレベーターで上がり、舞台に直結するドアの前で待機し、太鼓の音がして、お囃子が始まり、しばらくお囃子を聞かせてから、ドアを開け、登場するはずだった。
初日は太鼓と三味線のお囃子隊のふたりが「さてはじめようか」とチューニング等していたら、す~っと目の前を人影が。
それは段取りまったく無視の俺だった。
俺はといえば、エレベーターを上がる方法を理解しておらず、ずいぶん遅れてしまい、お囃子の方も俺を待てずに終わってしまったと思ってしまったらしい。
あわてて高座にあがるころ、追っかけるようにお囃子が鳴り出し、鳴っているにもかかわらずしゃべりだしてしまったドジぶり。
その上、かた~く枕が始まった。
2日目の開始前は妙に落ち着いていた。
出番を呼びに来てくれあチラシデザインのM氏が気を使ってくれ、エレベーターの前まで連れて行かれる。
ドアの前でも緊張はするが、とにかく待った。
お囃子の始まりを告げる木綿子(ゆうこ)の太鼓の音を。
中西小傳のギター生まれ、三味線育ちのお三味がメロディーを奏でる。
「ちったあ、お客にきかせよう」
そんな余裕もあり、ちょいとここにやってきましたよ、てな感じで、ドアを開ける。
客席を見る。
いっぱいだなあ。
せまいからか。
でもいっぱいだ。
お囃子のふたりの前をごめんなすってと通りすぎ、高座に向かう。
階段をとんとんと上がり、紫の座布団に座る。
その下には組み立てた鉄骨をおおう赤いカーペット。
これは劇団からっかぜからお借りした。
バックには劇団たんぽぽからお借りした頑丈な金(紙)屏風。
舞台の上には盆栽なんかも置いてある。
なんか猫(置き物)も手招いている。
めくりには宵待亭道常と筆文字で書かれているだろう。
高座からは見えはしないが。
チラシのタイトルを書いてくださった書道の先生がめくりのそれぞれの名前も書いてくれた。
外に立てたのぼりの「ロックバーDE寄席ッ!!」も書いてくれた。

     
     次回に続く




 

オペラの稽古・袋井市民参加劇観劇・西部演劇連絡会会合

カテゴリー │演劇

きのうの日曜は

10時~ 文芸大講堂でオペラ「蝶々夫人」の稽古。
15日の稽古まで、日があくが、今できること最大限でと合唱、助演の出番の通しを最後にやる。
といっても、僕が出るのは4か所。よく働く給仕です。
稽古の最中、演出の粟國(あぐに)淳氏がオペラがいかに総合芸術かについて語っているようすに、なぜか感動。

15時~ 袋井市月見の里学遊館うさぎホールで行われた市民参加劇「喜劇ゴリ押し結婚」作モリエール
演出 大岡淳 を観た。
大岡淳氏は月見の里の芸術監督である。今年のはままつ演劇・人形劇フェスティバルの審査員・ワークショップ講師でもある。
「男が結婚を決めた」という1点からはじまり、結婚にまつわるさまざまが男にふりかかる。ストーリーは至極単純で、それゆえに、演劇的遊びが発揮しやすい。そんな遊びが純粋に楽しめた。
きっちりできた構造の戯曲に、役者の個性をいかして、趣向をこらす。
演出のだいご味だろう。

19時~ 浜松市西部公民館で西部演劇連絡会の定例会議。
演劇祭の話になるが、ここしばらく「まとまらない」という話になる。
たとえば、各劇団で共同して、ひとつの作品をつくるというのは無理があると思う。
それはやりたいことがちがうのだから。
僕は「自主公演+1」であると思う。
+1というのは小さなものから大きなものまで規模に幅がある。
ただ確実にいえるのは、その+1に従事できる運営スタッフが必要である。
「まとまらない」というが、それは当たり前の話で、まったく悲観することはない。
なぜなら目的は一緒だからだ。
演劇をやりたい、という1点において。
みんないい作品を作りたいと思っているし、盛り上げたいと思っている。




 

宵待亭道常「バーベキュー伯爵」(落語会28日終了す)

カテゴリー │落語会
















無事おわったかどうかは俺は知らない。

おせじにも自分の噺の出来が完璧だったとは言えない。

途中、話を忘れて、止まった。(とくに初日)

でも、思いのほか満足度がある。

客が満足したかは知らない。

それは客の心の中にあるのだから。

しかし、さまざまな企みに満ちたこの無謀な試みは、思う以上に面白かった。

「落語じゃない。芝居だ」

「いつもやってることと変わんない」

公演後の打ち上げ等で、そう言われたが、俺は納得する。

言っている人の意図は悪口ではない。

「確信犯だ」

チラシの写真を撮ってくれた人に言われた。

勝手に直訳すると、

「落語という名前を借りて、自分の芝居やりやがった」

の意か?

そうだ。その通りかもしれない。

長い文章は西部演劇連絡会の会報に書こうと思う。

いっぱいのおはこびとおせわになったかたがた、どうもありがとうございました。

「道常」の意味を。

道の上、つまり、「道上」と「日常」を足して2で割りました。

「宵待亭」は雰囲気です。