静岡芸術劇場にSPAC「ドン・ファン」を観に行った

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12日にオマール・ポラス演出 SPAC「ドン・ファン」を見た。
2005年にフランス語版として製作された作品だそうだ。
今回SPACの俳優を使い、上演された。
面白かったとは言える。
全員が特注品の仮面をかぶり、派手な衣装と舞台美術や小道具。時には役者が客席に飛び出したり、花火が吹き出したり。
舞台である中世のスペインの雰囲気をかもしだしていた。
チラシにフランス版であろう、ドン・ファンが女たちに囲まれる(とういよりはべらせてる)写真がある。これと比較して気がつくこと、フランス版は女性役の何人かは素顔で出ている。
引き換え、日本版は仮面で顔のどこかを隠している。
ほとんど隠し、素顔の部分はほんの一部だけという役も多い。
どうだろう?異世界へのトリップをさまたげる日本的な顔を嫌がったのではないだろうか?
推測する。
フランス語版とSPAC版は演出の大筋は変わらないのではないか。
いくつか日本向きにしたいくつかのことがあったかもしれない。
ただし、それは静岡のお客さんへのサービスで、たとえば、派遣切り、など今的(というより少し古い)な言葉だったり、言葉尻の方言であったり。
なぜこんなことを言うのか。
それは僕がそれほど舞台に巻き込まれなかったからだ。
笑いはした。
いろいろ感心もした。
でも、オマール・ポラスのイメージとはこれくらいのものなのだろうか。
不道徳で、不潔で、無責任で、残酷で、神をもおそれぬ、親を親とも思わぬ、恩を知らぬ、スケベで、口がうまく、でも弱く、ひとりぼっちで、さみしがりやで、そんな自分をどうにもできなく、ますます、天にむかって唾をはき続ける、イカす男、ドン・ファン。
そんな世の中にとって非生産的などうしようもない男を愛してしまう女たち。
そんな女たちも実は自分にまったく自信がなく、世界中で自分のことをわかってくれるのは究極の愛のペテン師ドン・ファンだけと錯覚してしまう。
この話はほとんどの人物がそんなおろか者だ。
唯一、ドン・ファンが金貨と引き換えに神への悪口を言わせようとしたが、「それなら飢え死にしたほうがましだ」と、とうとう言わなかった貧しい農民ぐらいである。
楽しい雰囲気(サービス)にまぎれ、そんな人間のおろかさが、あまりあぶり出なかったのではないか。
本当の縦横無尽とはもっと違うベクトルなのではないか。
今回の舞台は中高生舞台芸術鑑賞事業の作品となっている。
これは県の事業である以上、意義あることなのかもしれないが、作品つくりの中では、足かせとなるのではないか。
中高生のために意義あることをやってますよ。
そのアピールは劇を見ない県民には必要かもしれないが、お金をはらって見に来る客にはまったく関係ない。
と、思いました。

静岡芸術劇場にSPAC「ドン・ファン」を観に行った


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